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第16話

 『人を殺したいと思ったことあるか』  「なんだよ、いきなり」  『答えろ』  「思ったことねー人間なんているのか」  『俺が聞いてるのは本気の程度だ』  「程度問題なのか、殺人て。斬新な解釈。さすが優等生、普通の人とは頭のキレ方が二重の意味でちがう」  『人を殺したいと思った経験がない人間は実は少ない。一過性の殺意はだれしも日常的に抱く、が、持続しない。混雑した電車内で肘が触れ合った、街中で足を踏まれた、ポイ捨て煙草で火傷した、コンビニの袋が破けていた、目をつけていた残り一冊きりの新刊を買われた……もろもろのくだらない理由で人は殺意を抱く』  「そんくらいでいちいち殺意抱いたりしねーよ」  『笑えるだろ?ほかもそうとは限らない。人間は自分を物差しにして考える。人を殺したいと思う人間は珍しくない、どこにでも当たり前に存在する。殺したいと思うだけなら犯罪者じゃない、殺意を抱いただけで罰する法律は原則としてない』  「何の話?まったく見えてこねーんだけど」  『脳内での殺人は黙認される。だれも頭の中で考えてることまで奪えない。だが人を殺そうと考えた事があるというのは意味が違う、ここで問題にすべきは本気の程度だ。世の中の圧倒的多数の人間は、不快な体験をして人を殺したいとふっと思ってもそこで終わってしまう。その中でも一握りの人間が実行に移す、具体的な殺しの計画を練る。衝動的な殺人とは趣を異にする計画犯罪、綿密に準備された殺人行為。頭の中で殺すだけじゃ気がすまない、現実の世界からも跡形なく消えてほしい、相手の存在がどうしても許せない。だから殺す』  「殺す殺すってさっきから物騒だよ。簡単に殺すとか死ねとか言うな」  『いまさら?犯罪者だぜ、俺は』  「…………………」  『お前が今携帯で話してるのは人殺しだ。教師のマンションに爆弾送りつけて大怪我させたやつだ。それとも何、人殺しが死ねとか殺すとか言っちゃ洒落にならない?』  「ふざけるな。いきなり電話かけてきたとおもったらわけわかんねーこと言いやがって、だれのせいで学校中走り回って息切らしてると思ってんだよ」  『ただ待ってるだけってのも暇なんだ、かくれんぼの余興に付き合ってくれよ。ついでに長年の疑問も解決できたら嬉しい』  「人を殺しちゃいけない理由か」  『想像力って厄介だよな』  「………聞けよ、人の話」  『人間の不幸の始まりは想像力だ。これは新聞に載った犯罪被害者遺族のエピソードだ。ある夫婦が念願の子供を授かった。両親はその子を溺愛した、夫婦の両親にとっても初孫だった。赤ん坊は大事に育てられたが、ある日、買い物に出た母親がベビーカーから少し目をはなした隙に誘拐された。両親は半狂乱で行方を捜したが、後日、犯人から身代金を要求する電話がかかってきた。両親は約束どおり金を整え待ち合わせ場所にむかったが、結局金はとられ、子供はもどってこなかった。数週間後、駅のロッカーからバックに詰められた赤ん坊の死体が見つかった。赤ん坊は八ヶ月かそこら、ようやく前歯が生え始めたころ。犯人は逮捕され裁判が行われたが反省の様子はない。母親は自分の不注意を責めるあまり精神を病み、ずっと病院通いを続けている』  「…………酷いな」  『母方の祖母が言ったんだ、「孫は心の中で成長させないようにしてる」って』   「?」  『二十年前の事件だ。生きていれば成人してた。二本足で立ち始めて、歩けるようになって、小学校に上がって、中学に入って、高校生になって、大学に通って……遺された者はどうしても想像してしまう。殺された子供がもし生きていたら、生きて帰ってきてたらどういうふうに成長していたか、どんな顔立ちになっていたか、どんな若者になっていたか……それが辛いから、孫は心の中で成長させないようにした。殺される直前の、前歯生えかけの赤ん坊のまま覚えていると』  「…………っ…………」  『だけどな、それは無理だ。不可能なんだよ。遺された人間はどうしても考えてしまう、不条理に絶たれた人生の続きを。いやでも考えずにはいられないんだ。もし生きていたら、もし無事に大きくなっていたら、殺されたのが違う子供だったら、もし、もし……際限なく考える、考えずにはいられない。ifの地獄だ』  『もし死ななかったら、あんなことが起きなければ、今でも元気に笑っていた。今でも隣にいてくれた。普通に友達を作り、学校を出て、恋人を作り、免許をとり、会社に入り、結婚して、子供を作り……平凡な人生を歩んでいたかもしれない。思考の悪循環だ。何故?何故?なぜ殺されたのがよりにもよって自分の子供だったのか自分の大切な人だったのか、なぜ自分にとってかけがえのない人が殺され、殺した犯人が法に守られてのうのうと生きているのか……』  『仮定の選択肢が遺族を追い詰めていく。もし、もしと遺された人間は問い続けるのをやめない。それがどれだけ不毛な行為でも、問わずにいられない。むだなんだ。意味がない。想像力は負の方向に傾く』  「麻生、お前」  『秋山。人を殺しちゃいけない理由なんて、本当にあるのか』  「…………ある」  『提示できなきゃ意味がない。世の中じゃ酷い事件がおきる。若い母親が赤ん坊とふたり留守番中に強盗に襲われた。強盗は母親を粘着テープで緊縛、赤ん坊が泣き出すのをおそれて口にテープを貼り、めぼしいものをあさって家を出た。母親と赤ん坊はふたりっきりで取り残された。母親は台所に縛られ座り込んだまま、口にテープを貼られた子供が窒息して死ぬのを黙って見てるしかできなかった。助けも呼べず』  「…………………………」  『捕まった犯人は言った。殺すつもりはなかった、死ぬなんて思わなかった。顔真っ赤にして号泣する赤ん坊の口にテープを貼って逃げたくせに息詰まらせて死ぬとは思わなかったと、取調べでも裁判でもしれっと言い通した。ガムテープでがんじがらめにされた母親はベビーベッドに寝かせた子供が息を詰まらせて死ぬのをまんじりともせず見てたんだよ、大きな泣き声あげようとして、テープのせいで呼吸できず次第に窒息してくところを。ちょっと想像力ありゃわかるだろ、赤ん坊の口にテープをはりっぱなしにしたらどうなるか。仕事を終えて逃げる時にせめて赤ん坊のテープだけでもとりゃよかった、母親の拘束を少しだけゆるめときゃよかった。でも何もしなかった、後の事はどうでもいいから、親子がどうなろうが関係ないから、そのままにして逃げたんだ』  「……………」  『怒ってるのか、悲惨な話聞かされて。似た話は世界中どこにでも転がってる。ところで秋山、この犯人懲役何年だとおもう?あててみろ』  「……二十年」  『二年。強盗は未成年で初犯だった。少年法適用の情状酌量。殺意はなかったと本人が主張すりゃ過失致死か傷害致死か、一人じゃ何もできない赤ん坊の口をテープでぴっちり塞いで逃げ出しても大した罪にならないのさ。たった二年で罪を償って社会に出てこれるんだ』  「………んだよ、それ。ふざけてる」  『気分悪そうだな。今、どういう顔してるかわかる。自分の事じゃめったに怒んねーのに見も知らぬ他人の事で熱くなるよな、お前って。今どきめずらしいタイプ』  「俺にその話聞かせてどうする気だよ、胸糞悪いってコメントすりゃいいのか」  『この世には死んでもいい人間が多すぎる』  「は?」  『間接的直接的に殺人に関与しときながらまんまと言い逃れして社会復帰する連中、そもそも自分が人殺しだって事実さえ表に出さず、どうかすると自分でも忘れかけて日常にどっぷり浸かりきってる連中が。お前、人を殺しちゃいけない理由を問われて、最初に言ったよな。人を殺した人間は殺されても文句を言えないって。実際は立派な人殺しのくせに自分が殺されるとは思わず生きてるやつが多すぎる。報復の可能性をちっとも考えず、たったひとつしかない人の命を害しておきながら法律に擁護されると根拠なくおもいこむ人殺しが』  「極論だ。お前の理屈だと遺族の復讐は正当化される」  『だけど遺族が犯人に報復する例は少ない。何故かわかるか?―疲れちまうんだよ』  『復讐はなにも生まない。相手を殺しても死んだ人は帰ってこない。そんなことわかってるよ、わからないとでも思ったか?絶望して、疲れちまうんだ。だから復讐の気力もなくす。前提からしてアンフェアだ。遺族は犯人に復讐を試みる時点で、既にかけがえのない何かと誰かを奪われている。人を殺そうがどうしようが喪失は埋まらない、ゼロにいくつかけてもゼロだ。犯人はそうじゃない、人を殺しただけじゃおしまいにならない。むしろ守りに入る。殺すつもりはなかったとか出来心だったとか、あれこれ殺人に動機づけして少しでも有利な条件をひきだそうともがく』  「本当に反省してるやつだって」  『殺されたのがお前のお袋なら?』  「……………………………」  『パート帰り、夜道を歩いてたら強盗に襲われた。長い時間働き通しでくたくたで、スーパーの惣菜の残りをプラスチックのタッパに詰めて子供に食わせようと歩いていたら、後ろからいきなりだ。襲われたのがお前の妹なら』  「―やめろ、言うな」  『ー中学生の妹なら?学校帰り、暴漢に襲われて、レイプされて。挙げ句首を絞めて殺されたら、それでも同じことが言えるか』  「電話切るぞ」  『反省してるようだから許してやるって言えるか、犯人にむかって。母親の後頭部をへこませた相手に、妹をレイプした相手に、謝ったんだから許してやるよって言えるのか』  「聞きたくねえ、そんな話」  『秋山、お前ならどうする?自分の大事な人間に手を出した犯人が社会復帰してる姿見て、どう思う』  「殺したい」  『……声が低くなった。携帯握り潰すなよ?ーて、そんな握力ないか』  「麻生、お前、は。そんな話俺に聞かせて、反応見て、面白がってるのか。旧校舎のどっかに潜んで、階段廊下駆け抜ける俺を指さして、いいザマだって笑ってんのか。お袋や……真理まで引き合いに出して、ねちねち追い詰めて、顔歪むの見物してんのか」  『耳から入る毒は魂を腐らす。話半分に聞け』  「……できねえよ、こんな状況で。お前の言葉ひとつひとつに耳すまして、神経とぎすまして、必死なんだよこっちは」  『お前、真っ当だよな。まっすぐだ。無視したってよかったのに、約束どおり、ちゃんと学校に来た。与太話かもしれねーのに、俺の言葉信じて、わざわざ大晦日の寒い中自転車すっとばしてきた。今も息切らして、旧校舎ん中走り回ってる』  「普通だよ、俺は。……普通よりちょっとおちこぼれなくらいで」  『過小評価だよ。秋山、お前は自分の事はちょっとびっくりするくらい粗末にする。家族や周りの人間はひどく大事にするくせに、自分の事となるとどうでもいいって達観してる節がある』  「前に言ったろ。痛みに鈍感なんだ、俺」  『自分がされた事ならぎりぎりまで耐える、まわりに心配かけたくない一心で痣も傷も隠し続ける。反対に人がされた事には本気で怒る。さっきの記事がいい例だ、見も知らぬ他人の事件に本気で腹を立てた。心から被害者と遺族に同情して、犯人に怒った。そんなに感情移入しちまうんじゃ人が次々殺される推理小説なんか読めないんじゃないか』  「現実とフィクションは別って割り切ってる」  『お前はたぶん、今までの人生で、本気で人を殺したいと思った事がないんだ』  「……………」  『ボルゾイにあそこまでされても』  「………その話は、」  『一生トラウマになるレベル、下手すりゃカウンセリング通い。警察沙汰にもなるな。立派に傷害罪が適用される。そこまでされときながら秋山、お前はボルゾイを殺そうとはしなかった。殺意を抱いたのはあの時一瞬だ。そういうどうしようもなく真っ当なヤツなんだよ、お前は。性根が健全なんだ。たとえばボルゾイが危害を加えたのが聡史や妹なら話は別、お前はボルゾイを心から憎んで仕返しだって考えた、でも被害者は自分、我慢しよう……』  「むしかえすな」  『夢に見るだろ』  「………な、んで」  『あの時の事、今でもくりかえし夢に見てうなされるんだろ。びっしょり寝汗かいて飛び起きて、怖くて怖くて震えがとまらなくて』  「言ってねーのに、」  『お前からメール入る時間、夜の二時とか三時とか深夜の半端な時間帯。うなされて寝つけなくて、誰かに縋りたくて、ひとりぼっちでメールを打つ。寝る時は電源切って、チェックするのは朝だって言ったから……俺を起こすのは気が引ける、でも電源切れてるなら安心だ、一方的にくだらねー話するだけで少しは気が紛れる』  「麻生、ま」  『お前だって、言ってくんなかったじゃねーか』  「………は?」  『お前、言ったよな。こんな大それたこと、なんで一度も相談してくれなかったんだって。友達なのに、学校に爆弾仕掛ける計画、なんで教えてくれなかったんだって。その言葉そっくり返す。お前だって言わなかったじゃねーか。四月から夏休み入るまでボルゾイにいじめられて、制服の下痣だらけで……俺の前じゃ全ッ然、そんな素振り見せなかったくせに。体育ん時すみっこでこそこそ着替えるお前見て、ボルゾイと何人かくすくす笑って、おかしいなって勘付いて……でも、肝心のお前がへらへら平気なツラしてるから……』  「ちょ、ちょっとたんま。麻生、今気付いたんだけど、もしかして。俺と一緒に帰ってくれるようになったのって……心配して?」  『鈍感なんだよ、お前は。他人の痛みにばっか敏感で、自分の痛みはおざなりにして。だから付け込まれるんだ、ボルゾイなんかに。どこもかしこも隙だらけで見てるこっちがいらいらする……電話、切るぞ。バッテリーなくなりそうだ』  「麻生、」  『急げ秋山、カウントダウンは始まってる。爆弾のありかを突き止められなかったら俺とお前と校舎とで仲良く心中だ。第三のヒントは……』  「さっきの言葉、そっくり返す。過小評価はどっちだ」  『は?』  「勘違いだよ、それ」    携帯から伝わる戸惑いがちな沈黙に、走りながら息を吸い、答える。  「俺がボルゾイを殺さずにすんだのは、お前が助けに来てくれたからだ」  みずから境界線をふみこえて。  美術室の窓をぶち破って。  夏休み最初の夜、金属バッドを担いだ麻生譲は、境界線が消滅する爆心地に降り立った。

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