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第36話 ゆっくり行こうぜ
「急に走って、腹痛い」
さっきの星乃みたいに腹んとこをぎゅううううって手で押さえながら、もう片方の手を膝に置いた。
「……ぁ」
星乃は前、ここで腹痛を堪えて座り込んでたのと同じように、しゃがみ込んで小さくなりながら、小さく声を上げた。
「足、はっや……」
「!」
「すげぇ、久しぶりにマジで走った。しんど……」
「ごめっ」
めっちゃ逃げられた。目が合って、そんなガチで逃げる? 顔見て、「やべぇ!」みたいな感じで逃げたりする?
「星乃」
「っ」
名前を呼んだら、ビクって怯えたように身体をすくめて、しゃがみ込んでいた脚を抱えるようにさらに丸まった。なんか、これじゃ、俺がすげぇひどいことしてるみたいだから、星乃のすぐ目の前にしゃがみ込んだ。
「なんか、あった? っつうか、なんか、した?」
見上げた星乃の瞳が。
「泣い……」
「ご、ごめっ、さっき澤田クンといるところを見たら勝手に足が」
「……うん」
ビビる?
どーしよって、なってる?
誰かと付き合うのとかさ、全部初めての星乃はビビるよな。どーしようってなることばっかだよな。
「こ、困ってる、かもって」
星乃は初めてなんだ、そうもなる。困ることだってあるだろ。手繋ぐのだって、キスするのだって、初めてなんだ。俺にしてみたらデートってどんなもんか過去のあれこれでわかってたって、星乃はそのデートだってしたことないんだ。公園だって、水族館だってさ。だから。
「困ってるんだって」
「うん」
だから、星乃が戸惑うのも困るのも。
「間宮クンが」
「………………へ? 俺? ぇ、俺? 星乃じゃなくて?」
「ぇ? 俺?」
「……」
二人できょとんって顔を見合わせた。なんで? 俺がどうしよってなってるって思うわけ? ってお互いに同じ疑問をお互いに思いながら。
「だ、だって……俺、男、だから」
先に打ち明けたのは星乃だった。ぽつりと、金曜なのに誰もいない、嘘みたいに静かな謎のボーリング場の駐車場で。
「間宮クン、本当は男の俺と付き合うってなって困ってるんじゃないかって」
「は? なんで、俺が」
「だって、間宮クン…………女の子好きだから」
最後は消えそうな声だった。それから肩もぎゅっともっと縮こまってた。
いや、好きだけどもさ。好きだったけどもさ。
でも今好きなのは。
「だから、もしかしてたら後悔してたりするかなって」
でも、今好きな子は目の前にいる。
「するわけないだろ」
「! ……でも、これから後悔するかもしれないって」
後悔? 星乃と付き合って? するわけないだろ。毎週デートしてんのに。これから? そんなの。
「腹、痛いの?」
「へ、へーきっ、ダイジョウブ」
「大丈夫じゃねぇじゃん。手、どけてみ?」
「平気っ」
さらにぎゅうぅって丸まって、縮こまって、小さくなる星乃にそれ以上無理なことはせず、でも、じっと、無口な星乃がぽつりぽつりでも話してくれるのを待とうと思った。
「これから後悔しちゃったら、って考えてて、それで……そしたら、さっき」
「あー、もしかして、さっきの女子のこと?」
コクンって頷いた。
「あれは澤田の元カノ。中学の時のだから、星乃は知らないか。どっかで飲んでたみたい。そんで俺も澤田と飲んでて、あそこであいつが代行来てくれるのを待ってたら、偶然、遭遇した」
「……」
「それだけだよ」
「……」
「女の子と飲んでたんじゃない」
「……」
「星乃がいるのに、女の子と飲むわけねぇじゃん」
「!」
そこでそんな目丸くすんなよ。
「星乃と付き合ってんのに、女の子と飲まないよ」
「……てっきり」
「バカ」
ぽこ、って、痛くなんてないようにそっと、そーっと、真っ黒な髪の上に乗せるくらいの感じで、そっとグーにした手を乗っけた。
俺がなんでか星乃と付き合ってることを後悔しているって思い込んだ星乃の頭に。
なんでか、後悔して、次の彼女を探してるとか思い込んだ星乃のおバカに。
そんで、設計なんてできて、CADだって扱えるような奴のくせに、頭がいいくせに、真面目すぎて不器用な星乃に。
「もしかして、ずっと、デートが外ばっかなのも、そういう理由?」
「!」
「うちに来ない理由」
やっぱな。
「今日、澤田と飲んでたのはそれ相談してた」
「……え?」
ほーら、やっぱりだ。
「嫌われてんのかなっつって」
「そっ、そんなことっ」
慌てる星乃にちょっと内心ホッとしたくらいには俺だって、少し不安だったんだ。
「けど、今は嫌われてないってわかったしさ」
「……」
「だから、ゆっくり行こうぜって思った」
まぁ、抜き合いとかしちゃってるから、なんかゆっくりっていうのも、変な感じかもだけど。ちゃんとした恋愛スタート地点に立ったんだからさ。
「こ、後悔しないの?」
「はい? しませんけど? つうか、後悔なんてしてないし、する予定ないし」
「……」
「お、俺、男だよ」
「知ってっけど? 抜き合いしてるし」
「わああああ!」
びっくりした。星乃のでっかい声、初めて聞いたかも。だーれもいない駐車場に響き渡る、すげぇでかい声。で、慌てて、俺の爆弾発言を食い止めようと俺の手を両手で塞いだ。
星乃も男子ですから。細くて、白くて、俺なんかよりもずっと華奢だけど、男ですから、俺は勢い任せに突っ込んできた星乃を受け止めきれずに、二人して駐車場のアスファルトの上に転がった。
「っぷ、あははははは」
「ご、ごめっ」
「いーよ。怪我なかった?」
「そ、それは、間宮君の方」
「穂沙だよ」
ゆっくり行こうぜ。
「ほ、ず、な」
「……」
「俺の名前」
「……穂、沙クン」
「クンなしがいいけど、まぁ、どっちでも」
腹痛くなっちゃったら大変じゃん? 緊張するとすぐだからさ。
「静(しずか)の呼びやすい方でいいよ」
「!」
ゆっくり。
「そんで、せっかくだし、まだ一緒にいたい」
「……ぁ」
「もしよかったら、うちで飲み直そうぜ。慌ててないし、へーき、襲ったりしねぇから」
「!」
「まだ、ちょっと緊張するとかならまたそのうちでもいいし。とりあえず送、」
ギュッて、星乃が、静が、俺の服を握り締めた。ギュッて肩をすくめながら。
「飲む……穂沙、クンのうちで」
ゆっくり行こうぜって思った。
「飲み、ます」
けど、ゆっくりじゃないと俺も無理かもって思った。
「穂沙クンと……」
俺の名前を呼ぶ静の声だけで、結構な破壊力だったから。マジで、心臓バクつくくらいの破壊力だったから。
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