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新生活編 7 辿々しくも
ものすっごい、なんか、嬉しかった。
映画上映記念、アンド、期間限定、とはいえ、五百円もした、たかがボールペンを、されどボールペンって、かざしてくれた時。
なんか、ものすごーく嬉しかった。
「あ、あの、穂沙クン?」
「んー?」
「けっこう酔っぱらって、る?」
「んーん」
ずっとにっこにこな俺とは正反対に静が心配顔をこっちへ向けた。
だってさ、そりゃにっこにこにもなるでしょ。
静がなんで頑張ってたのか。なんで幹事を率先して引き受けていたのか。歓迎会を製造と合同にしたかったから、なんて知ったら笑顔にもなる。
合同にしたかったのは、製造部に入った新入社員が女の子で、その子がもしかしたら……って思ったから。
俺がかっこいいからモテてしまうと心配したから、なんてさ。
「幹事なんて引き受けて、腹痛くならなかった?」
「大丈夫。穂沙クンがいてくれたから」
静は幹事とかそういうの向いてるキャラじゃない。それでも、って思ってくれた。
「……ちょっと不安だった」
「新入社員の子のこと?」
コクン……と小さく頷いて。でもそのすぐ後にフルフルと首を横に振った。
「それだけじゃ、なくて」
無口で静かな静の、小さな、言葉を選びつつの告白。
「あの……新入社員の女の子、が……穂沙クンが映画のグッズ持ってて、映画、彼女と見たんですか?って訊いたんだけど、なんか言葉を濁してたって」
「……」
「彼女さん、いない、とかなのかなって。総務にいる人と話してたんだ」
あ。
それ、か。
そうか。総務って設計のある部屋と仕切りがあるだけで基本繋がってる。ただ、パーテーションで区切られているだけだから、声とか音とかは筒抜けなんだ。
「そ、それでそのちょっと後に、穂沙クンがあのデートの時に買ったのボールペンじゃなくてキーホルダーにしたらよかったなぁって……言うから」
ポツリ。
ポツリ。
まだ色々辿々しい静の告白。
「ボールペンじゃあの子に見つかっちゃって、それで、あの子に付き合ってること言うの躊躇って」
恋愛が辿々しくて。
「隠してるのかなって思って……」
不安解消とかも辿々しくて。
「でも! 穂沙クンが俺のこと好きって言ってくれたから! 信じてみたっ」
信じるのも辿々しい。
「それで、さっき、ヤキモチをっ、あれなら誰が穂沙クンの彼女なのかわからないっていうか、俺がそうだってバレないっていうか」
ヤキモチだってもちろん、そう。
「でもっ、まだ、ちょっと」
「不安になることなんてないっつうの」
全部、ぜーんぶ、辿々しいから俺が手を引いていこう。
「ヤキモチ大歓迎」
「……穂沙クン」
こんなふうに手を繋いで。
「彼女って言うのをごにょったのは、好きな子が女の子じゃないから」
静の名前が女子っぽくてもちゃんと男子ってわかってるし、俺は静を女の子役にしたいわけじゃないから、彼女っていうふうに言いたくなかった。
そう手を繋いだままゆっくり話した。
付き合ってる子がいるって言うのを躊躇ったんじゃない。
「だって、静は彼氏、だろ? けど、それはさすがに言うとさぁ。かといって恋人とか俺のキャラに合わないっつうか」
「あ、うん」
「そこ、即答」
「だ、だって」
けど残念なことに本当に見た目のキャラ的には似合わなくてさ。
「けど、真面目に付き合ってるのは本当だよ」
「……」
そこで驚くなよな。本当に真剣に、すっごい好きなんだからさ。
「そんでさ、もういっこ、キーホルダーのほう」
こっちが俺的にはけっこうドキドキもので、重要な話題でもある。緊張するっていうか。
「それは別にあの子のことは全然関係なくてさ」
断られる、ことはない……と、思う、けど。
思いたい、けど。
でも、こればっかりはわからなくて。
俺の部屋に静は毎週来てるから居心地的には悪くないと思う。
でもやっぱりこれもわかんない。週末だけのことだから我慢できてる、とかかも、とか。
言い出すタイミングはこれで大丈夫かな、とか。
色々考えてさ。
「あれ、は」
「……」
「まぁ、あれだ」
「……」
そんな固唾を飲んで待ち受けられると緊張がすごいんだけど。
「一緒に住みませんかぁ……みたいなことを考えてた」
「……ぇ?」
「それを言い出すきっかけにキーホルダーをって思ってさ。同じ部屋の鍵くっつけられるじゃーん、っていう」
「!」
「だからボールペンじゃなくて、キーホルダーにすればよかったなぁって」
これは、俺も辿々しい。
だって、誰かとさ一緒に暮らしたいとか思ったの初めてだから。
「…………し、します! 一緒に住みます!」
誰だって初めては辿々しいでしょ。新入社員みたいにさ、後々は笑っちゃうような間違えだってするし、戸惑うことだってたくさんある。勘違いもすれ違いも、山盛り。
「穂沙クンと!」
いつもは無口だし、声がそもそも小さいはずなのに、こんな時だけ、なんかテンションが上がりすぎるのかでっかい声。
たまにあるじゃん?
教室で皆がすげぇ騒いでて、その中で自分が思いっきりでっかい声で何かを言ったのと同じタイミングで、なんでか一瞬静まり返る教室っていう。あんな感じに、静のでかい声が響き渡った。でも、まだ大丈夫かな。時間は夜の九時前。一次会で退散したから、まだそこまでご近所迷惑じゃないだろ。
「っぷ」
「!」
「マジで、静」
「っ!」
「やっばいくらい……」
けど、やっぱ田舎だよな。夜の九時じゃ、もう人なんてほとんど歩いてない。
「マジで可愛い」
だから手を繋いで、二人でぽつりぽつりって辿々しい会話をしながら、もうたくさんしてきたキスを笑いながらした。
「一緒に住もっか」
笑いながら、キスをした。
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