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ターニングポイント

東京の夜はかしましい。 上京してまずびっくりしたのは車の多さと夜の明るさだ。俺が借りたアパートは吉祥寺の駅近にあるが、一日中騒音が絶えることがない。夜更けでも車の走行音が遠く近くしじまを縫って響いてくる。 「ふんふんふふーん」 iPadにイヤホンをさし、それを耳にはめて鼻歌まじりに歩く。 適当に口ずさむのは大所帯のアイドルグループがリリースしたJポップ、リリカルな歌詞とメロディで恋と友情と青春を唄っている。 女の子たちがソプラノで和す声に気分が浮かれる。 吉祥寺は気に入ってる。ほどほどに都会でほどほどに垢ぬけず暮らしやすい町だ。金曜日ということもあり、すれちがう人の足取りもどこか弾んで見える。 吉祥寺のワンルームでアパートで1人暮らしを始めて2年が経った。 俺は今年でハタチをむかえ、もう立派にアルコール解禁だ。煙草は煙たくて苦いから喫わない主義……っていうか、ヘビースモーカーは身近に一人いりゃ十分。ただでさえ副流煙で肺を毒されてるんだからこれ以上生き急ぐ必要はねえ。もっともそのへんアイツも心得ていて、喫うときはベランダにでる心遣いをしてくれる。 ここだけの話、アイツが煙草を喫う姿は嫌いじゃねェ。肺癌になっちまわねえか心配だけど、薄い唇に煙草を挟み、遠くを見る横顔は端正なシャープさが際立って惚れ惚れする。煙草をいらう手付きもセクシーで、こっそり盗み見ちまっては後ろめたくなる。 駅から帰る途中、赤提灯をさげた店から香ばしい匂いが漂い出す。鼻歌をぴたりと止めて小鼻をうごめかせ、赤提灯の方へと寄っていく。 「おっちゃーん、ヤキトリおねがい」 「へいらっしゃい、なんにします?」 「皮とねぎまとももとツクネもらおっかな」 声を張ってヤキトリを注文すれば、ねじり鉢巻きの親父が威勢よく返す。焼き鳥屋のカウンターの向こうは窓が開け放たれ、鉄板を敷いた調理台が臨める。俺が待ってる前で鮮やかな手付きで串をひっくり返し炭火で炙り、肉汁滴るヤキトリをパックへ詰めていく。 「あいよ」 「どもっす」 カウンターで会計を済ませ、ビニール袋に入ったヤキトリパックを受け取る。この店は俺の一押しだ。安くて早くて美味いと三拍子そろってて、生活費が苦しくても週に3度は通い詰めるリピーターだ。 「うまそー……やべ、口ん中に唾わいてきた。早く帰ってキューっと一杯やろ」 甘辛いタレの匂いが鼻腔をくすぐって腹が鳴る。ビニール袋を片手に下げて歩きながら、来週の火曜日が提出期限のレポートの事を考える。あと5000字、本気を出しゃギリギリ仕上げられる。 苦学生は辛いよで、学費と生活費を補うためにキリキリバイトに精を出す。母子家庭のお袋の仕送りに頼りっぱなしって訳にもいかねえ、ウチにはまだ育ちざかりの妹が残ってるのだ。大学行ける年齢になったんだから、親に甘えず自分でできる範囲で稼ぎたい。 何年も前に蒸発した親父が、封筒に入れて送ってよこしたカネは使ってねえ。 『俺はいいから』 『でも透、せっかくお父さんがあんたたち二人のために』 『いいから真理にとっとけって、女の方がいろいろ物入りだろよく知んねーけど。成人式の振袖とかそれで買ってやれよ』 『大学行くんでしょ、ちょっとでも足しにしたら』 『奨学金で行く。バイトもする。親父の手は借りねえ』 それが俺が出した結論だ。 俺がガキの頃に女を作って蒸発した親父。会社のカネを横領してたのがあとで発覚したせいで、俺たち一家は後ろ指をさされ地元じゃ肩身が狭い思いをしてきた。近所に陰口を叩かれるのは日常茶飯事で、家の前に生ごみをぶちまけられたこともある。 『俺のけじめだ。わかってくれ、お袋』 俺にも意地がある、無責任で身勝手な親父の代わりにお袋と妹を守ってきた意地だ。実際守ってきたなんて大それたこと言える立場じゃなくて、俺はずっとお袋に守られてきたのだ。 『あらたまってゆーのもこっぱずかしいけど……俺、お袋ががんばってるのちゃんと知ってっから。俺が小学生の頃からスーパーの総菜コーナーで働き詰めで、休み返上で残業して、たまの非番の日は何する気力もなくてコタツでぐったりしてたのも』 『何言い出すのこの子は、お休みの日もご飯はちゃんと作ってあげたでしょ?スーパーの残り物のお惣菜と昨日の残りだけど……』 『うん、頼むから最後まで聞いてくれ。せっかくのしんみりした雰囲気ががだいなし』 俺は深呼吸し、お袋を挑むように見据える。 『今どこで何してるかわからねー親父が親父なりに反省して、コイツを送ってきたってのはわかる。それがわかる程度にはもう大人だよ俺も。でもさ、やっぱり許せねー。俺たちを捨てた親父のこと、たぶん一生許せねえ』 『透……』 『だからさ、歯ァ食いしばって見返してやりてえんだ』 哀しい顔のお袋にきっぱりと断言する。 『棚からぼたもちラッキーってそのカネに飛び付いたら、俺が親父を許した事になっちまいそうでいやだ。俺とお袋と真理ががんばってがんばりぬいて、なにくそって跳ね返してきた何年間かがパアになっちまいそうでいやだ。勝手な言い分かもしんねーけど、だったら俺は自分の力で頑張りてえ。親父への怒りはカネの見返りに流せねェ、胸の底のずっと奥に一生もってくことになるだろうけど、今このカネに飛び付いちまったら俺、俺んことまで嫌いになっちまうよ』 許せないなら無理に許さなくたっていい。 一番いやなのは自分自身を軽蔑しながら生きていくことだ。 お袋はそれ以上何も言わず、親父から届いた封筒を静かに伏せて俺を抱き寄せる。お袋に抱かれるのは小学生の頃、親父の事でいじめられて泣いて帰った日以来だ。 そして今、俺はここにいる。親友に指導を頼んだ猛勉強の末どうにか都内の大学の文学部に受かり、2年前から吉祥で独り暮らしをしている。 そろそろアパートが見えてきた。 築30年の結構なボロアパートで家賃は4万8千。台風の時は窓を閉めてても水漏れするのが玉に瑕だけど、住めば都で快適だ。インターネットも使える。 鉄筋の外階段を軽快にのぼって二階の廊下へ行き、203号室へと歩を向ければ、人影がドアにもたれてうずくまってる。 ソイツは抱えた膝の間に顔を埋め、俺が留守中の番でもするみたいにドアによりかかっていた。203はいちばん端っだからいいけど、そうじゃなけりゃ通行の邪魔。 履き潰したスニーカーでカンカン進む。まだ顔を上げねえ。注意深く近付いてみると、体育座りでダンマリきめこむ横に、吸殻が2・3本揉み消されていた。 「麻生?」 拍子抜けして声をかける。人影がのろのろ顔を上げる。 癖のない黒髪がばらけ、銀縁眼鏡がよく似合う怜悧に整った顔があらわになる。 イヤホンを外してポケットに突っこみ、訊く。 「なにやってんだ廊下で」 「……別に」 「待ってたのか」 「そんなとこ」 「メールくれりゃいいのに……バイトは」 「金曜はない。暇だから早くきちまった」 「そか」 コイツの名前は麻生譲。高校時代からのダチだ。 麻生も都内の大学に通ってる。俺とはちがい偏差値のずばぬけて高い有名大の法学部。 おまけに下北の高級マンションで悠々自適なシングルライフを満喫あそばされてるが、ちょくちょく俺の安アパートに転がりこんじゃ物好きなことに泊まっていく。 「アポなしなんて珍しいじゃん、どういう風の吹き回しだよ。デッドスペースが八割のだだっ広いマンション持て余した?咳をしても1人がこたえた?siriにだじゃれをスルーされて人寂しさが亜音速か」 「お前じゃなしsiriと建設的な会話を試みねェよ」 様子が変だ。麻生は俺の部屋に来る前に携帯にメールを入れる、今日みたいな抜き打ちまれだ。 麻生の横をさして注意する。 「喫うのはいいけど廊下に捨てんな、管理人に怒られる」 「ハイハイ。……小姑か」 「聞こえてんぞー」 小言をくらった麻生が肩をすくめ、足元の吸殻をコートのポケットに回収する。 ふと視線をさげ、麻生が羽織るコートの裾が床を刷くのを咎める。 「汚れんぞ」 「ああ……忘れてた」 「しっかりしろよ、お高いんだろ」 「5万円かな」 「……クリーニング代が?桁いっこちがくね?」 「コート代」 「なんだー……じゃねえよ十分高ェよブルジョワジー、吸殻っいま吸殻ポッケに入れたけど焦げねーかやばくねーか!?」 「燃えたら燃えたで」 「よくねーよ!!」 全力でツッコみ、コートのポケットからちまちま摘まんだ吸殻を俺が着てるパーカー(1000円)のポケットに移す。もうちょっと私物の扱いに頓着してほしい。 大人っぽいキャメル色のダッフルコートは細身のシルエットの麻生によく似合っていた。昔プレゼントした青いマフラーをしっかり巻いてるのがちょっと恥ずかしい。 ポケットをさぐって鍵をとりだす。鍵穴にねじこんで回すとドアが開き、朝出たまんまの室内が視界に広がる。 「ただいまー。ってだれもいねーけど」 「……毎日やってんのそれ。虚しくね?」 「習慣ぬけねーんだよ」 先に上がってシンクの三角コーナーに吸殻を捨てたのち、床になだれた洗濯物や雑誌を雑に蹴飛ばし道を開く。 勝手知ったる俺の部屋で、麻生は「お邪魔します」も言わず靴を脱ぐ。 「また本増えたか」 「わかる?神保町のワゴンセールで全巻イッキ買い」 「そのうち床抜けて苦情がくるぞ、電子書籍にしろ」 「容量オーバーしちまうと翌月解放されるまでお預けじゃん、拡張料金払うのもったいねーし……それに紙の本のがすぐ索引できっから便利なんだ」 「遅れてるな」 「高校ん時図書室に入り浸ってた本の虫にだきゃに言われたくねーな」 「厳選してんだよ、よっぽど手元においときたいの以外は携帯で十分」 上京後もコイツは相変わらず読書家だが、コスパを考えて電子書籍に切り替えたらしい。記憶力が優れてる上に速読も可能なので、大抵は一回読むだけで事足りちまうのだそうだ。 ビニール袋をローテーブルにおき、台所に引き返して冷蔵庫を開ける。 「麦茶でいいか」 「ビールは」 「もう飲むの?早くね?まだ夕方だぞ」 「ねえのかよ」 「あるけどさ」 麻生の為に常備してる缶ビールを二本持ち、片方を投げ渡す。 早速プルトップを引いて半分ほど干した麻生の正面に膝をくずして座り、ビニール袋の中からまだ温かいパックをとりだす。 「ちょうどいいや、行き付けの店で買ってきたんだ」 「ヤキトリ?」 「激うまって口コミで評判。とくにねぎまがおすすめ、ねぎのしゃくしゃく感と甘辛ダレの風味がたまんねー。目の前で焼いてくれんのも乙だよな」 麻生がマフラーをほどき、カーテンレールに接続したハンガーにダッフルコートをかける。 俺はといえばちょう中間の床にパックを直置き、お先にヤキトリを摘まむ。 「で?そのアホみてーにたけーダッフルコートは銀座のバーテン代で買ったのかよ」 「絡むなよ」 「いいじゃねェか聞かせろよ、有名人がいっぱいくる隠れた穴場なんだろ。後藤さんも粋な店紹介するよな」 共通の知人の名前をだせば途端に渋い顔になる。 後藤は麻生の世話係のようなものだ。高校時代にある事件を通して知り合って、いまだに交流が続いている。麻生が上京後にはじめたバイトは後藤の知人筋が経営するバーのバーテンダーで、コイツはそこでカクテルを造っている。 「カネに困ってねェのにバイトはじめたのって、やっぱ実家からの自立とかそーゆー方向か。脱モラトリアムか」 「それもある。甘えらんねェし」 麻生の実家は裕福だ。祖父母は地元の名士で仕送りにも不自由してないが、それはそれとして家庭環境はけっして幸せとはいえない。 「あの人たちもいい加減年で何あるかわかんねーし、若いうちに貯金しといて損はねえ」 「芸能人きた?サインもらった?」 「守秘義務って概念知ってるか」 「こないだ酔っ払ったときXL芸能人のマチコ・デトックスが取り巻き連れてきたってゆったじゃん」 「失態だ」 「サインもらった?コピーさせてくんない?」 「メルカリで売る気か」 「んなケチな小遣いかせぎしねーよ、部屋に飾んだよ」 「却下。てゆーかサインもらってねー、フツーに客として対応しただけ」 「オフレコで頼む、な、な?小説のネタに行き詰まってんだ」 「そのふりで暴露するヤツあるかよ、言ったら書くだろ」 「仮名使うって、な、このとーり」 両手を合わせて拝み倒す。 絶品のトリカワを頬張りながら麻生がジト目で鼻白む。 「面白い話なんかねーよ、来るのはスノッブな連中ばっかりだ。保険会社のコンサルタントだかっておっさんの相手してるうちに株式市場に詳しくなったけど……」 「詳しく」 「そっちは?レポート手ェ付けてねえでいいの、また締め切りギリギリにひいひい言うはめになるぜ」 「今回は余裕もってっから大丈夫、テーマも得意分野だし」 「何?」 「『近代ゴシックのイコンたるエドガー・アラン・ポーと江戸川乱歩の猟奇性の追求、黒猫は壁の中の骸骨の夢を見るか』」 「素人小説投稿サイトのタイトルみてーになってるけど、お前の大学って表題に制限ねェの」 「今はタイトルにあらすじを凝縮するのが流行りなんだよ」 「風味を希釈しろよ」 などとほろ酔い加減の馬鹿話が弾む。麻生は普段通り斜に構えた態度で皮肉を連発し、俺は大学の近況や日常の失敗談、面白客のエピソードを饒舌に話し、バイトと学業の両立を卒なくこなす麻生を茶化す。 でも内心ひっかかってた。コイツの態度はどこかおかしい。メールもいれず突然訪ねてきたのもそうだし、なんだか口が重てえ。缶ビールを飲む速度も遅く、三回に一回は手を止めて物思いに暮れがちだ。 どうしたんだ一体。 「なんかあったの」 遠回りなんて器用なまねはできないから不意打ちで聞く。麻生がビールを一口嚥下、そっけなくごまかす。 「……別に」 「別にて。絶対へんだろ」 「どこかだよ」 「部屋の前で待ち惚けてたの。話してるときも上の空じゃん」 「気のせいだっての、うざってえ」 おせっかいを露骨に迷惑がる麻生。今まで飽きるほど繰り返したやりとりだが、今日ばかりは引き下がれない。コイツの身に重大な事が起きた予感がしたのだ。 高2の大晦日に降ってきたのと同じ予感が。 「とぼけんのが怪しい」 言い逃れを許さず詰め寄る。麻生が舌打ちして顔を背ける。都合が悪くなるとすぐ視線を切る、初めて会った時から全然成長してねえ。 「らしくねえよ。全然らしくねえ。何があったんだ」 「だから考えすぎ」 「何年付き合ってると思ってんだ、腐れ縁なめんなよ」 「たかだか3・4年かそこらだろ」 「短くても密度は濃い」 腕を組んでふんぞり返り、堂々と宣言する。イイ感じにアルコールが回ってきて身体が熱い。完全にそっぽを向いちまった麻生に膝這いでにじりより、缶に缶をあて乾杯のまねをする。 「話してみろよ」 「やだって言ったら」 「無理にとはいわねーけど、拗ねる」 「俺にデメリットはねえな」 「口利いてもらえなくなんのはデメリットじゃねーの」 「もって一週間かそこらだろ」 「かわいくねえ。ほんっとかわいくねえ」 「ドーモ。かわいげなんてとっくに使い果たした」 麻生が皮肉っぽく笑って缶ビールを煽る。腐るほど見慣れた自嘲の笑み……いや、自虐の色の方が濃い。 麻生と向かい合って正座する。コイツが腹を割って話すまで待とうと決心、据わった目にぐっと力をこもる。こちとら目ヂカラには自信がある。 案の定、麻生は根負けする。 無言の圧に折れたのか、狭い部屋で顔突き合わせた相手に至近距離でガン見されるむず痒さに耐えかねたのか、大きく顔を仰向けて缶の残りを一気に干す。 手の甲で顎を拭い、口を開く 「……俺の母親知ってんだろ」 「友永唯か」 久しぶりに聞く名前。テレビや雑誌に新聞、ネットニュースじゃ顔写真と一緒に頻繁に見かけるが、ごく一般的に不真面目な学生は政治の話なんかしやしない。けど政治の場で活躍してんのは最低限の知識として知っている。 「職場や社会における女性の待遇改善を求める、なんとか党のトップだよな。男でも気軽に育児休暇とれる制度の推進や、DV被害者の個人情報の保護法とか保育士の地位向上とか訴えて、いますげー人気だろ。モラハラパワハラセクハラ断固反対、3ハラ撲滅が公約」 友永唯の立ち位置をわかりやすくいえば女性の味方だ。 元女優の衰え知らぬ美貌と冴えた機転、全く物怖じしない素晴らしい演技力を兼ね備え、脂ぎったオヤジ議員の野次をやりこめるスピーチの痛快さにファンも多い。 麻生が母親に言及するのは初めてだ、ずっと避けて通ってた話題だったのに。 「んで、その唯ちゃんがどうかしたの」 「ちゃん付けきめえ」 「スルーしろ、お袋のが伝染っただけだ」 コイツは死んだ圭ちゃん以外を家族と認めてない節があった。思いがけぬ成り行きに心臓がドキドキする。 数呼吸の沈黙をおいて、ポツリと呟く。 「会いたいとさ」 「は?」 「後藤を通して連絡とってきたんだ。携帯のアドレスは知ってたけど俺からかけたことねえし……そしたら今日、向こうから直接電話がきた」 「は?え?いきなりだなオイ」 さすがに当惑する。麻生はずっと母親と疎遠だった。 「場所は向こうがセッティングするから、もしよかったら……って。大学入ってこっちに出てきたの知って、そろそろ身の周りも落ち着いた頃だろうってずっと機をはかってたらしい。忙しい人だから、むこうもむこうで片付けなきゃいけねー案件山積みだし」 「待て待て」 両手を突きだしてストップをかける。 「今さら会いたいって?三者面談もブッチしたのに勝手すぎねー?」 混乱を上回る純粋な怒りが沸きたち、声が険悪に尖る。友永唯が実の息子にしてきた仕打ちは放任主義の一言で片付けられるもんじゃない。もっとずっと無関心で薄情だ。 「議員としてはどうだかしらねーけど母親らしいことはなんもしてこなかったじゃん、それを今さら、その気になりゃ会える距離に引っ越したからって……しかも二年もたってから」 「理由があるんだ」 「三者面談サボった理由?」 ビールの空き缶をもてあそんで時間を稼ぎ、麻生が言葉を繋ぐ。 「お前も知ってんだろーけど、あの人はあーゆー人だ。保守的な団塊世代の議員にゃ睨まれてるし、快く思ってない連中も大勢いる。で、しょっちゅう脅迫を受けていた。中には物騒な殺人予告もあったらしい。嫌がらせで被害届をだしたこともあった」 「マジかよ」 「三者面談があったのはそれが一番激しかった時期。オンナだてらに党のトップに躍り出て、次期総理の座に一番近えってうるさく騒がられて。出る杭は打たれる流れっていやわかりやすいか」 「それと三者面談こなかったのにどーゆー関係が……」 皆まで言わず察する。 麻生は友永唯の隠し子だ。表向き存在は秘されてたけど、もしバレたら…… 「とばっちりくわせんの怖かったんだとさ」 「……だから、できるだけ会わねーようにしたのか」 「本人はそう言ってた。言い訳かもな」 麻生が吐き捨てる。眼鏡のレンズの奥の伏し目は力なく、露悪的な笑みにも覇気がない。 友永唯は当時反対勢力から脅迫を受けていた。麻生の存在がバレちまったら政治劇に利用される、コイツまで脅迫を受ける可能性がある。 俺はあるニュースを思い出す。ちょうど何年か前にテレビを騒がせた事件だ。 「……むかしあったよな、大物議員の娘が誘拐された事件」 「ああ」 「アレも反対勢力が絡んでたっけ。実行犯がだんまりだから真相は不明だけど……殺されちまったんだよな、気の毒に」 「離れて住んでたのに下校中に待ち伏せされて車で拉致られた」 気の毒で済む話じゃねえ。殺された女の子も確か、当時の俺達と同じ高校生だった。 「その子の親、あの人の知り合いだったんだ。なおさら他人事とは思えなかったんだろ」 「じゃあ代役立てりゃいいじゃん、後藤さんがいるんだし……大体孫の面談にこねえ祖父母がおかしーよ、体面が大事ならせめてそこ位ちゃんとすんのがけじめじゃねーのか」 「俺が断った」 「は?」 耳を疑う。 麻生は深い深いため息を吐き、もう一度繰り返す。 「……お前にゃ言ってなかったな」 何年も俺に言えず、胸の奥底にしまいこんでた秘密を打ち明ける。 「当然代役の話はでたよ。ウチの連中もそこまで世間知らずじゃない、体面だけはちゃんと考えてた……かばう義理ねーけど、祖父母も当時は体調崩してたんだ。で、後藤にお鉢がまわってきた。俺はそれを蹴った、来なくていい、来るなって」 「なんで……」 衝撃の事実にうろたえ、オウム返しに訊く。 「うざいから」 麻生の返答はにべもない。淡白な無表情のまま、細めた眼差しには冷めた侮蔑の色が浮かんでいる。 「そんな言い方ねーだろ、後藤さんはお前が心配で」 「頼んでねーよ。だいいち身内以外のヤツがきた理由どー説明すんだ、赤の他人の代役立てた経緯いちいち話すの面倒くせえ」 「そりゃそーだけど、でも」 苛立ち任せに責めそうになるのをぐっとこらえ、務めて冷静に続ける。 「……で?会うの」 「パス」 「嫌いとか興味ねーとか……そーゆーんで無視してたんじゃねーんだろ?むしろ子供のこと考えて」 「どうだかな。きれいごとならなんとでも言える」 「勘繰りすぎだ」 「自分のガキを十数年間ほっぽりだしてろくに会いにもこなかった。安全を最優先して?単にわずらわしかったんだろ、妻子持ちとの不倫でできた息子なんて。じゃなきゃもう少しまめにコンタクトとってくるはずだ」 友永唯がまだ赤ん坊の麻生を実家に押し付けたのは事実だ。養育を放棄したととられてもおかしくない。でも、だけど 「過去の汚点なんだよ、俺は」 麻生が吐き捨てる。 「……身内と思ってんのは1人だけだ」 麻生は孤独だ。どうしようもなく孤独だ。 だからこそただ一人、自分を気に掛けてくれた血縁に執着した。 俺は麻生の事を何も知らない。 コイツが実家でどんな待遇を受けていたのか、本人が話そうとしない詳しい実情は知る由もない。 高校生でマンションを借り、三者面談に来る奴もおらず、圭ちゃんがいなくなってからたった1人で生きてきた麻生。 今は俺がいる。 俺にしかできないことがある。 「本当にいいのか」 「ああ」 「話したいことあるんじゃねえか」 「ねえよ」 「向こうは……お前のお母さんはどうなんだ」 「気持ち悪ィ呼び方すんな」 「前に言ったろ俺に、忘れちまったのかよ」 「何を」 大きく深呼吸し、覚悟を決めて口を開く。 「ツマらねー芝居はやめろ、バレバレなんだよ」 麻生が目を見開く。さらに続ける。 「他の連中はともかく俺をだませるとおもったか」 そうだ、あの時麻生はこう言った。 行方をくらました親父から届いた7年越しの手切れ金に、しっちゃかめっちゃかにされた俺を朝の河原に連れだして。 「そっくり返すぜ。無理してんじゃねーよ、ばか」 「無理なんかしてねー」 「嘘吐け」 「血が繋がった他人だ。今さら会いたいなんて言われても興味がない、こっちは親なんていないと思ってやってきたんだ。親らしいこと何もしてねーくせに実際笑わせるよ、ただの自己満足じゃねーか。俺と会ってどうする?謝る?抱き締めんの?気持ち悪ィ。ただ単に許されて肩の荷おろしてえだけだ、ちょっと暇になったからそういえばむかし産んでたガキにお情けかけてもいいかって気まぐれ起こしただけだ」 「そりゃ褒められた人じゃねーよ、身勝手すぎって俺も思うしあきれるよ。でも麻生、ほんとにそれでいいのか?向こうから会いたいって言うの、結構勇気いるんじゃねーの」 2年前に親父から来た手紙を思い出す。手垢だらけで皺くちゃの紙幣と、涙を吸ってふやけた便箋。 親父は俺たちにあわす顔がねーから、わざわざどこか遠くで手紙を出したのだ。 自分を嫌ってる、軽蔑してるとわかりきってる人間に面会を乞うのは、どれほどの勇気を必要とするのか。 「確かに遅ェけど、手遅れってくらいに遅ェけど、むこうにものっぴきならねーわけがあったんだろ?お前を守りたくて会うのずっとガマンしてたんじゃねーのか、隠し子の存在バレたらマスコミだって殺到する、それで」 「面倒くさくなって捨てた」 「ちがうって!!」 じれて絶叫する。こんな時だってのに麻生は憎たらしいほど落ち着いてる、ぐちゃぐちゃにかき回される俺が馬鹿みたいだ。本当の事なんてわからない、友永唯は本当に息子を捨てたのかもしれない、不倫でできた息子が邪魔くさくなって実家に押し付けたのかもしれない、会いにこなかったのは忘れてたからかもしれない。 でも俺は、そうじゃねえと信じたい。コイツの為にじゃない、コイツを好きな俺の為にそうあってほしいと信じたい。 「ひとに譲るから『譲』って付ける女だぞ」 「…………ッ、」 何むきになってんだ。会いたくねえならそれでいいじゃねえか。 全部麻生が決めることで俺に口出しする権利はねえ。所詮部外者で赤の他人、ただのダチの分際でコイツの人生に口出しする資格なんか持たねえのに。 窓の外はとっぷり日が落ちて夜がきた。 「……しらけたな。飲み直すか」 気まずい沈黙を吐息でさざなみだて、麻生が小さく呟く。 「ビールの買い置きは?」 「……これで最後だ」 「使えねー」 「ただ飲みで文句たれんな」 麻生がさっさと立ち上がり、ハンガーからとったコートに袖を通して靴を履く。 「どこいくんだ」 「コンビニ。買ってくる」 俺にはそれが、逃げるように映った。突き放すような背中が寂しくて、腰を浮かしたものの追いかけるのを躊躇する。 もう帰ってこねえような一抹の不安に苛まれて呼びかけに迷えば、ノブに手をかけて振り向いた麻生が苦笑いする。 「変なこと言って悪かった。忘れてくれ」 「……へんとかゆーなよ」 大事な事だろ。 漸くその一言だけを絞り出す。麻生が出ていくのを見送ったあと、ドアに施錠するのも忘れてへたりこむ。 結局何もできなかった無力感にうちひしがれ、物が散らかったワンルームにひっくり返る。 「~~~~~~~あーーーーーくそ、口下手かよ俺の馬鹿!!もっとこーさー言いようあんじゃん、あれじゃ責めてるみてーじゃん!!ちげーのに全然……」 上手く気持ちを言葉にできずもどかしい。大の字に寝転がった顔の横に、たまたま麻生がおいてった文庫本があった。 「今日買ったのか?」 気付かなかった。 「よっぽど手元におきてーの以外携帯で読むって言ったのに……」 じゃあこれは、よっぽど手元においときたい本なのか。 麻生のお眼鏡に叶った本の詳細がにわかに気になりだし、表返して題名を確認。 「オー・ヘンリー短編集……意外」 国語の教科書にも載ってた「賢者の贈り物」や「最後の一葉」で有名な作家だ。ぱらぱらめくって流し読みする。 「……へー、もっとお涙ちょうだいで説教くせえの想像してたけどオチがきいてんじゃん、ミステリっぽいのもあるし」 結構面白そうだ。ページ数が短い短編で構成されてるから気軽に読めるのも好感触。 適当に目が付いた短編をちまちま読んでいくうちに、「A RETRIEVED REFORMATION」……「罪と覚悟」という話にさしかかる。 それはある刑務所が金庫破りが、恩赦をもらって自由になるところから始まる話だった。 軽い気持ちで読み始めたものの、数行目を通す頃にはすっかり夢中になっていた。軽妙洒脱な文章とユーモア溢れる登場人物、ミステリーとしてのどんでん返し…… 「なんだこれ、ものすっげー面白えじゃん!」 一気に読みきって感動する。めちゃくちゃ後味がよくて結びも最高だ。さすが俺のダチ、本を選ぶセンスがある。古い小説だからって侮っちゃいけないな、反省。 あらかた読み終えたあと、O・ヘンリーが気になってスマホで検索をかける。面白い話を読んだら人の感想も知りたくなるのが本好きのサガだ。 ウィキペディアで経歴と著作一覧をざっと把握、検索結果の文字列をスクロールしていく。 「え……」 意外な人の名前がとびこんできた。 『友永唯独占インタビュー。女性層を中心に絶大な支持を集める、次期総理候補の素顔とは』 O・ヘンリーと友永唯に何の繋がりが? 好奇心を抑えきれずクリック、リンク先に飛ぶ。記事を読む。 「…………そういうことか」 最後まで読み終わった時、俺は理解した。 スマホをおいて目を閉じる。麻生がいない部屋はやけに広く感じる。 俺にできることを考える。してやりたいことを考える。 できること。 してやりたいこと。 したいこと。 答えはでた。 「…………」 服を脱いで風呂へ行く。シャワーを浴びる。身体の裏表をボディソープでキレイに洗い汗を流す。 あったかい湯が降り注ぐ気持ちよさに目を瞑り、怖気付きそうな心を奮い立てる。 「よっしゃ」 前髪から滴る雫を睨み、壁に手を付いて決断を下す。 ボディソープをてのひらにまぶして広げ、後ろの窄まりによくすりこむ。 その後自分でさわったことなんか一度もねえ場所に人さし指の先端をツプリと沈める。 「!んっあ、んッぅふ」 息苦しさと苦痛に顔を顰める。シャワーの音に紛れる呻き声。座薬だと思ってやり過ごし、できるだけ中を浄める。 異物感と圧迫感に腹筋が引き攣るものの、麻生の指だと思い込んでなんとかごまかす。 「ふッく、ぅッあっぐぅ」 我慢しろ透。この程度へっちゃらだ。麻生や圭ちゃんが受けた苦しみに思えば笑い話だ。そう自分に言い聞かせて肛門をほじくり、指を二本に増やして慣らす。物事には準備がいる。 2年前、俺は麻生と初体験をしかけた。結局うやむやのまま未遂に終わっちまったが、あれから男同士のやり方をネットで検索し、いずれ来るかもしれない「その時」に備えて知識をたくわえていたのだ。 「あそ、ぅ、んっあッ、ふぁあ」 シャワーが声をかき消してくれるのが有り難い。お隣さんがまだ帰ってないのを祈る。指で尻をこじ開けて抜き差しすると、今まで知らなかった感覚が鈍い痛みを圧してモヤモヤと沸きあがある。 俺にできること。 してやれること。 したいこと。 長かった。本当はずっと待ってた、のかもしれない。だけど怖さに打ち克てなくて、一線をこえて何かが決定的に変わっちまうのがおっかなくて、ずるずると伸ばして逃げまくっていた。 ひょっとしたら、何かが決定的に壊れちまうかもしれなくて。今までどおりじゃいられなくなるかもしれなくて。 「あッあぁあッ、ふぁあァああっそ、あそうッァ」 でも、ダメだ。ここが正念場、ターニングポイントだ。 ダチが辛い時に一肌脱げなくてなにが男だ、秋山透。 なにより俺は、眼鏡のレンズの向こうで目を伏せた麻生がたまらなかった。アイツが独白してる間じゅう胸が痛くてたまらなくて、らしくない不器用な表情が愛しくて、アイツを抱き締めたくてやばかった。 酔っ払ってるせいだって言い訳した。そう思い込もうとした。だめだった。熱いシャワーで酔いを追い出しても気持ちは止まらない。 「んあっ」 ぬぷ、と音と感触がして指が抜ける。こなれた尻がジンジン疼いて切なさが加速する。 「……はァ、はっ……」 まだ完全に恐怖は克服できないが、それでいいと開き直る。行きあたりばったり、出たとこ勝負が俺の流儀だ。 シャワーの蛇口を締めて風呂を出たあと、洗面台の鏡に顔を映す。 「怖くねえ、怖くねえ」 顔を叩いて喝を入れ直し、Тシャツと半パンに着替えてベッドに行く。 途中、笠から垂れた糸を引いて電気を消す。部屋が暗闇に包まれ、窓の外の車の走行音が存在感を増す。 唯一の光源はスマホの液晶だ。手を伸ばし拾い上げ、しみじみと感慨に耽る。 高校ン時は携帯を使ってたが、上京と同時にスマホにかえた。 液晶の仄白い光に顔を照らし、強がりの笑顔を見せる。 「……なんもかんもあの頃のままってわけにゃいかねえよな……」 あれから二年がたった。俺と麻生は変わった。東京へきて大学に上がり、人間関係を含む身の周りの環境が変化した。変わらないほうがいいものもある。変わったほうがいいものもある。 いまから俺がやろうとしていることが一体どっちに転ぶのか、まだわからねえ。 「………踏み出さなきゃ変わんねーよ」 だってお前が言ったんだ麻生。 ボーダーラインを飛んでみせろって。 びびってケツまくって逃げて、それからどうなる?ダチと恋人、どっち付かずの宙ぶらりんでいくのか。こうなるのはダチをやめるのとイコールじゃない、ダチじゃなくなる事と等号で結べない。 俺は麻生譲の友達だ。 でもそれだけじゃない。もういい加減、もっと欲しがる自分を許せるはずだ。 階段を上る靴音、だんだんと近付いてくる物音。やがてノブが回り、聞き飽きた声が告げてくる。 「鍵開けっ放しだぞ秋山。部屋真っ暗でどうした」 「麻生」 からからに渇いて張り付きそうな声で名前を呼ぶ。外のネオンを受けて佇む麻生が面食らい、怪訝な顔で呟く。 「酔っ払ってんの」 「いいから来い。電気は点けんな」 「見えねーじゃん」 「恥ずかしいからそのまんまで」 何かを察したのか、静かにドアを閉じ靴を脱ぐ。麻生が歩いてくるのを衣擦れの音と気配だけで感じる。 ぎし、とベッドのスプリングが軋む。麻生がベッドに片膝をのっけたのだ。 「……ボディソープの匂い。風呂入ったの」 「シャワーだけな」 暗闇が五感を研ぎ澄ます。麻生がすんと鼻を鳴らし、俺の素肌から漂うにおいを嗅ぐ。 「コート脱げ」 「どうしたんだよ」 袖を掴んでコートを脱がせ、続いて俺がプレゼントしたマフラーも取っ払えば、俺の行動を不審がって声に疑念を宿す。 自分から乞うのは恥ずかしいから、行動でわからせるっきゃねえ。 「じっとしてろ」 予め言い置いて麻生の肩に縋り付く。まずは首筋にキス。薄い皮膚を夢中で吸い立て、下顎の裏に口付ける。 「よせよ」 「よせねえよ」 もう引き返せねえ、引き返したら恥をかく。意地とせめぎあう衝動に駆り立てられ、麻生の首や口の端に不器用なキスをする。暗闇が増幅する荒い息遣いと衣擦れの音が淫靡で、自然と行為に熱が入る。 「んッふ、ん」 「秋山よせ、待てよ」 唇が眼鏡にあたり斜めに傾ぐ。 「!痛ッぐ」 突然強い力で肩を掴まれひっぺがされる。 「……同情してんのか」 きっぱりした意思表示。暗闇の中でも本気の怒りで睨まれてんのがはっきりわかる。 肩にますます指が食い込み、焼けるような痛みが広がる。 「なんとか言え。同情かって聞いてんだ」 答えはすぐにでた。 すぐそこにあったのに、ずっと見ないフリをしていたんだ。 すぐさま麻生の胸ぐらを掴んで引き寄せ、吐息が絡む正面にもってくる。 「ダチと寝るのなんて好きだからに決まってんだろ」 「今ここでヤる必要あるか、2年前はべそかいて嫌がったのに」 なんていえばいいんだ。 しょげた顔にむらむらした?カラダで慰めたくなった?全部嘘じゃないけどホントでもねえ、俺がホントに伝えたいのはいくら言葉を尽くしたって伝わらねえことだ、でもそれを少しでも伝えるには言葉を重ねるっきゃねえ。 「ぶっちゃけ百パー同情じゃねーとは言い切れねー、そこまで人間できてねー」 「お前に話したのは間違いだった」 「他人だから?部外者だから?」 「絡むなよめんどくせー」 「いいから聞けって」 麻生の肩を両手で掴み、眼鏡の奥の目を挑むように見据えて。 「お前とシたい」 「……」 2年前とは違う。 「同情もちょっとはある、お前は鋭いから繕ったってすぐバレる。でもそれだけじゃねえ。お前のらしくねェツラ見たらなんか、じっとしてらんなくなったんだよ。なにかしたくてたまらなくなったんだよ」 「で、抱かせてくれんの」 冷たい眼差し。そっけない言葉。軽蔑する表情。 「……覚えてるか麻生。2年前、お前がしてくれたこと」 「…………」 「大雨の日にいきなりマンションに転がり込んだの泊めてくれたろ。あの時と同じだよ、今度は俺が一肌脱ぐんだ、そんでおあいこ」 「2年越しの借りを返すって?」 「あの時俺、すっげえぐちゃぐちゃでさ。頭ん中めちゃくちゃで、上手くモノ考えられなくって……お前に抱かれる事で、やなこと全部忘れようとした。お前ならいいかって思った」 「腰ふってせがんできて、エロかったな」 「悔しいけどお前は俺がずるいのも弱いのも全部お見通しで、結局寸止めだったよな。最後までやらなかった」 「捌け口にされたくねェだけだ」 「お前がいいんだ」 今なら言える。 コイツがいいって、世界中でコイツしかいないって思える。 「クールぶったかっこ付けで、すぐ人のこと馬鹿だアホだぬかす最高にヤなヤツで、おいしーバイトしてる癖におこぼれを出し惜しむ友達甲斐ねーヤツだけど」 ボルゾイに監禁された美術室に来てくれた、拉致られた廃工場に飛び入りした、梶の暴走車から身を挺して庇ってくれた、部屋に泊めてタオルを貸してくれた、朝日を照り返す河原で欲しい言葉をくれた、付きっ切りで勉強を教えてくれた、春夏秋冬行き帰りを一緒に歩いた コイツが好きだ。 大好きだ。 「お前がさみしいのやなんだよ」 自己満足か自己欺瞞か同情と友情の見境がなくなってるだけか。どうでもいいしどれでもいい、俺に今ハッキリとわかるのはコイツが好きってことだけ、コイツが大事ってことだけだ。 「好きだよ麻生」 大晦日の冷え切った屋上を走った、夜空を落ちてくコイツの手を必死に掴んだ 「お前の為じゃねえ、俺の為だ。俺がしたいからするんだ、張らなくていい意地張ってるかっこ付けを無性にあっためたくなったんだ」 麻生の手を掴んで胸元に導き、心臓の鼓動を直に伝える。 「こうしてくれたろ」 まざまざと思い出せる嵐の夜、一晩中寄り添ってくれた。 「……秋山」 「ドキドキしてんのわかんだろ、ちゃんと手で聞けよ。俺の目ェ見ろよ、潤んでんだろ。恥ずかしくて……ッ、緊張して!死にたいほど恥ずかしくて!でもしてぇんだよ言わすなばか、ただのちっぽけな同情でンな爆発しそうにドキドキすっかよ、お前のためにするんじゃねえけど真っ赤なのはお前のせいだよ、お前とヤリたくてヤリたくて全身が一個の爆弾みてーにドキドキしてんだよ!!」 まだたりねーのか、まだ言わせんのか。 麻生があきれかえる。 「行き当たりばったりで突っ走ると後悔するぞ」 「何回あの夜のこと思い出してオナったと思ってんだよ!!」 勢い暴露すりゃさすがに麻生が凍り付く。 「後悔するくれーなら1人でしねーよ……大学でどんな女の子見たって、どんないい子としゃべったって、最後にゃお前の憎ったらしい顔がチラ付くんだよ。合コン行くよかお前とうちで飲むほうが楽しいんだよ」 俺をこんなにしちまったのは、コイツだ。こんなどうしようもなくしちまったのは麻生だ。 麻生のキスが上手すぎて、麻生の愛撫が気持ちよすぎて、とうとう忘れらんなくなっちまったのだ。 「……勝手にキレて喚くな、萎える」 「お前が怒らすからじゃん」 麻生が小さく吹き出し肩から手をどける。 「いいの?汚いぜ」 「梶とヤッてたって……今まで誰とヤッたって関係ねえ」 「他の男抱いたり抱かれたりしてる奴に初めてもらわれてもかまわねーの」 「心が入ったセックスは俺が最初の1人だろ」 麻生がぽかんとする。その顔ときたら傑作だった。電気を点けてたらもっと笑えたろうな、とちょっとだけ惜しむ。 「……ずっと勘違いしてたんだ」 ボーダーラインを飛んでみせろと氾濫する河原で麻生は言った。 「1人で飛ぼうとして、びびって足踏みして」 大晦日の夜、赤いランプを回すパトカーに乗り込んだ時に誓ったのに。 すっかり忘れてた。 「一緒ならイケるって」 1人で飛ぶんじゃない、2人で手を繋いで飛ぶんだ。 「好きだ。麻生」 改めて囁く。 自分から服を脱ぎ上半身をさらす。眼鏡の奥で麻生が目を閉じたのがわかる。再び瞼が上がった時、麻生の顔には俺が見たことない優しい表情が浮かんでいた。 「二言はねえな」 力強く頷く。 麻生が俺を押し倒す。 「!ふぁっあ、ふ」 指の股に指を噛ませて唇を重ねる。舌と舌が絡み合い唾液が噎せる。麻生のキスは驚くほど激しく、俺の全部を食べ尽くそうとするかのようだ。 「たん、まっ、あそ、窒息!」 「あんだけ煽られて待てねェよ」 かちゃんと軽い音と共に眼鏡が落ちる。麻生はそれを無視し、仰け反る首筋を啄んで熱を煽る。2年前よりさらに激しく求められ切なさでおかしくなりそうだ、夢中でシーツを蹴ってもがく、形よく筋張った手が胸板をまさぐって乳首を揉み搾る 「!んっァああっあ、そこっ痛っあ、や」 「反応いいな、弱いトコ変わってねェ」 麻生の指が乳首を根元から搾り立て、意地悪く先端をひっかく。たまらない、イッちまいそうだ。 「俺の手思い出してシてたのか」 「きっくなよ、ンなこと!」 「あたり?」 乳首への刺激に喘げば、今度はぺちゃぺちゃ舌を使いだす。 尖った突起を含み転がすたび、蕩けそうに熱い粘膜とぬるぬるの唾液に責められビクビクする。 「前っ、はっ、前キツ」 ひとりで腰が上擦り麻生の股間へと持っていく。俺のペニスはもうびんびんに勃ちまくって、透明な先走りを滴らせている。麻生の前も固い。 「乳首いじられただけでイきかけて、素直で可愛いな」 「るっせ……ねちっこいんだよやりかたが」 麻生の手がズボンごと下着を引きずり下ろす。直接ペニスを掴まれ身体がはねる。 「ふぁあ―――――――」 「ローションは?」 「ねえよっ!」 舌打ちが響く。 「少しのあいだ我慢できるか?」 「ほぐし、といたから、いける」 「は?」 あっけにとられる麻生に内心してやったりと不敵に笑み、続ける。 「帰る前、風呂場で……ボディソープとシャワー使って……ちゃんとキレイにして、中もほぐしといたから安心しろ」 「そこまでしたのか」 「言ったろ本気だって」 俺が本気だってわからせるために、した。 「お前にっ、なんもかんも甘えっぱなしでっ、してもらうのやだから」 頼りっぱなし甘えっぱなしはフェアじゃねえ。 コイツに抱かれると決めたのは俺自身なんだから、きちんと気持ちよくなる準備をするのはあたりまえだ。 「俺がヤるって決めたからっ、ふぁあぁッあ、一緒にイくってふあッんぅっ、イくって」 繋がり合いたい、気持ちよくなりたい。 どっちがおいてけぼりでもだめだ、二人一緒にボーダーラインをこえる為に。 「もっとさわってくれ」 抱きしめてくれ。 「お前とっ、気持ちよくなりてーからッんっあ」 力ずくじゃない。 無理矢理でもない。 俺がお前を好きで、お前が俺を好きだから、結ばれたいと願ったんだ。 箍が外れたように麻生の手が性急さを増し俺の身体を貪りだす。先走りの不足分を唾液で補い、既にほぐれた尻穴をこじ開ける。目の前に迫る必死な顔と切羽詰まった眼差し…… 「挿れるぞ」 余裕がなくてただ頷けば下肢を引き裂く衝撃が襲う。 「んんーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ゛!!」 脳天まで突き抜ける激痛に絶叫、背骨がへし折れそうに仰け反る。俺の中をこじ開けた熱いかたまりが見えない場所を出はいり、そのたび粘膜が削れる激痛が爆ぜ顔中の穴って穴から涙と汗と洟水がほとばしる。 「痛いか」 「ん゛ッ、んん゛ッ!」 「悪い、とまんねえ」 「んん゛ッ!?」 痛すぎてしゃべる余裕がねえ、息をするのもしんどい。泣きじゃくって頷けば、麻生が切なげに顔を歪めてもっと深くさらに深く腰を抉りこむ。最初は痛いだけ、早く終わってほしいと祈ってた。それが途中で微妙に変化し、腰の奥からぞくぞくした痺れが広がる。 「あそっ、あそ、そこ」 「ここだな」 「そこっ、いっ、すげえいいッあァっ」 気持ちいいのが止まんなくて声をあげて泣く、大っぴらに喘ぐ。 麻生の手がますます強く指の股に食い込んで、麻生が俺の唇を貪って、ケツの奥まで突っこんでは抜くのをくり返す。 「ッ……すっげキツ……締め付けやばい」 「麻生っあそっ、ンァあっあ、ふぁッあ、んぅッくぅ、ァあああーー」 「エロすぎ」 「るせ、お前っが、上手すぎっから変、っだ、おかしっ俺のからだっイきまくって止まんね、ァあぁッふぁ」 前立腺を叩かれる快楽が痛みを完全に上回ると同時に、コイツと過ごした日々の思い出が瞼の裏を駆け巡る。 色々なことがあった。色々なヤツと出会った。 辛いことも痛いことも苦しいことも哀しいことも全部ひっくるめて、俺は今、ここにいる。 「ふあっあんっァっいいっ気持ちいッ、あっだめそこっもっやば、麻生ッやっィくっ、ィっちま」 治リマスヨウニ 治リマスヨウニ 治リマスヨウニ 『………おまえがいるなら、ここがいい』 パトカーで肩枕を貸したお前は言った。 『いいよ。名字で譲歩する』 下の名前を呼び捨てできないお前に、俺は言った。 「透」 麻生が、俺の名前を呼んだ。 やっと呼んでくた。 「透」 あの時も、今も。 俺はコイツにキスしたいと思った。 答えを出すのは先でいいと俺は思った。先送りにした核心はいずれ必ずやってきて、現実になる。 「譲」 麻生の下の名前を呼び、今度こそ自分からキスをする。 長い長い遠回りをして、でもそれは俺たちが此処に至るのに必要な歩みで 「好きだ」 麻生が一際強く、まるで縋り付くように俺の手を掴んで体奥に放ち、前立腺への刺激で達する。 今ここが俺たちのターニングポイントだ。 とうとう一線をこえちまった。身体を重ねた以上今までどおりじゃいられない、ただの友達同士じゃいられない。 それがどうしたってんだ。 「顔、くれ」 コイツと一緒なら怖くねえ。 どこまでだって歩いていける。 大人しく顔を寄せた麻生を力尽きて見据え、最後に唇を重ねる。 唇を離して数秒後、麻生がらしくもねえ殊勝な翳りを浮かべる。 「……本当によかったのか」 「当たり前じゃん」 幸せの痛みに耐えかねて、俺を「こっち側」に引き入れちまった罪悪感に耐えるように訊く麻生がいじらしくて、すがすがしく笑ってみせる。 「一緒に歩いてくって言ったろ。アレは引き返すんじゃなく先に進むって意味だよ」 これからもどんどん時間は加速する。 俺と麻生は大人になる。 それでいい。それがいい。 何故なら自力で歩き抜いた先にしかゴールはないから。 うなだれた片頬に手を添え、圭ちゃんを失ったガキの頃に返っちまった麻生をのぞきこみ、静かに諭す。 「名前。呼んでくれてすっげえうれしかった」 「……俺も」 麻生が目を閉じ、てのひらのぬくもりに身を委ねる。そのままずり落ちて俺の隣に横たわり、けだるい余韻に浸る。 「ごめん。持ってきた本、勝手に見ちまった」 「謝る事かよ」 「O・ヘンリーは意外だった」 「ほっとけ」 「そのあと検索したら友永唯のインタビュー記事がヒットした。好きな本聞かれてO・ヘンリーおすすめしてた」 舌打ち。なんてわかりやすい。 「……アレ見て読んだんだろ」 自分を捨てた親の事が知りたくて。 「興味がねーなんてウソだ、興味がなきゃ同じ好きな本なんて読まねーよ」 「O・ヘンリーはミステリー作家としても有名だし、ひねったオチが割と好みなんだよ」 「そうか?国語の教科書にのってた感動バナシの印象が強いけどな。お前だってそうじゃねーの、先入観にまどわされてシカト決めこんでたクチじゃねーのかよ」 図星だ。麻生は「泣ける」とか「泣いた」とかって売り文句が大嫌いで、その手の話はフィクション・ノンフィクション問わず敬遠してる。 「インタビュー最後まで読んだんなら友永唯の好きな言葉も見たろ」 「だから?」 ここが正念場。 俺は寝返りを打って向き直り、麻生の目を見て。 「『譲る』」 コイツの名前だ。 「友永唯の好きな言葉は『譲る』……だれかになにかを譲るって意味の譲だ。お前の名前だよ」 スマホで見たインタビュー記事で、好きな言葉を聞かれた友永唯は「譲る」と答えた。普通なら座右の銘や有名な諺を答えるべき箇所で、彼女は「譲る」と言ったのだ。 世間体や周囲の思惑に、一番大事な物を譲ることなく。 「理由は読んだか。『誰かに何かを譲る時、手放す方が自分が、そして手放したものが幸せになれると信じるんです。そう信じることで手放すものが与えてくれた時間の有り難みを、譲ったものの素晴らしさを忘れないでいられるから』」 何度も読み返しすっかり暗記しちまった内容を教え、俺の考えで結ぶ。 「なあ麻生、俺おもったんだけど……この人がお前に譲って名付けたのって、そうでもしなきゃ手放す踏ん切りが付かなかったからじゃねーか」 自分といないほうが幸せになれると信じて。 幸せを願って。 麻生は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。 「めでてえ妄想」 「そうだよ妄想だよ、本当の事は会って話さなきゃわかんねーよ。馬鹿な俺にハッキリわかんのはお前がこの人の好きな本読んで、この人のいちばん好きな言葉が『譲る』で、お前に譲って付けた事だけだ」 あの頃の麻生は17歳のガキだった。 今はそうじゃない。 コイツには俺や後藤や聡史や皆がいる。 ベッドに起き上がって無言で麻生を見詰める。 しばらくのちに降参したようなため息が空気を揺らし、ベッドに寝そべった麻生がポツンと呟く。 「後藤の代役断ったのはツマンねー意地。たらい回されんの癪だったんだ」 俺はニッと笑い、年相応に拗ねたダチの横で頬杖付く。 「代役立てんなら立候補するぜ、唯ちゃんのサイン欲しいし」 「一周回って余計なお世話」 「スタート地点に戻ったからいくらでもやり直せるな」 麻生が寝返り打ってこっちを向き、こそばゆい視線が絡まる。 緩慢な動作で手がのび、だしぬけに俺の髪の毛をかきまわす。 「ちょ、わぶ?!」 「ありがとな」 意地っ張りでスカしたコイツの、精一杯の感謝の言葉。 電気を消した暗い部屋、狭いベッドの上で身を寄せ合って毛布にくるまり、手足の先までじんわり染みわたる幸せにまどろむ。 俺の頭を自分の頭にもたせたまま、眠たそうな声で麻生が訊く。 「O・ヘンリーん中じゃどれが面白かった」 「せーのでゆー?せーの」 「「罪と覚悟」」 一瞬虚を衝かれてから堪えきれず吹き出せば、真顔を装うのにトチった麻生がクツクツ笑い、ふざけて俺を小突いてくる。 こっちが脛を蹴りゃ割と結構痛かったらしく強めに蹴り返し、ベッドん中でじゃれあって馬鹿馬鹿しさに笑い転げる。 俺は譲を譲らねえ。 これまでもこれからもずっと。 この先の関係が友達以上に到るとしても、友達以外に転ぶことはまずねえのだから。

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