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第42話
屋上から校庭に移ればちょっとした騒ぎになっていた。
開け放たれた校門から乗り込んだパトカーが五台、救急車が一台、赤色灯をめまぐるしく旋回させ夜を染め抜く。
「先輩!!」
パトカーの扉が開き、でかい犬が弾んでやってくる。
よく見たら犬じゃなくて聡史だった。
「おー聡史、ハッピーニュー……いやぁあああああああぁあああ骨折!?」
「俺、おれ、めっちゃじんぱいしたんすよ!!警察に突然電話かかってきて、よく聞いたらぜんぱいの声で、コンビニにいるはずの先輩がなんでか夜の学校にいて屋上から宙吊りで超ピンチで、刑事さんにむり言ってパトカーに乗り込んだんすから!!」
「背骨、背骨折れる!!」
顔に似合わずナイーブな泣き上戸なのだ、この後輩は。
「わ、わかったから聡史ギブ、ちょっと力ゆるめてくれねーと内臓でちゃう」
「せ、せんぱいに万一の事あったらおばさんとマリちゃんに申し訳たたねーしふたりに合わせる顔ねえし、お、俺先輩のこと心配で、先輩いたからこのガッコ来たのに、ガキの頃からずっと先輩は面倒見よくて頼りになって憧れで俺のヒーローで、先輩がもしいなくなっちゃったらって考えたらこ、怖くて、膝がたがたして、図体でけえのにかっこ悪……おれ柔道で鍛えたしからだもでっかいし、先輩の事守ってやるって心の中で!」
えぐえぐしゃくりあげる後輩の頭をよしよしとなでてやる。
扱いは慣れたもんだ。
聡史をなだめる方法は大型犬をあやすのと一緒、とりあえず気が済むまでハグしてやる。
中一の時に身長はこされた。
柔道初めて体格もりっぱになって、頭をなでてやりたくても背が足りなくなった。
だけど外見がどんなにむさくるしくなっても中身は昔のまんま、俺のあとついてまわった小学生の頃とおなじ純粋で心配性な聡史だ。
……久保田ってダチができてちょっとは先輩ばなれしたとおもったんだけどなあ。
「……俺、先輩の一大事に警察署にいて、そば啜ってて、なんもできなかった……情けねー……」
「あー……ずるずる啜ってたな……ひとが飢えてるのに」
「すびまぜん」
「怒ってねえよ。ちゃんとむかえにきてくれたじゃん」
赤く泣き腫らした目で謝罪する聡史の頭をぽんと叩く。
聡史がはにかむように笑う。つられて俺も笑う。
「俺、先輩のそういうとこ大好きっす」
「よせよ、改まって……照れるじゃん」
「というか先輩が大好きっす」
「?二度くりかえさなくていいよ」
「いやだから今のは真剣な」言いかけやめ、何故かしょげる。変な後輩。
ほのぼのぬるーい空気が流れる中、ぐちゃぐちゃに泣きぬれた顔を上げ、聡史が目を丸くする。
「あ、麻生先輩もいたんすか」
「俺はおまけか」
俺の隣にやってきた麻生が憮然と言う。
コートを脱ぎ、上腕の傷口に純白の包帯を巻いている。さっきまで警察と一緒に到着した救急隊員の処置を受けていたのだ。
「怪我はどうだ?」
「大した怪我じゃない。何針か縫うだろうけど」
「病院いかなくていいのか」
「ひとのこと言えんのか、そのなりで」
麻生が顎をしゃくる。
言われ、はたと戻り自分の身なりを確かめる。
ジャージはあちこち切り刻まれ血が滲んでいた。
捻挫した手首は湿布で冷却中。
頬の切り傷にはバンドエイドを貼り、袖をからげた腕に麻生と同じく包帯をぐるぐる巻き。
ナイフで刻まれた背中は熱を帯び痛みを訴える。
正直立ってるのも辛い状態だが、聡史を心配させたくない男気と、かっこ悪いとこ見せたくねー意地と見栄で虚勢を保つ。
自分の酷いなりを見おろし、憂鬱にため息を吐く。
「あ~……ジャージ買い換えなきゃな」
「せこい。開口一番それか。服より自分の心配しろ」
「血の染みクリーニングでおちっかな」
「聞いてねえし」
「待てよ、こないだ読んだ本に上手い血の染みの落とし方のってたような……ここまで出かかってんだけど」
こめかみをつつき悩む俺を見て、処置なしと麻生が首を振る。
「透ちゃん!」
「ユキちゃんもきてたのか」
聡史に遅れること数分、乗せてくれた刑事に丁寧にお辞儀をしてから聡史の妹のユキちゃんがやってくる。
俺の愚昧とちがって相変わらず素直そうで可愛い。
爪の垢とは言わないから、せめて枝毛の一本でも煎じて飲ませればうちの妹もユキちゃんのように素直で可愛くお兄ちゃんと懐いてくれるんだろうかと虐げられる兄の現実逃避な妄想がふくらむ。
事件に巻き込まれた……実際そうなんだけど……ような俺のなりを頭のてっぺんから爪先まで見詰め、ユキちゃんが心配げに顔を曇らせる。
「透ちゃん、だいじょうぶ?どこも痛くない?」
「この通りぴんぴんしてるし、歩いて帰るよ。ママチャリもとめてあるし」
「大変だったんだよ、きょうは一日。お母さんに頼まれて買い物いったらちかくで爆発あって、おにいちゃんのガッコの先生だっていうから見にいったら、警察の人に連れてかれちゃって……でね、ずっと警察にいたの」
「そか。刑事のおじさんに怖い事されなかった?」
ユキちゃんと話すときの癖で、ひょいと屈み視線の高さを合わせる。
ユキちゃんに限らなくても子供と話す時の常識だ。
「ううん、全ッ然。優しい婦警さんもいたし、大丈夫だったよ。お兄ちゃんはびびってたけど」
「余計なこと言うなユキ」
「待合室のソファーで膝抱え込んでたのはホントの事じゃん。私すごく恥ずかしかったんだから。酔っ払いの人もじろじろ見てくるし、逃げちゃだめだー逃げちゃだめだーってひとりごとうるさいし。しかも似てないし」
「うるせー」
「それでね、順番くるまで待合室でおそばご馳走になって待ってたんだけど……ついさっき、電話がかかってきて。刑事さんたちがばたばたしだして。なんだろうって近付いてみたら、電話から透ちゃんの話し声が聞こえてくるからびっくりしちゃった。おにいちゃんパニクって大変だったんだよ?待っててください先輩今すぐ駆け付けるっスーってパトカー乗っ取らんばかりの勢いで、刑事さんに羽交い絞めにされて後ろに放り込まれて」
「電話の向こうにいるのは俺の大事な先輩だって言い張ったら乗せてくれたっス!」
「きっとおにいちゃんにパトカー壊されるのいやだったんだよ」
なるほど納得。
署で待たされ中の聡史とユキちゃんがなんでここにいるか勘繰ったが、電話の声から俺を特定し、刑事に無理言ってパトカーに乗せてもらったらしい。
警察も警察で、正体不明の通報相手がたまたま場に居合わせた高校生の知人とわかれば、行きがかり上連れてこざるをえまい。
「それで先輩、警察署でだれに会ったとおもいます?意外な人物……」
「秋山、麻生!!」
含みありげな聡史の台詞をさえぎり、バタンと開け放たれた車のドアから意外すぎる人物が駆けてくる。
「先生!?」
たった今、聡史とユキちゃんが乗ったのとは違うパトカーの後ろから転げ出たのは、なんと俺たちの担任。
極道まがいの強面は相変わらずだが分厚いどてらを羽織り、右手に割り箸、左手にどんぶりを持ったまぬけなかっこは殆ど体当たりのコント。
真冬にサンダル履き、しかもどてらの下はジャージというずぼら出不精極まれりないでたちの担任が正面に来るのを待ち、全力で突っ込む。
「ーってセンセ、なんで大晦日にラーメン!?邪道!!」
「ラーメンをばかにするなラーメンを、先生の友人経営で大晦日でも出前を受け付けてる良心的な店だぞ」
「それはどうでもよくて!待て、なんでジャージ、しかもどてらとの組み合わせどうなの!?」
「お前こそなんでジャージだ、まねするな」
「まねじゃねえよ、俺はうちじゃいつもジャージって決めてんだよらくだし落ち着くんだよ!」
「俺も一緒だ、休み中は大抵ジャージでごろごろしてる」
「先生と同レベルなんてショック立ち直れねー、HP一気に50もってかれた!!しかもラーメン啜りながらしゃべるなよ、ひとの話真面目に聞けよ!!」
「お前だってホームルーム中俺の話聞いてないだろ!!」
不毛すぎる口論にドッと疲れる。
「先生はなんでここに?」
「梶先生に大事があったと警察に呼ばれたんだ。マンションで爆弾が爆発したとか……あー、刑事ドラマでよくある……同僚に事情聴取ってヤツか?警察の話だと梶先生は腹を刺されてたっていうし、他殺の線も疑われてな。一時間前に連絡網が回って、教師全員に召集がかかったんだ。ひとり、古典の敷島先生にだけ連絡とれなかったんだが……」
なにげなく発した敷島の名に息を呑む。
「しかしまあ晩飯もまだだし警察のご好意とやらで出前をとってもらったんだから、箸付けると同時にばたばたしだしてな。沢田の話だとお前の身に大変な事があったっていうし、なんかったら俺が責任とらせるってんで、めんどくさいのおして一応来てみたんだが……」
ラーメンを食べ終え「馳走さん」と合掌、どんぶりを綺麗にからにし俺たちを交互に見比べる。
「だいじょぶか?」
いかにも気遣うのに慣れてないぎこちない口調で言う。
多分、生徒に本心を見せるのが苦手な人なのだ。
「……とりあえず、生きてます」
「そうか」
間一髪、刑事が鉄扉をぶち破って刑事がなだれこんでくれたおかげで命をとりとめた。
敷島は刑事数名に取り押さえられ手錠をかけられた。
抵抗の素振りはなく、逃げられないと観念したのか至って大人しいものだった。
屋上は封鎖された。
校庭は喧しい。
怒号の応酬に煽られ、殺気だった喧騒が場を包む。
「刑事さんがね、近くの派出所からすぐパトカーだしてくれたの」
「間に合ってよかったっす」
「しかし梶先生は災難だったな、大晦日に爆弾が送り付けられて……いや、直接の死因は刺殺か?誰がそんな事……」
担任がひとり言をもらす。俺は聞かないふりをする。俺から話さなくてもじきにわかることだ。
麻生はどうなるんだろう。
梶を殺したのが敷島でも、梶宅に時限爆弾を送りつけた事実は変わらない。
やっぱり罪に問われるんだろうか。
未成年の事情と動機を鑑みて罪は軽くて済むかもしれない。情状酌量の余地は十分にある。
けれど。
実際梶を殺したのが敷島でも、麻生が明確な殺意を持って爆弾作りに手を染めたのは揺るぎない事実であって。
敷島のあと少し訪問時刻がずれていれば、麻生が作った爆弾こそが梶を殺していたかもしれなかった。
「麻生」
ありったけの勇気をふりしぼって呼ぶ。
ここじゃない、どこか遠くを見る麻生を振り向かせようとする。
麻生がかすかに反応を示す。
俺の声で現実に引き戻され、虚空に投じた視線をゆっくりとこっちにー……
「やあみなさん、おそろいで。関係者一同おそろいで、事情聴取の手間が省けてラッキーですな」
バタン。
一番手前のパトカーの扉が開き、胡麻塩頭の初老男がのらくらと歩いてくる。
背広のくたびれ具合と着古しトレンチコートの揺れが侮りがたい。
和製コロンボの風格に不覚にも胸がときめく。
「うちのカミさんがそばゆでて待ってるんでなるだけ早く帰りたいんですが、このぶんだとまーた残業になりそうですなあ。年越しそばは諦めて年越しちゃったそばにしますか」
「うちのカミさんて言った!」
「たしかに言いましたっす先輩、聞きましたっすこの耳ではっきりと!」
おもわず聡史と顔を見合わせはしゃぐ。和製コロンボの見た目とミステリマニアの期待を裏切らない人だ。
コロンボ似の初老刑事はそんな俺らを妙な目で眺めていたが、咳払いで気を取り直し、おっとり口を開く。
「きみが署に連絡をくれたのか」
「はい」
「大変だったね、大晦日に……ところで被害者の梶晴満さんだが、自宅からいかがわしいビデオから押収されてね」
「いかがわしいというと?」
三十路で独身の担任が興奮に鼻の穴ふくらませ、聡史がはっしとユキちゃんの耳を塞ぐ。
「無修正と言いますかね?そういうのがわんさか……しかも、中に犯罪の証拠が混じっていまして。この学校の近くにありますでしょ、廃工場が。映像の状況からすると、どうもそこで撮られたらしい。普通のAVじゃないんですよ、これが。強姦、輪姦……人道的によろしくないたぐいですな」
担任の顔が強張る。
聡史の顔色が蒼ざめる。
耳を塞がれたユキちゃんだけわけがわからずきょとんとする。
「どうも被害者は売春組織の元締めのまねごとをしてたらしい。親がね、地元で有名な建設会社の社長とかで。そこの次男だったんですよ、ガイシャは。後ろ盾、人脈……組織を作り上げるに足るコネはそろってますな。ほかに有力な証言も得られましたし」
「有力な証言?」
探るような担任の言葉に、刑事は聡史へと柔和な視線を転じる。
「沢田くん……だったっけ?」
「はい」
背筋を正す聡史に鷹揚に微笑みかけ、両手をトレンチコートのポケットに突っ込み耳打ちする。
「君の前に取調べを受けていた久保田くんがさっき証言した。同じ学校の先輩に陰湿な暴行、恐喝を受けていた事。主犯は二年の伊集院。他にも大勢被害者がいるそうだ。実は以前からちらほらその手の被害届が出されていてね……恥ずかしながら身内―警察に協力者がいて上に届く前に握り潰されていたんだが、梶の死と久保田くんの証言がきっかけとなって立件できそうだ」
「久保田が被害届を……?」
聡史が言葉を失う。
刑事はひょいと肩をすくめる。
「刑事と接した際の怯えぶりが普通じゃなかったら、これは匂うとおもってせめたのさ。可哀相に、あの子もだいぶ悩んだみたいだ。相当脅されたみたいだね。しかしとうとう口を割ったよ。いや、私らはガイシャの死に関わってると睨んだんですが……実際は自分がされた事を必死に隠していたわけだ」
「刑事さん、久保田になにしたんすか」
聡史の声が険と凄味を含み低まる。
年嵩の刑事に対しても一歩も怖じず譲らず、ここにはいない友達を弁護するように前に出る。
おどけて両手を上げ身をひくや、刑事は眩しげに目を細め笑う。
「誤解だよ、何もしてない。あくまで彼からすすんで話してくれたんだ。だが、ね……まさか点が線に繋がるとはね。久保田くんはあらいざらい話してくれると約束したよ。決断には時間がかかったが、途中何度もちらちらドアの方を見ては、重い口を励まし話し続けた。ドアの外、待合室の長椅子に座る君に勇気を得てね」
聡史から担任へと向き直り、目を眇める。
「梶が手足として使ってた実行犯の中に、おたくの生徒が含まれていたようですな。伊集院とかいいましたか……夏休み中に自主退したそうですが」
「アイツが!?」
「現場に捜査の手が入って、隠れ家として使っていたマンションが分かりました。そろそろ……」
懐で携帯が鳴り出す。
即座に抜き出しボタンを押す。
担任や聡史と接していた時とは別人のような厳しい声で指示を出し、通話を切ってからにっと笑う。
「部下から連絡です。たった今、実行犯一味を逮捕しました。連中、ピザの宅配と勘違いしてあっさりドアを開けたそうです」
ボルゾイが逮捕された。
野卑な笑みを浮かべた刑事の言葉に、膝が砕けそのままへたりこみそうになった。
情けない話、まだ心のどこかでボルゾイの影におびえてたらしい……それにしちゃあっけない幕切れだけど。
刑事は寒さに身をちぢかめ嘆かわしげに首を振る。
「しょうもない連中です。踏み込んだ時車座でピザ待ちながら、さて、なにしてたと思います?ビデオ鑑賞会です。梶が提供した隠れ家にぬくぬくこもって自分らが撮ったビデオを見てたんですよ。バカといいますか、実に呑気なもんです。ばっちり犯罪証拠を掴みました」
「ご愁傷様」
失笑を禁じ得ず俯く。
安堵と自嘲と元同級生への一抹の同情を抱く。
こっそり麻生をうかがえば心なし気分良さそうな顔をしていた。
「ここだけの話、私らも怪しい動きには勘付いていたんです。数年前から地元でおかしな組織が根を張ってるらしいって。ただしなかなかしっぽが掴めなかった。はは、それもそのはず、被害者は地元有力者の息子ですからね……生臭い話、親の人脈やら裏の繋がりやらで捜査の手がなかなか核心にのびなかったんです。死人がでたってのにこんな言い方は不謹慎ですが、今回の事件はいいきっかけになりました。がさ入れの手間も省けましたし。先生には後日くわしく事情をうかがうことになるでしょうね。ま、よろしく頼みますよ」
「はあ……」
担任が気抜けした様子で呟く。
元教え子の伊集院が実行犯として関わっていた事にショックを受けてるらしい……ちょっと気の毒。
なめたように綺麗などんぶりと箸をもったまま、間抜けな対応をする担任の横で、聡史が切実に込み上げるものを噛み締め呟く。
「久保田……頑張ったんだ……」
久保田をはじめとした被害者の傷は深い。
これから警察に取調べを受ける中で、世間の偏見とか中傷とか無理解とかで辛い目にたくさん遭うだろう。
しかし久保田はそれを覚悟の上で、ありったけの勇気を振り絞って自分の体験を話した。
刑事に直接取り調べられたのだけが告発に至った理由じゃない。
担当者の取調べ手腕が優秀だったのもあるだろうが、久保田はきっと、悩んで悩んで悩みぬいて最良の選択をしたのだ。
聡史に恥ずかしくない自分になろうとして。
取調室のドアの向こうで待つ友人に胸を張れるようになりたくて、凄まじい心の葛藤を経て、弱虫を克服した。
「おかしいなっておもったんだ。現場でふざけてただけなのに、大晦日忙しい中、何時間も足どめされて……刑事さんだって暇じゃねーのに」
「君についていてほしかったんだそうだ、久保田くんは。……わがままを責めないでやってくれ」
「あたりまえっす」
子供っぽくあらっぽいしぐさで目から出た塩水をごしごし拭う。
泣き顔を見せまいと唇を噛む聡史の、タワシのような剛毛の髪をくしゃりとなでてやる。
「久保田は強いな」
「自慢の友達です」
聡史が最高の笑顔を見せる。一皮むけた男の顔。
俺がいなくてもこいつはもう大丈夫なんだろうとおもうと、一抹の寂しさが胸を吹き抜ける。
「……ところで君たちふたりは、えーと」
「あ、御手洗高二年の秋山透です」
「麻生譲」
肩を並べた俺たちふたりをしげしげ見比べ、コロンボ刑事が思案げに顎を揉む。
「なんで学校にいるんだね。今は冬休み中だろう」
「あ」
……まずい、言い訳用意してねー。
説明に窮し、口パクの醜態をさらす。
刑事がますますもって疑念を強め、眉間に縦皺をきざむ。
「夜の学校から通報があって、急ぎ駆け付けてみれば屋上に人影があった。きみたちは体の至る所にけがをして、そばにはナイフをもった男がいた。様子が普通じゃない。しかもあの男……きみたちの近くにうずくまっていた……この学校の教師だそうだが。話を聞いて驚いたよ。梶殺しを自供した」
戦慄が走る。
担任と聡史が顔に疑問符を浮かべる。
刑事はコートのポケットにだらしなく手を突っ込んだまま白い息吐き言う。
「梶は自分が殺ったと全面的に認めた。詳しい事情は署で聞くが……彼も梶が作り上げた売春斡旋組織に関わっていたんだね。六年も前からというから驚いた。母親の手術費を工面するためしかたなく、か……六年間心安まるひまがなかったとは可哀相な男だ」
「可哀相なもんか」
唾棄する麻生に刑事はちょっと目を見開き苦笑い、首を傾げるようにして矛先をそらす。
「ふしぎなのは何故よりによってこの日に、大晦日にかねてよりの計画を実行に移したかって点だ。なにもこの忙しい時期に、ナイフを忍ばせ怨敵のもとへ向かわなくてもいいじゃないか」
俺も疑問だった。
麻生の計画と敷島の殺人がたまたま重なった、はたしてそんな偶然があるのだろうか?都合がよすぎる。
疑問を孕む俺の眼差しと、刑事の追及の眼差しとを同時に受け、麻生がなにか言いたげに表情を動かす。
「それは……」
「ちゃんと歩け!」
言いかけた答えを制し、むこうで怒号があがる。
全員そろって顔を上げ、そちらをむく。
若く体格のよい刑事ふたりに挟まれ連行されていくのは……敷島。
屈強な刑事ふたりとの対比か、悄然とした足取りとうなだれた顔ゆえか、その姿は屋上で対峙した時よりひとまわりも小さく見えた。
パトカーの赤色ランプが気まぐれに照らす顔は一気に老け込み、頼りない足取りに合わせくたびれきった背広が揺れる。
「敷島先生……何故ここに?」
箸とどんぶりを交互の手にもった間抜けなポーズで担任がいぶかしむ。聡史とユキちゃんが兄妹そろって首を傾げ気味に敷島を目で追う。
コロンボがぴしゃり額を叩く。
「私としたことが、そうだ、肝心の名前を言ってませんでしたね。彼が梶殺しの犯人なんですよ」
「は?」
担任の目が点になる。
「は、ははははっははっははは!人が悪いなあんた、よりにもよって敷島先生があの若造を殺したなんて言うに事欠いて……あんたの話で梶がとんでもなく腐ったヤツだってのはわかった、けど敷島先生は違う、敷島先生はこの学校に古くからいて、真面目で、生徒おもいで、俺も来たばっかの頃さんざん世話んなって……あのひとが人殺しなんかするはずないだろう」
「事実です。認めたくないのはわかりますがね」
重ねて抗議の声を上げかけるも、傷だらけの俺と麻生をおもいだし、激情を制して威圧の声を出す。
「刑事さんの話は本当か?そのけがも、敷島先生がやったのか」
敷島は前に回した手に手錠を嵌められていた。
完璧犯罪者扱いだった。
したことを考えれば当然の処遇だが、胸が痛む。
俺は教壇に立つ敷島を知っている、最前列で堂々居眠りする俺を苦笑で見逃してくれた優しい先生を知っている。
全部世を偽る姑息な演技だったとはどうしてもおもえない、信じたくない。
胸の内で痛みが荒れ狂う。
敷島は鈍重な足取りでパトカーへむかう。
歩みの鈍さに痺れを切らした刑事が声をあらげ、手錠を乱暴にひっぱる。
小突かれても抵抗せず、頼りなく傾ぐ。俯き加減の横顔からは一切の覇気が消え失せている。
屋上でナイフを振り上げた時とは別人のような魂の抜け殻ぶり。
パトカーの手前まで来た時、おもむろに麻生が動く。
「敷島」
低く静かに呼びかける。
決して大きな声じゃないにもかかわらず、刑事や鑑識の話し声でうるさい中、麻生の声はよく響いた。
校庭の砂を踏み、蹴散らし、敷島に接近する。
「君、なにを」
部外者の予想外の行動に、血気さかんな若い刑事が気色ばむ。
歩み寄る麻生を制しかけ、「まあまあ」とコロンボにとめられる。
コロンボはコートに手を突っ込み、興味深げに麻生の行動を眺める。
聡史と担任は困惑顔。
俺はというと、気付けば足が勝手に動き麻生の背中を追っかけていた。
両隣の刑事の牽制も意に介さず、ずたずたに切り裂かれたコートで敷島と対峙する。
鼻の高い端正な横顔と黒いコートを鮮烈な赤色が染め抜く。
麻生は抑揚なく促す。
「遺書、開けろよ」
「………」
「また失くしたなんていうなよ。もってるんだろ」
口の端をかすかすに吊り上げ嘲弄する。
敷島は無言。
焦点の合わぬよどんだ目で、皮肉げな麻生の顔を見返す。
「怖いのか」
「…………」
「あんなにほしがっていたじゃないか。……知りたがっていたじゃないか、真実を。あれが欲しくて、わざわざ梶を殺してから夜の学校にきたんだろ。俺がなに企んでるか薄々察しながら、危険を承知でやってきたんだろ」
「……………」
暴風の如き狂気が去り、殺意が沈静した今の敷島からは、俺を戦慄せしめた人殺しの面影が払拭され、そこにいるのはただただ生活に疲れ果てた孤独な男だった。
俺がよく知ってる、気弱で優しい先生だった。
「読めよ」
「……私は」
「怖いのか?」
「……もう終わった。私は……圭の遺書を開く資格がない」
「あんたには圭ちゃんの遺書を読む義務がある」
「ニセの答案までしこんで、本物の遺書を私の手から遠ざけようとした生徒の発言とはおもえないね」
敷島が苦笑する。
目には苦味を帯びた自虐の光。
敷島の皮肉は意に介さず、麻生は無言で歩み寄り、左右の刑事に断りもなく敷島の背広の袷に手を入れる。
「おい、被疑者に勝手にさわるな!!」
被疑者の呼び名が、胸に刺さる。
「いいから好きにさせてやろう」
「ですが警部」
「最後の別れになるかもしれないんだ。教え子と恩師の話をじゃましちゃいけない」
コロンボが積んだ経験と年の分だけでかい度量を示す。……どうでもいいが階級はやっぱ警部だった。
不満げな刑事に挟まれた敷島は、背広の袷を無抵抗にさぐらせている。
スリ顔負けの手際で封筒を抜き取り、敷島の目の位置にそれをかざす。
「座間圭が六年前残した本物の遺書だ。読んでから行け」
遺書はおそらく、梶と敷島が与した犯罪を告発し糾弾する内容で。
「……卑怯者、腰抜け、裏切り者、偽善者。どれだろうね」
「人殺しもくわえとけ」
梶と敷島の犯罪を暴露し、自分を死に追い詰めたふたりを非難する内容に違いない。
警察の前で読み上げれば、過去の犯罪をも暴き立てられる。
敷島はどうしても封筒を開けられなかった。
麻生がいくら挑発し促しても遺書に目を通せなかった。
屋上で俺にナイフをあてた敷島の顔には純粋な恐怖と壮絶な葛藤があった。
敷島こそだれより真実を知るのをおそれていた人間だった。
「その手じゃ不自由だろう。代わりに開けてやる」
そっけなく言い捨て、わざと時間をかけゆっくりと封筒の口を開ける。
中から取り出した便箋には、何度も読み返したらしくくっきり折り皺が付いていた。
几帳面な手付きで便箋を広げる。
文面に目を落とす横顔をランプが血の色に染める。
声をかけるのを忘れた。
便箋に目を落とした麻生の横顔が、あんまり厳しくて、孤独で。
細めた双眸がここじゃないどこかだれかを見ているようで、胸が詰まる。
無言で敷島に便箋をさしだす。
一瞬怖じ、あとじさる気配を見せた敷島に許さず詰め寄り、強い眼光で見ろと強制する。
口を開き、喘ぐようにまた閉じ、一回目を閉じる。
閉じた瞼のむこうで激しい感情が吹き荒れる。
駆け引きに勝利したのは麻生。敷島は圧力に屈し、ゆっくりと目を開け、麻生に歩み寄るー………
真空に吸い込まれるような静寂。
麻生がさしむけた便箋をのぞきこんだ敷島の顔、すべてに疲れきったその顔が豹変する。
「あ……………」
驚愕に目を見開く。
絶望と希望が綯い交ぜとなった泣き笑いに似た表情がやがて歪み、唇がかすかに震える。
一定の間隔で回る赤色ランプが照らした文面は、たった二行、そっけないものだった。
『敷島先生へ
好きでした』
「好きのあとに消したあとがあるだろ。……好きですって書いて、過去形に直したんだ。自分が死ぬことがわかっていて」
人柄が伝わってくる几帳面な文字。
便箋にかすれた鉛筆書き。
乾いた涙のあとでところどころへこんでいる。
生前の圭の涙か
過去の麻生の涙か。
俺にはわからない。
知るよしもない。
「………圭………」
敷島の唇が震え、衣擦れにかき消えそうな、かすかな呟きをもらす。
圭と、敷島はそう呼んだ。
生徒を下の名前で呼んだ。
『圭の遺書を渡せ!』
屋上の絶叫が甦る。憤怒の形相が甦る。別人の如く豹変しナイフを振るう敷島、座間圭の遺書を奪うため躍起になった姿を思い出す。
『圭は優しい子だった。私は圭の特別な存在でありたかった』
静かな妄執を感じさせる口調、
『私の時は間に合わなかった』
後悔と絶望に打ちのめされ、膝を折った姿。
ひょっとして、俺は、とんでもない誤解をしてたんじゃないか?
「遺書じゃなくてラブレターだったんだ」
手紙を畳みながら麻生が言う。
敷島は瞬きも忘れ麻生の手の動きを追う。
「……圭ちゃんはあんたが好きだった。遺書を読んでわかった。最後の最後、恨み言でも泣き言でもなく、どうしても伝えたい言葉がそれだったんだ。全部あんたの妄想、罪悪感が見せた幻覚だよ。びびんなくたって、ナイフ振り回して取り戻そうとしなくたって、圭ちゃんの遺書には最初っから梶の事も梶が作り上げた組織の事も書いてなかった。罵倒も呪詛も一言もなかった。ただ……過去形になってもいいから、想いを伝えたかったんだ」
俺は生前の座間圭を知らない。
麻生がそこまで盲目的に慕う座間圭が、敷島がそこまで執着する座間圭がどんな少年だったか知らない。
ただ、俺に言える事は。
座間圭は死ぬ前に書いた手紙で、呪詛も罵倒も一言も書かず、大好きな人へ気持ちを伝えていた。
死ぬ前にどうしても言いたい台詞がそれだった。自分の口では直接伝えられなくてもいつか知ってもらいたいと、本当の想いを手紙に託した。
優しく真面目で不器用な圭ちゃん。
麻生が大好きだった人。
敷島が愛した少年。
ふたりの心の拠り所。
「……俺の事、書いてなかった。あんたに敗けたんだ」
勝ち負けで語ることじゃないけれど、自嘲的に呟く麻生の声は救いがたい悲哀を帯びているように聞こえた。
一瞬、六年前の麻生が顔を出したようだった。
「俺は多分、あんたに嫉妬してた。圭ちゃんが好きだったあんたに……たった一人、遺書に名前が出たあんたに。だから真実を知りたくてここに来た。圭ちゃんが先生を付けて呼ぶのはここの教師だろうとあたりを付けて、進路を決めた。予想どおり、あんたはすぐ見付かった。正直、こんな冴えない中年のどこに圭ちゃんが惹かれたのか理解不能だったけど……男の趣味、悪かったんだな」
麻生、笑うな。
そんな痛い顔して笑うな。
「血は繋がってないのに、俺と一緒だ」
一呼吸おき、封筒をコートの袷にしまう。
「あんたは勘違いしてる。俺は圭ちゃんの遺書で真相を知ったんじゃない、自力で調べ上げたんだ。執念だよ。中学から、足かけ……五年か。マンションに移り住んで、自由が利くようになってから本格的に調べだした。金には困らなかった。金さえばらまきゃ皆おもしろいように口を開く。金も、コネも、体も、使えるもんはなんでも使った。結果、わかったこと……梶に近付いたのは、直接懐にとびこむのが一番確実に情報を入手できるとおもったからさ」
眼鏡の奥から投げかける視線が茫洋と虚空をさまよう。
「圭ちゃんを自殺に追い込んだやつら、全滅させるつもりだった」
凄まじい執念、復讐心。
目的のためなら手段を選ばず、世界で一番憎む男にも体を売る。
「圭ちゃんは、どうしてあんたなんかを」
麻生の告白に現場が水を打ったように静まり返る。
担任も聡史もユキちゃんも、おおいに戸惑っている。
敷島は深々俯く。
麻生の糾弾をあまんじて受け、全身で懺悔するが如くうなだれる。
「どういうことだね?」
コロンボが動く。
トレンチコートの擦り切れた裾を揺らしふたりに接近、意味深な目で顔色をさぐる。
麻生も敷島も黙秘を知るや長く息を吐き、フケの散った髪を振り乱す。
「……まあいいか。立ち話もなんだし、詳しい話は署で聞くよ。きみにもご同行願うが、いいね?」
口調こそ柔和だが、譲らない意志を秘めていた。
眼光鋭く確認をとる刑事に麻生は頷きもせず、しかし拒否もせず、刑事に背中を押されるがままパトカーに歩を向ける。
「待ってください刑事さん、けがしてるんですよ、病院が先っしょ!?」
「病院行くほどのけがじゃないだろう。手当てなら警察でもできる」
「彼にはほかに聞きたいこともあるしね。……屋上に転がってた黒い箱、あれ、何?おんなじものが梶の自宅から出てきたんだけど」
しまった。
俺の顔色がさっと変わったのを目の端で見てとり、野卑に唇をめくる。
「梶殺しはそこの先生が吐いたけど、爆弾おくった犯人は謎のまま。はて、誰だろうね?君、麻生くんだっけ。被害者宅から押収したテープにおもしろいもんが映ってたんだけど……」
殴りかかるのを我慢した自分を褒めてやりたい。
実際こぶしを振り上げるところまで行ったが、後ろからがしっと手首を掴まれ、よろめく。
振り返ればおっかない顔の担任がいた。
「ジャマすんな先生、生徒が警察に連れてかれよーとしてんだぞ、なんとか言っ」
「俺の生徒に手を出すな」
「は?」
ヤクザな担任の台詞とおもえず耳を疑う。
しかし担任は大真面目な様子で、片手にからのどんぶりをもったまま、獅子吼するが如き気迫に満ちコロンボに立ち向かう。
「麻生先輩を連れてくなら俺も、俺も行くっす!どうせ三時間四時間も警察に長居したっす、このまま徹夜も覚悟の上っす!!」
「私もおにいちゃんと一緒に行く!」
事情がよくわからぬなりに聡史とユキちゃんが加勢に入り、心強い味方を得た担任が共同戦線をはって、刑事たちと揉み合いを始める。
「先生、聡史、ユキちゃん……」
現場が騒然とする。
聡史ユキちゃん担任の三人は喧々囂々刑事とやりあい、コロンボが渋面を作り説得にかかるも耳を貸さない。
ここからが正念場。
担任は野太い雄たけびをあげ太い腕ぶんまわし警察の若造相手に本職ヤクザ顔負けの奮戦を見せ、聡史は聡史で後ろにまわりこみ羽交いじめにかかった刑事に見事な背負い投げをくらわせ、ユキちゃんは「おにいちゃんかっこいい!」と黄色い声援を送る。
ぼんやり立ち尽くす俺の脳裏で、なにかが閃く。
大立ち回りを演じる面々にあっけにとられる麻生、手錠をかけられ立ち尽くす敷島、ふたりの顔を見比べ
『涙を流す肖像画』
『敷島先生へ 好きでした』
もし座間圭が、敷島に恋してたなら?
敷島の身勝手な思いこみじゃなく、ふたりが互いに思い合っていたんだとしたら、証拠があるはず。
俺は可能性に賭ける。
「!?おい秋山、どこいくっ!!」
「先パイちょっ、この状況でトンズラはなしっす、鬼畜っす!!」
「透ちゃん最低、見損なった、マリちゃんにちくってやる!」
……最後の一言が地味に一番きいた。
理想の妹、ユキちゃんに幻滅されるのは辛い。
不審顔の麻生と敷島と刑事たちと喧嘩中の面々に背を向け、全速力で校庭を突っ切り、土足で校舎にあがりこむ。
めざすは美術室。
床を蹴り、加速し、がむしゃらに肘をふり、息と鼓動を弾ませる。
『敷島先生へ 好きでした』
耳の中でリフレインする声
脳裏に再生される文面
座間圭が本当に敷島と愛し合ってたなら、遺書のほかにも証拠をのこしたかもしれない。
梶に目を付けられぼろぼろにされ、もう死ぬしかないとこまで追い詰められて、でもそれでも敷島を好きだって気持ちが本当だったなら、手紙のほかになにかを残したかもしれない。
肖像画が流す無念の涙。
下に透けて見える真実。
美術室の引き戸をガラリ開け放ちとびこみど真ん中に放置された絵をひったくる、七不思議だとか呪われてるとか関係ない、呪いは実際なかった、七不思議は捏造だった、でも肖像画の顔が汚れてるのは本当だ、この謎をどう解明する?
説明は付く、合理的に。
「絵を隠すなら絵の中!!」
座間圭の素顔をじっくり見てるひまはない。
絵を小脇に抱えまた全速力で走り出す引き返す、胸が苦しい肺が痛い切り刻まれた背中がずきずき熱と痛みを訴え、それでもとまらずいっそう加速し玄関から走り出る。視線の先刑事にパトカーに押さえこまれようとしてる敷島を発見、猛然と砂蹴散らし書けながら待ったをかける。
「先生っ、これ!!」
一同、いっせいに振り向く。
靴裏で砂を削って辛うじて制動をかけ、停止、五メートル離れたパトカーに今まさに乗り込まんとする敷島の方へ因縁の絵を突き出す。
「麻生、ナイフ貸せ!」
「は?」
「いいから!」
当惑する麻生を急かし、片手で絵を掲げナイフを奪う。
圭の絵を見た敷島の顔色が蒼ざめる。
絵にむかいナイフをかざす俺に、麻生が取り乱す。
「馬鹿っ、なにを!?」
「黙って見てろ!」
奇行に走った俺に唖然とする一同。
この際とちくるったと誤解されてもいい。
気色ばむ麻生を鞭打つように制し深呼吸、意を決し絵の上に鋭利なナイフをあてがう。
ナイフに力をこめ、上から下へと表面の塗料を削る。
力をこめおろしたナイフの刃が表面の塗料を削り乾いた絵の具がざりっとこそげおち、六年間、隠され続けた真実が暴かれる。
粉末状の塗料があっさり剥落した下、赤色ランプの光に照らし出された絵を見て、一同息を呑む。
「……座間圭の本当の遺書です」
美術室の肖像画が涙を流すのには理由があった。
美術室に放置プレイされた夜、ちびりそうな恐怖をごまかすため口走った推理は正しかったのだ。
『びびらせようって魂胆で適当ふいてるな?その手はくうか。もし噂がホントなら、トリック仕掛けられてるに決まってる。ナイフで削りゃ下にちがう絵が描かれてるとか、よくあるだろ。推理小説どころかめったに本も読まねーお前らは知らないだろうけどさ』
「絵がひとりでに涙を流すはずない。流すとしたら、理由があるはずだ」
パトカーに乗り込みかけた姿勢で硬直する敷島に向き合い、絵を見せる。
「……………私…………?」
敷島が目を疑う。
座間圭の絵の下から露になったのは、敷島の絵。
「一回絵を描いて、その上からまた別の絵を描いたんです。知られちゃ困る真実を隠すために」
そうまでしても座間圭は本当の想いを伝えたかった。
いつかだれかにわかってほしくて
いや、違う。
座間圭がわかってほしかったのはいつかだれかなんて曖昧な定義じゃなくて、この世でただ一人、本当に愛した男。
命にかえても愛し抜こうとした男。
「六年経って塗料が褪せて、下の色が透け始めた。だからぱっと見泣いてるようにみえたんだ」
圭は美術部だった。
敷島との出会いもまた美術室だった。
顧問代理の敷島と過ごした期間は、圭にとってもかけがえのない時間だった。
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