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二章三話「然屋」

辻和明(つじかずあきら)」 宵闇のような深い青をした目は射抜く月明かりのように業在に注がれていて、その名は彼に相応しい響きを持っていると思った。 辻家、は業在(なりあり)ですら知っていた。帝との血縁関係なども濃い貴族であり、帝の側室や官吏達を多く排出する家の一つである。現在の制武官長が辻家の姓を持つ女性だと以前御籠から聞いたことがあった。語らず、振る舞わずとも漂う気品は家柄からもあるのだろう。並んで歩く四人とも、彼の前に少しの緊張感を持っていた。声の届く距離まできて、貴麻呂(たかまろ)は綺麗な礼をした。それにあわせて、三人も彼と、そのそばに居る若者たちに礼をし、敬意を表した。 「私は蓮見」 「蓮見貴麻呂(はすみたかまろ)」 貴麻呂が名乗る前に和明はそれを遮り彼の名前を諳んじた。驚き目を丸くする彼に、「装いは時と場合を考えよ」とピシャリ、と注意をした。 「泉市子(いずみいちこ)、侍女としての勤めを果たせ。見ているだけが役目では無いだろう。」 市子が息を飲み、小さく、「申し訳ありません」と謝罪した。 「平融(たいらとおる)、己の振る舞いが家、そして兄の評価に影響すると肝に銘じよ」 はぁい、と言いながら融はその視線から逃げるように扇を広げた。市子のように消沈している様子もないが、面倒だというのを隠しもせずに扇の影でため息をついた。 「お前さ辻か何か知らないけど、いきなり出会い頭に罵倒することは無いだろ!」 一人一人に冷たい言葉を投げかけた和明にたいして業在は怒っていた。とうとう堪忍袋の緒が切れて、彼に対して声を荒らげたが、当の本人は涼しい顔で業在を見下ろしていた。「森原業在(もりわらなりあり)」 そう彼が名前を呼んだと思えば、一呼吸あけて彼がつらつらと語り出した。騒がしい、態度が悪い、身なりが乱れている、礼儀がなっていない、言葉遣いが乱暴等々。他の人の比にならない程一気に言葉をぶつけられて、業在は呆気に取られていると、融が「失礼しました!」と大袈裟に謝罪し業在の首根っこを引っ張って行った。 「なんだアイツは!」 離せ、と暴れる業在を融は必死に引っ張りながらダメダメと首を振った。意外にも貴麻呂が落ち着いているため「お前も何か言え!」と彼の方を向くと、深く眉間に皺が刻まれていた。 「お前らはまだしも市子に非はないだろう」 一応自身の門に至るまでの振る舞いも行儀がいいとは言えない自覚のある貴麻呂は、強く憤ることはせず、しれっと自身の非もみとめなかった。業在はまだ解せずブツブツと文句を垂れながら意外と力の強い融にズルズルと引きずられていた。 前に歩く少年たちに続いて歩みを進めると、やがて大きく煌びやかな建物が現れた。「これが?」と指を指す業在に市子は首を振った。 「あれは」 「清心館だよ」 決して大きくはないが、よく通る声が投げかけられた。先程まで誰もいなかった渡り廊下に白い羽織を纏った青年が微笑んでいた。 「あれ?」 先程出会った和明、にしては穏やかな言葉に、きっちり結われていたはずの長い髪は緩く波をうって半分だけまとめられていた。その表情は春の日差しのように柔らかく、氷のように思えた美貌も血の通いを感じるだけで印象は変わり、神々しい雰囲気が香るようだった。 「常明(じょうめい)様……」 市子がうわ言のように呟いた。業在が分からない、という表情をあからさまに浮かべると、それに気づいた貴麻呂が「辻常明様(つじつねあきら)だよ」と小さな声で教えた。 辻家次期当主候補の一位であり、機内七道のそれぞれに配置された天司官八隊のうちの一つ、東山道に配置された隊の筆頭であり、八名の筆頭の中でも最年少という圧倒的なカリスマだった。 「市子が贔屓にしてるんだよ」と肩を竦めた。新入生かな、と声をかけて来た彼に「そうなんです、ご無沙汰でした」とヘラヘラ挨拶したのは融だった。常明様と呼ばれた青年は「お兄さんは元気?」と親しげに返事をしながら渡り廊下を降りてきた。 「霊司院まで案内しよう」 そう言って半歩前に立った。一本道だから分かります、とキッパリ言ったのは貴麻呂だった。周りを歩いていた人も惚れ惚れと常明の一挙一動を見ていただけにあまりの貴麻呂の物言いに周りが凍りついた。当の本人はその周りの空気も読まずに「それでは」と頭を下げた。 「君は?」 横を通りかかったとき、常明は貴麻呂を呼び止めた。貴麻呂は歩みをとめてくるりと向き直ると、名乗らず失礼しました、と綺麗な礼をしてみせた。 「私は江州の蓮見家が嫡男、蓮見貴麻呂です。」 初めまして、と続いた彼の挨拶に「初めまして」と常明が発した言葉は返事というよりも復唱のようだった。「お父様にはお世話になりました」と言った常明に驚きを隠しもせずに貴麻呂は「父を知っているのですね」と尋ね、常明はまるで肯定するように笑みを深めた。 「それでは目的地が同じなので御一緒させて下さい」 そう言って貴麻呂に並び、貴麻呂が狼狽えたまま歩みを進めた。慌てた市子が挨拶をした後に業在もできる限り丁寧に挨拶をした。 「私の従兄弟に会いましたか?」 その一言で、業在は顔だけが瓜二つな先程の青年と常明の関係性を悟った。何故ですか、とつれない返事をする貴麻呂に驚くほど自分のペースを守り続ける常明は、彼に嫌な思いをさせられたのかと思いまして、と続けた。 「同じ顔をしてるので、私も嫌われてしまったのかと」 「そんなことはない!」 少しばかりの寂しさを含んだような声を出した青年に、貴麻呂は勢いで否定を返した。すると常明は花が綻ぶように笑い、「やっとこっちを見ました」と嬉々とした声をあげた。ぐっと押し黙った貴麻呂はしばらくして、「違うんです、気にしないでください」と弱々しい声を出して歩みを進める足元を見つめた。 「嫌われていないのならば良いのです」 前を見てください、と言われゆるゆると目を上げると、正面には白を基調としたはでではなくとも美しい建物が姿をあらわした。 「ようこそ、大学寮、霊司院へ」 建物を背に辺にいる若者たちに向かい恭しく頭を下げる様はまるで一枚絵のように麗しく、誰もが見惚れていた。 「それでは、明日の入寮拝にて」 ふわりと長服を翻し建物の中へと入っていく彼を皆が感嘆を漏らし見送った。しばらくして建物から出てきた大学寮の職員達により現実に引き戻された候補生達はそれぞれが個人部屋へと案内された。 「また明日」と手を振って部屋の引き戸を閉めると、業在は手に持った風呂敷だけを部屋の真ん中に置いた。目をあげると真っ白な制服が衣桁に下がっていた。今自身が持てるものはこれだけ。業在は深呼吸をしてから、畳の上に身を丸めた。

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