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第10話
友情は餌付けから始まる。
「毎日なに食ってんの。昼は購買だよな」
「関係ない」
返答はそっけない。
隣を歩く麻生は本から顔を上げもしない。
歩きながら本を読むなんて器用なヤツめ。
伏し目がちに活字を追い最後までくるとぱらりとページをめくる麻生に並び立ち、がくりと首をたれる。
「おまえさ、一言目二言目には関係ない消えろ燃えちまえ目障りって鎖国すぎるよ。黒船来襲しろよ。たった一杯の蒸気船夜も眠れず」
「ペリー総督か。目障りだから早く祖国の土を踏んでくれ」
「日本人だよ俺」
「馬鹿の国から馬鹿を広めにきた馬鹿の使者じゃないのか」
「ばかばか連呼すんな傷付くよ。今じゃこのざまの俺も入試じゃ上位十位以内、実は頭いいんだぜ。こう見えてやればできる男なんだ」
「このざまとか実はとかこう見えてとか頭につけて恥ずかしくないか?」
「……きびしー突っ込みどうも。俺だって本気出せばそこそこ行くんだって、マジで。嘘じゃなく。しないからできないんだ」
「できるのにしないのが一番最悪」
うそぶく俺を辛辣に一瞥、硬質なレンズが斜めの眼差しに鋭角な光を孕ます。
虚無への供物をめぐる駆け引きに敗れ、麻生はミステリー同好会に入部した。
晴れて入部したのだからと部長の権限のもと絶賛心の鎖国中の麻生に豪腕ペリーよろしく開港迫り、一緒に帰る作戦に出た。
ミス研に籍をおいてるとはいえ麻生はまったく活動に関心なく、ちょっと目をはなしたすきに一人でさっさと帰りやがる。
幽霊部員可と免責条件を提示したのだからいまさら真面目に参加しろってのも理不尽な話だが、入部届けを出して最低一ヶ月はお義理でもお情けでもいいから部室に足をはこんでほしいのだ。
じゃないとかっこつかねーし……辣腕勧誘員兼部長の複雑な心理がおわかりいただけるだろうか。
ぶっちゃけると、ほら、あれだ。麻生が部活に参加してくれないと、強引に口説き落とした手前良心が痛むのだ。身持ちの固い娘に身売りさせた女衒か善良なお人よしを騙して借用者に判をおさせた地上げ屋の心境と申しますかね……騙して判を押させたからにゃ身銭をしぼって利子までもと言いますか……
今日も麻生は俺が帰り支度してるすきに堂々サボって帰ろうとした。
うかうかしてたらおいてけぼりをくう。ったく油断も隙もありゃしねえ。
慌てて鞄をとり、教室を出てく背中に「部室くるよな!?」と大声で呼びかけたら満場一致で注目を浴びた。
桟をまたぎ麻生は億劫そうに振り返った。
眼鏡の奥の目が露骨に迷惑だと言っていた。
観察してわかったが、口数少なく無表情な麻生は眉の角度で不快を示す。
不快な場合は眉が正確に三十五度釣り上がる。残念ながら快の方はいまだ見ず。
この頃は麻生を部室に送り迎えするのが習慣になっている。
俺を置き去りひとりさっさと下校しようとする麻生を部室まで連行、スナック菓子をつまみくっちゃべり、ぼちぼち日も暮れ始めた頃に一緒に部室を出る。
見上げた空は茜色に染まり哀愁誘うカラスの遠啼きがこだまする。
俺が住むのは田舎でも都会でもない中途半端な地方都市。適度に拓けて寂れてる。
住んでるあたりは昔ながらの住宅街だけど、駅前まで出るとゲーセンとかカラオケとかショッピングセンターとかそれなりに娯楽も揃ってる……が、どうしたって地方都市がハリボテ商店街で頑張ってるかんじが否めない。
中心地をちょっと逸れりゃ途端に閑散として野っ原が広がる。
私立御手洗高は開発に飽きて放り出したような街はずれの坂の上にある。
学校の周囲は未開拓で野放図に雑草が茂った更地が多く、乗り捨てられた廃車が骨格に錆びを浮かせている。ほかに不況で倒産した鉄工所が点在し、刑務所を彷彿とさせる長い塀の内側は夜毎不良のたまり場となり、治安が悪い。
駅から距離があるせいか電車通学のヤツはあんまりいない、ほとんど地元の連中だ。
俺は入学からこっち自転車通学。
小学校から愛用してる青い塗装の自転車は押して歩くと鋸でもひくような軋み音をたてる。
六月最後の週、蒸し暑い夕方。
カラスが群れ飛ぶ空の下、右側にゃ廃車が埋没する雑草の天下の荒地、左側にゃ廃工場の平坦な塀の殺風景が続く。
議論が白熱して長居したせいか帰りがかぶった連中は見当たらない。
麻生とならび、ちんたら坂を下りる。
「俺、貧乏だから毎日弁当。兄妹で当番制なの、料理は。俺が当番の時は妹と二人分弁当作る。めんどくさいぜ~。早起きしなきゃなんねーし、いろどり悪いと怒られっし……『兄貴のお弁当茶色で恥ずかしい、友達に見せらんない』だってさ、わがままゆーなっての。煮物いれると残すし。もったいねーよな、美味いのに煮物。昆布とかこんにゃくとか芋の煮っ転がしとか、お袋の味ってかんじじゃん?」
「先輩の手料理マジ美味いっすよ!砂糖と醤油の按配が絶妙で、芋の煮っころがしなんかほくほくして口に入れた途端ふわっとほどけて噛めば噛むほど奥深い甘みが出てほっぺがとろけるんす」
「だろ?芋の煮っころがしはお袋仕込みの自信作、砂糖と醤油ぶちこんで甘辛く煮付けるのがコツ」
三歩さがって先輩の影を踏まぬとは奥ゆかしい後輩め。
麻生を振り向かせるのに必死で忘れかけていたが部室を出たときから聡史もいたのだ。
拳を固め加勢に入る後輩にぐっと親指たて感謝、反応の悪い麻生に向き直る。
「だから弁当は夕飯の残り。たまにゃ学食行きたいけど高くて……うちの学校のヤキソバパン美味いって評判じゃん?速攻売り切れちゃうの。最短記録は一分切ってる。すげーよ。四限終わりと同時に殺到して、前にドミノ倒しの事故で誰かが階段から転落して病院送りになったとかなんねーとか、そのせいで馬鹿になって帰ってきたとか、まことしやかに噂が」
「お前以上の馬鹿なんているのか」
「ちっちっち、なめるな麻生くん。俺は本気ださなきゃただのばかだけど本気出せばなみだぜ?」
「目標設定が低すぎる」
「先輩を馬鹿とは失礼っす、麻生先輩。いくら同級生でも言っていいことと悪いことあるっす、世の中には黙ってたほうがいいこと沢山あるっすよ」
「悪かった」
「……いや、マジで謝られるとおちこむ。冗談で流してくれ」
「馬鹿だから入部の際に出した条件ころっと忘れてるんだな」
読んでた本を閉じておろし、眼鏡の奥から癖になりそうな冷たい目を注ぐ。
「籍を貸すだけでいいって言ってなかったか。なんで部員扱いなの、俺」
「まあまあいいじゃん、せっかく入部したんだから付き合えよ。せめて夏まで」
「話がちがう」
憮然とした麻生を覗きこみ、勝手に相槌うって続ける。
「やっぱヤキソバパン狙い?競争率高いから大変だよな、ダッシュでいかねーと……あれさ、教室近い学年がどうしたって有利でずるいよな。うちの教室離れてっし、冷静に考えりゃ、三年が一番トクじゃん。学食すぐそこだもん。このハンデを乗り越えるため距離消失トリックを……」
麻生が荒々しくしおりをはさんで本を閉じ、きっかり三十五度に眉尻を跳ね上げる。
慇懃無礼な不快の表明。
「態度で会話拒否してるんだけど、わからない?」
「俺の押しの強さは横浜の処女を破ったペリーをしのぐ」
「そりゃすごい。本物の処女も破れるといいな」
「童貞確定?童貞確定なの?ねえ根拠は」
「雰囲気」
「んな曖昧なもんで?目に見えないじゃんフインキ、大事なのは内側より外側だろ」
童貞だけど。
「目に見えない物に本質が出る」
「前言撤回を要求する」
「なんか垢抜けねーし。ミステリオタクだし。空気読まねーし。うざいし。テンション空ぶってるし。視界に入るだけで人を不愉快にさせるし口を開くだけで人を不機嫌にさせるし妄想が暴走して現実から遁走するし、童貞だろ。童貞以外ありえない」
「……なんだろう目からしょっぱい水が」
どうやら相当ストレス溜めてたらしい。無口な優等生をここまで饒舌にするなんてやるじゃん俺、見直した。自画自賛ですハイ。鬱憤吐き出して気がすんだのか麻生はまた読書に戻る。
心なし顔がすっきりしてる。
「異議あり!童貞批判に物申す!」
聡史が憤然と首を突っ込む。
「逆転裁判?」
童貞批判つか、俺批判だけど。
俺と麻生の間に肩幅で押して割り込むや、噛み付かんばかりの勢いで反論開始。
「童貞の人格批判は酷いっス。秋山先輩は童貞だけど心優しくて面倒見よくて節約上手で料理上手だし、全体に煮汁が染みて茶色いけど噛めば噛むほど味が出る美味い弁当作れっし、どこに出しても恥ずかしくない立派な主婦で嫁っス!童貞なんてポアロの自慢癖に劣らぬささいな欠点っスよ!」
「聡史……俺の心はサンドバックじゃないんだぜ?」
「童貞って三回言ったな」
無自覚に酷い後輩だ。むしろ俺が鎖国したい。ペリーさんまた来世紀。
「先輩はミステリ知識で右に出る者なし、ホームズが解決した事件を時系列にそって口述できるツワモノで灰色の頭脳の持ち主、童貞は気にしない方向で!先輩が進むのは狭く孤高なミステリマニアの道、日本シャーロック・ホームズ・クラブなんて謙虚なことは言わずぜひとも生涯童貞貫いて本場ベーカー・ストリート・イレギュラーズの名誉会員めざしてほしいっす!先輩はМHKことモテないヒサンなKYの星なんス!」
そんなМHKには受信料払いたくない。
「……とりあえず、童貞=俺の等式やめてくれないか。テストにでないから」
購買の話からまがりくねって童貞の話になった。……何をどうこじらせばそうなる。
「すいませんっす」
遅ればせなから漸く、本当に漸く失言を自省した聡史が顔染めて謝罪する。
俺の胸も穴も塞がる。我ながら回復早すぎ。
聡史が熱弁ふるうあいだ麻生は本を読んでいた。
線の内側から集団を眺めているような隔絶した雰囲気は人を遠ざける。
もうちょっと愛想くすりゃモテるだろうに……男子校でもてても嬉しかねえか。
没個性な学ランを着てるからこそ素材のよさが際立つ麻生をつかずはなれず眺めるうち、思春期の男子にありがちな不健全な疑問が芽生える。
「麻生は彼女いるの?」
「関係ない」
「告白されたことは」
「関係ない」
「ラブレターは」
「関係ない」
「ど」
言いかけてやめる。
さすがに「童貞なの?」とはプライドの葛藤で聞けなかった。好奇心と羞恥心の駆け引きは後者の勝利。
ちなみに俺はない。告白された事も付き合った事もラブレター貰った事も、一回も、ない。
容姿はそんなに悪くないと自負してる。
しかし妹は「兄貴ってアピールに欠けるよね。漫画で言うと脇役ポジションというか、初期は割に出番あるけどストーリー中盤からどんどん新キャラ投入されて個性薄れて最後は空気なヤムチャ系?」とすごい的確な指摘をする。
肉親ながら容赦ねー。
この話題はまずい。どんどん墓穴を掘っている。自滅にむかって一直線、自分の頭の上にどさどさ土をかけてる心境だ。
帰途に就く三人のあいだに微妙な沈黙がおちる。
馬鹿にしてるようなカラスの鳴き声が虚しく響き渡る。
自転車の車輪が緩慢に回る音を聞きながら歩いていれば、気詰まりな沈黙に耐えかねた聡史が話題をかえる。
「そういや先輩、明日ユキが部活で遅くなるって言ってたけど、真理ちゃんから聞いてます?」
聡史の妹のユキちゃんは俺の妹と同じ漫研だ。
「おー聞いた聞いた。あれだろ、夏コミの準備で忙しいって。中学生のくせに本作って売るとかませてるよな」
「夏コミって俺いまいちよくわかんないっすけど、なにやるんでしょうね。オタクの祭典って一口に言われてもイメージできねっす」
「俺も。前に真理の部屋覗いたら原稿に裸の男が描き散らしてあったけど」
「ユキもそっす、俺が覗くとすごい怒るんスよ。見られたくなきゃ隠しとけてっの」
「……性に興味出る年頃だからな」
「男の体に不純な興味抱いてるんすかね」
聡史が眉間に川の字を刻む。
「真理ちゃんと食ってくるから昼いらないって言うんで、昼飯どうしようか悩んでるんすよ。外食しようにも金ないし、冷蔵庫にもろくなもんないし……母ちゃんも出かけちゃうし」
「俺んちくるか?」
ため息まじりに嘆く聡史を軽く誘う。
聡史が顔を輝かせる。
「いいんすか?!」
「一人作るも二人作るも一緒だよ。うちもお袋パートでいねーし、どうせなら賑やかな方が……」
名案を閃く。
「お前もこないか?」
地面を蹴り、自転車を押して小走りに追い付く。
麻生は歩調を落とさない。
俺の呼びかけを無視、そのまま行こうとする薄情な同級生の前にさせるかと自転車ごとまわりこむ。
本から顔も上げず迂回しようとするも残像生む速度で右へ左へ体を傾げディフェンス徹底、音を上げさせるのに成功。
「なんで?」
「親睦会かねて」
「暇じゃない」
「予定あんの?」
答えず、肩で押して行き去ろうとする。
邪険な態度にむっとする。
無視されても悪態吐かれても我慢してきたが、行く手に立ちふさがっても空気のように扱われたんじゃ後輩の手前立場がない。それに気がかりもある。
墨が滲み始めた夕空の下、無骨なアスファルトを打った道の両側は雑草に覆われた斜面になっている。
「部長命令」
タイヤが小石を噛んで鳴る。
自転車を斜めに傾がせ行く手を阻み、気迫の重圧を乗せた視線をきっかり噛ませる。
「だっておまえ、ろくなもん食ってねーじゃん」
ここ一ヶ月、麻生に付き纏って知った。
麻生は食に関心が薄い。
昼は購買で済ますが、パン一個とパック牛乳一個の貧相なメニューで育ち盛りの腹がふくれるはずない。
「ダイエット中の女子高生だってもうちょいマシなもん食う。朝とか夜とかいつもなに食ってんだよ」
「ファミレスかコンビニ」
「外食中心?金持ち?」
驚くと同時に家庭の事情が気になるが詮索は控える。
羨望と嫉妬が入り混じった貧乏人の眼差しにリアクションを示さず、自転車を避けようとするのを先回りではばむ。
「部長命令は絶対。明日来いよ、来なきゃ迎えにいくから」
はったりだった。
麻生の家は知らない。しかし突き止める気概はあった。
住所を知らなくても努力と執念でなんとかなる気がする。
部長の責任感からだけじゃなく、俺個人としても麻生と距離を縮めたい。
麻生譲の存在はどうしようもなく好奇心を刺激する。
世界と一線引く秘密主義な横顔も、傍観が似合う殺伐と冷えた雰囲気も、麻生を麻生譲たらしめる要素のすべてが推理小説の伏線解き明かす行為に無類の興奮と快感を覚える俺の好奇心をかきたてやまない。
等身大の疑問符が学ラン着て歩いてるようなこの男の事を知りたい、クラスの連中が不文律でこえない境界線をこえてみたいと、熱烈な願望を抱く。
「ストーキングされたくなきゃ覚悟を決めろ」
手に汗とハンドルを握りこむ。
麻生は何とも言えない顔で俺を見る。
困惑と躊躇と苛立ちが綯い交ぜになった心許ない表情は俺が初めて見る顔で、たぶん、警戒心の異常に強い麻生が初めて同級生に見せる顔。
坂道の途上で互いを牽制し険悪に睨み合う。
夕空を飛ぶカラスが緊張感に欠ける間遠で長閑な鳴き声を響かせる。
蚊帳の外で聡史が鞄を抱え立ち尽くす。
カラスの鳴き声が埋める沈黙の中、閉じた本を脇にたらし、無愛想に呟く。
「………昼飯、なに」
「え?」
「明日」
「決めてねーけど」
優等生の舌打ち。完敗の宣言。
面食らう俺を今度こそ追い越し、口元を曲げて吐き捨てる。
「肉、嫌いだから」
一瞬だけ絡んだ視線が縺れた糸をほどくように離れ、忌々しげに歪む横顔が遠ざかり、拒絶する背中を見せ去っていく。
つまさきが半歩だけ境界線の内側に入った瞬間だった。
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