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第27話 ぽとり
「今夜は少し遅くなるからさ。もう、子ども達は寝た?」
嘘……だろ?
「そうか。わかった。アヤコも待ってなくていいからね。先に寝ていて。それじゃあ……あぁ」
アヤコって、奥さん? 子どもも、いる、のか? だって、だってそれじゃあ、星乃の気持ちは? あいつ、栗原のことが――。
「あ、どーも、間宮クン」
「!」
愕然と立ち尽くしていた俺を見つけて、何も知らないと思って、にっこりと微笑んでる。
「あ……の……今の電話って……」
「? あぁ、家族に」
「それって……あの……星乃って、知ってます?」
「? あぁ、多分、知ってるんじゃないかな。設計室で家族の話とか、するし」
「……」
「間宮君?」
マジか。
「おーい、間宮くーん?」
あいつ、栗原が奥さんいて、子どもがいて、なんか飲み会の最中に電話して優しく話しかけちゃうとか、知ってんのか? 知ってて、それで?
――俺、いいんです。奥さんがいても、お子さんがいても、好きって気持ち……変わりませんっ。
ぎゅうううう、って抱きついたり、とか? 星乃、一途そうだもんな。たまに、たまーに聞くだろ? 真面目そうな眼鏡の地味キャラの子が、ふ、ふ、ふ、不倫、とかしちゃうっつうの。好きになったら止まらない系。
そして頭の中で出来上がったのは、優しい大人にメロメロになって、お子さんいようが奥さんいようが、二番でも三番でもいいんです、って抱きついて離れない星乃の姿。
――お願い……栗原さん。
目とか潤ませて。
――好きっ、栗原さん。
切なげな表情で。
――一度でいいからっ。
とかなんとか言っちゃって。
――栗原さぁぁんっ。
甘い声で、迫る、星、っ。
「間宮、クン」
「! っ、!」
頭の中で想像していたのはどえらくドエロい星乃の顔。そして、今、リアルの視界に飛び込んできたのは、俺を覗き込む眼鏡で真面目な星乃。
「はぎゃ、がっ!」
「あの」
それは、いかんだろ。
「どうかした?」
今、栗原を追いかけて来たとか? ずっと隣にいたのに、ススーッと消えた栗原を探しに来たとか? 隣にいたいのに……みたいな? 奥さんも子どもも今は忘れて、俺と……みたいな? お酒のせいにしちゃってください。栗原さんは魔がさしちゃっただけなんです。悪いのは全部俺だから、お願い、一度だけ、あぁあれぇぇ……みたいな? 最後、ノリがお代官様調になったけど。
でも、そういうこと?
「あの……」
それは、いかんだろ。不倫なんて、そんなのいかん。俺、チャラチャラはしてたけど、そういうのはダメだと思うんだ。人のものつうか、たださ、ただな? 妻帯者だろうと好きになるのは自由だけど、でも、やっぱさ。
「ちょっと、星乃、話がある」
「ぇ?」
少し抜け出したって、製造の人たちはもう解放された繁忙期のピークに酒のピッチが今回めちゃくちゃ早いから大丈夫。もうすでに呂律回ってなかったりすっから。だから、星乃が「いやだ! そんな話聞きたくない! 恋愛は自由でしょ! だって好きなんだ! 好きなんだもの!」って逃げ出さないようしっかりと手を握って、飲み屋の外に出た。
「わ……寒い」
外はぐんと冷え込んでいた。星乃は、何? どうしたんだろう? って顔で、大きくて重たそうな眼鏡越しに俺をじっと見つめてる。
外は寒いけど、中じゃ話せないから。栗原いるし、製造メンバーがちょいちょいトイレに行こうと廊下を通るから。
「お前さ……」
店の中がすげぇうるさかったから、外は静かで、俺のぽつりと呟いた声すらよく響いてる。
「好きな奴、いるだろ」
「! な、んで、それを」
少し、青ざめたように見えた。知られてはいけない秘密を知られてしまったって顔。
「いるよな」
「……」
誰にも、気が付かれていないと思っていたのに、っていう怯えた顔。
「やめようぜ」
「……」
妻帯者なんて。
「好きになるのは自由かもしんねぇけど、でも、好きになっちゃダメな相手だろ」
奥さんも、子どももいるんだぞ? 不倫はダメだろ? 家庭壊すんだぞ? 奥さん、泣くぞ? お前のおじさんおばさんだって泣くぞ?
「伝えられないだろ?」
子どもも泣くぞ?
「もっと別の奴にしろよ」
お前だって泣くぞ? だって、絶対にさ、ホント、これ言っちゃったらすげぇ残酷だけど、幸せになんてなれねぇだろ?
今、納得した。
女子との飲み会なんて行ったこともないのに、急に参加した理由。俺と、その、男子校ではよくするらしい抜き合いを一回だけじゃなく何度もした理由。
好きになった人が好きになっちゃいけない人だったから、だ。
諦めようと思って女子会に参加したんだろ? それでもやっぱり栗原が好きだった。じゃあ今度は同性の俺を代わりにって思ったけど、やっぱ、本物がいいんだろ? 大人で、優しくて、仕事もできる栗原が。
「やめとけよ」
やめて、俺にしたらいいのに。俺を好きになったらいいのに。
「……ごめっ」
「!」
心臓、止まった。ぽつりと呟いた星乃の蚊の鳴くような声に、心臓止まった。眼鏡の奥、大きな大きな、真っ黒な瞳からでっかい雫がぽとりと落ちたから。
「星、」
「ごめん、なさい……好き……に、なって」
また、ぽとり。
ぽとり。ぽとぽと……ぽと。
「間宮クンのこと」
ぽと……。
「……………………ぇ、ええええええええええ?」
星乃の涙がぽとりと落っこちて、俺は飛び上がった。
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