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第3話 未知との遭遇

   そして僕は宣言通り、羽里に神社の境内に連れて行かれていた。  近所の神社、というからには、どこかこぢんまりとした、近所の人たちが初詣のときのみに足を向けるような、可もなく不可もない神社を想像していたが、思いのほか、古い神社だった。  そこそこ高いビルとビルの間にある細い道を抜けると、まるで異世界へでも誘われるかのように、深い竹林に覆われており、長く長く細い、先の見えない階段を辿って行くと、驚くほど小さな社がぽつりと現れるのだ。鬱蒼と木々が茂っているせいか薄暗く、なんというかこの都会の真ん中に突然現れたように存在しておきながら、神隠しが起こると言われても、ああ、確かにありそうだ、と納得してしまうほどには、説得力のある社であった。  あの後、「何も用事ないでしょ?お願いっ」と、丸め込まれ、渋々参加することになってしまったわけだが、通常の男子高校生は、こうして、暇な時間を妹と過ごすことなどないだろうから、家族仲がいいと言えば、まあ、そうなのだ。兄として、妹に「お兄ちゃん手伝って」と言われて、手伝っているわけなのだから、まあ、真っ当な家族サービスとしてカウントしても問題ないのではないかと思うのだ。  もしも彼女が、―――  片手に無数に釘を打ちつけたバットを持ってさえいなければ。  だが、か弱そうな女子高生が片手に釘バットを持っている図は、なんというか、颯爽と歩く彼女の、凛とした潔さからか、なにやら倒錯的な印象で、不覚にも、ちょっと格好いいと思わなくもない。  そして彼女は、困ったような顔をして、徐に僕に言った。 「お兄ちゃん、そんなんじゃ負けちゃうよ」  逆に、なにに勝たねばならないのか、という前提が知りたかった。  僕がバックパックから取り出したのは、結局、ガーデニング好きの母親に貸してもらった、錆びたシャベルだった。どうやら僕が小学生の時に、朝顔を栽培するという夏休みの課題の時に使ったシャベルなのだとか。よく見たらボロボロの柄の部分に、僕の名前がひらがなで書いてあった。  ダメ元で「何か武器になりそうなものある?」と尋ねたら、母親が「何の戦いがはじまるの?!」と、嬉しそうにしていたところに、羽里との血のつながりを感じた。が、渡されたのは刀でも、銃でも、ライトニングセーバーでもなく、シャベルだった。  羽里の武器はすごいね、と軽く感想を述べたら、いかにその釘たちが、計算されて配置されているのかということを、興奮気味に説明された。釘なんてあってもなくても、どうやって打ちこんでも、大して変わらないような気がしたが、彼女曰く、爆弾にだって鉄くぎを入れて殺傷能力を高めるのだから、彼女なりに、法律に反さないぎりぎりの武器の殺傷能力を最大限に高めた、とのことだった。いや、釘バットは、―――銃刀法違反だろう。が、鞄からすっと釘バットが出てきたときは驚いた。一体どうやって入っていたのだろう。 「よし、ここで魔方陣を描こう」  社の裏側の、より影の深いあたりで、羽里は鞄を下ろした。  僕は疑問に思っていたことを彼女に問う。根本的な質問なのだが、―――。 「こっちの世界側で魔方陣を描くのか?」 「だって、いつ召喚してくれるのかわからないんだもん」  僕は、以前、彼女が、失速するトラックに向かって、クラウチングスタートを切ろうとしていたことを思い出した。決して自殺したいと考えるような妹ではないことは、百も承知だ。おそらく、異世界に転生しようとしたのだろう。しかしその『転生』という事象には、漏れなく、直前に『死ぬ』という作業が含まれるため、それを自殺願望と捉えるかどうかは、非常に難しい。それはなんというか、福引の景品が欲しいなら、この商店街で買い物をしなくてはならない、と言ったような、必ずついてくる作業であるため、彼女のことを知らなければ、普通に自殺志願者に数えられてしまうわけだった。  もちろん、死に物狂いで止めたが、妹が、向こうからの威力が弱いなら、こちらから向かおう、という後ろ向きに前向きな、短絡的な思考の持ち主であったことを、僕は忘れていた。とりあえず、考えつくものは全部やろう、という彼女は、思い立ったが吉日という言葉を体現しているかのようだ。まあ、変な本も手元にあることだし、と思っていると、彼女から適度な大きさの木の棒を渡された。 「なんだか、終わりの方のページのほうが高度なかんじがするなと思ってて」 「そうだな、ちょっと複雑で描き辛そうだ」  数学の問題集だって、最後のほうに難易度の高い問題が書いてあるものなわけだし、と思いながら、その図面を見ながら、棒を滑らせていく。  見よう見まねで地面に掘られたその図面は、なんというか、それっぽい、と正直に思った。 「なんか、出そう」 「お兄ちゃんもそう思った? 私もなにか出そうなかんじがしてたの」  興奮した様子の彼女が、嬉しそうに同意をしてきた。その笑顔を見て、妹と出かける目的としては、いささか暗黒色が強いものではあったが、悪くないなと思った。  が、しかし。  じいっと観察しているが、なかなか変化は見られない。定番の展開で行くのなら、やはり魔方陣が発光して、なにかが出てくるのではないか、と推測されるが、何か足りないものでもあるのだろうか。  そのとき、―――魔方陣が光った、わけではなかった。  羽里の鞄に入っている携帯が鳴りだし、「あっちょっと待って」と言って、彼女は焦ったような顔で、社に沿って僕から見えないところまで歩いて行ってしまった。  僕はぼんやりと、携帯にかけてくる人がいるのか、確かに、バレないようにやってるもんな、と、彼女が普通の高校生であるという事実を確認し、何気なく社の柱を手でさすさすと触っていた。 「痛てっ」  柱から出ていたらしい古い釘で、手を引っ掛けてしまったようだ。 (釘の殺傷能力…)  と、先程、説明されたことが脳裏に過り、ひやりとしないでもなかったが、案外血が出てしまい、鞄からティッシュを取ろうと思い、ぺっとその血を払った。  そしてそのとき。  なんと魔方陣が発光を始めたのだ。  まさか血が? と、王道な展開を想像しながら、僕はとりあえず、仕方がないので、一応、とりあえず、持って来た錆びたシャベルを手に取った。  突然火災が突然起きると、避難する際に、人はテレビのリモコンを持って逃げてしまったり、どうも頭が働かないらしいというのは知っていたが、せっかく頭が働いていたというのに、シャベル片手に佇んでいる僕は、どこか滑稽だった。  パアァァ  魔方陣から発せられた白く淡い光に辺りが包まれ、そしてその光の中からぼんやりと人影が現れた。  物語に出てくる、王子様のような印象の薄茶色の長い髪の男が、ドーナツっぽいなにかを食べようとしているところだった。年頃は僕と同じくらいに見えた。  流石に僕も、驚いて声をあげた。 「え!」 「………え。」  どういう状況だかは分からないが、一緒にそこに現れた小さなテーブルの上に、ティーセットと思われる食器と、奇妙な桃色の植物の鉢植えが置いてあり、片手にしているドーナツのことを鑑みるに、明らかに、くつろいでいる最中に、こちら側に召喚されてしまったと様子が見て取れた。  それを物語るように、男の薄紫の目は驚愕に見開かれていた。  ガタンッと大きな音を立てて、男が咄嗟に立ち上がり、その拍子に食器と鉢植えが下に落ちて砕け散った。彼にとってみれば、異世界に召喚されてしまっている今、鉢植えのことなど、取るに足らないほどの小事であるはずだったが、よほど混乱しているのか、その落ちてしまった残骸と僕の顔を交互に見て、うろたえていたので、僕はおもむろに、手にしたシャベルを手渡した。 「どうぞ」  鉢植えに使ってください、とそれを手渡すと、彼は頭の上にたくさんのハテナマークを浮かべながら、ゆっくりと手を出して、シャベルを受け取った。おお、受け取るんだ、と内心驚いたが、その直後、彼はテーブルと共に、僕の目の前から、跡形もなく消えてなくなった。  僕は呆然と立ち尽くしていた。 (―――あれ……今のって、異世界の…?)  服装は、白いシャツに普通のパンツを履いていたように思うから、いまいち異世界かどうかは定かではない。しかし、まあ、あんな変な植物を見たことがないことを考えると、本当に異世界なのかもしれない。 「今、なにか光ってた?!」  焦って走ってきたらしい羽里の声が背後から聞こえてくるまで、僕は意識を飛ばしてしまっていた。 「あ、―――ああ、羽里。いや、特になにも、なかったよ」 「そっかあ〜。あれ、お兄ちゃん、手を怪我したの?」  どうやら通話は終わったらしく、そう言いながら羽里は目をまあるくした。そして、大丈夫??と心配しながら、僕たちは帰路についた。 「今回は行けそうな気がしたんだけどな。また今度、違うやつを試そうね」  そう言って、彼女は自分の部屋に戻っていった。帰り道に、推し作家のBL漫画を購入していたから、今から読むのだろうと思う。  それにしても、異世界に行きたい妹に、嘘をついてしまった。あの男は、本当に異世界の人だったんだろうか。やはり、なにか教えてあげたほうがよかったよなあ、と考える。  手に残ったシャベルの錆の匂いに、どこか苦々しい気持ちを抱え、一瞬の逡巡のあと、「どうでもいいや」と思って、僕も部屋に戻った。

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