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第32話

「小沢さん、めちゃ安全運転」 ハルがゲラゲラ笑うが、確かにそうや。法廷速度をちゃんと守っとるあたりがなんや笑える。 顔を上げて窓の外を見れば、いかにも真面目そうなオッサンの運転する車が、どんどん俺らを追い抜かしていく。 「あほう、風間組はでかい組やろが。サツはいつかオヤジの首取ったろって、そら必死や。せやから俺みたいな下っ端でも、しょーもないことで捕まってもうたら大事やねん」 「どんな?」 「今やったら、スピード違反とかな。俺をパクって尿検査。何も出やんけど、ま、何やかんや理由付けして、組の家宅捜索してくるやろな。で、まずは兄貴連中をしょっぴくんやわ」 「あんたらも色々大変なんやな」 ハルがふーんと、感心した声を上げながら言う。 そうやんな。篠田さんはマル暴やないんに、龍大を知っとった。篠田さんらからしたら風間組は解散させたい極道ナンバーワンかもしらん。そんな状態やのに、風間組も鬼塚組も動いとる。 「龍大も捕まる?」 起き上がり前の席に顔を出した俺に、小沢さんはちょっとビックリした顔を見せた。急に運転性と助手席の間から、顔だけニョキッと現れたからや。驚くなや、俺の存在忘れてたんちゃうやろうな、あんた。 「いや、若は未成年やから。そもそも組とは関係あらへんし、梶原の兄貴がついてるから絶対大丈夫やで」 「龍大、周り見えんくなるから」 学校で一度見た乱闘。完膚なきまでにやった相手に、走り出した猛獣は止まらんかった。 いくら梶原さんが付いてても、あの龍大を止めれるとは俺には思えん。 「お前はすっかり風間の飼い主やなぁ。知ってる?風間が学校で暴れたとき、こいつの天の一声で風間止まってんで」 ハルがからかう様に言ってくる。 天の一声ってなんやねん。俺は名前呼んだだけで別に他は何もしてへんし。面白がりよって…。 「そうなん!?まぁ、俺、下っ端やから若に直接的に関わることあらへんから、若をあんまり知らんねんなぁ」 「……」 「どないした?威乃」 考え込む俺に気がついて、ハルが頭を軽く叩いてくる。俺は顔を上げるとハルを見た。 「ハル、あれ、教えて」 「あれ?」 「龍大が人殺したいうやつ」 ハルの顔から笑顔が消えた。 龍大は自分のことを何も話さん。近なりすぎる言うて、俺に執着するだけして壁だけはがっちりや。 トレーラーでもブルドーザーでも破壊出来んくらい、特殊合金使用の壁。俺に見せてくれへん内側。 そんな龍大は俺の中で、誰よりもでかい存在で…。そんな龍大に近寄んな言うたハルの知ってる、龍大の秘密。 俺だけに見せる顔があんのに、俺は龍大の中を何も知らされてない。優しさと独占欲と、でっかい愛情。 誰も知らんそれを知ってる俺が知らん、ダークな部分。それがどんなんか、知りたい。 「人殺したんは事実やで」 なかなか言い出さんハルに代わって、小沢さんが話し出した。 それに俺の身体はビクッと震えて、そんな様子を見たハルがでっかいため息をついた。 「ガキの情報網は怖えーな。どんな風に伝わってんの?」 小沢さんが笑いながら言う。 「どんな風にって…」 ハルがチラッと俺を見るけど、俺は俯いたまま口から飛び出そうな心臓を飲む込むんに必死。 覚悟はしてたけど、覚悟はしてたけど、噂やなく事実と知らされると逃げ腰になる弱い自分が憎い。 一番最低で、一番大嫌いや。 「若が暴れてとか?トチ狂ってとか?」 「…喧嘩で、相手殴り殺した」 ハルの言葉に思わず顔を上げ、唖然とした。 「龍大は、そんなっ」 そんなんせんと言いかけて、口を噤んだ。 学校でブレーキの壊れた龍大を思い出す。でも、殺すとかまで…する? 「ガキの情報網は、その程度か」 小沢さんが、ククッと笑った。 「うちな、犬小屋って、それはそれはおっかない小屋があんねん」 「…は?」 話ズレてんでと、ハルと二人で声を上げる。 犬の話やない。あれ?犬の話?駄犬龍大の話? 何の話やねんと言わんばかりの俺らに、小沢さんは笑った。 「まあ聞け。犬小屋は、言うたら教育施設や」 あ、もしかして…。いや、でも龍大は寮って言うてたもんなぁ。 思いながら、ハルと二人黙り。 「俺は兄貴の紹介やから行かんでよかってんけどな、拾った、言うたら野良犬は何処の輩か分からんのよ。今は色んな法律があるから、躾も必須よ。で、そこで野良犬を飼い犬にすんねん」 「ただの野良犬ちゃうやんか。それが飼い犬になるんか?」 ハルの尤もな意見。 せやね、ただの野良犬やないもんな。掃き溜めで生きてきた、牙剥き出しの野良犬な。言うなれば狂犬? 「まあ、そこで野良犬を躾るんは、タイトなミニスカがよぉ似合うネェちゃんでもない、眼鏡かけて七三分けした冴えんオッサンでもない。俺ら本職の強者。ただの教官やないねんな。で、若はそこに放り込まれとった」 「組長の倅やん」 やんな?そうそう、そうくるよね。風間組の組長の倅。 駄犬やけど、野良犬やないで。狂犬ではあるけどな。そっちの世界では血統書付きの、言うたらサラブレットやんか。 「オヤジはその辺、鬼畜やからな。名前、偽名で放り込んで、もし死んだらそこまでやと。若の器量試し」 それ、器量試しですか?本当に、親子なんですか?時代は戦国時代ですか? あ、あれかライオンの子殺し。 「ふーん」 ハルは俺の胸中を知る訳もなく、関心深げな声を出す。 いや、お前、何考えてるん?やめてよ、極道デビュー。戦国時代やで、戦国時代。 「そこに、先に放り込まれとった奴がおってん」 「だれ?」 「謎やねん、それが。ただ、そいつが常軌を逸しとった。犬小屋は年功序列やない。入ったもん順や。若はそいつが直属の兄貴で、かなり無茶苦茶されたらしいわ」 なんですか、それ。なんですか?その設定。ほんまに日本? 俄に信じ難い話に、段々と脳内パニック。あー、難しい。ってか普通やない。 俺らヤンキーの世界とはレベルが桁外れ。何や、こっちが幼稚な感じ。 いや、幼稚か…。 「そいつを殺ったん?」 ハルの方は脳内冷静。さすがハル。そのハルの言葉に、小沢さんがハハッと笑った。 「まさか…。ファイトクラブや」 「は?」 「プロジェクト・メイヘムやっけ?俺はブラピはセブンの時が一番好き」 出たよ、ハルの映画好き。セブン関係あらへんやん。 ってか、俺、観てへんから分からんし。その訳の分からん横文字やめて、二人して俺を撹乱か。 「ま、あれはテロ?みたいな、最終的にテロ?みたいな…。そんなんやけど、こっちはガチ、ファイトクラブな。ダニー・ザ・ドッグのが近いわ」 「ガチ?ダニー・ザ・ドッグってジェット・リーの?」 あ、俺それなら観た。首輪で支配されてるねんな。首輪外したら、正しく狂犬に変貌。 ちっさい頃から格闘だけさせられて、それこそ犬みたいに飼われてたんや。クズみたいな、ブタったオッサンに。 「まんまあれやな。賭けるねん、金を」 「金を?」 「そ、ガチンコファイトで死んだ方が負け。客はどっちが先に死ぬか賭けて、更に殺し合いを楽しむ」 「おいおい」 ほんまにおいおいやねんけど。 ほんまに日本ですか?それ、リアルですか?もしかして、フィクションですか? 「ヘビィやろ?でも、芸能人から政治家まで、客は引く手あまた。みんな刺激に飢えてんのかな?勝った奴は配当の半分が手に入る、負けた奴は死ぬ。それを主催してるとこには、参加料が選手と観客から入る。そこに参加する選手にはスポンサーがおって勝てば、その配当の半分を山分け。まぁ、8、2ってとこやないか」 リアルなノンフィクションなんや…。 それって、やっぱりスポンサーが8で選手が2?命賭けて2?何もせんで見物して8?ま、…まさか、 「り、…龍大がそれに?」 思わず声が震えた。 「やらな死ぬ」 ピシャリと言い放った小沢さんの言葉に、喉がヒュッと鳴った。 「なんで若がそれに出てたんか知らんけど、何しか兄貴分のソイツと出たらしいわ」 「仁流会はそんなんまでやんのか」 ハルはまるで汚いもんでも見るように、顔を顰めた。 ハルの悪でありながらも持つ、真っ直ぐな譲れん信念。 無意味な人殺し。無意味な悪。それが受け入れられん、俺ら。結局、真っ黒になられへん俺とハル。 「俺らを何や思うてるん。私腹肥やしてデカなり過ぎた成金か?この平和な世の中に甘んじる、アホか?ちゃうよな。俺らは極道や。クリーンが売りなんて言われとるけどな、クリーンな極道なんか極道やあらへん。クリーンやないのをクリーンに見せる腹黒さこそ、上に伸し上がるための方法や。うちはクスリ以外なら、巷の破落戸と行いは変わらん。極道は腐っても極道や」 小沢さんの顔は真剣そのもので、あの、龍大の前で見せた顔とは全然別物やった。 爪弾き者の集まり。目を逸らされ、無視され続けた人間の集まり。 だが、誰よりも強く、誰よりも誇らしげに見えた。 迷いを見せた者から潰れていく、情け容赦のない世界…。そこでしか生きられへん人間のー誇り。

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