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第31話 地獄の門番
「すげぇ、見事に人がいない」
「そ、そりゃ……」
大きな湖のある公園は今、紅葉の方が人気らしい。ピークはもう過ぎてるけど、まだ赤や橙に染まった葉が楽しめますってポスターと矢印が公園内にいくつか設置されていた。屋台も出てるって。だから人はそっちに集中してるみたいで、ヨットを貸し出してくれる湖の方には人がほとんどいなかったし。
「でも、静かでいいじゃん」
そしたら星乃の小さな声も良く聞こえる。
「なんか……」
「んー?」
ほら、いつもなら、いろんな音で掻き消されてそうな小さな声がちゃんと聞こえた。ぽつりと星乃が呟いたその声に返事をすると、聞こえてたことにも驚いたのか、ちょっとだけ重たそうな黒縁メガネの奥のでっかい瞳が更に大きくなった。
「あ、えっと……間宮クン、無理、してないかなって」
「無理?」
「こ、こういうとこあんまり」
「っぷ」
「! ごめっ」
「いや、いいけど、確かにこういうとこあんま来ないし。小学校の時の遠足以来かなぁ」
そうそうその時は、ボートは禁止だったっけ。当たり前だけど子どもだけで学校行事である遠足にそんなの許可されるわけがない。もしも俺みたいなバカな小学生がはしゃいで湖に落ちたら大問題だ。
だから遊べるのは公園の真ん中にあるだだっ広い草っ原だけ。けど、それでも俺らガキンチョにはちょうどよかったんだろうな。ただ広いだけだけど、ただ広いからめちゃくちゃに走り回っても誰にも咎められなくて、バカみたいに走り回ってた。
「そんで、白いさ、なんか空気が中に入ってる山があって。そこに登って、滑り落ちて、また登って、滑ってってやってた。つうか! 俺ばっか話してんじゃん。しかも、小学校のガキの頃のエピソードとか」
星乃の話を聞こうと思ったんじゃん。なのに俺が小学校の遠足エピソード語ってどうすんだ。
「う、ううん……俺は、聞けて……嬉しい……」
星乃は小さく、マジで小さな声でそう呟いて、ボートの底をじっと見つめた。なぁんにもない湖の真ん中は秋風を遮るものがなくて、黒い少しクセのあるふわふわした星乃の髪がほんのわずかな風にも揺れてる。小さな声も、揺れる髪もささやかすぎて、きっとここを選ばなかったら聞こえなかった、見ることはなかったものばっか。
「星乃は?」
無口な星乃のことを聞きたいんだ。けど、ついつい俺ばっか話しちゃうからさ。
「星乃はここ、遠足で来たことねぇ? 隣の小学校だろ?」
地元は一緒なんだ。ただあのY字になってる辺りで学区が変わるんじゃなかったっけ。星乃は隣の小学校の隣の中学校の、そんで高校が同じ工業になった。
「あ、来たこと、ある」
「マジで?」
「うん。ボートは禁止だった。でも、なんか」
「?」
「その近く通ったら、怖い顔したおじさんが立ってて、だから誰も近寄らなかった」
「………………それ」
「?」
「それ田中だよ。マジか! あはははははは」
星乃は不思議そうに「田中……先生」って呟いて、ぽかんと口を開けてる。
「腕組んでてさ」
「あ、うん」
「顔が真四角で、オルバ」
「オルバ……オールバック、う、うんっ」
「あはははは! マジでそれ田中だ。うちの学校の先生! ボート禁止だったから、門番みたいに、追い払ってたんだ。俺らバカだからダメつっても乗ろうとすっから」
乗りたくてさ、こっそり乗ったって、この広い湖なら絶対にバレないって思って、そっと、やってきたんだけどそんなのはお見通しだって、学校一怖い田中先生が地獄の門番みたいに立ってたんだ。
「あははは、すげぇ、同じ日に遠足だったんだな」
「ぅ、うん」
確かに色んな学校が来てたっけ。だから絶対に帽子を取らないこと。普段白組の子も今日はずっと赤色帽子にしてかぶってくださいって、もうわかったぁ、って言いたくなるくらいに何度も注意されたっけ。
そんで、ボートは禁止だから最強に怖い田中先生がオルバに腕組みで来る奴らをことごとく睨みつけてた。
「こ、怖かったの、覚えてる」
「ギャハハハハハ」
すげぇ偶然。
「そっかぁ、あの日いたんだなぁ」
「……うん」
どっかですれ違ってたりするかな。
「あ、でも、自転車のとこにはいなくてホッとした」
「は? 自転車オーケーだったん?」
「うん。そのために三人、もしくは二人でペアになって」
「マージーか! めっちゃ羨ましい。俺らそれも禁止だったぜ」
「そ、そうなんだ。自転車、でも、俺はちょっと」
二人乗りとか三人乗りの自転車があるんだただ前後にくっついてるみたいな奴なんだけど、俺はそれ禁止でさ。でも、そんな自転車普段絶対に乗れないからすげぇ乗りたかったっけ。
「まさか、緊張して?」
「うん、だって、俺がミスしたら走れないでしょ? だから緊張してきてお腹痛くて……でも休んだら、一緒に乗る予定だった子、乗れなくなるから、痛いの我慢して」
「同じ学校だったらよかったなぁ」
「……ぇ?」
星乃っぽい。
「そしたら、腹痛くなっても俺のハンドエナジーがあんじゃん?」
「あ」
ワキワキ動かしながら星野へ手を伸ばした。
「……おし、次は昼飯食べて、それから、その自転車乗ろうぜ」
「……」
「俺がいたら痛くないし、その時のリベンジ」
「う、うん。自転車」
星乃が頷いて、よーしってボートを二人で漕いで岸へと戻った。
「星乃、チャリのレンタルあっちだ。途中、飯食べる場所とかあっかなぁ」
「うん」
急に決めたから弁当とか持ってきてないし。こういう公園ってレストランとかあるよな? 多分。
「あ、あるっぽい……なんか、出店がいっぱい」
「へぇ」
紅葉フェアとかで屋台がでてると星乃がスマホで調べてくれた。
「じゃあ、そっち行ってみようぜ。……ほい」
「……」
手を差し出すと不思議そうな顔してた。
「ほい」
だからもう一度、手を伸ばして星乃の手を掴んだ。
さっきワキワキ動かしながら触ったらさ。
「手、繋いでこうぜ」
「……」
「冷えはお腹の天敵だ」
星乃の手が冷たかったから。そりゃ十一月の山の麓で、湖のど真ん中はちょっと寒いよな。けど大丈夫。
「あったかいだろ?」
常時、ハンドエナジー発動中の俺の手はあったかいから。だから、ぎゅっと手を握って、二人乗りの自転車の元へと枯葉舞うレンガの道をのんびり歩いた。
「……うん」
今度は、枯葉を踏む足音に掻き消されなかった星乃のいろんな話を聞きながら。
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