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第14話

 「死ねよ」  ボディに一発、不良のたしなみ。  「―!ぐっ」  予期していたが、想像以上にきつい。  腹に拳がめりこむ。重い衝撃によろめく。額にふつふつと脂汗が浮く。  生理的な涙と流れこむ汗とで歪曲狭窄した視界に半透明の膜がはる。  天井に床に壁、建材に染みついたむせかえるような油絵の具の匂いが胃液の饐えた味と一緒に鼻腔をつく。  机を後ろに組んだだだっ広い教室に古びた木材と乾いた絵の具が放つ揮発性の臭気が漂う中、正面に立つ影が唇をひん曲げ笑う。  「腹殴られると苦しいだろ」  正面にボルゾイが陣取り同級生が下劣な笑顔で包囲する。  ボディに一発、さてお次は?これでおしまいとはさすがに楽観的な俺も思えない。  手の甲で顎を拭い、汗だくの顔に不敵な笑みを刻んでボルゾイを睨みつける。   「―顔はやめて、ボディにして」  「あァ?」  ボルゾイが大げさに眉を上げる。何言ってんだこいつ気でも違ったかという顔。まわりの連中も似たりよったりの不審顔でなんだか愉快になる。   壁に背中を預けゆっくりと深呼吸、汗が引くのを待ちありもしねえ余裕を演じて口を開く。  「……って、漫画やテレビでよく言うけど、リアルじゃめったに使わねーな。だってさ、顔殴られることあんまねーし。腰抜けのいじめっこは親や先生にバレるのびびって必ず制服で見えねー場所ねらうし……」  「………どういう意味だよ」  「腹ばっか殴んのは腰抜けの証拠」  ボルゾイの顔が紅潮する。  ばかほど血が上りやすい。  挑発に激昂しかかるも仲間の手前喚き散らす醜態を避けたか、ひとまず自制に成功。  しかしいつまでもつかわからない。四月同じクラスになってからこっち痛感した教訓、文字通り体に叩き込まれた現実。ボルゾイのキレやすさは異常、ボルゾイ考案の責めは偏執狂的なまでに陰険悪辣だ。  「痛いの我慢して突っ張っちゃって、可愛いな」  うっそり笑うボルゾイの肩越しに視線を飛ばし二点の脱出口を確認。  最短距離はボルゾイの背後の出入り口、包囲網を突破しなきゃ辿り着けない。  もうひとつは教室の右奥、離れた場所。駆けつけるまでにつかまったら万事休す。  旧校舎一階の美術室は昼でも薄暗く殺風景な広さが際立つ。  机と椅子は全て後方に積み上げられ、隅には画架が立てかけられ卒業生在校生の完成未完成入り混じった大量の絵が乱雑に堆積する。  入学以来美術室に足を踏み入れたのはほんの数回だ。  もとより美術は選択科目、それか美術部に所属してなきゃ美術室に来る機会も用もない。妹と違い、芸術系の才能にゃてんで恵まれない俺には無縁な場所だと思っていた。  今の今まで。  「………旧校舎か。うまいこと考えたな、ここなら邪魔されずゆっくり遊べるってわけか」  腹に腕を回し、防御の姿勢をとりつつ無理して笑う。  ボルゾイがきざったらしく肩をすくめる。   「盲点だろ。終業式直後、長い長い夏休みに入った美術室には人がこねえ。美術部の連中ももう帰っちまったし、それでなくてもボロい旧校舎にゃ実習以外でうるさい先公がくることもねえ。生意気な同級生におしおきするにゃぴったりの穴場ってわけさ」  「旧校舎の死角か。悪知恵だけは回るな」  なかばあきれ感心する。  ボルゾイの指摘は正しい。終業式直後、生徒があらかたはけて教師も職員室に引き上げるか帰宅した校内は静まり返っている。  ここなら多少の物音や悲鳴が漏れても不審がられはしない。  窓の外をたまたま誰か通る偶然に期待するしかないが、その確率はとても低い。  旧校舎一階の美術室は黴臭い日陰の裏庭に面し、ここからじゃ運動場のネットも校舎の角にさえぎられて見えやしない。風を切ったバットが硬球に接吻する金属質の甲高い音がかすかに響くだけだ。  油絵の具の濃密な臭気が充満する中、殺伐とささくれた沈黙がのしかかる。  「…………暇人だな。その執念どっからくるんだ?校門で別れなかったらどうするつもりだったんだよ、強引に拉致ったの?クロロホルムとスタンガン、猿轡と目隠しも用意しなきゃな」  時間稼ぎに話題をふる。  とにかく今は少しでも余興の時間を引きのばすしかない、悪あがきでもしないよりましだ。  疑問をぶつける俺をいやらしい目つきで見返し、片頬ひくつかせ、喉の奥で卑屈に濁った笑いをたてる。  「その時はその時、また別の手段を考えた。でもお前、麻生んちと逆方向だろ?いやでも途中で別れなきゃなんねーだろ?ま、うまいこと校門前で別れてくれてこっちも助かった。暑い中尾行するのはうんざりだからな」  これみよがしに片頬歪める嫌な笑い方。  皮膚の皺から矯正不能までに複雑骨折した性格が透けて見える。  俺の胸ぐらを掴み、顔を近付け、言う。  「図書館裏の礼はいつかしなきゃっておもってたよ」  「それ、俺になの?」  理不尽な言いがかりに苦笑するっきゃない。  図書館裏の礼なら、既にたっぷりと利子つけて貰ってる気がする。  考えを読んだのか、ボルゾイの手がズボンから裾を引っ張り出して内側へもぐりこむ。  関節が尖った手がシャツをさばく繊維質の音たて性急に下腹をまさぐる。  汗でべとつく手の不快さに眉根をよせる。  腹筋のあたりを患部圧迫の痛みが抉る。  「!ッて、」  「ここだろ」  ボルゾイが舌なめずり。  同級生が興味津々にやつき身を乗り出す。  雁首並べた同級生ひとりひとりを滾る目でにらみつけ牽制するも、シャツに忍び込んだ手の貪欲な動きが反抗の気力を萎えさせ、膝が挫けそうになるのを壁に縋り辛うじて保つ。  ボルゾイがしきりと唇をなめ、興奮の熱を孕みぎらつくギャラリーの視線を意識し扇動する、じれったい手つきでシャツをたくしあげていく。  はだけたシャツの下から外気が忍び込み、肌が粟立つ。  緩慢に捲り上げられたシャツがささやかな衣擦れの音をたてる。  外気に晒された下腹に視線が集中し、むずがゆさと同時に強烈な羞恥が身を焼く。  シャツを捲り上げた俺の下腹を間近で眺め、ボルゾイが恍惚と吐息する。  「いい色に染まってきたな」  抵抗を企てるのを見越してか肩ごと押し戻され壁に固定される。  背中から壁に衝突、一瞬息が詰まる。  唇を噛み、顔を背ける。  「黄色、青、黒、紫……痣の見本市だ。よく見ろ秋山、お前の体をキャンパスにした斬新で前衛的なアート」  「この痣は俺だ。こないだ廊下ですれちがったとき腹にくれてやった。ウッとか呻いちゃって、腹抱えてしゃがみこみやがんの廊下のど真ん中で。まわりの連中に邪魔っけにされてて、笑えた」  「へその横は俺だな。体育の授業ン時、バスケットボールあててやったんだ」  「上は俺だ多分、一番新しいやつ。帰り際、わざと鞄の角ぶつけてやった。英語の辞書入ってたからきいたろ」   俺の腹に乱れ咲く痣をひとつひとつ指さし同級生が好き勝手ほざく。  得点を自慢するあっけらかんとした口調に、ボール当ての的になったような自虐を抱く。   この痣は俺だ、この痣は俺だ……ゲームの配点を競うように唾とばし熱中し、壁に磔にされた俺の腹に図々しく顔を近づけ、黄淡色の痣をつつく。  新旧大小色とりどりの痣がまだらにむしばむ腹を何本もの手が無遠慮に這う。  骨ばった男の手で腹をべたべた触られる生理的不快さに顔が歪むのを隠しきれない。  腹肉をしつこく抓り捏ねられ、こめかみにぷつぷつと針で突いたような汗が浮く。  「このザマじゃ女の前で脱げないな」  「……風呂上がり、トランクス一丁で歩けなくて、すげー不便」  ボルゾイと不快な仲間たちは異常に警戒心が強く、保身に気を配る。  顔など一発でバレる目立つ場所は避け、制服に隠れる部位ばかり広範囲に分散して狙う。人前で無防備に脱ぎでもしないかぎりばれないような箇所に攻撃が集中するので、こっちとしても隠す手間が省けて助かる。  「露出狂の気がなくて助かったな」  「家族おもいの秋山くんは心配させたくないあまり健気にひた隠してたってわけか。泣かせるね、こんなになってまで」  「体育の着替えも隅っこで一人こそこそやってるし」  「さすがに恥ずかしいだろ、腐ったバナナみたく汚い体見られんのは」  気丈にふるまってもねちねちと揶揄され顔に血が上るのをどうにもできない。  家族には知られてない。  妹は俺が入ったあとの風呂をさけるから、今までなんとか知られずにすんだ。どうかもうしばらく兄を嫌いでいてくれ。  薄暗い美術室の片隅に追い詰められ、同級生の手でシャツをむしられ、下腹部に重点的に分散した痣を視姦され、恥辱でこめかみがじんと痺れる。  痣ごと腹を揉みしだかれる痛みに相乗して、皮膚をちりちり炙る粘着な視線が辛い。  「顔赤いけど恥ずかしいの?ズボンの下も見せろよ」  無造作にズボンを引きずりおろそうとするのに今度こそ本気で抵抗する。  壁に押さえ込まれた不自由な姿勢から足を蹴り上げ、死に物狂いでボルゾイを引き離しにかかる。  同級生の前でズボンまで剥かれるなんて、冗談じゃねえ。  灸を据えられたように痣が発熱し、腹筋が引き攣る。  内臓に剣山を突き立てられるような指圧と掌握の痛みに悲鳴を噛み潰す。  見下ろした下腹部はボルゾイや同級生の言う通り、いい色に染まっていた。  黄色、青、黒、紫……目にあざやかなグラデーションにとみ、皮膚を蝕む汚濁。  醸成された痣が不規則に重なり合って下腹に醜悪な波紋を描く。  「痛ッ」  ボルゾイが手の甲を押さえ、膝を付く。  往生際悪く暴れた甲斐あり靴裏がヒットした。  「大丈夫か伊集院」と同級生が駆け寄り、ふたりがかりで過保護に助け起こす。   「………こりねーみてーだな」  突如として声が低まり、悪ふざけの延長のにやけづらから一転、攻撃的な眼差しと凶暴な顔つきに変じる。  手を押さえ立ち上がったボルゾイが仲間と目で示し合わせる。  命令を受けた同級生が三人、パレットや筆を洗う流しの方へ駆けていく。  何する気だ?  床にへたりこみ、肩で息をしつつ動きを目で追う。  伏せて水を切ったコップを手に取り、蛇口をひねる。  透明な水が雫をちらし勢い良く迸る。  蛇口の下にコップを突っ込み水をくむ。  水で満たされたコップの表面で光が屈折、映りこむ同級生の顔が悪夢じみて抽象的に歪む。   「喉渇いたろ。麻生とずっとしゃべりどおしだったもんな」  ボルゾイが俺の鼻先に屈みこみ、前髪に指を絡め、じゃれるようにかきあげる。  「………見てたのか?」  「朝礼の時からずっとな。たった二ヶ月でずいぶん仲良くなったみたいじゃんか、人嫌いで気難しい優等生サマと。お前に付き合ってわざわざ自転車置き場まで迂回してやってたな。優しいとこあんじゃん」  前髪に絡む指が不快だ。激しく首を振って退けようとすりゃ、毛根からぐっと掴まれ、顔ごと仰け反らされる。  「クラスの余り者同士、傷でもなめあってんのか。別のとこも舐めあったりしちゃってんのか」  「………んだと」  「デキてるんじゃねーの、おまえら」  前髪を毟られる激痛にも増して、下世話な中傷が激情を煽る。  「………やってることがゲスなら頭の中身までゲスだな」  口汚く吐き捨てる俺を至近で覗き込み、前髪に絡めた指を淫猥に蠢かせ、熱っぽく囁く。  「だってさ、あやしいじゃん。あの優等生がお前にだけ妙に接し方柔らかいんだぜ。お前も麻生麻生ってしょっちゅううるさく付き纏って……あの麻生が何故かお前にだけそれを許してるんだ、勘ぐるなってほうが無理だろ。よく考えりゃ二階からおちてきたのもあやしいよな、あの時からデキてたのか」  「は?」  「どっちが下なんだ?麻生じゃないよな、まさか」  距離がまた縮む。  ボルゾイの吐息と視線が錐揉み絡んで顔にまとわりつく。  しきりと唇をなめるしぐさが目に入る。  生理的嫌悪と不快感と嘔吐感が込み上げ、胸が悪くなる。  壁を背にへたりこんだ俺に覆いかぶさり、手を腰に這わせ、ゆるゆると擦りあげる。  腰に直接触れた手から劣情の火照りが伝染、当惑顔で助けを求めるも同級生は気のない野次をとばしだべり、止めに入る気配はない。    『先輩のクラスに伊集院て人いますよね』  一ヶ月前、麻生をうちに呼んでやきそばふるまった帰り道。  麻生がいなくなったあと、二人きりになるのを待って、聡史がそう切り出したのだ。  『伊集院?……ああ、ボルゾイか。いるけど、それがどうかしたか』  『俺のトモダチがその伊集院さんと同じ中学だったんだけど、あの人めちゃくちゃ評判悪いッス。……いじめの常習犯で、中学ン時一人を転校、もう一人を不登校に追い込んだらしいです。泣き寝入りしたヤツはもっと多いって噂です。他にも色々悪い噂があって……先生の前じゃ猫かぶってるけど裏に回りゃクスリを扱ってるような連中とも付き合いあるとかないとか』  訥々と聡史は言う。  俯きがちに話す顔は夕闇に呑まれて判別しにくい。  成長しすぎた体をすくめるようにして申し訳なさそうに伊集院の悪評を伝える様子から、俺に嫌われたらどうしようと怯える本音が窺える。  皿を洗いながらこれを話そうとしてたのだと直感する。  麻生の話はただの前座で、本当はこの事を伝えたかったんじゃないかと切迫した表情で思う。  だけど鈍感な俺は気づかなくて、陰口を諌められた聡史は本題を切り出すタイミングが掴めず、夕闇迫る空の下とぼとぼ帰り道を辿っていたのだ。  『そいつと先輩が一緒にいるの見たって友達が教えてくれて……わかんねーけど、雰囲気おかしかったって……俺、なんか心配になって……もし先輩がなにかされてたら、俺、おれ』  『ありがとよ。心配してくれたのか』  俺は大丈夫だからと軽く笑い、不安げに立ち尽くす聡史の頭をわしゃわしゃなでてやる。  タワシのような剛毛の短髪が手に刺さって気持ちいい。  道のど真ん中に立ち尽くし、面映げに俺になでられるがままされながら、しかしその顔がおもむろに引き締まる。  『実は、俺の友達も』  言いかけ、やめる。  急によそよそしく目をそらし、岐路にさしかかったのを口実に、別れの挨拶をして去っていく。   最後に一言、付け加えるのを忘れずに。  『伊集院には気をつけてください。先輩はいっつも笑ってるから困っててもわかりにくいけど、なんかあったら、俺や……俺がだめなら麻生先輩でいいから、ちゃんと相談してください。手遅れになるまえに』   あの麻生にさえ先輩をつける聡史が、伊集院は呼び捨てだった。  「カクテルジュースおごるよ」  伊集院ーボルゾイが、俺の前髪を揉みしだき、フェロモン垂れ流しの動物の求愛行動のように鼻の先端を擦り合わせて言う。  「飲みたく、ねえ」  喉の奥からみっともなくかすれた声を絞る。  弱弱しく首を振り、抗う。  嫌な予感が窒息しそうに胸でせめぎあう。  ボルゾイの背後、流しに詰めかけた同級生が歓声をあげながらコップに何かを投入する。  手元に目を凝らす。  絵の具のチューブを握り、勢い良く中身を搾り出し、コップの中に次々とぶちこむ。  青、赤、黒、黄、オレンジ……  チューブから捻り出された液体が攪拌されコップの水を混沌の色彩に染める。  「トマトジュースはいりまーす」  「オレンジジュース追加でーす」  「おまけにぶどうジュースも。トロピカルな色になったろ」  「一口で昇天確実」  コップを持った同級生がふざけてはしゃぎ、水道から派手にしぶきが舞いとぶ。  胃袋が痙攣し猛烈な吐き気が襲う。  コップを持った同級生がじゃれて騒ぎながら悠長な足取りで戻ってくる。  再び取り囲まれる。同級生が持ったコップ、見るからに体が悪そうな毒々しい色彩のそれから目がはなせずそらせず近付くー  逃げる。  「―ッ、」  「!させるかよっ」  床を蹴った反動を借り出口をめざすも二人がかりで背中から押し倒される。  背中に馬乗りになられへし折れそうに背骨が軋む。  床に倒れた衝撃で胸を打ち、息が詰まる。  床を這いずって懸命に逃げようとあがきにあがいて醜態をさらせば、鼓膜を破らんばかりに哄笑が炸裂。  「逃げるなよ秋山、せっかくお前のために作ってやったんだ、のめよ、一滴残らず」  「特製カクテルジュースだ。青汁よりよっぽど健康にいいぜ」  「うわ、酷い色。ドブ水かよ。何本いれたんだ?」  「どんな味するか感想聞かせてくれよ」  「ドロヘドロテイストに決まってる」  床を這いずって逃げる、壁に穿たれた戸に手をのばす。  シャツがはだけ、じかに密着した床から下腹へと湿気と固さが伝わる。  誰か、誰かいないのか?腹の中で大声で助けを求めるたまたま誰か通りかかってくれるのを祈る生徒でも先生でもだれでもいいだれかお願いだから助けてくれ止めてくれ!!  服毒の恐怖を起爆剤にして思考が暴走を始める。  心臓が鳴って全身の毛穴から粘る汗が噴き出てシャツをびっしょりぬす。  「ふざっ、けんな、んなもん飲めるわけねーだろ!!」  「手伝ってやる」  背中から組み敷かれた耳朶をざらつく声がなめる。  正面に影が回る。  おもむろに伸びた手が顎を掴み、強引に口をこじ開ける。  ボルゾイがもう一方の手にコップを掴み口元へ近付ける。  何色もの絵の具をぶちこみ攪拌したコップの水はなんとも形容しがたい色に染まっていた。  ドブ水のようにどす黒くよどむコップの中身に目が吸い寄せられ、顔から遠ざけようと首を振り、目を閉じ拒絶を訴える。  唇にごり押しされる冷たく固いガラスの質感。  唇を割り、食い込んだコップの縁が前歯を削り、歯茎をこそぎおとそうとする。  目を閉じる必死に目を閉じるきつくきつく閉じる、腕は押さえ込まれコップを叩き落とせず、傾いたコップから水が一気に………  ー「がはっごほっげほっ、かはっ!!」ー    嚥下を強制されるも耐え切れず、盛大に吐き出す。  口に流れ込んだとたん体が毒だと判断、拒絶反応を示す。  咄嗟に嘔吐したが、不可抗力で少し飲んじまった。  喉が焼ける。  まずいなんてなまやさしい言葉じゃ形容できない、味覚が麻痺する激烈な味。  ぶちまかれたコップの中身が床と服をぬらす。  気管が仰天し、鼻から口から目から毛穴から逆流した水が迸る。  「きったねえ、吐きやがった」  「あーあもったいね、せっかくいれてやったのに」  同級生の横顔に嘲笑が泡立ち、床に零れた水を上履きで蹴り弾き、突っ伏す俺にかける。  濡れそぼつシャツが素肌に冷たくへばりつき腐敗した痣を炙り出す。  「特製カクテルの味はどうだ。舌が死んで声も出ねーか」  激しく咳き込む。生理的な涙で目がかすむ。  顔をぬらすのが涙か汗か唾液か絵の具水かそれさえわからない。  「飲みきれなかったんだから、罰だな」  頭に手がおかれる。  涙でぼやける目で仰げば、ボルゾイが顎をしゃくり、同級生を使って半死半生、青息吐息の俺を引っ立てる。  乱暴に腕を掴まれ、さっき逃げた壁際へ連れ戻される。腕に指が食い込む鋭利な痛みに呻く。  体前から壁面に押し付けられ、筋肉に守られてない膝裏に蹴りをくらい、無理矢理跪かされる。  「気が、すんだんじゃ、ないのかよ」  劇毒に粘膜を焼かれ、瀕死の喘鳴しかでない。   「まさか?そいつの手をとって壁につけろ。こっち向かせて……そうだ、よし、見てろ」  ボルゾイが口早に指示をだし、制服のポケットからチューブを取り出す。  また絵の具かと疑ったが、ちがう。  瞬間接着剤。  「どうする気だ?」  「どうするかあててみろ」  蓋をはずしながらボルゾイが茶化す。  同級生が俺の手をとり、五指を開かせ宙に翳す。   「瞼をくっつける?」  「残念、はずれ。それもいいけどな、びびりまくった涙目が見れないんじゃ楽しみ半減だろ」  翳した手のひらにひやりと異質な感触。チューブから搾り出した透明な軟膏を、指の裏表にそって又に練りこみ、まんべんなく手のひらに塗りたくる。  手のひらに光沢ある粘液の膜が張り、皮膚に冷気が染みとおる。  ボルゾイが何する気か、さすがに馬鹿な俺でもわかる。この状況でわからなきゃおかしい。  誰か。  先生生徒だれでもいい、誰かお願いだから通りかかってくれ、こいつは気が狂ってる。  同級生の手によって壁に向き合わされ、手のひらに接着剤を塗りこまれながら、余力をふりしぼって暴れる。  絶叫し怒号し面罵し、ちぎれんばかりに首ふってシャツの裾を乱して掴みかかる手を払って、滾り猛った激情をぶちまける。  同じクラスになってから二ヶ月、大抵の事は耐えてきたし耐えられた。  ボルゾイがどんな手の込んだいやがらせを仕掛けてきても気丈にやりすごせた。  でも、これは。  これは、むりだ。  限界だ。  「はなせよくそっ、はなせって!お前らいいかげんにしろ、いくらなんでもやりすぎだろ、俺が気に入らなきゃ気に入らないでいいよもうそれは、だったらほっといてくれよ!便所に流された上履きは乾かしゃ使える切り刻まれた体操着は自分で縫った机の落書きもおとした、でもこれはやりすぎだ、我慢の限界だキレるぞッとに、俺の手と壁を同化させて何の得っ……」  語尾が萎む。  ズボンの上から股間に手をおかれ官能の痺れが走る。  「おまえ童貞?人の手でされるのに慣れてねーと感じやすいだろ」  汗でぬれたシャツ越しに密着する体。  俺の背に覆いかぶさったボルゾイが、体前に手を回し、ズボンの上からゆっくりと、円を描くように股間をなでさする。  「………いっ……ぁ、は……やめ、……ん、なとこ、さわ……」  ズボンの膨らみを探り当て、その膨らみごと押し包み、右へ左へ回す。  他人の手に触られるのは、生まれて初めてだ。  もちろん、自分でやったことはある。  だけど、こんな状況で。こんな体勢で。  同級生が生唾飲んで見守る中、背中から組み付かれズボンの股間を淫猥にまさぐられ、壮絶な恥辱に全身が熱くなる。  「んだよ、その声。気分出してんじゃん。麻生にも聞かせてやったのか」  「……ん、で……今、麻生が……出てくん、だ……」  敏感になった部分に下着が擦れ、腰が痺れる。  股間をねっとり揉む手が激しさをます。  服の上から男の手でしごき上げられる屈辱と快感が混じり合い次第に息が上擦り始める。  ズボンの股間を中心に這いずり回っていた手が上へ移動、中へと入り込む。  「!!ばっ、」  目にする光景が信じられない。俺の頭がどうかしちまったのか。そうであってほしいと祈る。  だがボルゾイの手がズボンの中へ入り、下着の内へとしのび、半勃ちのそれを直接掴むと希望も消える。  下着ごとズボンをずりさげ俺の下肢を剥き手が動きを再開、手のひらとの摩擦が生み出す熱に、前が充血する。  頭が茹だる。  俺の身に今おきてること俺が今されてること全部うそだ、嘘だから平気だ、だってこんなのあるはずない。さっきまでくだらない話してた麻生がいただから大丈夫まだ日常の続きだ俺は境界線を踏み外してないあの時と同じ後悔はしない『透、真理と母さんをよろしく頼む』俺は平気だ、部長だから兄ちゃだから心配かけたりなんかしねえ、俺は大丈夫、まだ笑える、顔筋が生きてる。  さあ笑え。  口元が不自然に痙攣し顔筋が不自然に硬直、どんなに頑張っても道化の泣き笑いじみた笑顔もどきしか作れない。  明日から夏休みで遊び放題でミス研メンツで集まってワイワイ騒いで予定が一杯詰まってて、そうだコンビニ、面接遅れないよーにしねーと、夏休みは稼ぎ時だから、ちょっとは家計の足しに……   「同級生の前で下半身剥かれて、しごかれる気分はどうだ」  底意地悪い含み笑いが現実に引き戻す。  「色っぽい声出すじゃん」  「やべ、なんか興奮してきた」  「写メ撮るか記念に」  「やべー、おれ勃ちそう。そっちの道目覚めちゃったらどうしよ」  「コイツ割に可愛い顔してるしがんばればイケるよ」  「今度女装させてみようぜ」  「今話題の学校裏サイトあんじゃん、あれ作ってこいつの写真載せんの。アクセス稼げるぜ、きっと。うけるし」  シャッター音が連続、笑いが爆ぜる。  手が、右から左から上から降りかかった手が肩を腕を背中を足を腕を押さえつけ、慰みに髪にじゃれていく。四つんばいの姿勢で首を振り、髪にまつわる手を払う。右から左から携帯をつきつけられ、写真を撮られる。  口の中に蟠る胃液の酸味を帯びた強烈な苦味。  ズボンの中で蠢く手が勃起した前をしごきたて、やすりがけるように上下し、強制的に注ぎこまれる快楽に服従する犬の如く突っ伏す。  「いいこと考えた」  ボルゾイが同級生に何事か囁く。  頭が朦朧とする。  俺の横、夢中で写メを撮っていた同級生が、意味深にほくそえんで携帯をズボンの上に押しあてる。  振動が来る。  「!!―っあぁ、あくっ」  携帯のバイブ機能。  ズボンの上、膨らみのあたりに微細に震える携帯を当てられ、骨まで響く振動がダイレクトに伝わる。  「初めて体験するバイブのお味はどうだ」  「携帯のバイブでイケるなんて、そこらの女よか敏感な体だな」   「やめ……ろ……あ、ふっ……」  小刻みに振動する携帯を強く押しつけられ、円を描くように緩慢な扇情の技巧でマッサージされ、持続的に送り込まれる刺激に前がぼたぼた雫をたらす。  罵倒が続かない。  「やめ、てくれ……悪かった、謝る……ッひぐ」  携帯が送り込む電動の振動が勃起した前と袋を震わせ刺激の強すぎる被虐の官能を生み、既にぎりぎりまで高まっているものが弾けそうになる。  バイブで責められる前を中心に快感の波紋が広がっていく。  ボルゾイの唇が耳の裏側をなぞってゆく。  「今度オナニーする時使ってみろよ」  耳の穴にもぐりこんだ舌がぬめり、過敏な耳朶をくすぐる。  きつく目を瞑る。  血が滲むほど唇を噛む。  限界ぎりぎりまで耐えに耐えでもダメだ股間に接触した携帯が振動を送り込む、下着の中で蠢く手が勃起した前をしごきたて、体の奥、腰のあたりでドロリと熱い粘液が動いてー    頭が真っ白になった。

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