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第6話

 夜の学校には特殊な磁場が発生する。  見慣れた校舎が何か別の禍々しいものにおもえてしかたない。  「いるか、麻生」  汗でぬめる手で携帯を握りなおす。  はだけたジャージの下で心臓の鼓動が荒馬のように跳ねる。  シャツの胸を掴み無造作に汗でべとつく顔を拭う。  聴覚を鋭敏に研ぎ澄まし、全神経を耳に集中し、辛抱強く待つ。  「ーくそっ、通じねえ!」  舌を打つ。苛立つ手つきで携帯をポケットに突っ込む。  校舎の中は電波状態が悪い。  丘の上の辺鄙な立地が影響してるのか電波が不安定で回線がたびたび断ち切れる。  今もまた突然携帯が通じなくなった。  ポケットの膨らみに手をやり立ち竦む胸の内を一抹の懸念が過ぎる。  もしかしたら麻生が電源を切ったのかもしれない、なにか不都合があって俺との会話を一方的に拒否したのか……疑心にとらわれ不安が募り、焦燥を煽る。  携帯が切れたと判明、俄かに心細くなる。  俺と麻生を繋ぐ唯一のアイテムが使用不可になった衝撃は予想以上に強く、夜の学校という隔離空間で無防備に孤立した現状がひしひし身に染みる。  麻生に拒絶された?  つきまとう疑惑を激しく振り払う。  携帯が切れた。使えなくなった。麻生の声が聞けなくなった。  たったそれだけの事が、俺を猜疑の泥沼に陥れる。  単に電波状態が悪いのか、麻生の意志か……どちらとも判断つかずポケットに重力がかかる。  後者じゃないと祈りたい、信じたい。  ダチと思ってるのが俺だけなんてむなしすぎる。  悩むのはあとだ。  今は率先してすべきことがある。  断線が単なる電波の影響ならまたかかってくる可能性がある。  携帯の電源が入ってるか確かめ、ポケットに突っ込み、全速力で廊下を走る。  すりへった靴底で床を蹴り、等間隔にドアが並ぶトンネルの暗闇を駆け抜ける。  「麻生!!」  一番端に到着するや騒々しくドアを開け放つ。  どこにいても一発でわかるように肺活量一杯どやしつける。  勢い余って桟を滑った引き戸が壁に激突、少し戻ってくる。  冷え切った闇がよどむ教室を必死に見回す。  いない。誰もいない。わざわざ踏み込んで確認するまでもない。  「麻生、いんなら返事しろ、わかってんだよお前が三階にいるのは、門が見えるのここっきゃねーだろ!?」  同じ手順で隣の教室の引き戸を開け放ち声を張り上げるも返答なし、そのまた隣、そのまた隣の隣と繰り返す。  がらぴしゃ引き戸を開け放つ、濃厚な闇漂う教室に顔突っ込んで視線で薙ぎ払う、戸を閉める時間も惜しみ次へと手をつける。  俺の推理が正しけりゃ麻生はここにいる、校舎の三階より門から墜落した俺の失態を目撃し忍び笑いしたはず。  だのに本人はどこにもいない、開けても開けても机と椅子が整然と並ぶ無人の教室とご対面。  「野郎、どこに隠れてやがる?」  悪態を吐く。  教室に隠れられるような場所はない。麻生は俺より背が高く中肉の体格、机の下に隠れるのはむりがある。教壇の下は若干余裕があるが、前方の戸を開けりゃ角度的に自然と目に入る。麻生が教壇の下にひそんでるなら頭隠して尻隠さずの大間抜けな失態を演じるはめになる。悪知恵の回るやつに限ってそんなヘマやらかすはずない。  「!掃除用具入れか」  戸を叩き付けた余韻で手が痺れる。  空気が振動し吐息の形が崩れる。一散に突っ切り掃除用具入れをめざす。  気が急くあまり机や椅子が腕腰にぶつかり痛みに顔を顰める。  机や椅子がうるさくがたつき、窓ガラスが空気の打擲に硬質に鳴る。  椅子や机を蹴倒し薙ぎ払い、壁際にたたずむスチール製の掃除用具入れに飛び付く。  生唾を飲み、開け放つ。拍子抜け。  縦長の空間にはバケツ雑巾モップ箒が男子校ならではの乱雑さで突っ込まれていた。  連続はずれ、速攻次をあたる。  四番目、五番目、同じ事を繰り返す。  掃除用具入れも入念に調べる。ボロ雑巾やバケツやモップをひっかきまわし乱暴に投げ込むや扉を閉め、椅子を手当たり次第に引っ張り出して机の中を覗き込む。  なにしてんだ、俺は。  馬鹿な行動に失笑が漏れる。わかってる、わかってるよんなこた。手に持って傾けた机から置き勉の中身が盛大になだれおち床に散らばるも無視、開いた教科書を踏み越えて、その手前の机をひっくりかえす。焦燥が俺を駆り立てる。  俺の推理が間違ってんのか?  教壇の下も掃除用具入れも机の中も捜した。  麻生はいない。どこにもいない。完全に姿を消した。  確信が根底からぐらつき、推理の背骨が歪む。  「なんでいないんだよ………」  荒い息のはざまで弱音を吐く。  跪き教科書をひっかきまわすうちに自信が萎んでゆく。  三階にいると確信した。正門が見えるのはここしかない。  だがいない。  待て、何かひっかかる。  俺は初歩的なミスを犯してる。  違和感が膨らむ。  ふらつく足で廊下をたどり、見慣れた引き戸に辿り着く。  2-Aのプレートを闇に慣れた目で確認、引き戸に手をかけ、一気に引く。  俺の教室。冬休み中でだれもいない。教師も生徒も、一人もいない。異様な静けさが支配する。  「こんな広かったっけ」  素朴な疑問を抱く。  昼の喧騒の中で見る教室と、今知覚する教室は、錯視が手伝って広さがちがう。  生徒で満杯の教室は酷く窮屈で猥雑に感じられたが、自分以外に誰もいないと寒々しいほどだだっ広い。  入り口に立ち尽くし、一歩踏み出すのをためらう。  無人の教室に入るのに抵抗があった。  机の配置に既視感があるせいで、なおさら奥行きの違和感が強まる。  知人の裏の顔を見てしまったようなうしろめたさに腰がひける。  「-びびってる場合かっつの」  タイムリミットは0時。  うかうかしちゃいられない。こうしている今も着々と爆発予告時刻は迫っている。  だぶつくポケットから携帯をとりだし、フラップを開く。  液晶に表示された時刻を見る。現在時刻20時ジャスト、爆発まであと四時間。  蛍光放つ液晶で懐中電灯を代用する。  ダウンジングの要領で携帯を前に翳し、異状の有無を走査してから、地雷原を進むような足取りで歩み入る。  液晶の乏しい光におぼろに浮かび上がる机をひとつひとつ観察、中に手を突っ込んで異物の感触をさぐる。  ここは、俺の教室。  俺と麻生が学校にいるあいだ、間違いなく一番長くをすごした場所。  麻生が多少なりとも教室に愛着をもってるなら、ここに仕掛けた可能性は高い。  正門もばっちり見渡せる。   「ん?」  手が何かにあたる。  教科書にしちゃやけに嵩む。  机の表面に頬をあずけ、指先の感触を頼りに取り出す。  わあエロ本。  「…………………」  だれかさんの机から発掘したエロ本を呆然と見下ろす。  表紙じゃ黒下着の美女が豊満な尻を突き出し、雌豹じみて放埓な媚態を演じていた。  念のため右向き左向き安全確認、生唾ごっくん表紙をめくりー    携帯が鳴る。  心臓を古畑が直撃。    「見てねーって!」  『何のことだ?』   携帯から怪訝そうな声が返る。麻生だった。  再び通話が繋がった安堵と同時に、他人のエロ本盗み見未遂の現場を踏まれた羞恥が苛む。  「出来心だよ。健康な男子の本能で習性だ」  『……大体わかった』  「いまどこ?三階にいるんじゃないのか」  机の中に雑誌を突っ込みながら携帯に文句を垂れれば、あきれた沈黙を返される。   『秋山さ。俺が電話うけてから、逃げも隠れもせず、三階にいっぱなしだっておもったのか。移動の可能性考慮しなかったのか』  「あ」  『正門からここまで最低五分はかかる。校内移動には十分だろ』  「携帯に入れた時点で、離れたのか」   『名推理で居場所あてた時にだよ』  なんでこんな初歩的な事をスルーした?  俺が正門から校舎三階に来る時間を使って、麻生は他へ移動する。  最初にミスを犯した、駆け引きに失敗した。  無駄口叩かず三階に行けば麻生と会えたのに、調子にのってわざわざ本人に指摘した為、逃走の猶予を与えてしまった。   『ついでに言うが、H2Оは水。酸素はОだ』  ………………ばかすぎるだろ、俺。  『化学の成績悪かったもんな。補習漬けだったし……甲斐ないな』  「…………どっちも無色透明だろ。おれを優しく受け止めてくれる」  『冬の水は厳しい。凍る』    携帯を切りたい衝動を自制心をふりしぼって堪え、必死に頭を働かせる。  「さっきまで、ここにいたのか」  『おしい、行き違いだ』  健闘を褒め称えるような調子が癪だ。携帯の向こうの眼鏡光る笑顔が目に浮かぶ。  携帯を耳につけ机の間を練り歩きつつ、愚痴をこぼす。  「変だと思ったんだ。人がいるなら気配でわかる。三階の教室ざっとあたったけど全部はずれ、とんでもねー体力の無駄遣い」  『降りたくなった?』   徒労感に打ちひしがれ、そばの机に尻をのせる。  階段一気登頂と机漁りではや困憊、ジャージの胸を波打たせ乱れた呼吸を整える。  「俺の信条は粘り勝ちだ。忘れてるのか、おまえ。本気になった俺がどんだけしつっこいか」  忘れてるなら思い出せてやる。  素朴な感慨をもって暗い教室を見回す。  正面に巨大な黒板、等間隔にならぶ褪せた机。  二年に上がってから冬休みに入るまで、この教室で大半の時間を過ごしてきた。  机の表面に刻まれた疵ひとつひとつを指でたどり、今を遡ること七ヶ月前、麻生と疎遠だったころの記憶を蒸し返す。  麻生譲は学校の有名人だった。  クラスメイトに関心の薄い俺は、衝撃の出会いから、しばしば図書館の二階に顔を出すようになった。  麻生はいつもひとり本を読んでいた。  二階窓際の指定席に端正な姿勢で腰掛け、眼鏡の向こうから手元の本へとどうでもよさげな視線を注いでいた。  人生は終身刑とでもいうかんじの態度だった。  『……ああ。しつこかったな』   麻生が事実を認める。認めざるえないだろう、体験者としちゃ。  二階から人間失格事件以降、麻生を意識するようになった。  麻生の存在は眠れる好奇心を刺激した。  無視され無視し返す退屈な学校生活を惰性で一年ばかり続けていた無気力な男に、あの日の光景は、鮮烈な印象を焼き付けた。  二階の窓から軽々跳躍、夕闇迫る空を背景に敏捷に降り立つ麻生の残像が、瞼にこびりついてはなれなかった。  「関心がなけりゃクラスメイトの名前もさっぱりだけど、一度ぴんときたら喰らい付く」  学校での麻生は、問題児と優等生に極端に評価が分かれる。  授業態度は申し分ない。運動神経抜群。成績はトップ3圏内から脱落した事がなく、学校始まって以来の天才児と名高い。  ならば何故一部の教師に問題児扱いされるのかといえば、原因はその人格。  麻生はとにかく、アレだ。  などと微妙にぼかした言い方をしてみたが、ぶっちゃけるならそのまあ、とっつきにくかったのだ。非常に。  笑わない、しゃべらない。相手が目上の教師だろうが生徒だろうが絶対媚を売らない。完璧な英語の発音を褒められたところで愛想笑いひとつせず、同級生がなれなれしく机に肘つき趣味をたずねても本に目をおとしたまま無視するのだから、反感買うのはさもありなん。  それでも麻生の場合は集団に弾かれての孤立じゃなく異端ゆえの孤高と形容するのがふさわしい不可侵の空気があった。ひとりでいてもみじめじゃない、逆にひとりでいることによって自分の価値を高めていた。  自ら引いた線の内側から外を観察してるような分析眼的冷徹さが、ますますもって近寄り難く偏屈な印象を与えた。   教室のど真ん中、机に座った姿勢から片足を抱きこみ、笑う。  「最初の頃はまともに相手してくれなくってさ、次の日二階に行った時は酷かった」  人間失格事件の翌日。  放課後、早速図書館二階を訪れた。その時は単純に礼を言いたかったのだ。昨日は礼を言うのも忘れていた。平べったい学生鞄を小脇に抱え、逸る気持ちにせきたてられ、階段をのぼる。いた。窓際の席に座り、静かに本を読んでいた。学ランの黒と肌の白さが好対照を成す。  勇気を出し歩み寄り、「ここいいか」と聞いてから、椅子を引き出し隣に座る。  昨日はありがとう。助かった。お前がいなけりゃ指が折れてた。それから、えーと……はは、こうしてまともに話すの初めてだよな。変なの、なんか緊張する。教室でもしゃべったことないのにさ。名前……麻生だっけ?ここまで緊張気味に一方的にまくしたてるあいだ麻生は本に視線を落としたまま、こっちを見向きもしなかった。しかしめげない。これでも打たれ強さには自信がある。  椅子から身を乗り出し、今度はこっちが自己紹介しようと口をひらきかけ  「出席番号一番、秋山透」   機先を制すように本を閉じ、眼鏡のフレームを押し上げ、険を含む一瞥をくれる。  「壁と話してろ」  「壁に耳ついてねーし」  『障子に』  「メアリーの話はいいよ、お前に話してんだって」    それからもこりずに図書館に通った。  最初は礼を言うのが目的だった。徐徐にそれが変化した。邪険にされればされるほど、意地でも振り向かせてやるぞと反発した。いつしか麻生の隣が俺の指定席になった。俺はちゃっかり麻生の隣に座り、手ぶり身ぶりをまじえた大仰なジェスチャーでバカミスとメタミスの違いについて講義し、推理小説の魅力を凝縮して語った。いやがらせじゃない、出会ったその日にちゃんと許可はとってる。バカミスとメタミスの定義を教えてほしいと言い出したのは麻生だ。   「下心あったのは認めっけど」  『下心しかなかったろ』  頃合を見て切り出した。  ミステリー同好会入らね?と。  麻生は一言  「華氏451度で燃えりゃいいのに」  とおっしゃった。       「焼却反対。限りある資源、俺を大切に」  『あの時は本当に燃したかった』  「……せめて本から顔を上げてほしかった」  『読んでた本の方が面白かった』  「の方がとか比較級いらねーよ」  下心あったのは認めよう。同じマイナー作家の本読んでると知って、一方的にミステリマニア認定し同志として胸襟開いたのも認めよう。麻生がうっかり漏らした「読んだよ、これ」の一言で「いけるんじゃね?」と有頂天になり、二階からおちてくるような非常識な男をミステリに賭ける情熱は人一倍と自負する俺の暑苦しい説得で廃部寸前のミステリ同好会に引きずり込み、活動継続をねらったのは事実。  遠い目をし、麻生を口説き落とすため図書館通いを続けた過酷な日々を懐かしむ。  「あの頃は必死だった。人手不足で二年で部長になっちまって、同好会存続のためにはいきなり二階から飛び降りてネタバレするような非常識でも即戦力として引き入れなきゃって……」  『俺に目を付けた』  「他にあてなかったんだよ。クラスでシカトされて友達いねーしでも新入部員連れてこなきゃ今年で廃部だし、ミステリ同好会存続のためにゃ多少強引で悪質だろうがちょっとでも脈ありそうなの勧誘して」  『本音出てるぞ』   ………………おかしい。  麻生との出会いを回想する美談が一気に損得利害に打算が絡む生臭い話におちぶれた気がする。  『お前がミス研に賭ける熱意はわかった。ろくに口きいたこともない、たった一回いじめの現場にかちあっただけの疎遠なクラスメイトを、毎日通い詰めて勧誘しなきゃいけなかったほど追い詰められてたんだな』  「言い争っても始まらない、あっというまに四時間経過で学校と一緒に木っ端微塵。よし、クールダウン」  机から腰を浮かせる。  携帯を耳にあてたまま、自分の机の方へと歩き出す。  出席番号順の並びのため、俺のど後ろが麻生の席だ。  「ヒントくれ」  机に浅く腰掛け、手の中の携帯を途方にくれてのぞきこむ。   分厚い沈黙が立て霜のように教室におりる。  息吐きかけながら携帯を凝視する。  ……………やっぱだめかと諦めかけたその時。  『問題。華氏451度は何が燃える温度?』  「え?本」  『もっと端的に』  「端的って……簡単に言えってことか?本は紙で出来てるから……紙?」  『教室、よく見ろ』  否定も肯定もせず携帯が切れる。  頭きた。一方的に切られた腹立ちからリダイヤルするも単調な不通音がなるばかり。  「んだよ一体」  愛想ない携帯をポケットに突っ込み腰を上げるや、後ろの机に一枚紙がのっているのに気付く。  紙。  華氏451度で炎上するヒント。  即座にひったくり、フラップを開き、液晶の光に照らして目を通す。  麻生の机に置かれていたのは新聞の切り抜きだった。 日付は今年五月。  《女子高生に関係強要 神奈川の高校教師逮捕  今月二日、神奈川県立A高校の国語教師、座間誠二(27)氏が強制猥褻罪で逮捕された。  調べによると座間容疑者は三ヶ月前、補習で残された女生徒Aさん(17)に暴行を働き、予め教室に仕掛けていたビデオカメラでその模様を一部始終撮影。盗撮した映像でAさんを脅迫し、数ヶ月間関係を続けていた。  座間容疑者は同校に赴任した二年前から、他の女生徒に同様の行為を繰り返しては卒業後もビデオで脅し関係を迫ったり、金銭を脅し取ったりと、悪質な行為を繰り返していた事が発覚。  容疑者の自宅からは行為の様子を撮影した大量のビデオテープが押収された。  警察は卒業生に事情を聞くなどして余罪を厳しく追及していく方針である》      「………爆弾のありかを示すヒント?」  感想は一言に尽きる。胸糞悪い。  記事の内容もさることながら、この切り抜きをさも俺の目にふれるよう机に置いて立ち去った麻生の考えが判らず悶々とする。  記事の中に爆弾の在り処を示すヒントが隠されてるのか、並べ替えか斜め読みかと薄っぺらい切り抜きをためつすがめつ、なめるように活字を追ううち、特定の単語が液晶の青白い光を受け、浮かび上がる。                             《高校教師》          《猥褻罪》                  《肉体関係》    忌まわしいフラッシュバック。  西日に燃える図書室の片隅、本棚に寄りかかる人影に押し被さる背中………  「―っ」  発作的に記事を握り潰しかけるも、辛うじて理性で制す。  少しだけ端を潰した記事を丁寧にのばし、四つ折りにしてポケットに入れる。  「こんなもん見せて、どうしろってんだ」  責めてるのか?  詰ってるのか?  お前は逃げたと、卑怯者だと、告発してるのか。  妄想が膨らむ。疑惑が強くなる。  麻生は知っている、俺が隠していることを見抜いている。  だから?  それとこれとどう関係する、麻生が悪趣味なゲームを仕掛けて俺を名指しで巻き込んだのが復讐だとでもー   ポケットの膨らみが厭わしい。中に入ってるものを破り捨てたい。  床からひしひしと冷気が染みて鉄串が骨を突き抜ける。  ずれた机をそのままに、耐え切れず教室を出り、目的地もなく廊下を駆ける。  スニーカーの靴裏が床を叩く。  ジャージの裾が風を孕んで膨らむ。  麻生の計画に翻弄される。  学校全体に結界がはられ隔絶したような錯覚にとらわれる。  床を蹴り反動で加速しながら活字を反芻、親友があの日人けのない図書室で見せた痴態を振り切ろうとさらに速度を上げる。  「関係ないだろ、あの記事。神奈川の女子高の事件が、どういうトリック使ったらこっちに飛び火するんだよ?そんなの俺がよく読む小説の話じゃんか、現実にありえねーよ、聡史だって笑うにきまって……」  携帯が鳴る。  急制動をかけるも勢いを殺しきれず惰性で十メートルもすべり、突き当たりの壁に激突寸前、咄嗟の機転で右足を突っかえ棒にする。  壁面に突き立てた衝撃で右足は痺れ、骨を伝わる激痛にもんどりうって転げる。  転倒のはずみにポケットから転げ出た携帯が床で跳ね、勝手に電波を受信。  繋がった電話の向こうから事件現場の喧騒とうろたえきった叫びが届く。  『先輩、どこですか!?』    空気が読めない可愛い後輩、聡史だった。

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