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第17話

先輩をデートに誘うと決心した。 「問題は場所だな……」 きっかけはささいなこと。 先日の外回りの帰り道、デート中のカップルに遭遇した。大学生位だろうか、仲睦まじく腕組んで歩いてく恋人たちを見送り、先輩が舌打ちする。 『柄悪いですね。青春真っ只中の若者にヤキモチですか』 『ちゃんとしたデートなんて暫くご無沙汰だかんな』 『安子さんと別れてから寂しい独り身でシコシコ不遇をかこってるんですね』 『だけじゃねーよ忙しんだよ、強請り上手な後輩に仕事の後も呼び出されるせいでな』 『なるほど、デートの体裁をご所望ですか』 『はァ?耳にケセランパサラン詰まってんのか、アホぬかしてねーでとっとと帰るぞ。昼食は……喫茶のナポリタンでいいか、安い割にボリュームあるよなあそこ。昭和の味っていうか、昔懐かしいケチャップ味で』 ナポリタンが好きらしい先輩の独り語りを、隣で妄想をこねまわす僕はまったく聞いてなかった。 言われてみれば、会社の後にビジネスホテルでセックスするだけの関係にデートなんてイベントは無縁だった。 これはいけないと危機感を覚える。 ただでさえ先輩にはヤる事しか考えてない外道と誤解されているのだ、僕の本当の目的は他にあるとわからせる為にもデートの計画と実践は|急務《ファーストタスク》だ。 という訳で、その夜マンションに帰り、スマホでデート候補地を検索する。 「やっぱサプライズ一択だよな、バレると絶対断られるし」 まずは有給を使って先輩と休日を合わせる。仕事帰りにセックスした後それとなく休みの日を聞きだすんだ。 先輩は昔気質の見栄っ張りで、男同士でデートなんて提案しようものなら、真っ青になって断固拒否するに決まってる。 スマホの口コミ名所を見たあと、SNSで実際の場所の写真を検索。資料を印刷したくてパソコン起動、企画書を作成する。題名は『懇親を兼ねた時間外交流における利益還元率』、これでうっかり職場で見られてもばっちり……いや、持ち出さないけど。 「デートか……」 僕自身も久しぶりだ。一番最後は大学四年生の時、当時付き合ってた恋人と。アイドルの女の子が難病で死ぬ、退屈な恋愛映画を見に行った。 特別見たいものがなかったから相手に任せたが、今回はそんな怠慢許されない。なんたって相手は久住さんだ、一筋縄でいくわけがない。 どうせならとびきり素敵なのにしたい。 安子さんとのデートの思い出を上書きしたい。 「……場所、被るのやだなあ」 ないとは思うけど念のため、安子さんとデートで行った場所を聞きだしておくか。 僕は家に仕事を持ち帰るような非効率なまねはしない、自分のノルマは会社できっちり終わらせる。今日は真っ直ぐ家に帰ってきたけど、「お先に失礼します」と挨拶された先輩は、お、おうと拍子抜けしていた。 ひょっとして、ちょっとは期待してくれてたのかな。だといいけど……連日のセックスは腰に来る、休み休みしないとね。ピンと伸びた先輩の背中が丸まるのは見たくない、彼の背中は人ごみで見付けるいい目印になる。 途中で台所に立ち、マグカップにコーヒーを注いで一息吐く。 「僕の好みなら映画のあとに個展を見て食事だけど、定番すぎて面白みがないか」 パソコンの前に戻り、「デート」「場所」「おすすめ」で検索をかける。すると出てくる出てくる口コミが。 「猫カフェ、メイド喫茶、御朱印コレクションの神社巡り……どれもぴんとこないな」 猫と戯れる先輩はそりゃあすごく見たいけど。あの人は女子供と動物に優しくて、外回り中に野良猫に懐かれようものなら、「しっしっ」と口で追い立て手でなでてやってる。ツンデレがすぎるとほとほとあきれたっけ。 コーヒーを一口嚥下、計画を練る。 「好きなものから逆引きするか」 先輩の好きな物……答えはすぐに出た、将棋だ。ビジネスホテルで事を済ませたあとちょくちょく挿してるけど、そこそこ強い。高校時代はマイナーまっしぐらの将棋部だったらしい。 パソコンの前で腕組みし、しばらく黙考。 「……詰んだ、竜王戦の観覧しか思い付かない」 机に突っ伏して嘆く。そもそも竜王戦って観戦できるのか?チケット手配しなきゃだめか。 「いや確かに喜びそうな気はするけど竜王戦て、さすがにデートに行く場所じゃない。私語厳禁っぽいし……その前に記者が詰めかけて一般人は立ち入り禁止か」 オフも背広姿の先輩と2人、座布団を並べて棋士を応援する光景を思い浮かべる。悪くない……ちょっと待て、ほだされるな。先輩が喜んでくれたらそれが一番嬉しいけど、とりあえず竜王戦は保留。チケットとれるかわからないし。 翌日、会社帰りのビジネスホテルにて。 行為を終えてぐったりしている先輩に、それとなく聞いてみる。 「久住が有給消化してないって係長が怒ってましたよ」 「あー……だっけ?繁忙期におちおち休めねーよ」 「休みとればいいじゃないですか、先輩1人いなくても部署は安泰ですって」 「言い方……」 「すいません。でもほんと、1人欠けたら業務が滞るなんて所詮その程度の部署ですから。有給使っちゃいましょうよ、ね」 「うぜえ……俺の勝手だろ」 「とるなら何月何日に」 「消化する前提で進めんなよ」 「最近は労基法うるさいですからね、大人しく休みとらないと上に睨まれちゃいますよ逆に」 親切めかして余計なお世話を焼けば、案の定憮然とする。 「……来週にまとめてとるか」 「本当ですか?来週の何日何曜日?」 「話す義務あんのかよ」 「ケチケチせず教えてください」 「まさか休みの日も呼び出してご奉仕させようとかって」 「思ってません思ってませんて。久住さんがいない日は相方の僕が外回り代行するので、前もって知っときたいじゃないですか。場合によっちゃ菓子折り用意しなきゃだし」 先輩の転がし方は心得ている。 せいぜい真面目くさって正論を述べれば、しぶしぶ矛先を引っ込めて考えを巡らす。 「そーだな……じゃあ木金で。土日と合わせて4連休だ」 「木金ですね、了解しました」 「ちょっと寝ていいか、疲れてんだ。今日ハードだったから」 「帰る時間になったら起こしますよ、やすみなさい」 僕に背中を向けて毛布をひっかぶった先輩をよそに、サイドテーブルのスマホを手にとり、カレンダーにチェックを入れる。 「よし、万全」 デートの曜日から土日を除外したのは、僕の譲れないこだわりだ。土日はしっかり骨休めをする日だ、先輩にもウチで寛いでいてほしい。 それに。 有給を使って平日にデートしたほうが、なんか特別感があってすごくイイ。 むしろ後者の方が本音だが、先輩には黙っておく。 「久住さん、寝ちゃいました?」 「ンだよー……起きてるよ……」 寝ぼけている、今がチャンスだ。先輩に這い寄って耳元で囁く。 「安子さんとのデートどこ行ったんですか。参考までに教えてください」 「だれとすんの」 あなたですよ。 心の中で呟き、ニッコリ笑って畳みかける。 「僕が最後に付き合ったのって大学生の時なんですよね、その点久住さんは破局ホヤホヤでまだ記憶が新しいでしょ」 「新卒ならこないだじゃん」 「いいから、世間の酸いも甘いも噛み分けた頼れる先輩にアドバイス欲しいんですよ」 「いきなり言われても……そうだあそこ、スカイツリー……展望台でキャッキャッウフフ……」 「なるほど」 「浅草……雷門……人形焼」 「渋いコースですね」 「あとアレだ……クルーズで墨田川下り。春はいいぞ河岸の桜が綺麗で」 「大体都内ですね」 「遠出は疲れるし行かねェよ。ディズニーランドも一回行ったか」 「久住さんがディズニーランドに?」 思わず声を張り上げそうになる。 「ミッキーマウスのカチューシャ付けて、チュロスの端っこと端っこで101匹わんちゃんごっこしちゃったんですか」 「してねェよ、チュロスは食ったけど。甘すぎて胸やけした、砂糖まぶしすぎ。どこも混んでてよ、2・3時間待ちは普通で……両手に一杯土産買わされたよ。名前忘れたけど、安子は白くてふわふわした猫耳カチューシャ買ってたわ。俺の分だって、別の押し付けられたのはまいっちまった」 「今してないって言ったじゃないですか」 「十秒で外したんならセーフだろ、大の男がさらしものになれっか恥ずかしい。それに押し付けられたのはミッキーじゃねえ、リロ&ステッチのステッチのカチューシャ。メンズ向きなんだと」 「……似合いそうですね」 悔しいが安子さん、先輩をよくわかってる。 「モンスターズインクのマイクと二択だった」 猫耳カチューシャとステッチカチューシャの2人が、シンデレラ城をバックに記念撮影する光景を想像したらむかむかしてきた。 ディズニーランドは断固却下。男二人じゃ敷居が高すぎる。 僕は気にしないけど、先輩はきっと気にする。 束の間の眠りにおちた先輩を覗き込み、そっとこめかみにキスをする。 「おやすみなさい」 その後数日間、僕は先輩をホテルに誘わず直帰してデートプランを練り続けた。 完成したのは夜10時だった。 「やっとできた……」 手付かずのコーヒーはすっかり冷めていた。ドッと疲れが襲い、椅子の背もたれに沈みこむ。机上の企画書をぱらぱらめくり、デートの計画を予習する。 「完璧。力作だ」 待ってろ安子さん、待ってろ夢の国。絶対に見返してやる。 微妙に主旨がズレてきた気がするが気にしない。 寝ぼけた先輩に思い出話を装ったのろけ話を聞かされて、対抗心に火が付いた。 ホテルのベッドでまどろむ先輩は、過去のデートを夢見心地に反芻しニヤケていたのだ。 具体的にいうと、マイクと二択だったあたりで。 「あんなイイ男をフるなんてもったいない。もう僕のものですから、あなたの出る幕なんてないんですよ」 残業時よりよっぽど気合を入れた企画書の仕上がりに満足し、本命デートに挑む自信を呼び覚ます。 決行は木曜日、天気予報は快晴。当日が楽しみだ。 「もしもし、久住さんですか」 『俺の携帯に俺以外がでたらやべーだろ』 「木曜日あいてますよね。僕も有給とったんでデートしましょ」 『……拒否権ねェのかよこっちに』 「平日なら人も少ないし」 『なんで貴重な休日までテメェに振り回されなきゃなんねーんだ、仕事終わりだけで沢山だ』 言うと思った。 「いいじゃないですか、どうせ予定ないんでしょ。家で一日ゴロゴロしてるだけなら遊びに行きましょうよ」 『やだ』 「カラダ動かさないとなまりますよ」 『ベッドの上で腰にガタくるまで運動してんだろ』 「あれは準備体操ですよ」 片手の企画書をめくってニヤケる。頭の中は既に楽しい妄想でいっぱいだ。 『テメェのストレス解消に使われるためにわざわざ有給とったんじゃねーぞ?』 「人聞き悪いですね……ただデートしたいだけですよ」 しんみりした声をスマホに吹き込み、続けて。 「自分の立場忘れたんですか。会社の人に例の画像ばらまいちゃいますよ」 脅すようなマネはしたくなかったけど仕方ない、この人は頑固なのだ。 脅迫の効果は絶大で、往生際悪くぐずっていた先輩が途端に大人しくなる。 『~~~~~~~~~~~あ~~~くそ、わかったよ、お前のリクエスト聞いてやりゃいいんだろ!?』 「そうこなくっちゃ」 やけくそで開き直る先輩が可愛くて、もっといじめたくなるのをぐっとこらえる。 『……わかったけど、ビジネスホテルは却下。仕事の延長で休んだ気しねーから』 先輩にとって、僕とのセックスは仕事の延長なんだろうか。 ちょっと複雑な気分で「大丈夫ですよ」とうけあい、一生懸命フォローする。 「何か勘違いしてるみたいですが、フツーにフツーのデートです。素敵な場所に先輩を連れてくだけです」 『ヤんねーのかよ』 「お望みなら考えますけど」 『たんま、今のなし取り消し。フツーのデートってヤツにしてくれ』 「善処します」 先輩にOKをもらった日は嬉しくてなかなか寝付けなかった。 そして運命の木曜日。 「遅いな先輩……」 カジュアルな私服に着替え、待ち合わせの場所でスマホの時刻表示を見る。20分遅刻だ。 土壇場で嫌になったのか。その可能性は十分ありうる。反面世間体に執着する先輩が約束をすっぽかすとは考えにくい、例の画像をばらまかれたら困るはずだ。 もっとも僕にはそんな気ないけど、わかってもらうのは難しい。 「待ったー?」 「ううんいまきたとこ」 「ごめん遅れちゃった、人身事故で電車が止まって……」 周囲のカップルたちが次々合流し、仲良く手を繋いで去っていく。 嫉妬と羨望でじくりと胸が痛む。 しょせんは脅迫から始まった関係、今日のデートだって僕が一方的に取り付けたのだ。 嫌気がさしてキャンセルされたって、それをなじる権利はない。 これまでさんざん先輩にしてきた酷いことを思い出し、罪悪感と惨めさを噛み締める。 「……やっぱ欲張りだったか、フツーのデートなんて」 久住さんにしてみれば、僕は卑劣な脅迫者だ。 自分を罠にハメて強姦し、仕事帰りはビジネスホテルで関係を求める男だ。 そんなヤツとデートだなんて、まともな神経の持ち主ならいやに決まってる。ましてや男同士だ。 ディズニーランドを成人済みの男2人が歩いてたら、どんな眼で見られるか。 のぼせあがった自分を恥じて俯く。最後に短縮を押してみる。 「もしもし……僕です、千里です」 『キャウンッキャウンッ』 『あばーーーーーーーーーーーぶ?』 『こら、人のスマホ勝手にいじんな!口突っ込むなってばっちいから、あーあ涎まみれだ』 ……なんだ一体。 「ええと……久住宏澄さんの携帯ですよね」 『わざわざフルネーム言わなくてもわかるっての』 「今のなんですか、犬の吠え声と赤ちゃんの声がしましたけど」 『従姉のトイプードルと子どもだよ』 「なんで久住さんの部屋に?同居してるんですか?」 僕の記憶では確か独り暮らしのはずだ、見舞いの時にも確認したから間違いない。 『近くに住んでる従姉が倒れちまったんだ。いま旦那が付き添ってる……貧血っぽいけどよくわかんねーから、念のため精密検査するんだと。2人とも実家は地方だし、平日だから仕事もってる友達頼るわけにもいかねーらしくって休みの俺が』 「ペットと赤ちゃんを預かってるわけですね……」 『電話のむこうでギャン鳴きしてんのほっとけねーだろ、旦那もパニクってっし』 本当にいいひとだ。 時々いやになる位に。 『有給とって助かった、いま手一杯で……だから食べんなっめっ、食玩は玩具であって食い物じゃねーの、駄犬は床で粗相すんな3回まわって反省しろ!』 「大変そうなんで一旦切りますね」 デートの事は完全に忘れてる。それどころじゃないのだ、きっと。 『待てよお前、用があるからかけてきたんじゃ』 「些事なんで忘れてください」 通話を切断、スマホをポケットに落とす。 犬と乳児より自分を優先してほしいなんて言えるわけない、さすがにそこまで恋に盲目で大人げをなくしてない。 「デートプランはパアか」 先輩は明日も休み、仕切り直しはできる。有給にこだわらなければ土日リベンジも可能だ。 でも、僕は。 ふと目を上げれば正面のデパートの垂れ幕がとびこむ。 「……世界のミニカー展、きょうが最終日……」 先輩は缶コーヒーのおまけのミニカー集めにハマってる。 ネットで検索し、都内デパートの展示ブースで世界のミニカー展が開催されているのを知った。 古今東西、黎明期のレトロな車の模型から精巧な食玩に至るまで陳列したイベントで、入りが少ない平日ならゆっくり見物できた…… はずだった。 「竜王戦にしとけばよかった」 それか将棋道場をコースに組み込めばよかったか…… 悔やんでも後の祭りだ。 「よし」 深呼吸で落胆を吹っ切り、デパートの正面玄関へ歩み出す。向かうさきは8階の本売り場、絵本コーナー。 1歳児向けの棚へ行き、適当に見繕ってレジへ持っていく。 「いらっしゃいませ」 「クレジット使えますか」 「お使いになられます」 「贈り物なんで包んでください」 僕が選んだ絵本は「おやすみなさい、お月さま」。 ベッドに入ったこうさぎが、月をはじめとする窓から見えるあらゆるものに「おやすみなさい」と語りかけていく微笑ましい話だ。 「どうも」 「ありがとうございました、またお越しくださいませ」 店員が綺麗に包装してくれた絵本を小脇に抱え、駅へ向かって電車に乗る。 四駅目で下車し、閑静な住宅街を歩いて目的のアパートへ。 エレベーターに乗って到着、ピンポンを押す。 既にして赤ん坊の号泣と犬の吠え声でドアの向こうがうるさい。 「すぐ戻っからちゃんと見ててくれよプードル、食玩にハイハイしたら裾噛んで待っただぞ!」 ほどなくドアが開き、ボロボロになった先輩がでてくる。 「お隣から苦情がきそうですね」 「千里?どうして」 「宝物のミニカー、ちゃんと子供の手の届かない所においてます?赤ちゃんはなんでも口にいれちゃうんで気を付けてくださいね。はいこれ、賄賂です」 小脇に携えてきた包みを渡す。 先輩があっけにとられる。 「一歳児用の絵本です。気に入るかわからないけど」 「買ってきてくれたのか、わざわざ」 「手ぶらってのも気が引けますし」 その場で包装を破いた先輩が新品の絵本を見詰め、呟く。 「どんな話だ」 「ベッドに入ったこうさぎのぼうやが、夜寝るまでのあいだ部屋の中や窓から見えるあらゆるものに『おやすみ』を言い続ける話です」 僕があなたにそうしてるように。 あなたがいてもいなくてもそうしているように。 眼鏡の弦を片手で持ち上げ、最初の方だけぱぱらぱらめくり、青く巨大な月の挿絵に優しく顔を和ます。 「サンキュ」 本当は、先輩と一緒ならどこでもよかった。 隣にいてくれるだけでよかった。 部屋から出なくてもベッドから出れなくても、この人は窓から仰ぐ月みたいに近くて遠い存在だったから。 あなたの光を受けて輝けるなら、どこだって。 「ひょっとして、憎い後輩の手も借りたい状況だったりします?」 「いらねーよ」 「犬の口は借りてるじゃないですか。プードルよりは役立ちますよ、僕」 答えなんてとっくにわかっていながら愛想よく質問すれば、髪の毛ボサボサで眼鏡がズレた先輩は悔しそうに歯軋りし、がっくりと首を折る。 「……離乳食作るあいだだけ見ててくれ」 「わかりました」 「赤ん坊いんのに変なまねすんなよ」 「そんな情操教育に悪いことしませんよ、おやすみしたら別だけど」 「おい!」 「やだなあ冗談ですって」 玄関へと招き入れられた僕は、心の中の企画書をくしゃくしゃに丸めて捨てた。

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