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第56話 ハンドエナジーです。
そして、暴走しました。
「あ、あの……」
「水飲む?」
「あっ、うん」
ベッドの中、新品の家着を着て、少しまだ寝癖で髪が跳ねてる静が小さく頷いた。今日が日曜でよかった。引越し作業が全部終わっててよかった。
朝起きたら、まぁ痛くなったわけで。静の腰が。その……つまりは「ぎゃあああ、お盛んすぎて、痛いいいいい」って悲鳴をあげたわけで。
「どうぞ! 水!」
「あ、ありがと……あの」
「キャップ、外すからっ」
急いで手から取ると、急いでキャップを外し、急いで静の手に渡した。
「あの、いいよ? そんなに気にしないで」
「そういうわけには」
「お、俺もいいって言ったじゃん」
――して……暴走。して……欲しい、です……暴走。
「だから、そんなに気にしないで」
あー、思い出すと、すごく、その……あの……朝っていうか午前中からその股間が……。
「それに、なんか変っていうか、面白いからっ」
「面白い?」
「うん……俺、いっつもお腹が痛くなるのに」
そこまで言って、小さく笑いながら冷えたらあかんと布団でもこもこに覆われてる自分のお腹の辺りに手を乗っけた。そして、その手を見つめながらふわりと微笑んで、頬っぺたを染めてる。どっかに飾ってありそうな、聖母感溢れる構図で。
「なんか、腰が痛いって初めてで、面白いなぁって」
なんかさ……なんていうんだろ。静は多分、ゲイ、なのかな。その辺はよく聞いてないし、そのうちなんとなくそんな話題になったら……くらいでいいと思ってるんだけど、だって、ほら、俺が静のこと好きで、静も俺のことが好きなら、女の子が好きなのか、男が好きなのか、っていう設定はまぁどっちでもいいかなって思うから。そうじゃなくて、静がゲイでもゲイじゃなくても、きっと、こんな優しくて柔らかくて、可愛い男ならさ、そのうち静にすっごい惚れる奴とか現れそうじゃん。俺よりもずっと金持ちとか、ずっと頭がいいとか、ずっとイケメンとかさ。だって、静は高校からって言ってた。俺を好きだったのは高校の時からって。
そしたら、まだそんなにたくさんしてないだろ?
「あのさ……」
「? はい」
色んな恋を。
「俺でいいの?」
「……」
びっくりした顔してる。けどさ、他にもっと良いやつもいるかもしんない。他の恋がしたくなるかもしんない。
「もしもさ、俺じゃない誰かを、まぁ……その……」
あ……少し、わかる。今なら少し、わかる。
腹なのかな、胸っぽい気もする。心臓のとこがぎゅーってなるような、胃のところがぎゅーって絞られるような、なんとも言えない息苦しさが、今、少し滲んでる。
こんな感じなんだろうなぁって思った。星乃の痛いのは。腹んところが不安と緊張で痛くなる感じ。
「その時はさ」
「あの……それは、ないと」
「けど、わかんねぇじゃん。だから、その時はっ」
その時は遠慮なく、「言ってくれていいから、離れてくれていいから」その言葉を言いたくなくなるくらいにぎゅーってさ。
「だって、俺、穂沙クンのこと……好き、だから」
わ。
すご。
一瞬で、なくなった。
ぎゅーって痛いのが、静のあったかい手が俺の手に重なったら、一瞬で消えた。
きっとこんな感じ。
ハンドエナジーっていうやつ。
俺が静にしてあげてたやつ。
「だから、ないと……」
なんかさ、言葉もだけど、それ以上に手から何か出てるみたいにすんなりと入ってくる感じがした。
あ、この人だ。
みたいな。何かが。
「わ、わかんねぇじゃん! そんなん!」
「わ、わかるっ」
「わかんねぇって、まだ二十歳だぞ? っていうか、例えば、もっと、身近で言うと、静が挿れる側をしたくなったりとか、ねぇの?」
「ええっ? ええええええ?」
「男だったらあるだろ? だから、その。そういうことも含めて」
ちょっと今の時点でそれを「じゃお願いします」と言われると、あれがあれで、あれなんだけど。
「それも……ないかと……」
「けど」
「だって、俺、男だから」
「だからっ」
「だから、なんていうか、そ、そういうコトしてる時の穂沙クン可愛いから」
「は?」
「あの……俺の中にいる時の穂沙クン」
今、何時だっけ。まだ午前中だもんな。まだ、ダメかな。ダメでしょ。けど触れたいなぁ。
「すごく、可愛くて……好き、だよ」
「はぁ? おまっ」
「だ、だから、ないってば。その心変わりとか、する側とかそういうのっ」
「おまっ」
「むしろっ、こっちの方が心配だよっ、穂沙クンが、他の」
「ねぇよっ」
だってさ。あり得なくね?
「ねぇわっ、そんなん」
こんな可愛い静からよそ見も、心変わりも、ない。っていうか、もっと好きになった。
「初めて男を好きになったけどさ」
「……」
「けど、フツーに、初めてこんなにずっと一緒にいたいって思ったよ?」
「…………ぁ」
もしもこれからぎゅーって痛くなりそうになったら、手当てしよう。そしたらきっと痛くなくなると思うから。
「あ……うん」
「だから」
「……うん」
手に触れたら、安心して笑みが二人とも溢れた。
「……うん」
互いにあんま喋れなくて、話さなくて、けどあったかい手で伝わるから。
話さなくても大丈夫。
無口でも大丈夫。
「うん」
コクンと頷く君を待って、そっと触れて離れて、もう一回触れると、少しだけあったかい白い手が俺を引き寄せたから、ほっそい身体を抱き締めるように手を伸ばして。
「うん」
初めての一人暮らし。まだ見慣れない窓の向こうには内緒で、俺らは好きを交換するように、ゆっくり頷きながら。
手を繋いで、無言で、無口で、ゆっくり丁寧におしゃべりでもするように。これからものんびり進んでくんだろう。
俺らの恋に微笑みながら。
俺らは、優しく、キスをした。
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