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第7話 <ユクレシアの記憶02>

※※『ユクレシア』のことは、今後、回想形式で、続いていきます。もし、わかりづらかった場合は、目次から<ユクレシアの記憶>だけ、つないで下さい。   「じゃ、邪神様ああっ!」  とにかく今日は準備をするということで、王都で装備を整えた後、王城の客室をあてがわれた。隣の部屋の山田くんに「また明日」と挨拶をして、扉を閉めた途端、そう叫びながら、学生鞄を掲げ、僕は土下座をして、ははあ、と、ひれ伏した。 「ふむ。なかなかいい態度になったではないか」  勝ち誇ったような声が学生鞄から聞こえた。  くそう、と内心盛大に舌打ちをしながらも、僕は今、なんと邪神に頼るしかない状況に追いやられていた。邪神は、そのぽてっとした手で、内側からじじじと学生鞄のジッパーを開け、その大きな三白眼を覗かせた。僕は、むむむ、と恨みがましい目で邪神を見かえした。  どうか想像してみてほしい。  普通に日本に生まれ、普通の家庭で育ち、両親に恵まれ、ちょっと変わった妹はいるものの、僕はそれなりに幸せに生きてきたのだ。その、ごくごく普通の高校生が、邪神に縋るしかない状況なのである。神社にいる神様などではない。  邪神だ。  邪神に祈ったことがある人が、どれくらいいるというのだろう。僕の隣近所では、ちょっと見たことがないな、と考えて、身内にひとりいるという驚愕の事実に気がついたが、気がつかなかったことにした。  とにかく、僕のような、正しい真っ当な思考を持った、ごくごく普通の一般人からしてみれば、祈る神の中で、一番最後の選択肢である。貧乏神とちょっと悩んで、それでも堂々第一位の、ぶっちぎりで、一番最後の選択肢である。今の僕の気持ちたるや。  しかし僕は邪神にたずねてみなければならぬ。僕は、恥を忍んで頼んでみた。 「地球に帰らせてください!」  昨日のことなのだ。この邪神と曰っている猫が、明日には助力を求めるようになる、と断言したのは。そして、その言葉は現実となり、僕はこうして異世界で、邪神に、助力を求めているのである。  よくはわからない。ただ、邪神というのは神様なのである。だから、つまり、僕がこうして、あれが、ああなって、こうなってしまった以上、この邪神は、僕の今の状況を知っていて、あの発言していたということになるのだ。  僕は、邪神の力を認めざるを得なかった。  そして邪神は言った。 「我輩は、人の心の闇を糧にして生きている」 「最低だな」 「おい!」  あ、思わず口をついて出てしまった。  薄々わかってはいたけれども、やっぱりそうだったのか、と思った。だとすれば、あの時、邪神が羽里の部屋に行きたがらなかったことも、うなづける。羽里はあれでいて、心に闇などないのだ。全力で異世界を目指しているだけなのだ。それもどうかということは、今は問題ではない。とにかく、邪神である。 「邪神っていうのは、願いごとを叶えることができるのか」 「ああ。なんでも叶えることができる。だが、我輩は邪神である。対価に心の闇を求めているのだ」  なるほど、流石は邪神である。ほかの神様のように、お賽銭でどうにかしてくれるわけではなさそうだ。対価が心の闇だなんて、どうかしてる。だとすれば、その辺の高校や、ブラックな会社に住めば、一時間でお腹がいっぱいだろうに、と思う。どうしてそうしないんだろうと不思議に思っていると、邪神が続けた。 「だからお前の願いは叶うが、お前は心に闇を抱える事になる」 「最低だな」 「おい!」  あ、また思わず言ってしまった。  そして、僕は考えてみた。例えば、地球に戻ることができたとして、家族がいなくなっているとか、そういったことだろうか。僕の頭の中に、浦島太郎の話が思い浮かんだ。彼もまた、帰りたいという願いは叶ったのだ。だが、彼は生まれた村に帰ることで、自分が失ったものにも気がつくことになった。  これはもしや、『浦島ノア物語』的な、新しい日本の昔話に片足をつっこんでいるのではないか、と、僕は怖くなった。よくよく考えてみれば、あれは異世界転移のようなものである。まさしく、現代版の物語がもしや、今、始まろうとしているわけではあるまいな。亀は出てこず、異世界に導いたのは妹で、帰り道を提示しているのが邪神であるという、エキセントリックな物語ができ上がりそうではあったが。  僕は、ふうむ、と、顎に手をやり考えてみる。  現状、僕の一番大切なものは、家族だ。  それと、山田くんにも、できればその尻にも、危害が及ぶようなことにはしたくない。なんだろう。確かに、神社でだってお賽銭払うし、祈祷してもらう時はもっとお金も払うけど、この願いの叶え方。邪神のなんたるかは知らないけど、悪魔のようだな、と僕は思った。  くそう、邪神めと、ぽにゃぽにゃした平和な見た目の猫を睨んでみるが、背に腹は変えられなかった。僕はなんとしてでも地球に帰らなくてはいけない。  とにかく、羽里がこの邪神を僕に手渡してきたのは僥倖だった。少なくとも、僕は帰る手段を有していることになるのだ。必要な情報を集め、どうするか考えよう。 「家族や僕自身に危害が及ぶことはあるのか」 「ないな」 「何も害は及ばないのか。記憶や年齢、性格、状態、何も変わらない?」 「ああ。お前、我輩のことを悪魔か何かと勘違いしていないか?願いは叶うのだ。その対価を支払わねばならぬだけで。それは他の神とて、同じであろう」  なるほど、と、一応の納得をしてみる。お賽銭で済むのなら、それで済ませて欲しいところではあったが、仕方がないのかもしれない。そして、僕は、一応、『浦島ノア物語』の主人公にはならなくていいようだった。邪神は言った。 「お前の運命は、これからちょっと面白くなる。少し教えてやろう。お前はこれから、様々な異世界に飛ばされるやもしれん。だが、我輩のことを、今日のように、きちんと連れていれば、何度だって地球に帰してやる。ただし、———」  そう、その『ただし』、が、僕の心の闇に繋がることは明白だった。邪神は続けた。 「どの世界でも、|物《・》|語《・》|の《・》|結《・》|末《・》を見なくてはならない」  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「乃有さん、おはようございます!いよいよ出発ですね」  そう、爽やかな笑顔で山田くんが挨拶してきた。僕も「おはよう」と挨拶を交わし、そして、本当に、魔王討伐の旅へと出発することになったのだ。僕のナイロン製の学生鞄の中には、邪神のぬいぐるみが入っている。討伐に行く時に、鞄をどうしようかと思ったのだけど、学生鞄を縦にして、バックパックのように背負っていくことに決めた。大事なものも、携帯も入っているし、地球に帰れるという希望を感じさせてくれるような、気がしたのだ。  昨晩、あの後、邪神が話した内容はこうだった。  この世界、『ユクレシア』がそうであるように、日本という国は、様々な異世界に繋がっているらしい。トラックに跳ねられた人が、電車に轢かれてしまった人が、ただ歩いていただけの人が、或いは、山田くんのように召喚された人たちが、ありとあらゆる異世界へと誘われる。もちろん、全員ではない。  日本という国が特殊らしい。ストレスに押しつぶされそうな毎日の中、人々の想像力と「遠くに行きたい」という願望が、あの日本という国と、異世界を繋げてしまうらしいのだ。人々の想像力が、本当に、その望んだ異世界を存在させる。なんだかすごい話である。そして邪神は言った。 「お前がこれから飛ばされる異世界には、それぞれの結末がある。それを見届けたら、帰してやろう」  なるほど、と僕は思った。どうしてその異世界に結末があるのかは、僕にはわからなかった。だが、現状『煌星の勇者ーユクレアシア物語ー』の世界観の中にいるのだから、結末は魔王討伐後の山田くんのエンドを、見届けること、ということになるのだろうと予想する。どうかノーマルエンドであってくれ、と願わずにはいられないが、とにかく、エンドを見届けることなのだ。  そして、僕は気がついた。  それは、僕の心に闇をもたらすだろう。  なぜなら、結末を見届けるまで、地球に帰ることができないからだ。それは、羽里のことを心配している僕にとって、一番辛いことでもあった。まさに「願いを叶えてやるが、心の闇を対価にもらう」という邪神の言葉通りの、条件だと気がついたのだ。本当に、邪神の言う通りだったのだ。 (家族や僕には危害は及ばない。ただ、僕が心に闇を抱えるだけ)  くそう邪神め、と何度目か、わからない悪態をつきながら、僕は、渋々、その対価をのんだ。飲まざるを得なかった。  一応、邪神を神として考えるのなら、僕は地球に帰れる事になる。山田くんも望むのであれば、一緒に帰してくれるとも言っていた。羽里のことは、不安だった。でも、僕は、とにかくできることをするしかないのだ。そうして、僕たちの旅は、はじまった。  そして今、ーーー 「そういえば、乃有さんって結構、中知さんに似てますよね」 「へ?羽里に??」  馬車の中で、そう山田くんが言ってきた。  異世界に来たというのに、爽やかに世間話をしてくるあたりが、山田くんの勇者っぽさな気がするな、と僕は思った。山田くんと僕の、実践を積みながら行くということで、所々でモンスターと戦いながら、基本的には馬車で移動するらしかった。山田くんは、のほほんとした様子で、僕にそう伝えてきたが、僕と羽里は似てないと思うのだ。僕が不思議そうにしていると、山田くんが続けた。 「実は昨日、召喚された時に。風圧?で、乃有さんの前髪が上がってたんですよ。そのとき、似てるなあと思って。これからモンスターとも戦ったりするし、前髪よけといたらどうですか?」  ああ、それであのとき驚いた顔をしていたのか、と、僕は思った。似てるかどうかは別として、確かに、これから本当に、戦闘などが行われるというのなら、視界は開けておいた方がいいのかもしれない、と僕も思った。それに、ここには、優しい山田くんと、後はパーティーメンバーの三人しかいないのだ。魔王を前に、そばかすなんて気にしてる場合ではないな、と思い、僕はくるっとしている前髪を左に流した。 「ああ、やっぱり似てますよ。なんだろう。パーツは違うんですけど、ほら、スッキリした綺麗な感じが。鼻なのかな?」  山田くんは、そう言いながら、にこにこした。僕が、そんなことないと思うけど、と言おうと口を開こうとしたとき、馬車が止まった。そして、最年長であるシルヴァンが言った。 「この辺で一度、戦う練習をしてみましょうか」

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