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第9話
「はあっ、はっ、は」
音高く開け放った戸の向こうは闇に沈む資料室。
床は数個分のダンボール箱に占拠され壁にそってステンレスの戸棚が配されぎっしりファイルが詰め込まれている。奥の矩形の机の前に三脚パイプ椅子が置かれてる。
三脚。
右は聡史の椅子、正面が俺の椅子、左が麻生の椅子。
同好会の部室には最後に訪れた日と同じく三人分椅子があった。
俺の椅子が真ん中に挟まってるのは、麻生を敵視する聡史とそんな聡史を無視する麻生の間で仲裁を兼ね公平を期すためだ。
聡史が麻生に噛み付くたびまあまあと腰を浮かせ宥めるのが俺の役目だった。
血の気の多い聡史が地団駄踏むのを麻生は我関さずひややかに眺めていた。
俺と、聡史と、麻生と。部員は三人きりっきゃいないけど、楽しかった。
そう思ってたのは俺だけじゃないと信じたい。
信じたいが、わからない。
わからなくなってきた。
思考が袋小路に迷い込む。
虚構で塗り固められた夜の校舎、歪曲した磁場に絡めとられて、虚実の見境がなくなる。
四肢にねっとり絡む触手のような闇をふりきり、中へ入る。
資料室は雑然としていた。
密閉されてたせいか、廊下より一段と闇が濃い気がする。
ステンレスの戸棚のガラスに人影が映り、ぎょっとする。
……俺だった。
ガラスに顔が映りこんだのだ、お粗末なリアクション。
右手に携帯をもつ。液晶の心許ない明かりが唯一の光源だ。今バッテリーがおちたら泣く。
携帯をかざし、床の異状を明かりで走査し確かめ、一際存在感ある机に向かう。
机には思い出が染み付いてる。
待ちかねた放課後、部室に持ち込んだ菓子をぱくつきだべった。
コンビニでスナックを仕入れるのは最年少の後輩、聡史の役目。
「パシリっすか、俺」と不満げな聡史を「頼むよ聡史、お前の菓子を見る目を信用してるんだ」とおだてれば「しかたないっすね……ワリカンっすよ?」と愚痴りつつまんざらでもない様子でそこのコンビニまでひとっぱしりしてくれた。
部室机下のダンボールにはスナック菓子がたんまり常備してあって健康な胃袋もつ俺たちは飢えずにすんだ。
麻生はめったに菓子に手を出さなかった。
いくら食え食えすすめても「いい」とつれなかった。
潔癖なあいつは埃っぽい部室で飲み食いするのに抵抗あったんだろう。ポテトチップを掴んだ油っこい手で「なに読んでんだ?」と本にさわりゃさもいやそうに身を引く。
麻生は表情に乏しいが、眉の角度で不快を示すのが得意だった。
部室には思い出が詰まってる。
思い返せば他愛ない日常も、すぎてみれば郷愁誘う。
教室より、よっぽど愛着ある。
試しに机の下を足でさぐってみりゃダンボールにあたる。
「……非常食万全っと。いま地震がおきて閉じ込められても三日はもつな」
机下の箱をあさりポテトチップの袋を掴みだす。
真ん中、俺用の椅子に腰掛け、破く。
手掴みでポテトチップを貪る。
夜は長い。ちょうど小腹がすいたころ、夕飯食わずに出てきたのが仇になった。
袋に手をつっこみ咀嚼音も旺盛にポテトチップを噛み砕き嚥下しつつ、もう一方の手を机上にのばし、読みさしの部誌をぱらぱらめくる。
六年前の部誌、七不思議特集号だ。
ポテトチップをがっつきながら、液晶の光を頼りに褪せた部誌の活字を読む。
「一、夜になると片目を瞑る校長像。二、旧校舎北トイレの啜り泣き。三、勝手になる音楽室のピアノ。四、図書室に紛れ込む血染めの本。五、体育館で誰もいないのに跳ねるバスケットボール。六、夜になるとスクワットしだす人体模型。七、校庭に埋まる不発弾……一と六ウケ狙い?」
馬鹿らしくなって部誌を投げ出す。活字に集中できない。
「テキトーだよな、七不思議も。だいぶ苦しいのまじってるし。ピアノも人体模型も定番だけど、よくよく考えなくても、この中でいちばん怖いの夜中にいきなりスクワットしだす人体模型だって。校長のお茶目なウィンクも捨てがたいけど」
冬休みの夜の学校、部室にひとりぼっちで食うポテトチップは、いやにぼそぼそと空疎な味がした。
向き合う椅子が不在を強調する。
ポテトチップの屑がジャージに散る。
不作法な咀嚼音と袋ががさつく音だけが瓶詰めの真空じみて静かな部室に響く。
『よくこんな環境で飲み食いできるな』
「腹へったんだからしかたねーよ。誰のせいでカロリー消費したとおもってんだよ」
『静かに食べろ、読書の邪魔だ』
「うるせい。育ちが悪いから品よく食べれねーんだよ」
麻生の声がする。幻影を見る。傍らの椅子に残像が座る。
眼鏡の向こうから注ぐ呆れた眼差しに胸が痛む。
泣き笑いに似た切なさが込み上げる。
俺は今、冬休みの夜の部室で、麻生の残像と会話してる。
現実にはここにいない人間と話してる。
ポテトチップがやけにしょっぱい。
鼻の奥がツンとする。
ほんの数週間前、麻生は当たり前にそこにいた。
俺の目の前の椅子に腰掛けて本を読んでいた。
今は、いない。
不在の現実と折り合いを付けられず、感触をもとめ、椅子にふれる。
「………ほんと、どこにいるんだ」
部室もはずれだった。
もしかしたらと、期待を賭けていた。一縷の望みをたぐる心境だった。
引き戸を開けたら麻生が待ってる予感がした、そう暗示をかけていた。
学校は広い。
新校舎、旧校舎、校庭、体育館……さがす場所はまだまだある。丸一日かけてもさがしきれない。
むりだ。
0時までの限られた時間で麻生をさがしだすなんて、むりにきまってる。
「大晦日の晩まで、俺を振り回して楽しいのかよ」
急に食欲が失せた。噛み砕いたポテトチップが口の中を不快にざらつかせる。
「くそっ!」
憤りに駆られ、からっぽの袋を目の前の椅子に投げ付ける。
麻生の残像がかき消えると同時に、机上に置いた携帯が鳴る。
一瞬心臓がとまるも、すぐひったくる。
勢い良く椅子を蹴倒し立ち上がる。
椅子の背凭れが床と激突する音が甲高く響き、振動が波及する。
「もしもし!?」
『俺』
じゃりっと口の中で塩が凍る。砂でも噛んだみたいな食感に顔をしかめる。
「………ちょうどよかった、いま夕飯おわったとこ。大晦日の晩、冷えきった部室にひとりぼっちで食うしけったポテトチップはまた格別の味」
『賞味期限は大丈夫か』
「保存食だから大丈夫だろ。封さえあけなきゃ一年はもつ」
『そうか』
「今どこ」
『言わない。ゲームは継続中』
「かくれんぼじゃなくておにごっこだったわけか」
口に残る塩の結晶が不快だ。
舌で頬の粘膜をさぐる。奥歯の窪みでじゃりっと音がする。
『お前こそ、今どこ』
「言う義理あんの?自分の居場所も教えてくれない薄情なやつにさ」
声が意地悪く尖る。自分がこんな陰険な声を出せた事に醒めた頭の片隅で驚く。
麻生が少し沈黙。
……馬鹿らしくなる。タイムリミットが設けられてるのに張り合ってもしかたない。
ため息まじりに椅子に掛けなおし、携帯を肩と耳にはさむ。
「部室。ここかなって直感したけど、はずれでがっくり。階段使った可能性は低いから旧校舎に抜けたと推理したけど、あてになんねーな」
『いい線いってるよ』
「振り回してる本人にほめられても嬉しかねーよ。でも待て、ってことは旧校舎にいんのか」
頭の中で地図を広げる。
校舎はコの字型に展開してる。
開口部に正門があり正面が教室がある新校舎、俺が今いるのは上棒にあたる旧校舎三階の部室。
麻生は旧校舎にひそんでるのか?
ヒントを得んと集中力を研ぎ澄まし携帯の背景をさぐる。
静かなものだった。麻生の息遣いさえ聞こえてきそうな静寂……
屋外はありえない。外なら何かしら雑音が混ざる。
屋内にいる、それは間違いない。でもどこに?
旧校舎は広い。一階から三階まである。全部の教室をあたってたらきりがない。
「犯人は現場に、部員は部室に帰る」
閑散とした部室を見回し、無気力に机に肘をつく。
「夜の学校にひとりぼっち。さてどこへ逃げようか考えて、真っ先に思い付くのは行きなれた場所。教室ははずれだった。次はここだ。五月から十二月初めまで、お前がいた場所。俺たちとワイワイ飲み食いしながらくっちゃべってたミス研部室だ。でもちがった、はずれ。ここにもいなかった」
胸の内が冷えていく。
ここにいるとおもった。いてほしかった。教室よりも、ここで待っていてほしかった。
たった七ヶ月、それでも思い出が詰まった資料室に麻生がいてくれれば、壮大な悪ふざけも許せる気がした。
期待して裏切られて、幻滅を隠せない。
失意が胸を苛む。憤りと交じり合って悲哀が青く冷たく燃える。
椅子に座った姿勢から前傾し、手の中の携帯に、切実な声を吐く。
「教えてくれ。なんで梶に爆弾送ったんだ」
ドライアイスを耳に流し込まれたような静寂に体の中から凍っていく。
聞きたくて、聞けなかった。ずっとごまかしていた、保留していた。
心当たりはある。
でも本人から聞かなきゃ意味がない、俺はまだ麻生になにも教えてもらっちゃない。
きつく目を閉じる。
瞼の裏側に炸裂する断片。
西日燃える図書室の片隅、重なり合う人影。
衣擦れの音に混じる劣情の息遣い。
床に引いた影が本体の動きに合わせ蠢く。
携帯を強く握る。
手の中で軋む。
忘れたい。忘れちまいたい。俺があの場にいたなんて嘘だ。
過呼吸に陥ったように息が乱れる。
毛穴が開いて嫌な汗が流れる。
『……初めて部活に行った日、絶賛してたコナン・ドイル作品、おぼえてるか』
目を開く。
虚を衝かれ携帯を見下ろす。
「ボヘミアの醜聞?」
『短編。ホームズ唯一の黒星』
「ああ……覚えてるよ、オレンジの種。反応悪かったよな。熱込めてしゃべってんのにさっぱり無視してくれちゃって傷付いたぜ」
『あの時は興味なかった。ミステリあんま読まないし』
「前も聞いたよそれ。でも、後からハマったろ?」
『読め読めうるさいからしかたなく読んだんだよ』
「嘘吐け、好きなくせに。わかってるんだよ。俺が貸したホームズの冒険、優等生の誰かさんが授業中もぶっ続けで読みふけってたの、知ってるんだぜ」
『後ろに目が付いてねーのになんでわかるんだよ』
「ため息でわかる。お前、授業中ため息吐かないだろ。でもあの日に限って何回も吐くもんだから気になってちらっと振り向いたら、ホームズの冒険めくりながらため息吐いてんの。名推理に感動して」
『……………』
「おまえがため息吐くと首の後ろがくすぐったかった』
ばつ悪げな麻生をからかう。携帯の向こうでどんな顔してるんだろうと思い浮かべ身の内で荒れ狂う激情がふしぎと凪ぐ。
「虚無への供物だってつまんないって言やよかったのに」
『………そういうの、フェアじゃないだろ』
「ほら、こだわる。律儀だよな」
こいつらしいなと笑う。
ミス研に入りたくないなら、俺に返すとき、「つまらない」と嘘を吐けばよかったのだ。
なのに麻生は「面白かった」と率直な感想を述べ、記入済み入部届けと一緒に虚無への供物を俺に手渡したのだ。
俺が知ってる麻生譲はそういうやつだ。
「面白かったもんをつまんなかったって言ったら、自分を裏切ることになるもんな」
純粋にプライドの問題だった。自分が読んで心底面白かった本を否定するのは麻生譲のプライドが許さなかったのだ。
俺はこいつの律儀なとこが結構好きだったりする。冷静沈着な優等生がごくまれに見せる融通きかず不器用な一面に好感を持っている。
『オレンジの種のホームズは、試合に勝って勝負に負けた』
沈黙を破り、唐突に麻生が言う。
「ホームズ数少ない敗北だ。読者が引き分けと解釈しても、ホームズん中じゃあれは苦渋の敗北だろうな」
『お前はどっちだろうな』
「……どういう意味だよ?」
『試合に勝って勝負に負けるか、試合に負けて勝負に勝つか』
「試合に勝って勝負に勝つ選択肢は?」
『なくねーけど、すごく低い。確率が』
一呼吸おき、手の中の携帯が諦観を帯びた静かな声を出す。
『両手がふさがってたんじゃ、境界線の向こうにいけないんだ』
なにもかも全部もったまま境界線をこえるのは不可能だ。
あちら側に渡りたいなら、こちら側に捨てていけ。
身を軽くした人間だけに、境界線をとぶ資格がある。
「………………麻生」
境界線すれすれを歩く麻生をこっち側に引き戻そうと緊迫した声をだす。
寒さのせいばかりじゃなく、指が痺れて動かなかった。
軽薄に作った笑いが携帯からもれてくる。
狂気と正気の境を揺れ動く、振り幅の大きい笑い声。
『ほんといい勘してるよ秋山。俺、さっきまでそこにいたんだ』
「え?」
『部室だよ。資料室。今お前がいるとこ』
携帯を掴み、弾かれたようにあたりを見回す。
闇の中視線をとばし、床に壁にダンボールに椅子に机に僅かな痕跡でもないかと確かめる。
『行き違いだな、また』
「――っ!」
痛恨の失態を悔やむ。致命的なロス。聡史の電話に時間をとられなきゃ俺は確実に麻生に会えていた、この場所で。
ほんのさっきまで麻生はここにいた。
今の俺と同じく部室のど真ん中に立ち尽くし、呆然と闇を眺めていた。
麻生の残像と、俺が重なる。
『早く見付けないと間に合わないぞ』
携帯が切れる。そっけない不通音が流れる。リダイアルボタンを連打しても反応はない。
麻生はまた一方的に連絡を断っちまった、完全に消えちまった。俺ひとりからっぽの部室に残してー
「意味わかんねーよくそったれ、おもわせぶりなことばっか吹き込んでおどらせてんじゃねーよ!!!」
力一杯椅子を蹴り飛ばす。
吹っ飛んだ椅子が机にぶち当たり騒音と共にファイルがなだれる。
「何?なに取り乱してんだよかっこわりィ、ひとりで叫んで暴れてパニックか、はは、してる場合かよこんな時にあと数時間でガッコ爆発するって時に、爆発だよ、死ぬよ、消えてなくなるよ、嫌だろそんなの普通に考えてさ、だって俺まだ読んでねー本いっぱいあるし冬休み一杯使って積ん読積みゲー崩す計画に手え付けてないし、そうだ、ドラクエボスだって倒してねーじゃんせっかくいいとこまでいったのに、あれ、ちゃんとセーブしたっけ……」
机と椅子が激突した轟音の余韻が冷えきった部室の空気を殷々と震わせる。
片手で頭を抱え無作為に歩き回る。支離滅裂意味不明なウワゴトを垂れ流す。スニーカーの爪先を見詰めぐるぐる回るぐるぐる狭苦しい部室見慣れた光景ちがう闇に覆われるとどうしてこんなにも、麻生どこだ隠れて嗤ってるテンパる俺を眺めて嗤ってる……帰りたい逃げたい蕎麦食いたい、軽薄装って茶化しても怖いものは怖い、恐怖の芯が背骨を貫いて脳髄串刺してどうにかなっちまいそうでごまかすの限界……
液晶の光が机上を照らす。
「え」
今気付いた。
机の端に、一枚の切り抜きが置かれていた。
倒れた椅子を掴み起こし、再び掛け、ひったくった切り抜きに顔を近付ける。
『鳥取の男子高生 学校の屋上から飛び下り自殺 原因はいじめ?
今月十八日、鳥取県立某校一年の神崎圭君(16)が学校の屋上から飛び下り自殺をした。現場に残された遺書によると圭君は同級生数名からいじめを受けていて、それを苦にした自殺だという。
いじめは同校に入学した四月より始まっていた。
殴る蹴るの暴行を受ける、上履きや体操着を隠される、トイレに連れ込まれ便器に顔を突っ込まれるなど、内容は極めて悪質陰湿。数十回におよぶ恐喝で三十万もの大金を巻き上げられたともいい、警察はいじめグループの主犯を近日事情聴取する予定。
なお教諭は圭君から相談を受けたことはなく、いじめの存在にも気付かなかったと証言している』
……また胸糞悪い記事。
「日付、十五年前だし」
ジャージのポケットをさぐり、教室で入手した記事と並べる。
携帯を中折り座らせ、手元の記事をじっくり検証。
「片方は女子高生レイプ脅迫、こっちはいじめ自殺……神奈川と鳥取じゃ離れてっし……共通点ないじゃん。日付も今年と十五年前で全然違うし、この記事ならべて、何言いたいんだよ」
よくよく比較しても背景が見えてこない。
この記事を教室と部室に置いた麻生の真意も判らない。
「被害者同士が知り合いだった、とか……」
口に出しておきながら、自分でも半信半疑だ。
片方は十五年前に自殺してる。レイプ被害者の女子高生が自殺した少年の知り合いだとしても、その頃は赤ん坊だ。身内の線は?……なんともいえない。レイプ被害者の女子高生の氏名は、プライバシー保護の観点から公開されてない。
苗字が同じなら親類縁者の線もあるが……
「~待てよ、だから?被害者同士が知り合いだから、それで?麻生がこの切抜きおいてったのとどう関係あるわけさ、十五年前と今年、ふたつの事件が」
机に突っ伏し頭を抱える。
麻生の考えてる事がわからず、記事の接点も発見できず、推理に煮詰まる。
レイプ脅迫。いじめ自殺。この記事を見せて、何を伝えたい?
妄想が飛躍する。
「………………まさか………」
『自殺』『学校』……液晶に照らされ、その二字が禍々しく浮かび上がる。
「遺書、なのか?」
一枚目は告発、二枚目は遺書。
つじつまはあう。
一枚目の記事で動機をほのめかし、二枚目で予告し、そしてー……
物音がした。
「!!」
咄嗟に記事をしまい、机の下に隠れる。
そこらじゅうに散らばったダンボール箱で即席のバリケードを作り、床に腹ばって姿を隠す。
引き戸の向こうから硬質な靴音が近付いてくる。生唾を飲む。
麻生?
……ちがう、麻生じゃない。
俺は麻生が廊下の向こうからやってくるのをよく部室で待っていた。
一緒に来る事もあったが、麻生が一人遅れてくることも多かった。
放課後図書館に行く以外にも個人的な用があったらしい。
麻生の足音は聞きなれている、耳が覚えている。
じゃあこれは?
麻生とはテンポがちがう少し足を引きずり気味なくたびれた靴音……警備員?
正直に出ていったほうがいいか迷う。
引き戸の上部に嵌まるガラスの向こうを丸い光がよぎる。
靴音が資料室の前で止まり、引き戸が開く。
懐中電灯の光が壁にそって一巡、一直線に床を刷く。
出るタイミングを逃した。机の下に息をひそめ隠れる。
懐中電灯の光とともに靴音が近付いてくる。
ダンボールの後ろからうかがえば、薄汚れた革靴と、スーツの足が目に入る。
警備員じゃない。
警備員なら制服を着てなきゃおかしい。
「……………………」
心臓が壊れそうに高鳴る。喉が渇いて唾を送り込むのも困難。
誰?強盗?冬休みの夜の学校、旧校舎の端の資料室に何の用ー
人影が机の前に立ち、机上に手を伸ばし、何かをとる。
あ。
忘れていた。
「その携帯俺の―――――――――!!」
脳天に衝撃、瞼の裏に火花が散る。
おかれた状況も忘れ立ち上がったせいで脳天が机の裏板に激突、頭を抱え転がり出る。
「いってぇええええええぇえええええええええ――――――!!?」
ゴンて音がしたゴンて。一足先に除夜の鐘聞いた。
激痛に七転八倒し床にもんどりうった俺に、不審者が声をかける。
「君は………2-Aの秋山くん?どうしてここに」
涙目で顔を上げる。
片手に携帯をもち、もう片方の手に懐中電灯をさげた古典の敷島が、棚が圧迫して空間がひずむ部室に立ち尽くしていた。
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