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第21話 林檎病じゃね?

 冷静に。  ソワソワすんな。  落ち着け、俺。  だってわかんねぇじゃん。  本当にただ梨味チューハイ飲みに来るだけかもしんねぇじゃん。   だから、フツーに。 「よお」って感じで、身構えたりしないようにしつつ。 フツーに。 「……」  更衣室のロッカーの扉をパタリと閉じて、閉じる間際になんか髪型が決まってない気がしたから、また開けて。そんで一応整えてまた扉を閉めた。  めちゃくちゃ身構えてるし、ソワソワしてるし、落ち着いてねぇけど。 「お、疲れーっす」 「おぉ、お疲れなぁ」 「ちーっす」  ソワソワしてることを隠して更衣室を出たら、一目散に下駄箱へ向かう。  週末の金曜日は製造現場を少し念入りに掃除をしてから上がる。けど、助っ人の星乃は定時刻のチャイムと同時に上がってもらうから、帰りは十分ぐらいだけどズレるんだ。だから、どっかで待っててって言っておいた。  星乃は無言で、けど、ちゃんと首を縦に振ってくれてた。 「あ、間宮、クン」  外に出ると、リュックを背負った星乃が蚊の鳴くような声で俺を呼んだ。会社の近く、出入り口が見えるところに星乃がチャリをそこに止めて待っていてくれたみたいで、俺を見つけて、小さく手を振っている。 「お、おおおお」  冷静に。 「待たせたな」  ソワソワすんな。 「行こうぜ」  落ち着け、俺。 「梨味チューハイ買って帰っか」  けど、無理じゃね? 星乃ともう一回家飲みするとか、落ち着けとか無理だろ。だって。 「うん」  だって、星乃の頬っぺたが林檎みたいに赤いんだ。 「そんで、澤田が三年の先輩とガチ喧嘩始めてさぁ。そのせいで三日間の自宅謹慎だぜ?」 「そ、それで、あの当時、そうだったんだ」 「そうそう。でもまぁ、澤田じゃなくてもキレるけどな。あ、わり、星乃、チューハイ取って」  星乃が頷いて、ビニール袋に入れっぱなしだった秋限定林檎味チューハイを一つ俺に手渡した。いくつ買ってきたんだっけ。すげぇ買った。たくさん飲もうと思ったっつうか、とりあえず、一本とかじゃさ、真面目な星乃のことだから飲み終わったら、マジで「それじゃあご馳走様でした」とか言って帰っちゃいそうじゃん? だから、たくさん買ったんだ。  そしたらすぐには帰らないかなって思って。  けど、すぐには帰らなくても、何この色気のねぇ会話。  なんで、俺は二年の時にあった三日間の自宅謹慎その真相を語る、なんてことしてんの? それどうでもいいネタだろ。今、このシチュエーションでさ。  好きな子と、二人っきりの自分の部屋、っていう中で、なんで高校時代のバカ話してんの?  もっとこう、色っぽい話をしろよ、俺。 「って、俺ばっか話してんな」 「ううん」  でも、星乃にしてみたら、同じ高校出身で同じ職場っていうだけだもんな。男だし。 「間宮クン、話しやすい、し、緊張しない」 「……そっか?」  そうだよな。多分、俺は星乃にとって同じ高校の時は話しかけにくい、グループの違う同級生だった。それが社会人になって同じ職場で、案外話しかけやすい人だった、ってくらいのもんだろ。  きっと、ちょっと稀な存在感があるくらいのもん。 「あ! えっと、それじゃあ……俺、CAD設計、高校でも好きだったんだけど」 「おー」  ほら、すげぇ真面目なんだ。俺ばっか話しててごめんって言えば、それじゃあ申し訳ないっつって、自分も一生懸命に話しだす。 「うちの会社のCADはソフトが違うから、最初、慌てちゃって、でも、主任の栗原(くりはら)さんが色々してくれて、それで」 「そっかぁ」 「うん。最初、話で聞いていたほどには出来ないじゃないかって怒られるかと、いらないって言われないかって心配で」 「あはは、そんなん心配してたのかよ」  やっぱ真面目だなぁ。 「ダメ、なんだ、緊張すると、すぐに、慌てて、変な顔して変な事言っちゃうから」 「そうか?」 「朝礼当番とかも苦手」 「あ、クラスの?」 「そう、もうその二日前くらいから胃がキリキリするっていうか」 「あはは、確かに、星乃は腹痛くなるかもな」  日直の仕事とか、すっげぇ不得意そうだ。 「挨拶の練習とかずっとしてた」 「挨拶って、起立、礼、着席、ってやつ?」  コクコク頷いてる。  あれを練習する奴なんて初めて知った。でも、星乃がそれを練習している様子がすぐに想像できて、それがおかしくて笑った。 「星乃っぽい」 「だって、あんなの、絶対に練習しないと変な順番で言いそうになる」 「礼、から始めてみたり?」  コクコクコクコク、耳まで真っ赤だな。 「座ってるのに着席って言っちゃったりして、それにも慌てて、もうどうしたらいいのか……想像しただけで、お腹が痛くなる」 「あはははは。めっちゃウケる」 「ウ、ウケない」 「てか、星乃がめっちゃ話すな、今日。すげ、珍しい」 「そ、かな」 「いっつもそこまで喋んねぇべ?」 「そ、かも」 「あははは、酔っ払ってる?」  何本飲んだ? けっこう星乃は飲んだ気がする。梨味チューハイ。 「酔ってる、かな」  ふらりと、星乃のクセのある黒髪が揺れた。 「星っ、」  そう思ったら、ぐらりと大きく揺れて、思わず肩を掴んだんだ。倒れそうだったから。 「ぁ……」  長めの前髪と黒縁のメガネで普段はあんま見えない、けっこうでかい黒い瞳が、俺を見つめて、頬っぺたが、俺の飲み続けてた林檎みたいに真っ赤でさ。 「大丈夫か?」 「ごめ、あの」 「酔ってんだろ、相当。気持ち悪くねぇ?」 「へ、き……飲みに、から」 「? 何、今、よく聞こえなかった」  星乃の声は基本的に小さくて、ボケッとしてると聞き逃しそうになる。 「……飲みにここに来たから」  キュッと唇を噛み締めて、林檎みたいに真っ赤な顔をして。  真面目だから、星乃って。  飲み終わったら、マジで「それじゃあご馳走様でした」とか言って帰っちゃいそうじゃん? って思ったけど、本当に、そうだったのか? 飲み終わらないようにって、ずっと――。 「なぁ、星乃……」 「……」  ずっと、飲んでた? 飲みに来たから、飲み終わってしまったら、帰らないといけないって思ってさ。 「今日は痛くねぇ?」 「……ぇ?」 「さっき、朝礼の号令、想像しただけで腹痛くなるって言ってたから」 「ぁ……」 「痛くなったかなぁ……って」  そんで、林檎みたいに真っ赤な顔で、すっげぇ酔っ払いながら、小さく小さく頷いた星乃からは甘い甘い梨の香りがした。

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