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新生活編 2 道のり十分

 四月ともなると夜だってめちゃくちゃ風が柔らかくて心地良いものになる。  それに田舎だ。  酔っ払いがゾンビみたいにウロウロしてるわけでもないし。なぁんにも音がしないからここからならけっこう距離があるはずの川のせせらぎなんかも聞こえてきたりしてさ。 「……春だね」 「春だなぁ」  なんて、おじいちゃんみたいな会話をしながらの夜道のお散歩デートって感じにもなっちゃえる。 「風が気持ちいいね……」  ふわりとした風が静の横を通りすぎていった。 「あ、あの、ごめん、なさい。いっつも送ってもらって」 「んー? なんで、むしろ送らない選択肢ねぇし。お化け怖いっつってたじゃん。平気? 腹とか痛くなってねぇ?」 「……う、ん」 「けど、お化け怖いんだな。平気なのかと思った」 「えっ!」 「だって、あのボウリング場も結構な不気味さだったじゃん」 「!」 「まぁ、腹痛かったらお化けどころじゃねぇか」  静がコクコクと何度も激しく頷いて。その少し長めの前髪を春の優しい風がふわりと揺らした。  製造現場はとにかく体が資本だからさ。もう四月になると、動き回るからあっつくて、分厚くてごっつい作業着なんて着てらんなくなる。夏用の制服っていうのはあるけど、別に何も言われないから、着たり、着なかったり。猛暑とかになってくると半袖だろうが何だろうが「作業服」っていうのが邪魔くさくなるから、大体黒、紺とかのTシャツを制服代わりにして仕事するんだけど。グレーは汗がものすごく目立つから着ない。 「製造は、ある、んだよね、新入社員歓迎会」  やっぱ気にしてくれてるのかなぁ……なんて。それ訊くの今日二回目っつって。愛されてるなぁなんつって。 「あー……多分、でも、女の子だからなぁ」  静のいる設計は冷暖房完備の空調バリバリ通年で快適空間だから、まだ作業着着てやるよな? 「?」 「ほら、だって、ビミョーじゃね? 製造部、むさ苦しいの多いし。歓迎会のはずがむしろ罰ゲーム感つうかさぁ」  そしたら…………見えない、よな。 「そんなことっ」  キスマーク。  たんまり付けちゃったんだけどさ、ちょっと上すぎたかなぁ、って。作業服なら見えないと思うんだけど。Tシャツならアウトだな。うん。  だって、可愛いんだもん。  静が。  ヤキモチとか、可愛すぎんだもん。  静が。 「だからどうかなぁ。わかんねぇ、上の人たち次第なんじゃね」 「……」 「けど、あの人たち宴会好きだからなぁ。静が来てくれた時だって、その都度宴会してたじゃん」 「ぅ、ん」  キュッと唇を結んでさ。眼鏡のズレ感が隙だらけって感じを漂わせててさ。  イッチャイチャのイチャイチャなことをしたくなる感じ。  今は私服だけど、アウターのおかげで首筋まで隠れてて、パッと見はわかんない。けど実はあっちにもこっちにもキスマークがくっついてる。  ――あっ、穂沙クンっ、あんまり触っちゃ、や、だ。  なんでーっつってさ。もっと触るんだ。  ――あ、あ、あ、ダメ、イッちゃう。  それが見たくて触ってるのに、本当に慌てて、キュッと堪えて唇を噛み締める。それがすげぇたまらない。  ――あ、ンっ穂沙クンっ。  敏感で感じやすくて。  ――あ、あ、穂沙クン、キス、したい……ょ。  そうあっまい声で囁いて、真っ白な腕を伸ばして俺を引き寄せるんだ。細くてしなやかな足を俺に絡み付かせてさ。  こうしてる時は全然想像できないけど、最中はエロくて、可愛くて。もうそのギャップに俺は完全ノックアウト。やられまくり。  めちゃくちゃ。 「そっちの歓迎会」 「?」  大好き。  すっげぇ好き。 「なんか面白そう」 「え?」 「設計ってさ、めっちゃ私語厳禁って感じで静かじゃん? それで歓迎会とか。どんな感じなのかなぁってさ。俺も混ざりたいかも、なんつって」 「!」 「今日は遅くまでごめんな」 「大丈夫! むしろ! 送ってもらってばっかりで」 「このくらい当たり前じゃん」  もちろん、静を一人で帰すなんてことしないけど、理由はさ、夜道が危険だからってだけじゃないんだ。  俺のマンションから静の自宅まではそんなに遠くない。こんな感じで静が行き来しやすいようにって借りた場所でもあるから。だから、ゆっくり歩いたって十分もかからない。 「優しい……」 「それも当たり前です」 「!」 「好きな子には優しくするだろ」 「!」 「ほら、家、着いたよ」 「あ、うん。それじゃあ、また明日」 「おー」  君と、もっとたくさん一緒にいたい。 「明日は映画、観に行こうね」 「あぁ」 「おやすみなさい」 「おやすみ」  帰りの散歩も全部、もっとたくさん、会っていたいから。 「……おやすみなさい。また明日」 「……あぁ」  君がその玄関の扉を閉める寸前まで名残惜しくて見つめてしまうくらい。 「おやすみぃ」  君ともっとたくさん一緒にいたいんだ。 「……」  パタン、とそっと閉じた扉をしばらく眺めてた。もう家の人たちは寝てるのかもな。なんの音もしない。  俺は今来た道を引き返しながら、さっきまでは心地良かった風を少し冷たく感じながら歩いていく。 「……はぁ」  ゆっくり歩いたって十分もかからない道のり。  けど、それを二人でのんびり他愛のない会話をしながら十分かけて歩いて。  帰りはやっぱり十分もかからなくて。  この距離のところで一人暮らしを始めたのは静がうちと行き来をしやすいようにって思ったからなのに。 「あーあ……」  もう、今の俺は、もっとずっと一緒にいたくて。 「はーあ……」  静とさ。 「……」  もっとずっとっていうのは、あれ、深夜までとかじゃなくて、お泊まりとかじゃなくて。  けど、これは俺のペースでさ。静にはきっと早すぎるペースなんだ。 「明日は映画、か……」  昼間の楽しいデートもいいけど。  季節を感じるしっとり夜道デートも楽しいけど。  一緒に暮らしたいなぁなんて……思っちゃってるんだ。

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