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第19話
「あ―――――――――しんど……」
ビジネスホテルをチェックアウトする。
時間は夜9時を過ぎたばかり、テールランプの残像を曳いた車両がガードレールを隔てた道路を通り過ぎていく。
周囲のビルにはちらほら明かりが灯り、社会人の男女と浮かれ気分の学生が混ざり合ってさざめく。
茶番でドッと疲れた。腕を回して肩のこりをほぐす。千里の相手をするのは残業の倍疲れる。
「そこはほら、サービス残業と割り切ってください」
「下半身へのサービスは専門外だよ、人に気色悪いもん付けやがって」
「にゃんこの仮装似合ってましたよ」
「何のフォローにもなりゃしねえよ」
「にゃんにゃん大好き久住さんにはネコ役がお似合いですよ、色んな意味で」
「俺が猫ならお前の股間で爪とぎして血祭に上げてやる」
時間も時間だからさすがに子供の姿は見かけねえが、十代から二十代にかけた若者たちが、それぞれ好きな格好をして姦しくそぞろ歩く。
魔女や吸血鬼、狼男にフランケンシュタインといった定番の扮装から、最近流行りの映画やアニメのキャラクターまで内分けは幅広い。どうでもいいが横広がりで歩くな邪魔くせえ。
「よくやるぜ、ったく」
人の気も知らねえでと呆れる一方、若いっていいよなとやっかみまじりに羨む気持ちもこみ上げる。
隣の千里が渋谷方面に練り歩く仮装行列を目で追いながら口を開く。
「先輩は学生時代に仮装しませんでした?」
「能天気なパリピと一緒にすんな」
「当時から頭固すぎて煙たがられてた口ですか」
図星だ。
「サークルのパーティーとか誘われませんでした?」
「断ったよ。ノリが悪ィってさんざん陰口叩かれたけど、馬鹿騒ぎに加わる気分じゃなかった」
自分でも損な性分だとは思うがこれが俺だ。
堅物で融通が利かない、我が強くて空気が読めない。ハロウィンだから騒ごうと物好き連中に誘われてもどんな仮装をすりゃいいかわからねえし、ケチな体面にこだわって乗りきれなかった。
ふてくされた俺の横顔を盗み見て、千里が勝手な憶測を働かせてにやける。
「なるほど、羽目を外すのが下手なのは昔からですか」
「知ったかぶんな。ハロウィンイベントが話題になりだしたのって最近だろ、むかしは渋谷に集まってパーッと盛り上がる恒例行事なかったしよ。馬鹿騒ぎの口実にしてえ学生の特権だろ、あんなの」
「斜に構えすぎて攣りません?大人だからこそ息抜きは大切ですよ」
世間擦れした負け惜しみを受け、千里が思案顔で唇をなぞりだす。凄まじく嫌な予感。
「じゃあな」
逃げるが勝ちという言葉がある。サービス残業はおしまい、とっとと帰ろうと踵を返せば即座に腕を掴んで引き止められる。
「離せ、電車に遅れる」
「まだ9時じゃないですか、宵の口です」
「どうせまたろくでもねーこと企んでんだろ、てめえの悪だくみに付き合わされなァごめんだね、こちとら誰かさんがハッスルしたせいで腰がイカレちまいそうなんだとっとと帰って休ませろ」
腹立ち任せに一息にまくしたてれば、千里は肯定に代えにっこり微笑み、鞄から例のアレを取り出す。悪趣味な猫耳カチューシャだ。
「げっ」
リアルに声がでる。
ドン引きする俺に有無を言わせず迫り、ドンキのワゴンセールで叩き売りされているような、安っぽいプラスチックのカチューシャをチラ付かす。
「ハロウィンの夜を楽しまないなんてもったいないですよ、年に一度の特別なお祭りなんですから」
ね、久住さんとねこなで声で脅しやがる。ホテルの前のネオン照り映える歩道で、俺は高速で首を振り、千里のろくでもねえ提案を却下する。
「俺とお前、ふたりっきりのヒミツだってさっき言ったよな」
「気が変わりました。にゃんにゃん可愛い久住さんを皆に見せびらかしたくて」
「言質をころころ翻すな。だれがンなふざけたモン二度も付けっか、人前で恥かくのなんざ絶ってえごめんだ、ヤることヤッて満足だろこれ以上は」
「僕のお願い聞いてくれませんか」
「あざと可愛く小首傾げんな、成人済みの男がやっても気色悪ぃだけだ」
「そうですか」
千里が残念そうに肩を窄めてカチューシャをおろす。
危機は去ったと安心するのはまだ早え、それが証拠に性懲りなくスマホを取り出す。
待ち受けをでかでか占めているのは口にするのも憚られる俺のあられもねえ姿で、あざやかな指捌きで文字を打ちこんで独りごちる。
「メールに添付、一斉送信の準備完了。タイトルはトリックオアトリート、犯してくれなきゃイタズラするぞで」
「こんのド腐れ外道!!」
しゃあしゃあとうそぶく千里の手からカチューシャをひったくる。
ただの脅しだとわかっちゃいる、実際それをやったら加害者の千里も道連れで終わるとわかっちゃいるが断れねえ。
この腹黒は俺の首ねっこを掴んでる。
見栄っ張りで強情っぱり、世間体に雁字搦めな俺の性格を知り抜いたうえで、最も効率のいい脅し方を心得てやがるのだ。とことん嫌な奴。
「ほらよ」
男は思いきりが肝心。
大きく深呼吸して腹をくくり、チープでファンシーな猫耳カチューシャを頭に取り付ける。
通行人がこっちを見てくすくす笑うのがいたたまれねえ。不機嫌この上ない仏頂面で腕を組んで睨み返せば、千里が満足そうに一歩引き、俺のてっぺんから爪先まで不躾に観察する。
「やっぱりよく似合ってます。僕の目に狂いはない、最高のコーディネートです」
「そうかよ」
「じゃあ行きましょうか」
「は?どこへ」
「決まってるでしょ、渋谷です」
「今から?歩いてかよ?!」
「ハロウィンの夜ですから盛り上がってますよきっと」
「ちょっと待て千里、行くなんて言ってねえ」
「歩道に立ちっぱなしじゃ迷惑ですよ」
突拍子もない申し出に声が尖る。反感と不満を露骨に表に出せども無視、澄ましこんだ顔付きで俺の手を引いて歩きだす。
全身で嫌がり往生際悪く抵抗すれど、千里の中ではもうふたりぼっちのパレードが決定事項らしく、俺の手首を掴んで肩で風切り颯爽と行く。
「~~~~ッ」
通行人の忍び笑いと生ぬるい視線が突き刺さる。
とっくに成人済み、いい年こいた大の男がお手て繋いで歩いてるだけでもこっぱずかしいってのに、俺の頭にゃ三角に尖った猫耳が付いている。
無機質なビルが林立するオフィス街にゃ場違いすぎて、地味なスーツにゃ不釣り合いすぎて、なにもかもが恥ずかしい。
「普段の威勢はどうしたんですか?ぴんと背筋を伸ばして胸張って、きびきび大股に歩いてください。人目を気にしてこそこそ俯くなんて全然先輩らしくなくて幻滅です」
「全部てめえの猫耳のせいだよ、知り合いに見られたら会社行けねーぞ」
「明日からカチューシャ付けて出社したらいかがですか、取引先の受けもよさそうですよ。知ってました?三上課長って大の猫好きで、ちょうど先輩にそっくりの黒猫をうちで飼ってるんですって。こないだスマホの写真見せてもらったんですけど」
「マニアックなデリバリーサービスだな」
「クールビズが奨励されてるならキャットビズも採用しましょ」
「効用は?」
「職場が和みます。頭に異物が生えていたところで業務に支障ないですし、皆が癒されてかえって捗りますって」
「気が抜けるっていうならわかるけどな」
「眉間に皺が寄ってるから敬遠されるですよ、元は悪くないのに。猫耳で中和すればちょうどよくないです?愛玩動物大好きな女の子にもモテますよ」
「ペットとしてモテても胸糞なだけ」
明日の朝猫耳で出社した自分を想像する。
だめだ、今にも増して遠巻きにされる痛々しい絵面しか思い浮かばねえ。千里の策にはまって笑い者に成り下がるのだけは断じてごめんだ。
千里はやけにご機嫌だ。
俺に恥をかかすのがそんなに楽しいのか、一緒に歩いてるだけで手首を掴んだ手から張ち切れんばかりの高揚感が伝わってくる。
音程の完璧な鼻歌まで口ずさんで、足を蹴り飛ばしてやりてェのを辛うじて堪える。
俺にとってせめてもの救いは予想に反してそこまで注目されてねえことだ。
無礼講が許されるハロウィンの夜というのが幸いし、その他大勢のエキセントリックな仮装に無難に紛れ込めた。
ちょっと見渡しただけでも俺より目立った仮装はごろごろいるし、路上にたむろってでかい声で騒ぐ迷惑な若者にゃ事欠かかねえ。
「トリックオアトリート、お菓子くれなきゃいたずらするぞ!」
「ハッピハロウィーンウェーイ!」
渋谷方面へ近付くほどに人出が合流して膨れ上がり、しっちゃかめっちゃかなパレードの様相を呈す。
トンチキな仮装に身を窶した赤の他人と押し合いへし合い小突き合い、かと思えば至る所で眩いフラッシュが焚かれ、マーベルヒーローたちがビールを回し呑みどんちゃか囃し立てやがるもんだからすっかりペースを狂わされたたらを踏む。
ディズニープリンセスとプリンスが仲睦まじく腕を組み、フックを仕込んだ義手の海賊と銀ラメ翅の妖精が和気藹藹お喋りし、ガタイのいいミイラと毛むくじゃらの狼男が濁声張り上げ唄い踊り、バスケットから手掴みばらまかれたロリポップのシャワーが降り注ぐ愉快なブギーナイト。
「気が済んだろ、手ぇはなせ」
「いやです」
「うざってえ」
「しばらくこのままで」
舌打ちをする。
ハロウィンの夜をむかえた東京は皆どこか浮足立って、一匹二匹本物のモンスターが混ざっててもわかりゃしないような、狂騒的な興奮に包まれている。
肌の露出面積のいやに多いセクシー魔女が黄色い嬌声を上げ 豪快なフランケンシュタインに追い回される。
何分経ったのだろうか、そろそろ渋谷の交差点にさしかかる。
人ごみはさらに増し、赤色誘導灯を振って整理にあたる警備の姿も見かけるようになった。夜遅くまでご苦労さん。
「……俺だけ見世物になんの不公平だ」
「おそろいがよかったです?」
癖のない前髪を揺らした千里が実に楽しげに軽口を叩く。
人ごみの中でも俺の手をはなさず、悪戯が成功したガキのような無邪気な笑顔を見せる後輩が憎たらしくて、都会のネオンに彩られた顔にほんの一瞬でも見とれちまったのが悔しくて、おもいっきり足を踏ん付ける。
「!痛ッ、」
「ハッピーハロウィン、くたばっちまえ」
痛みに顔をしかめる千里のネクタイをむんずと掴み、耳元でぶっきらぼうに吐き捨てる。少しは留飲がさがった。
お祭り騒ぎの人出が交錯する渋谷の交差点は熱狂の坩堝と化す。
ハロウィンの盛り上がりは最高潮に達し、ハイテンションな若者たちがダチと示し合って自撮りをおっぱじめる。動画を生配信するアホもいる。
「ぅえーいみんな見てるー?いま渋谷にきてまーす」
「すっごい人だね迷っちゃそー」
「あっちでコスプレ撮影会やってるよ、いこいこー」
まずい、動画に映り込んだら不特定多数に拡散される。
「僕の背中でかくれんぼしないでくださいよ」
「身バレしたら辞表だす」
渋る千里を盾にして抜き足差し足忍び足、できるだけ目立たねえように息をひそめて移動する。
「現在交差点は通行止めです、未成年の飲酒は禁止、危ないので下がってください!」
千里を押し立て人ごみを縫い歩いていたら、声器を構えた警官ががなりたてる。
「さすがに混んでますね……そろそろ帰りましょうか」
「何がしたかったのお前」
「ただ一緒に歩きたかったって言ったらおかしいですか」
注意を呼びかける警察の声とざわめきが遠のく。
人ごみで混雑する交差点のど真ん中、千里は猫耳スーツでアホ面さらす俺と向き合い、恥ずかしそうに告白する。
「ホテルを出た途端帰るのが惜しくなったんです」
あのまま帰してしまうのがもったいなくて
もっと一緒にいたくて
「一駅位たいした距離じゃないし、終電なら余裕で間に合いますし、だからですね」
ほんの数十分前までホテルの一室で好き勝手やってた奴が、今は別人みてえにしどろもどろに言い訳し、よく見りゃ耳たぶまでほんのり赤く染めている。おもいおもいに装った人でごった返す交差点のど真ん中、喧騒に推し包まれた夜なのに、目の前の千里の声は何故かはっきり届いた。
「お前さあ……」
ならそう言えよと喉元まで出かけて口を噤む。
脅されて渋々嫌々、それが俺の精一杯の妥協点だ。
ひょっとしてコイツはとんでもないアホで不器用なのか、脅迫のポーズをとらなきゃ一駅分の距離を歩いて帰るのすらねだれねえ奥手なのか?途方もない脱力感が説教を続ける気力を削ぐ。
ずれた眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、お菓子を欲しがるガキよりたちの悪いひねくれ方をした後輩に煮え切らない苛立ちを吐きだす。
「お前なあ……」
「トリックオアトリートしたかったんですよ」
「ヤるだけじゃ不満か」
「本当に欲しい物はまだ手に入りません」
「俺の心とかほざいたら殴るぜ、強姦魔が体以外を欲しがるな」
沸々と滾る憎悪を抑えて叱り付ければ、わかりやすくしおたれて立ち尽くす。コイツが犬なら耳としっぽを伏せてそうだ。
俺だけ悪者にされたような理不尽さに舌打ち、よそ見をする。路端に露天商がいた。地べたに敷いたシートの上に陳列されてんのは仮装用のマスクや動物耳カチューシャ、いずれも子供だましの安物だ。
千里のもとを離れて露天商に近付き、イロモノ感満載の陳腐な商品にざっと目を通す。
「一つください」
「はいよ」
胡散臭い露天商に金を払い、茶色い犬耳付きのカチューシャを購入する。うなだれた千里のもとへ戻り、高圧的に命令。
「顔上げろ」
大人しく従った千里の頭にカチューシャを被せて位置を調整。
千里の髪は色素が薄い茶髪だから、ダックスフンドっぽいタレ耳がよく馴染む。
「やっぱこっちだな」
「あの、先輩?」
「おそろいしたかったんだろ」
一歩引いて仕上がりに満足する。
俺の見立てに狂いはねえ、露店で間に合わせた犬耳カチューシャは千里にばっちり似合ってる。しっぽがねえの惜しいくらい。
「これでおあいこ、うらみっこなしな」
俺だけ恥をかくのはフェアじゃねえ、コイツも道連れにしてやる。
ただカチューシャを付けただけ、スーツ姿の男が犬耳生やして突っ立ってるだけだが、嬉しさとこそばゆさが折半した微妙な表情が妙に保護欲をくすぐる。千里は照れ笑いでタレ犬耳の先っぽを引っ張り、懐っこく弾んだ声で聞いてくる。
「似合います?」
「明日それで来い、皆ちやほやするぜ」
「褒めてもらいたいのは一人だけです」
なにやってんだか。
「イエーイちゃんと撮れてるー?」
釣られて苦笑した時、スマホのシャッターを切るのに忙しい若者どもが千里の後ろになだれてきたのが目に入る。
「あぶねっ」
「わっ!」
咄嗟に腕ごと引き寄せる。千里がよろめいて俺の胸へと倒れ込む。
カチューシャがずれて犬耳の先端が鼻をくすぐり、盛大にくしゃみをする。
「っ゛くしゅん!!」
唾のしぶきがかかった千里がぽかんとし、バツが悪くなった俺は慌てて後輩をひっぺがし、鼻の下を人さし指で擦ってごまかす。
「気にすんな、犬アレルギーだよ」
「僕は猫アレルギーじゃなくてよかったです」
「馬鹿言ってんな」
本当に手がかかる後輩だ。何故だかのろけじみた口調で言ってのける千里に呆れかえれば、俺の隣に立ってばかでかい電光掲示板を見上げ、こっそりと耳打ちしてくる。
「ハッピーハロウィン」
「てめえと交換する物なんか何もねえよ」
「終電がくるまで一緒にいてくれれば十分です。駅まで送らせてください」
猫耳カチューシャが死ぬほど似合わねえ無愛想な男と、犬耳カチューシャがよく似合うにこやかな男が渋谷の交差点に並んで立ってる光景はさぞ不釣り合いだろうが、馬鹿騒ぎにのめりこんだ連中はこっちを見向きもしねえし、なにより千里と犬耳の組み合わせがあんまりにもしっくりきすぎて、見えねえしっぽをふりたくって「待て」を続けるコイツを憎みきれなくなる。
「……いいよ」
だって、そういうしかねえじゃんか。
人生で一番しょっぺえブギーナイトの話だ。
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