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第28話 <ユクレシアの記憶07>

  「ヒュー?」  夕暮れ。  廃墟となった城壁で、ヒューは一人、頬杖をついて、景色を見ていた。  見渡す限り、何もない荒野が広がっていて、その地平線に夕日が沈むところだった。空は、オレンジ色と薄いピンクが混ざったような色をしていて、これから来る夜を予感させた。  ユクレシアの旅の中盤頃、その日、僕たちは、魔王の直属の配下に出くわした。古い旧城に住みつき、近辺の町々を襲撃している魔物だった。僕は、ゲームの知識で、そのモンスターが、火属性と水属性、両方を持っていることを知っていた。  ユクレシアのモンスターの中で、属性を二つ持っているのは、かなり異例のことで、戦いに赴く前の装備をする段階で、ヒューとちょっと言い争いになったのだった。  属性が二つあるだなんて、「そんなモンスターいるわけがない」と言うヒューに、「お前、もしかして魔王の配下なんじゃないか」と、ひどいことを言われた。確かに、今から戦う相手の弱点を、正確に把握している僕は、その可能性が疑われるほど、怪しい存在ではあったけど。  それで結果として、ゲームの知識は正しくて、だけど、びっくりしたヒューのミスで、僕は、少し深めの傷を負ってしまったのだった。もちろん、シルヴァンがいるから、すぐ治してもらった。  そして倒した後、僕たちはその日、諸々の処理も踏まえて、廃城に泊まることにしたのだった。  ヒューからの返事はなかった。  本当にヒューは、難解で、僕のことを好きだったり、嫌いだったり、嫌なことを言ったり言わなかったり、忙しい人だと思う。それでも、僕は、一生懸命生きてるヒューが、すごく好きだった。  失敗しない人間なんていないのだ。  たとえそれが、稀代の天才魔術師であっても、できないことも、知らないことも、失敗することも、あって当たり前だった。でもなんだかヒューを見ていると、「完璧を求められ続けてきた子供」っていう感じがするのだ。言ったら絶対に怒られるけど、だから僕は、こういう、ヒューの完璧じゃないところが好きだった。  外側だけを見たら、きっと、ヒューは完璧で。だけど、こうして旅をして、ずっと一緒に時間を過ごせば、ああやってボロも出るし、本当は完璧に魔術を使うその裏で、ヒューが一生懸命努力していることにも、当たり前だけど、気がつく。 「僕が魔王の配下だったら、ヒューなんてとっくに食べちゃってるよ」 「お前が魔王の配下だったら、とっくに消し炭だ」  僕は知っていた。ヒューが本当に心配して、みんなのことを考えて、そんなモンスターいるわけがないって、力説していたのだ。言い方は、若干、まずい。余計な一言を言ってしまうのが、ヒューなのだ。そして、こうやって、一人で凹んで、人には絶対に頼らない。  僕は消し炭になっていないんだから、ヒューだって、僕が魔王の配下だなんて、思ってるわけないのだ。つい、言ってしまうだけなのだ。  もうすぐ来る、冬を感じさせるような、冷たい風が吹き抜けて、僕はふるりと体を震わせた。  頬杖をついてたヒューが、パッと僕の手をとって引き寄せると、腕の中に僕を囲って、僕の肩に顎を乗せた。城壁とヒューに挟まれて、僕は動けなくなった。 「ひゅ、ひゅうっ そ、それはちょっと、どきどきするので」 「…ドキドキしてよ」 「え」  なんかすごいこと言われたぞ、と焦っていたら、ちゅっと首筋に唇を落とされた。ヒューのあの綺麗な唇が、僕の首を這っているんだと思うと、ぞくっとやらしい感覚に震えた。ヒューは、犬みたいに、僕の髪の匂いを、くんっとかいで、そのまま鼻を擦りつけて、それから、ガクッと項垂れながら、言った。 「ごめん。俺、いつもこんなで」  僕は正直、なんとも思ってなかった。あんな些細なことで、結果、怪我だって大したことないわけで、どちらかというと、それでヒューが凹んでるのを見る方が、僕は辛かった。僕は、ぽんぽんと肩口のヒューの薄茶色の髪を撫でながら、なんて言おうかな、と、考えた。そして、言った。 「ヒューは完璧すぎるから、あれくらい欠点がなかったら、ずるいよ」 「お前、さらっと欠点って言ったな」 「いいじゃん。僕なんて欠点だらけなんだから」  そんなことないだろ、というヒューの苦しいフォローを聞き流しながら、さらさらとヒューの髪を撫でた。そうしたら、ヒューがぽつりと言った。 「なんで、いつも許してくれんの」 「だから、そもそも怒ってないよ」 「なんで怒らないの」 「えー?だってヒューじゃん。そのままで、ヒューだから」  ちょっとびっくりしたように、ヒューの頭が、僕の方を見るように動いた。  ヒューは、天才魔術師である。  どの街に訪れても、勇者のヤマダくんよりも、誰よりも、ヒューの知名度が高い。どこの街に行っても、ヒューの魔道具は売っているし、ヒューの開発した技術は、民の暮らしに浸透しているのだ。そして、いろんな人がヒューにお礼を言ったり、相談したりして、ヒューはそれを、ちゃんと聞いて、思いのほか愛想良くしている。  対外的なヒューは、そんな感じ。  パーティの中にいる時のヒューは、もう少し、素の状態で、あんまり笑わない。それから、気が強い。頑固だし、理詰めで色んなことを力説してくるし、大体のことは筋が通ってるから、みんな丸めこまれる。  それで、僕と二人の時のヒューは、なんか、拗ねた子供みたいだな、と、僕はよく思ってる。言い方がまずい時も、結構ある。けど、こうやって凹むのを知っていて、腹を立てる気にはなれなかった。  それを全部含めて、僕は、ヒューが好きだった。  ヒューが不貞腐れたように言った。 「怒れよ」 「えー?怒ってないって言ってんのに。あ、じゃあ…ドーナツ食べていい?」 「………」  戦いの後で、小腹が空いていたのだ。ものすごく嫌そうな顔をしているヒューの横で、僕はドーナツを取り出した。今日はなんと、チョコレートスプリンクルがかかっているタイプである。僕は、もっもっと口を動かした。ヒューは戒めのためなのか、自らに罰を与えているのか、なんなのか、僕のことを嫌そうな顔のまま、ずっと見ていた。  チョコレートの甘さと、スプリンクルのパリッとした食感が、ドーナツのもっちりさに合わさって、僕は思った。 (幸せ…)  そして、しばらく僕がドーナツを食べているのを見ていたヒューが、スッと指を伸ばして、僕の口元を拭った。その指には、チョコレートの欠片がついていて、ヒューはそれをぺろっと舐めた。それで「子供か」と言って、ふっとヒューが笑った。  僕は思った。 (チョコ食べただけなのに、なんでこんなカッコよく見えるんだろう。ずるい)  もっもっと僕は口を動かした。  最近、夜ヒューのえっちな顔を見る回数が増えてきてしまい、僕はなんか、まずい域に達しているのを自覚していた。ただでさえ、僕の中で百点満点の顔が、僕に向かって、こんな笑顔を投げてきたり、えっちな顔で、愛おしげに僕の名前を呼んだり、するのだ。  日中の、ツンツンした澄ました顔のヒューとの差が、そう、それこそ、あの羽里の言っていた例の『ギャップ』によって、僕は最近、どろどろの沼にハマってしまったかのように、ヒューのツンデレ地獄に溺れてしまいそうなのだ。 (顔は百点満点。普段はつんつん。凹むとかわいい。デレるとかっこいい。夜はえっち…)  変なことを考えて、僕は真っ赤になってしまった。  よくはわからない。本当によくはわからないけど、何故か頭の中で「完璧か!」というツッコミが荒れ狂っていた。ヒューが男でも、女でも、なんでもいいけど、そんな態度を四六時中取られて、好きにならないとか、ありえるのか!  僕はもう、自分がハマっている沼の名前が、『BL沼』であることに気がついていた。何故なら、その沼で、あわあわと溺れている僕の向こう岸に、『BL沼』と書かれた看板が立っていて、その横に、「ようこそ」と書いてある旗を持って、バンザイをしている羽里の幻覚が見えるからだ。そして、その広い『BL沼』の中でも、僕がハマってしまっている部分の名称は『ツンデレ地獄』である。 (まずい…このままでは、まずい…)  僕は、もっもっと口を動かしながら、じとっとヒューのことを見た。  そして文句を言った。 「好きになっちゃうから、やめてください」 「え?」 「僕は、ヒューの顔のファンなので、あんまり近づけたり、無防備な笑顔を見せないで下さい」 「………」  一瞬、ぴたっと止まったヒューが、うーんと少し目を逸らしてから、もう一度僕を見た。至近距離で見て、改めて思う。夕暮れに照らされた、ヒューの顔は、本当に綺麗で、猫みたいな薄紫色の気の強そうな瞳が、オレンジと混ざり合って、不思議な色合いだった。  何故かちょっと、恥ずかしそうな顔をしたヒューの顔が、もっと僕に近づいてきて、「え、近」と思った僕が、次の行動を取る前に、柔らかくて、ほんのりあったかい、ふにふにした感触が、僕の唇に感じられた。  ちゅっと口元で濡れた音がした。  ヒューが伏せた瞼をあげ、ちらっと僕の方を見た。  僕はしばらく、固まっていた。  思考を停止したまっしろな頭のまま、ただ、目に入ってくる、ちょっと恥ずかしそうな顔してるヒューを見ていた。相変わらず、不貞腐れたみたいな顔で、でもちょっと気まずそうに、目を逸らしているヒューを見て、うっかりかわいいと思ってしまい、僕はまた一つ、沼の底に近づいた気がした。 が、ーーーとりあえず、尋ねてみたのだった。 「え…なに今の」 「……、、、ファンサービス」  (−−−−−−−は?) ※※次の回からモフーン王国に戻ります。『ユクレシア』のことは回想形式で、今後も続いていきます。もし、わかりづらかった場合は、目次から<ユクレシアの記憶>だけ、つないで下さい。

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