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第23話

 『先輩に呑ましたこと後悔しました』  携帯から沈痛な声。  『分際を弁え身を挺しとめるべきした。滝壺でモリアーティ教授に挑むホームズの如きバリツの気合で立ち向かえば悲劇は未然に防げたのにまあいっかと軽い気持ちでスルーしたばっかりに伝統あるミス研の歴史に拭い去れぬ汚点を残してしまった』  「缶チューハイ一杯でもたらされる悲劇っておおげさだぞ」  『思い出すのもおぞましく忌まわしい惨事がおきてしまった』  語尾が嗚咽に震える。  『先輩の将来を考えるなら一滴たりとも飲ませるべきじゃなかった、ホームズだって現役の医師たる助手ワトソンの賢明な忠告に従って艱難辛苦のリハビリの末モルヒネを断ったのに、俺は、おれはワトソン失格だ!!先輩から酒を奪っていさえすればそもそもあんな悲劇はおきなかった、先輩は気楽でお調子者で優しい先輩のまま青春の輝かしい思い出として永遠にその笑顔をとどめてくれたのにッ!』  「ちょっと待て、背景でガンガン轟音してるんですけど後悔極まって壁に頭突き!?」  『おにいちゃんやめて壁が壊れる!』『君、壁の耐震性を試すのはやめなさい』……ユキちゃんの可愛らしい悲鳴と婦警さんのクールな注意、激しく揉み合う気配からすると憶測が的中した模様。  携帯の向こうで出血するまで壁に額を殴打し、あの日の悲劇を防げなかった後悔と自責に咆哮をあげる聡史に引く。  悲劇とか惨事とかすでに泥酔した上での醜態の範疇をこえてる。  神保町遠征を終え麻生のマンションに泊まった夜の記憶は、酒をあおった時を境にプッツリ途切れてる。  麻生の挑発にのってどっかり胡坐くんでいざ乾杯ー……  暗転。  目覚めたら朝だった。  日はすでに高く、カーテンの隙間から眩い陽射しが入って目を焼いた。  俺は死体さながらリビングのど真ん中に大の字に寝転がり、現場にはビールや果実酒の空き缶が累々と散乱していた。  昨夜の事を聞いたら聡史は固く口を噤み、麻生はぱんぱんに膨らんだゴミ袋の口を縛りながら「お前もゴミに出したい」と言い放った。  ふたりとも目の下に隈ができていた。  「なあ、教えてくれ。あれから麻生の態度も変なんだけど、あの日、俺、なにやらかしたんだ?」  『………………』  「黙るなよ!怖えーよ!」  『おそろしくて……言えません……あの日の事は……思い出したくない』   「思い出したくないって……まさか、脱いでないよな?腹踊りとかしてないよな?」  『Yの悲劇……』  「Yの悲劇ってなに!?酔っ払い疫病神ヤンデレヤリチン!?」  『童貞でしょう』  「童貞だよ悪いか!?」  『先輩の尊厳を傷つけ人格を貶める発言は信義に反します。世の中には知らないほうが幸せな真実や暴き立てるべきじゃない秘密がある、日のもとにさらすべきじゃない酔っ払いの醜悪な生態があるんです、たとえるなら悪魔が来たりて笛を吹くの真相のように……四十六番目の密室のように……ああだめだこれ以上はとても、続きは麻生先輩に』  「おい聡史」  唐突に切れる。  「一体何があったんだ……」  ツーツーと不通音が漏れ出る携帯を手に放心、呆然としゃがみこむ。  自己同一性の危機に瀕し、床に跪いてたっぷり十秒ほど喪神していたが、喝を入れ思考を切り替える。   「秋山くん、今の電話は……」  「先生、懐中電灯貸してください」  不審顔の敷島に問答無用で手を突き出す。  敷島から懐中電灯を借り、ポケットに無造作に突っ込んであった二枚の記事をひっこぬく。  皺くちゃになった記事を手のひらで撫で付けのばし、床に並べ、懐中電灯の光で照らす。  携帯の液晶は光が足りず、小さな活字を読むのに苦労した。  保健室の床に跪き、穴のあくほど二枚を見比べる。  麻生が残したヒント。数少ない手がかり。  「必ず接点があるはずだ」  教師に脅迫され関係を強要された神奈川の女子高生、いじめを苦に自殺した鳥取の男子高校生。  二枚の記事を熱心に比較検証、隠れた接点をさがす。  集中時の癖で上唇をちょっとなめ、自分に言い聞かせるように呟く。  「麻生が無意味なことするはずない、必ず共通点があるはずなんだ」  「このふたつは麻生くんがのこしたもので間違いないのかね」  「こっちは教室、こっちは部室。どっちも机の上においてありました。間違いない、麻生はこの記事に託して俺になにかを伝えようとしたんです。重要なメッセージを……でも、肝心のそれがわからない」  髪をかきむしる。  敷島が隣に片膝つき手元を覗きこむ。  懐中電灯の光がくたびれた横顔に隠者っぽい陰影をつける。  「教室と部室……どちらも麻生くんにゆかりある場所だね。君たちにとって思い出深い場所だ。美術室もそうなのか」  「……麻生は……あの日、俺を助けにきてくれた。窓ガラスをバッドでぶち破ってとびこんで、自分からボーダーラインをこえて。そういうめんどくせーことしそうにねーキャラなのに。たまたま届いたメールに後ろ髪ひかれて、暗い夜道を突っ走って、まっしぐらにとんできた」  「そうか……」  記事に目を落としたまま敷島が感慨深げに呟く。  「夏休み明け、旧校舎の窓が割られていて騒ぎになった。犯人は見つからなかったが……麻生くんの仕業か」  ………………………………まずい。  「あ、いえ、センセ?話せば長いわけがあって、麻生だって別に好きで金属バッドで窓ぶち破ったわけじゃなくてですね、緊急時ゆえしかたなく……そうしねーと俺の貞操の危機に間に合わなくって」  「わかるよ、青春の暴走だね。私にもそういう時代があった。若者はだれしも通る道だ」  「いやわかってねーし違いますよ、むかし懐かしむ遠い目で納得しないでくださいよ。共感されても困りますって、麻生は別に学校に不満があって窓ガラス割って回ったんじゃなくて、絶賛監禁放置プレイ中の俺を助けるため泣く泣く金属バッドを手にとり」  「心配せずとも口外しない。今はそれどころじゃないしね。窓ガラス一枚なら権威に反抗し盗んだバイクで走り出す十七の夜の過ちとして大目に見る」  「自転車だったんだけど……」  弁護の成功にひとまず安堵の息を吐く……まだ誤解されてる気がするが。  寛大ぶってるけど実は思い込みが激しいだけかも、この先生。  一抹の不信を胸に、懐中電灯をツイと動かし検証作業にもどる。  「神奈川のレイプ事件と鳥取のいじめ自殺。共通点は被害者がどっちも高校生だってこと、学校が絡んでること」  「裏を返せばそれくらいしか接点が見当たらない」  「被害者ふたりが顔見知りだって可能性は……」  敷島が難しい顔で右の記事を指さす。  「こっちは十五年前の事件だ。レイプ被害者の女子高生が故人と顔見知りだったとしても、その頃は赤ん坊だろう」  「ですよねー……」  俺も同じ事思ったんだけど、指摘されると悔しい。  かたや神奈川の事件、かたや十五年前の鳥取の事件。被害者が両方とも高校生、現場が学校であることを除けば共通点はない。  もう一度あたまから読み返し、読み比べる。  被害者の顔、名前、事件の経緯、加害者のその後……  脳裏で何かが閃く。  麻生はこの記事に爆弾のありかがほのめかされてると言った。  最初の記事を発見した時、一読、告発かと思った。  その路線を突き詰めて考え、ひとつの可能性が浮かぶ。  「敷島先生は梶先生と親しかったんですか?」  「親しいと言えるほどの間柄じゃなかったが、同僚だしね。職員室で話くらいはしたが……彼はまだ二十代で若く外交的な性格をしていたし、私のようなおじさんとは話が合わないよ」  「梶先生はずっとこの学校にいたんすか?」  「何が言いたい?」  敷島の目が胡乱げに細まる。  柔和な顔に似合わぬ眼光の鋭さに生唾を呑む。  二枚の記事を交互の手にとりあげ、話す。  「麻生が梶先生を狙った動機を考えてたんです。さっき麻生ほど頭がいいヤツが無差別殺人に走るとは思えないって言ったっしょ、同感です。梶先生を狙ったからにはちゃんと理由がある。で、ぱっと思い付いたんです。記事で動機をほのめかしてるんじゃないかって」  「続けなさい」  教壇に立った時とおなじ温和な口調で促され、手に持った記事を順番に示す。  「鳥取と神奈川、一見接点はない。でも、どっちも高校でおこった事件だ。教師でも異動ってありますよね?被害者が繋がってる線が薄いなら、加害者が繋がってる線はないかって、ふっと思ったんです」  レイプ事件の見出しといじめ自殺の見出しを懐中電灯で順番に照らし、暗鬱に呟く。  「仮に、だけど。梶先生が十五年前鳥取でいじめられた生徒を見殺しにして……その後神奈川に異動して脅迫に関与してたら、恨まれる動機は十分あるんじゃないかって……」  「憶測でものを言ってはいけない」  「思いつきで言ってるのは認めます。でも梶なら、あいつなら……」  あいつなら人に恨まれる要素は十分ある。  現に俺だって、あいつを憎んでる。  敷島がため息をつく。  「残念だがはずれだ。梶先生は教員免許をとってすぐこの学校に来た、六年前だ。十五年前の事件に関わってるはずがない」  「……は、はは。やーっぱそうですよね。先走りすぎちゃったかも……」  冷静に考えれば現在二十代後半の梶が十五年前の事件に関与してるわけがない。計算が合わない。  待てよ。  梶は今年で三十だったはず、ということは十五年前は十五歳、高校一年生と仮定する。  いじめ自殺に追い込まれた被害者も同い年、当時の同級生の可能性は?  加害者の氏名は公表されてない、当時の加害者が成人し教師になったとしたら……  「梶先生の出身地は?」  「ここだよ。父親は地元の有力者、市議会議員。東京の大学を出て戻ってきたそうだ」  「へえ、金持ちのお坊っちゃんだったんだ。どうりで」  どうりで威張ってるはずだ、と後半は口の中で呟く。  またはずれ。俺の推理はいっかなあたらない。  この記事が動機をほのめかしてるというのは思いすごしか?  トランプを切る要領で記事をシャッフル、どうにも手札が少なすぎて糸口が見つからない。  「~麻生のヤツめ、もうちょっとわかりやすいヒントくれよ」  液晶のデジタル時計が残酷に時を刻む。  腕時計の秒針が小刻みに走る。  常に時間の経過を意識させられ、神経がささくれだつ。  苛立ちまぎれに髪をかきむしる俺を心配げにのぞきこみ、敷島が強い決意をもって口を開く。  「今からでも遅くない秋山くん、後の事は私に任せて家に帰るんだ」  「そんないまさら……」  「悪趣味なゲームに巻き込まれて家族や友達をおいて死んでもいいのか?」  真新しい包帯を巻いた手が肩にかかる。  闇に浮かび上がるその白さが麻生の悪意を象徴してるようで、不吉さを一層引き立てる。  敷島が俺の肩を掴み、自分の方を向かせ、妥協を許さぬ眼差しで言う。  「これはもうゲームじゃない、れっきとした傷害事件かつ犯罪だ。軽い気持ちで首を突っ込めば怪我をする。私としてもこんな言い方はしたくないが……君んちは母子家庭だろう?妹さんはまだ中学生だ。万一の事があったらお母さんが嘆く、妹さんも泣く。今ならまだ間に合う、君を待つ人たちのところへ早く帰るべきだ」  脳裏に浮かぶお袋と妹の顔を無理矢理かき消し、肩を掴む敷島の手から身をよじって逃れる。  「手紙を見せてください」  「………決意は固いのか」  「はい」  「心中する覚悟はあるのか」  「ないっすよ、んなもん。俺、絶対生きて帰るんだから」  麻生と一緒に。  説得が受け入れられなかった失意に沈む敷島に、多分に虚勢と希望的観測の入り混じった笑みを浮かべてみせる。  観念したようにため息ひとつ、ためらいがちに背広の内をさぐるも、次第に顔色が蒼ざめていく。  「…………センセ?」  笑顔が引き攣る。  敷島が体ごとこっちに向き直り正座、爆弾発言。  「すまない、秋山くん。おとしたみたいだ」  「―はあ!?」  脳天から素っ頓狂な声を発する。  抗議の声を上げ腰を浮かせる俺の正面、きちんと正座した敷島が不面目に頭をさげる。  俯いた表情は窺えないが、膝に指が食い込んでる。  「おとしたって、え、な、はあぁあああっ!?冗談っすよね!?」  「旧校舎からもどる途中でおとしたみたいだ……ばたばたしていたから気付かなかった」  「気付かなかったって先生ことの重大性わかってんの、あれ第三のヒントだよ、ピースが足りなくなっちゃうじゃん!?意味不明な記事も第三のヒントを足せば劇的な真相が浮かび上がるかもしれねーのに先生がドジったせいで振り出しだよ!?」  「申し訳ない」  どうぞ好きなだけ罵ってくれと深々うなだれ、全身で謝る敷島が批判の気勢を削ぐ。  怒鳴り飛ばしたい衝動を辛うじて堪え、こうしちゃらんねえと回れ右で引き戸を開け放つ。  「くそっ!」  「秋山くん!?」  「捜しに戻ります!」  保健室を後に一散に駆け戻る。  旧校舎美術室から新校舎保健室までだいぶ距離がある。タイムロスを呪う。  来た道を全速力で駆け戻る俺を敷島が追い、苦りきった面持ちで詫びる。  「私のせいで迷惑を……」  「いーってもーわざとじゃないんだから、気付かなかった俺も間抜けだから言いっこなし、謝ってるひまあんあら目を皿にして手紙を……おっことした場所心当たりねーの!?」  頼りなく首振る敷島に舌打ち、懐中電灯を持って先導しながら廊下のすみずみに素早く目を走らせる。  ここもちがう、ここもはずれ、ちがう、ちがう、ちがう……新校舎の階段を駆け上がりつつ懐中電灯を操作、足元に目を配る。  スニーカーの靴裏で階段を叩く、踊り場を抜けて二階へ、闇に沈む床を光の円盤で薙ぎ払う。    回線が接続する音がし、続いて不快な雑音が空気に混ざる。    『ー……が……で………』  「!?」  階段の踊り場で硬直、打たれたように頭上を仰ぐ。  手摺にすがって息を切らした敷島もまた異状を察し、目を細める。  「校内放送……?」  スピーカーから放たれるノイズまじりの声はひどく聞き取り辛い。  「麻生か……?」  単純な消去法の帰結。  俺たち以外にはだれもいないはずの校舎で、突如放送が流れたとしたら、黒幕は麻生だ。  踊り場に立ち竦み、敷島とふたり背中合わせに耳をすます。  『………いまさら抜けたいなんてなしだ……お前はさからえない……こっちには証拠がある……』  聴覚を研ぎ澄まし音声の断片を捉える。  『脅迫?……構わない………お前……俺……共犯………破滅……ザマケイ……』  ザマケイ?  不透明な雑音の膜が張った低い声に、脳の奥で既視感がふくらむ。  俺は、この声を知ってる。  「…………梶……?」  脅すような凄みを含んだ低く太い声は、たしかに梶のもの。  一喝されるたび心臓が止まりそうになったが、今スピーカーから放たれる声は優位を誇示する者特有の尊大ぶった余裕を含んでいる。  「なんで梶が……爆発に巻き込まれて病院送りになったはず……幽霊なんてオチ」  あるわけない。  でも現実に、スピーカーの向こうでは人が、重傷負って病院送りになったはずの梶が得々としゃべってる。  幻聴?空耳?心臓の鼓動が爆発しそうに高鳴り全身の毛穴が開いてドッと汗がふきだし、待て、平常心を保て、この放送はどこかおかしいノイズが酷い内容も不自然だ、まるで誰かと話してるような、相手の声だけ巧妙に消音処理を施したようなブツ切り……    「!?先生っ、」  突然、敷島が駆け出す。  それまで慄然と虚空を凝視していたが金縛りがとけ、踊り場を抜け、追い縋る俺を一顧だにせず廊下を疾走する。  「待って先生懐中電灯もってねーのに危ねーって、今行くから……」  「放送室だ!」  「え?」  「麻生くんは放送室にいる、放送室からこれを流してるんだ!」   敷島の目的が分かった。  校内放送から麻生の現在地を突き止め、まっしぐらに目的地をめざす敷島に触発され、懐中電灯をもって駆ける。  息切らし走る間も放送は続く、校内に複数設置されたスピーカーから断続的にノイズが挿入され不自然に途切れる声で『……お前は逃げられない……を、殺したのはお前だ……罪の意識に縛られてる……抜け駆けしようったってそうはいくか……』断線『逃げられない……を、殺したのはお前だ……』リピート『ザマケイ』断片『呪われてるんだ』リピート『俺?』嘲笑うような勝ち誇るような『これからもお前がいれば』詭弁を弄しなだめすかし『うまい汁吸わせてやる』猫なで声で懐柔する『お利口さんにしてろ』……  『忘れるな、俺とお前は共犯だ』  二十メートル先に放送室が見えてきた。  放送室まで二十メートルを残す廊下のど真ん中で携帯が鳴り、反射的にとり、怒鳴る。  「麻生、お前、そこにいるのか!?」    『カメラオブスキュラ』  「は……?」  『次のヒントだよ。カメラオブスキュラだ。よく意味を考えろ』  「なっ……、まだこのくだらねーゲーム続ける気かよ敷島まで巻き込んどいて!?」  床板が軋む。走る。日常が破綻する。世界が歪曲する。視軸が伸縮する。足が萎縮する。  「さっきの手紙何が書いてあったんだ、大切な事か、俺に伝えたいことなのか!?だったら手紙に頼らず直接口で言えよ!!」  『お前、悪童日記読んでどう思った?』  悪童日記。  麻生に借りて読んだ本。  『悪童日記は戦火を逃れるため狂人的な祖母の元に預けられた双子の兄弟の奇妙な生活を描く。作中を通して性描写が多く、不純異性交遊、児童買春、逆レイプ、集団強姦など生々しい描写のオンパレードとなっている。……賛否両論、好き嫌いがわかれる話だ』  面白いよ。……興味深い。  細胞分裂でも観察するような静かに凪いだ声を思い出す。  「俺、は……途中までしか読んでないけど、なんか、気持ち悪かった。面白かったけど、作中おこってることはすげー悲惨なのに、描写が淡々としてて。主人公の双子はまだ小せえのに、世界を斜めに見てるみてーな妙に冷めたところがあって……お互い傷つけあって痛みに耐える訓練とか、ぞっとした」  『健全な感想。お前らしい』  「予想してたのか、返し」  『一年近く付き合ってりゃいやでもわかる。覚えてるか、秋山。あの日お前、酔っ払って』  「途中までしか覚えてねーよ、酒飲んだとこから記憶がねー、一体全体俺なにしでかしたんだ!?」  『吐瀉物の後始末させられた』  「……ごめん、ほんとごめん、それは謝る。謝るけど、もとはといえばお前がヤケ酒かっくらってイッキ強要したのが」  『俺とはちがうんだな』    硬直。      『俺が共感した双子にお前は嫌悪を抱いた。俺たちの価値観は相容れない。どこまでいっても二本の平行線だ』    あの日重なり合った線がすれ違い、二本の平行線に分かれていく。  いや。  重なり合ったと思ったのは俺だけだったのか?  俺を置き去りに敷島が放送室のドアノブに手をかけ、おもいっきり引く。  愕然と剥かれた目、戦慄に凍りつく横顔。  敷島の視線を追って放送室の中を覗きこみー    暗闇の中、引き絞られた矢先がこちらを狙う。  「!危ね」   携帯を投げ捨て、膝を撓め、跳ぶ。  猛然と敷島を押し倒す、敷島の前髪が風圧で浮く、頬にマッチで擦ったような一瞬の灼熱、泳ぐ四肢傾ぐ肩を鋭利な風が削り背広が裂け床と激突打ち身の痛み、ふたり縺れ合って転倒した背後で鈍い音、壁を穿つ太い矢ー……  ボーガン。  ドアの開錠に連動してボーガンが作動する仕組みだった。  照準はドアを無防備に開けた侵入者の中心に絞られていた。   押し倒すのがあと一秒遅れていたら敷島は胸を貫かれ即死していた。  たった今、猛烈な勢いで風切る矢を射出した異形の装置が、暗い放送室の中心で異様な存在感を放つ。  「………はっ、ひ………ひあ」  間一髪、命拾いした敷島が腰をぬかし喘ぐ。  そんな敷島を、俺も笑えない。  互いに寄りかかるようにして体を支えていたが、漏らさんばかりに膝が笑っていた。  敷島と一緒に尻餅つき、壁に深く突き立つ矢を恐怖に蒼ざめ見上げるうちに、どこからか声がする。  『く………はははははははっ!』   「麻生…………?」  カメラオブスキュラの中から響く哄笑。  暗い箱の中で反響し狂気を増幅する笑い声。  よく考えれば校舎自体が巨大なカメラオブスキュラで俺はその中に閉じ込められて笑い声を響かす携帯も箱で、箱の中に箱があって入れ子細工で次元が歪み、麻生は一筋の光も通さない暗い暗い二重の箱の中で屈託なく笑ってる。  『命がけのゲームだ。勝ち残りたきゃもっと慎重になれ』  宣言し、携帯が切れる。  敷島を助け起こし、前方の闇に目を凝らす。  射出機の後ろ、操作盤の音量調節レバーにぶらさがった紐の先で小型のテープレコーダーが回ってる。  レバーにひっかけたレコーダーの中でテープが巻かれきり、それまで続いていた梶の声が、ようやく終わりを迎え途絶える。  熱風伴う高速の矢が掠った頬をぬるい液体が伝う。  「秋山くん、ち、血が……」  へたりこんだ敷島が、裂けた頬から滴る血を指さし戦慄く。  拭うのも忘れ頬から顎先へ伝った血が足元の床を点々と叩く。  麻生は俺の命を狙ってる。

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