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二章五話「彩解」
「藤御籠 筆頭、私天司官候補生の森原業在 です」
融 に教えてもらった部屋の襖の前で正座をし頭を床に付けて挨拶をすると、中から「入れ」と端的な返事が返ってきた。肩の力を抜いて「失礼します」と言いながら襖を開け、少し高くなった敷居を跨ぎ、部屋の中から襖を閉めた。部屋の中にはその主である御籠がおり、藤の花のように美しく品のあるかんばせを机の上の書類に落としていた。業在は懐かしい義兄の姿に嬉しくなり、「御籠!」と名前を呼びながら彼に飛びついた。それに気づいた彼は急いで目の前の道具を避けさせて義弟の体を受け止めた。十五にもなると体格も男性に近づき、最後に会った時にはひと回り小さかった業在を思い出していた。よろけながらも何とか抱きとめ、「いい歳なのだから落ち着きなさい」と苦言を呈した。
「久しぶりだね、彗も会いたがってたよ」
御籠からの言葉を気にもとめず、自分の要件を伝えると、彼は「そうか」とだけ返事をした。素っ気なくとも軽視されてる訳では無いことを理解している業在は御籠にしがみついている腕をぎゅっと強めた。
「潔 も、彗 も、御籠も、皆忙しそう。」
それが何を意味するのか、精霊と人間の関係性が穏やか、と言えないことぐらい業在は気づいていた。責めるわけではなかったが、御籠は「申し訳ない」と謝罪をした。その時、足音がして、襖が不躾に叩かれた。
「師匠!与一 です!入ります!」
御籠の返事を聞かずスパンと襖が勢い良く開かれた。呆気にとられた業在はニコニコと笑みを浮かべた与一をみて固まってしまった。しかし驚いたのは相手も同じだったようで一瞬固まってから、ズカズカと部屋の中へ入り、業在が膝の上で抱きついたままになっているのを変わらない笑顔で見下ろした。それから業在の首根っこをつかむと、そのまま畳の上へ転がした。
「何すん……」
後ろに倒れた為、業在が非難しようと身を起こすと与一は御籠の顔を下から鷲掴みにしていた。
「あんたって人は!またこの綺麗な顔で若い男をたらしこんだんですか!」
「綺麗じゃない」
業在は思わず「ツッコミどころ違うよ」と呟いてその痴話喧嘩に呆然としていた。与一は「師匠いい加減にしてくださいよ」と言いながらマーキングするように頭を御籠の首筋に擦り寄せていた。するとボコッと何かで殴打する音がして、御籠が巻物で与一の横っ面を殴っていた。
「違う、弟だ」
「弟……?」
散々喚き散らかした挙句御籠に手をあげられた、とさめざめと泣いていた男は彼の言葉を復唱し、手のひらを返し犬のようにキラキラとした目で御籠を見た。
「へぇ!弟か!」
途端に嬉しそうな声をもらし業在の脇の下に手を入れて持ち上げた。彗を思い出させるような雑な振り回し方に業在がはしゃぐと与一は軽々しく振り回しながら「昨日はよく眠れた?」と問いかけた。ちょっと目が冴えてあんまり眠れなかった、と返すと、ピタリ、と止まり「気持ち悪くない?」と尋ねる男の様子に笑って平気、と返事をした。
「家具は揃ってんの?」
与一の問いかけに首を振った。「何がない?」と聞かれ「何も」と答えると、昨日どのように寝たのかを問われ、「畳の上で」と言うと与一は深いため息をついた。
「師匠」
「なんだ」
「あんたが雑なのは知ってるがあんまりだ。あんたの弟は連れていくからな。」
贔屓は良くない、と眉間に皺を寄せた御籠に「候補生たちを引き連れてくつもりだったさ。生活の仕方を教えないとな。」と笑っていて、御籠はしばらく黙って「行けばいい」とモゴモゴ呟いた。
「直ぐに帰ってくる、いい子でまってて、御籠。」
その独特な雰囲気に業在は黙っていた。何だかこそばゆく、これが何なのかは分かりはしないが、御籠が知っている彼より幼くみえて言葉を失った。じゃあ行くか、と与一は特に気にした様子もなく部屋をでて、下年次の部屋のあたりまでくると与一は溌剌とした声で「街に行くぞ!用があるやつは一緒に行こう!」と呼びかけ回った。融は直ぐに飛び出してきて、「何で抱えられてるの?」と業在に聞いたが業在も「何となく?」と疑問形で返した。貴麻呂 も市子 を連れ立って出てきて、最終的にはほとんどの候補生下年次が参加することとなり30人ほどの団体でぞろぞろと歩いていた。
「霊力の使い方を覚えれば跳躍やある程度の空間移動はできるようになるから街へは直ぐに着く、けど皆さんまだ出来ないので」
候補生達に向かって与一が言うと、周りに半球形の薄い膜が張った。瞬間、足元が抜けるような浮遊感に襲われ大半が悲鳴を上げていた。数秒の間に気付けば街の近くの、景色に変わっていて、「せっかくだし五分ぐらいは歩こう」と言ってキリキリと歩いていく与一に何とかふわふわした感覚の残る覚束無い足でついて行った。
「買い物は街でしたらいい。だが門限などは守れ。あと変なもんを持ち込むのはバレないようにな。酒やら春画なんかは特にな。」
ご機嫌に先頭を与一が歩く様を街の人々は微笑ましそうに見ていた。「今年の入寮生?」と声をかけられるわお土産を渡されるわ、まるで自分たちが有名人かのようなシチュエーションに浮き足立ってしまうが、業は街の人の様子から与一という人間関係を知ることが出来た。
おそらく入寮がある度にこうやって生活の仕方を教えて面倒を見ているのだろう。巻物や歌で筆頭らの武勇伝は巷に広まっており、娯楽の少ない庶民たちは彼らに黄色い声と熱を上げていた。市子が与一は常明 様と並ぶほど人気だと言っていたが、街の人や部下、今日だけでも沢山の天司官候補生からの憧れを集める振る舞いをみているとその評判に納得がいった。計算などではなく、そういう性分というのも滲み出ていて女性たちは彼から話しかけられると頬を赤らめていた。あの偏屈な御籠ですら受け入れている彼の人当たりの良さは異常だと肩をすくめると、人々の中から与一に呼ばれて布団を探しに街をまわった。
二時間ほどして解散した場所へぞろぞろと候補生たちが帰ってきた。与一は業在の家財道具一式を買い集めた挙句、今日中に必要、と業在の布団を背中に背負っていた。人数を確認してから転送術を使おうとする与一に、気を使ってか候補生の一人が「術が使えないうちは自身の足で移動します」と提案したが、与一は「俺が早く帰りたいんだよね」と笑って聞き入れず、来た時のような悲鳴が再度上がった。業在たちは後にそれが早く帰りたいが為の暴走運転だったことを知る。
与一は業在の部屋に布団を運び込むと、「師匠と違って部屋にものが無いな」と呟いた。よく知ってるね、と言うと、「あの人、掃除しないから」と飄々と返されて、「じゃあ誰が掃除してるの」という野暮な質問は飲み込んだ。
「じゃあ、また」
そういって部屋を出ていく与一に、業在は「明日?」と聞くと明日には安芸に帰るさ、と彼は告げた。御籠が少し不貞腐れていた理由に合点がいって、早く行けと手をしっしと振ると、いたずらっ子のように笑って与一は出ていった。一人の部屋で、業在は明日は何を着ようかと街で買った荷物を解いた。
翌朝、また静まり返った時間に目が覚めた。いい布団にまだ体が馴染んでないのか、昨日よりは遅いが、起き出すにはまだ早い時間に布団を抜け出した。街で買い込んだ食べ物を咥えながら選んだ袴に脚を通した。朝食は霊司院にて用意されているものの、よく食べる業在はそれだけでは足りなかった。配膳の人に言えば軽食を持たせてくれるらしいが、なにもこんな時間から「何かありませんか」なんて非常識をできるほど業在の面の皮は厚くなかった。
身支度を整えて、水を張った桶で身なりを確認する。昨日のように綺麗に髪をまとめることが出来ず、諦めて下の方で抑え込むように組紐で縛った。もし、また和明に会えたら、お願いしよう、と思いながら外へ出ると、日はもう顔を出していた。彼が少し前までそこにいた事を、残った僅かな白檀の香りが物語っていた。
「いよいよ始まるね」
下年次の教室に向かいながら融がニコニコと語った。昨日とは違ってヒラヒラどした下裳を真っ白い制服の下に着て、まるで女性とも思えるような出で立ちをしていた。対照的に貴麻呂は籠手でヒラヒラした一切を押さえこみ、出会った時に揺れていた美しい亜麻色の髪すら団子状にひっつめていた。業在は白い袴を履いて赤い着物を制服である白い袍の下に着ていた。そんなに着崩す人のいなかった同期の中で自身らはあからさまに浮いていた。
今年入寮した下年次らが教室に入ると、右半分程は既に人が座っていた。進級が見送られた彼らの中に、シャンと背を伸ばして美しく佇む和明 の姿は異彩を放っていた。
「ねえ」
組紐を握りしめて和明の傍に座ると、和明は業在に一瞥もくれることなく、じっと教材を眺めている。
「髪を」
結ってよ、と甘えようとしたとき、やっとじっと和明が業在を見た。そして一言、「知らない」と壁を作ってしまった。業在は差し出しかけた手をひっこめて、下の方で雑に結び直した。不格好に、髪の毛がいたるところに向かっていた。
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