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二章二話「華烈」

シャラシャラと華やかな髪飾りを揺らして、蓮見貴麻呂(はすみたかまろ)は街を闊歩していた。金糸の刺繍の入った着物を揺らし歩く様は言わば成金趣味といえるほど派手だったが、透き通るように白い肌、ツンと高く華奢な鼻、への字に曲げられた薄い唇、大きくつり上がった目にはめ込まれた瞳は琥珀のように輝いて長いまつ毛に縁取りされていた。この国では珍しい亜麻色の髪が揺れる少女のような出で立ちは、まるで巻物から飛び出した天女のようで人々は無意識に道をあけた。それを感じながら、彼の侍女である市子(いちこ)は少しの気恥しさと、気にもとめず堂々と歩く主に誇りを持っていた。そんな彼が市子にそこに売っていた焼き菓子を買うように言いつけた。「二つ」と指を二本立てて彼女に頼む不器用で優しい主を市子は大切に思っていた。 しかし、彼には難点があった。気が強すぎるのだ。市子が菓子を買いに行くほんの一瞬、受け取ったその時主が喧嘩を売る声が聞こえてきた。血の気が引いた。 大学寮へ入ることが決まり、生まれ育った江州を離れた。そこにあるのは湖ぐらいの田舎で、夫に先立たれ女主人となった貴麻呂の母親から「よろしく頼みますよ」と送り出されたのは昨日で、今朝足を踏み入れた都は圧巻だった。いくら教育と訓練を受けようが、貴麻呂も市子もまだ少年少女であり、貴麻呂に至っては同世代よりずっと小柄である。喧嘩なんてなろうものなら、と市子は顔を青くして、焼き菓子も受け取らずに人をかき分けた。 「坊っちゃま!喧嘩はなりません!」 輪に飛び込んで見た相手は、真っ白な髪をした赤い目の少年だった。貴麻呂の見目の珍しさにも慣れたつもりだったが、異様にも思える少年に市子は言葉がなかった。 「どこぞの白髪のボケ老人かと思ったが、若いようだからハッキリ覚えとけ。俺は江州の名家蓮見の嫡男、蓮見貴麻呂だ。」 市子の思いなど知らず、貴麻呂は相手にいつもの横柄な態度を表してみせた。正気に戻った市子はすぐさま貴麻呂の頭を下げさせて謝罪をした。 「すみません!とんだご無礼を!」 「……ぷっ」 業在(なりあり)は吹き出し、その後は抑えもせずに大きな声で笑った。市子は何故笑われたのかまったくわからなかったが、喧嘩になるよりはマシだと胸をなでおろしていた。 「俺は森原業在(もりわらなりあり)」 よろしく、と彼が手を差し出したのを、貴麻呂は懐かない猫のようにフイッとそっぽを向いて見せた。忙しい、と業在を否しながら歩いて行こうとした時、市子に呼びかける声がした。 「お嬢ちゃん、これ忘れてるよ」と肩を叩かれ振り返ると、先程焼き菓子を買った露店のおじさんが市子にそれを持ってきていた。貴麻呂の騒動で頭からすっかり抜けていたお使いを思い出し、おじさんに謝罪し感謝の意を述べると、ニコニコとその人は露店に戻った。すると、市子はそばから盛大な腹の音がきこえて、音の主である業在を凝視した。 「お腹すいちゃって」 業在がヘラヘラと笑って、市子は手に持った焼き菓子の存在を思い出した。差し出そうとした時には、目の前で貴麻呂が半分に割って業在に渡していた。「どうせ全部食えん」とぶっきらぼうに差し出されて、業在もふにゃふにゃと表情を崩していた。じゃあ、と立ち去ろうとする貴麻呂に、業在はそばにピタリと張り付いて着いて歩く。方向が一緒なんだ、と楽しそうにする業在に貴麻呂も満更でもないようにつかつかと歩いた。市子だけは、目を引く二人のそばで萎縮していた。 「江州って都の人じゃないってこと?」 あと江州ってどこ、と聞くと、「は?」と貴麻呂は怒りを隠しもせずに怒鳴った。業在は「そういうの疎くて」と悪びれもせずに言ってのけて、貴麻呂は学が無さすぎる、と腹を立てていた。 「淡海のある東山道に属する地だ」 ちょっと上、と言いながら貴麻呂は地面に木の枝で地図をかいて、業在はふんふん、とそれを聞いていた。お前の出身はどこだ、と問われた業在は、この街の生まれだ、とはぐらかした。その時、荷車に大量の荷物を載せた男たちが貴麻呂に話しかけ、貴麻呂は指示をしてから、業在に向き直った。 「俺は天司官(てんしかん)の大学寮に入寮するんだ」 荷物を運んでもらってる、と顎で指して業在に説明した。街の喧騒が途絶えた道を更に進むと、階段があり、その道を更に進むとあるのは大学寮だけである。貴麻呂は別れの意味を込めて説明したが、同じ道行だと気づいた業在は大きな目を更に見開いて喜んだ。 「俺もなんだ!」 貴麻呂の両手を握り踊るようにクルクルと回る業在に振り回されながら、お前みたいな輩がか!と貴麻呂はわざとらしく皮肉をいい、市子に苦言を呈されていた。やいのやいの、騒がしい二人を尻目に避けながら、身なりの綺麗な少年たちが数人通り過ぎていく。中には眉間に皺を寄せながら嫌悪を顕にする人もいて、この道を行く限られた人達のなかで、これだけでも悪目立ちをしてしまっているのではないかと市子は憂鬱になり始めていた。そんな中に更に空気を読まず、煌びやかな輿が傍を通り、少し先で止まった。 「やあやあ君たち楽しそうだね」 輿の簾から扇が覗いたかと思えば、それで簾を押し上げて覗いたのは同世代程の可愛らしい少年の顔だった。クリクリと丸く垂れた目を三人に向けて、なんの含みもなく明るい声で語りかけてきた。少年はそのまま輿の担ぎ手たちに「ここまででいいよ」と声を掛けてそれぞれの頬に口付けしてヒラヒラと手を振った。担ぎ手達は息を合わせて頭を下げ「達者で!」と大声をあげた。噛み合っているのか合っていないのか、少年は滑らかな手をゆらゆらと揺らし「兄様に宜しく」と歌うように返した。一連を見ながら貴麻呂は顔を歪めて「軟派な奴だ」と毒を吐きすてた。 「平融(たいらとおる)、融と呼んでね」 手に扇一つを握った身軽な少年は誰に断るでもなく横に並んだ。君たちも天司官候補生なんだろう、どこから来たの、可愛いね、矢継ぎ早にペラペラと喋る少年に、みるみる貴麻呂の顔が赤くなった。これは噴火するか?と業在がニヤニヤしながら眺めていると、意外にもはぁ、と一つ大きなため息を吐いてしおしおと呟き出した。 「天司官とは優秀な官吏ではないのか、なぜこんな妙ちきりん共が」 ブツブツと不満を漏らす貴麻呂は自身もその妙ちきりんだとは気づいていない様子であからさまに肩を落とした。しかしそれを気にかけるのも市子ぐらいのもので、変わらずマイペースに舗装された竹に囲まれた道を歩んだ。 「わぁ、あれが羅清門(らせいもん)なんだね」 融が舞うように歩みながらその先を扇で指すと、真っ白に金で縁取られた巨大な門があった。天司官たちの中心部である清心館(せいしんかん)の入口にはその美しい門があり、清心館より奥に大学寮であり天司官を目指す人間の集まる霊司院(れいしいん)がある。明日、入寮式典があるためか、門の下には数人立っている。その中で、刀身のように鋭い出で立ちで、動きのない青年がいた。業在はそのあまりの冷たい凛々しさに作り物かと思った程だった。張られた胸は堂々として、風に揺れる髪すら涼やかで、その造詣には一切の無駄がなかった。 「本物だ!」 「本当?」 見惚れていた業在は、融の声でハッと現実に戻った。彼の発言に業在が首を傾げると、貴麻呂が呆れたように首を振った。 「お前は本当に何も知らないんだな」 馬鹿にしたような態度の貴麻呂に「良くありませんよ」と注意をしながら、市子は業在に微笑みながら教えた。 「辻家の次期当主候補である辻和明(つじかずあきら)様です」 「辻和明」 そう呟いた時、聞こえるはずもない距離の先で、ふと見渡された彼の目線が、見つめていた業在の赤い目と絡まった。

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