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第36話 自覚
「…お兄ちゃん……大丈夫?」
「ーーー羽里。お前、なんで異世界とか、行きたいの?」
電気を消した部屋で、布団を被って、僕はうずくまっていた。
声をかけてきた羽里に、八つ当たりをするほど、僕は精神的に追い込まれていた。いや、八つ当たりなのかどうかはわからない。ただ、純粋に、羽里に腹を立てていたかもしれない。いや、やっぱり、ただの八つ当たりだった。ただ、今までに一度だって、羽里にこんな風に怒ったことはなかった。
僕はもう、異世界になんて行きたくなかった。
これ以上、何かに巻き込まれるのは、もう、本当に嫌だった。
もう、何も考えたくなかった。ユクレシアだって、砂漠の国だって、すごく、すごく、辛かった。それでも、あんなに、ユノさんに、泣いて、行かないでくれと叫ばれて、僕は、それでも、それでも地球に戻ってきてしまった。
心が、ぼろぼろだった。
そして、僕は、やるせなくて、どうしようもなくて、自分が嫌いになりそうで、つい吐き出してしまった。
「怖い世界だったらどうするんだ。怖い人間だっているかもしれない。死ぬかもしれないんだぞ。それに、優しい人間に会えば、帰りたくなくなるかもしれない。帰らないでくれ、と…な、泣かれたらどうす、するんだ。それに、もし帰れなくなったら、家族はどうするんだ。母さんや、父さんだって、僕だって、心配する」
羽里がパタンと扉を閉めた気配がして、そして、ベッドの上で布団をかぶっている僕に近づき、すぐ側で、床に座った。そして、そのまま黙っている羽里に、僕は続けた。
「旅行に行くんじゃないんだぞ。異世界っていうのは、どれだけ遠くか分かってんのか。会いたい人に、もう会えないかもしれないんだ。それは辛いぞ。もうやりきれない想いになる。僕は、お前にそんな目にあってほしくない。もう、変なことをするのは、やめてくれ」
それは、僕の心からの願いだった。
羽里は、まだ黙っていた。僕は布団の中で、恥ずかしくも、ぐすっと鼻水をすすってしまった。彼女がどう思っているのかはわからなかった。
異世界に行ってみるまでは、異世界転移だなんて、ちょっと楽しそうだって、僕だって少しぐらい思っていた。でも、それだけじゃない。楽しいことも、もちろんある。それでも、羽里だって、僕の妹なんだ。このあたたかい家族が、恋しくなる時だって、絶対にあるはずだ。
羽里がぽつりと言った。
「珍しいね。お兄ちゃんがネガティブなの」
僕は基本的にネガティブなはずだった。
そんなに明るい方ではない。異世界に行くと、なんだか気が大きくなるけど、基本的には、前髪で外界と距離を置いてる人間なのだ。彼女の言っている意味はよくわからなかった。黙っている僕に、羽里は言った。
「お兄ちゃんはさ、自分のこと、よく分かってないよね」
そして、続けた。
「お兄ちゃんは、案外前向きで、意外と図太く、立ち向かってくタイプだよ。ねえ、何があったのかは知らないけどさ、誰が傷ついたの?」
「ーーーは?」
「お兄ちゃんって、すぐ凹むのは、確かにすぐ凹むけど、自分のために凹んでるとこ、見たことないもん」
意味がわからなかった。異世界転移を繰り返して、少しくらいは図太くなったかもしれない。だとしても、僕はすぐに凹むし、それは自分が凹むことにぶちあたったから、凹んでいるわけで、羽里の言ってることは、理解できなかった。
僕は何も言わなかった。
「お兄ちゃんが、自分のことで傷ついてるの、見たことない。自分が傷つけられたって、絶対凹まないんだもん。ーーーねえ、お兄ちゃんがさ、前髪伸ばしてるきっかけ、覚えてる?あれ、半分は、私が原因なんだよ」
彼女が言うには、その日、小学校の一年生になった羽里は、上級生に絡まれていたらしい。羽里は、昔から、近所でも有名な美少女だったからだろう。僕と僕の友達は、それを見つけて、羽里を守ろうとして、その時に僕は、「女みたいな顔」「男女」みたいなことを、上級生に言われたらしいのだ。それで、叩かれたり、殴られたりしたらしい。
僕の記憶の中には、全く残ってなかった。そんなこと、あっただろうか。
だけど、とにかく、僕は、殴られても、泣いたりしないで、羽里の手をとって逃げ出した。そして、その帰りに、一緒にいた友達にそばかすのことを言われたこともあって、それから僕は、前髪を伸ばしはじめたらしいのだ。
僕の記憶と随分違う。だけど、それがなんだ、と、僕は思った。
「その時さ、私、その上級生も、そのお兄ちゃんの友達のことも、すごく嫌で。お兄ちゃんの悪口を言われたことも、お兄ちゃんがそばかすのこと言われて前髪伸ばしはじめたのも、嫌で。家で、すごい文句言ってたの。でも、お兄ちゃんは、ものすごく凹んで、熱まで出したくせに、誰のことも否定しないで、自分だけ前髪伸ばしはじめて、ヘラヘラしててさー。流石に思ったよね。気持ち悪いなって」
「おい」
「でも大きくなってから、わかるようになったよ。お兄ちゃんが凹むときって、人が苦しい時で、自分が苦しい時じゃないんだよね。お兄ちゃんって、絶対に、人を、否定しないから。あの時も、お兄ちゃんが凹んでたのは、自分がそう言われたからじゃなくて、あの上級生たちは私のことが好きだったのに、その好きな子の前で、お兄ちゃんに悪口を言ったり、暴力を振るったりさせちゃったことを、悲しんでたみたいだった。つい悪口言われちゃうような顔も、それなら隠しとこっかなみたいな…」
ヒューにも、そんなことを言われたな、と思い出した。僕はそんなに深く考えているわけじゃないので、ヒューに言われても、羽里に言われても、あんまりピンとこなかった。
それから僕は、顔を隠すようになって、自分が目立たないようにするようになったらしい。「ね、気持ち悪いでしょ」と、羽里が言うのに、「おい」と、再びツッコミながらも、僕はやっぱり、だからなんなんだ、と思っていた。
羽里は続けた。
「私は、お兄ちゃんほど、優しい人を知らないよ」
「そんなわけない」
「だから、これだけお兄ちゃんが凹んでるってことは、ものすごく苦しい思いをした人が、いたってことでしょ」
「………」
「アタリ?やっぱりね〜」
何故か得意げな顔をする羽里を見ながら、僕は、妹に慰められているという現実に、歯軋りをした。
カッコ悪い。なんてカッコ悪い兄なんだ、僕は。
だけど、現実として、ほぼ家族以外に相談する相手もいない僕は、はぁぁぁと大きくため息をつくと、つい、妹に弱音を吐いてしまった。
「…正直……すごく…辛い…」
「うん」
「……僕のことを、好きだって言ってくれた人がいたんだ。すごく、お世話になった人で。でも、僕は、その気持ちには応えられなかった」
「どうして?」
彼女は下世話な反応をすることはなく、まっすぐに僕の気持ちを尋ねた。僕は、そう問われて、はじめて、そう、はじめて気がついた。
どうしてユノさんの気持ちには応えられなかったかって、あんなにいい人でも、すごく優しい、僕の推しキャラでも、それは、応えられなかった。ユノさんと過ごす日々は、本当に楽しくて、あんなに好きだと言ってもらって、僕は、ユノさんのことを好きになってしまいそうだった。
でも、それは、ヒューに似てたからだった。
僕は、ユノさんの、ヒューに似てるところが、好きだって、それは気がついていたのに、僕は根本的なところに、気がついていなかった。どうして、ヒューに似てるユノさんのことを、好きになってしまいそうだったのか、ようやく、思い当たった。
(ああ………僕は、ヒューのことが…好きなんだ…)
(僕は、恋愛的な意味で、ほんとにヒューのことが、好きなんだ…)
(……そうか…)
またズキッと頭が痛んだ。「う」と、頭を押さえながら、僕は考えた。
それでも僕は、あんなにも、あんなにも真剣に「行かないで」と言われて、僕は、そのユノさんを置いてきてしまったのだ。でも、どうすればよかったんだろう。何が正解だったんだろう。考えても、考えても、わからなかったのだ。
羽里の持っている漫画に、もし僕みたいなキャラクターが出てくるなら、僕は、そのキャラクターを心底嫌いになると思った。
僕だって、漫画のキャラクターみたいに、潔くちゃんと断って、それでもいい奴!みたいになりたかった。僕には好きな人がいるから、ごめんなさいって、きちんと伝えたかった。いや、伝えたけど、僕には迷いがあった。迷いのある僕が、そんな、漫画のかっこいいキャラクターのように、綺麗な結末を、迎えられるわけはなかった。
僕は、ユノさんに惹かれてしまっていたのだ。
ヒューに似ているユノさんのことを、好きになりかかっていたのだ。そんなの、ヒューに対しても、ユノさんに対しても、最低最悪の相手に違いなかった。僕は、大好きな二人の顔を思い浮かべ、最低な気持ちになった。
(ほんとに最低だ…)
「似てるから好きになっちゃう〜」なんて言う、そんなフラフラするキャラクターが出てくる漫画あったら、僕は、そんなことしてる人、見たことなんてないけど、きっと、燃やすほど、大嫌いな漫画になるはずだった。
僕は、言葉も出なかった。
「え、どうして?」
羽里が再度尋ねてきた。
その問いの答えは「ヒューのことが好きだから」という答えに他ならなかったが、僕にはそれを言う資格など、ないような気がした。それに、流石に、妹相手に、これ以上、自分の恋愛相談をするわけにはいかなかった。これ以上は、恥ずかしすぎだった。
しかもよく考えてみれば、僕の現状は、告白してくれた人を振って、凹んでいる上に、それで関係ない彼女の夢に八つ当たりしている状態であった。詳しく言えば、その妹の夢が原因とも言えなくもなかったが、現状、表面的には、そういうことだった。それはかなりおかしな言動だった。
僕は、色んな意味で、自分がすごく恥ずかしくなった。
(ユノさんのことは、後で、考えよう。ちゃんと、考えよう…)
僕は、ズキズキ痛む胸を押さえながら、ふと、羽里に尋ねてみたのだ。
「なあ羽里、もしも本当に異世界に行けて、異世界で好きな人ができたら、どうすんの」
「付き合って、楽しかったら、結婚する♡」
「え!けっ……か、家族はどうするんだ?帰れなかったら、もう会えないんだぞ」
「お兄ちゃん?私を誰だと思ってんの。そんなの、−−−方法を探すまでよ!」
(…そうだった)
この妹は、地球にいながら、本気で、異世界転移を目指しているんだった。方向性には疑問がある。方向性にはかなり疑問があるが、中学二年生から続く、彼女の弛まぬ努力を思った。
そして、現状として、彼女は本当に、本物の呪物に遭遇しはじめていた。異世界からでも、日本に戻りたいと思えば、なんとしてでも戻ってくるような気がした。
(強い…本当に、僕の妹は、強い)
僕はどれだけ努力をしただろう。
新しい世界に行けば、さらに出会いがあって恐ろしい。だけど、違う世界の、違う魔法を組み合わせれば、いつか、通信具だって完成するかもしれない。それに、また行く方法だって、見つかるかもしれないのだ。それに、僕はどうして、「また行けるかもしれない」「また帰って来られるかもしれない」という可能性を、考えなかったんだろう。
悲しんでいるばかりではなくて、もっと、ちゃんと…がんばればよかった。
ユノさんに、もう一度会うのは、もしかしたら、違うかもしれない……それでも、僕がもっと、羽里みたいに、「またきっと会える方法があるはずだ」と、思っていれば、結果だって違っていたかもしれない。
僕は、自分の悲しさにのまれて、別れ際に、ユノさんに「ありがとう」の一言だって言えなかった。日々伝えてはいたけれど、僕は、やっぱり、「ありがとう」と最後に言えばよかった。悲しくても、相手が泣き崩れていたとしても、僕はちゃんと、言えばよかった…。
(僕はやっぱり、僕が嫌いなタイプのキャラクターだ。でも…まだ、諦めたくない)
僕だって、がんばってみたかった。僕は、自分が嫌いなタイプのキャラクターのままで、いたくなかった。
通信具も、異世界転移の方法だって、もっと、ちゃんと、ーーー。
どちらにしても、ーーーとにかく、僕のやることは決まった。
僕は、完全に、羽里のおかげで、少しだけ…ほんの少しだけ、元気が出てきたのを感じた。決して妹に慰められたわけではない…と、思いたいなあ、と思って、布団の隙間から、ちらっと覗いてみたら、にやあっと笑っている羽里と目があった。
布団と一体化している僕がビクッとするのを見ながら、羽里は言った。
「私、知ってるよ。お兄ちゃんは、私のことをポジティブだとか、強いとかって思ってるだろうけど。お兄ちゃんはいつだって、ちゃんともう、なんかしようって考えてたでしょ。お兄ちゃんって基本的には流され受k…じゃなくて、流されるタイプだと思ってるけど、案外、芯があるからね」
「おい、お前今、なんか…」
不穏な言葉が聞こえたような気がした。が、羽里が、通信具のことを言い当てたみたいで、少し驚いた。それが、彼女のいうほどの価値があることなのかはわからないけど、僕はもっとがんばれる気がした。
(それから、ユノさんには、どうにかして、ちゃんと「ありがとう」を、もう一度だけ、伝えたい…)
(それが、ユノさんにとって、本当にいいことなのか、どうか、は、今の僕にはわからない…)
(…でもそれは、僕ががんばりながら、考えよう…)
「とにかく!元気出たの?」
「出ては、いない。でも、やることは、わかった」
「うん。きっとそれが大事だね。やることが分かっていれば、人間、そのうち元気が出るよ!」
僕は、やっぱり、妹のことが好きだった。
母さんも、父さんも、僕の家族は、とてもあたたかいのだ。またヒューに「ずるい」と言われてしまうな、と、僕は思った。事実、僕は本当に、ずるいな、と思った。
僕は、ようやく布団から、体を起こした。そして、そこには、羽里の、「待ってました!」と言った顔があり、僕は、瞬時に青ざめた。
「そんなへこたれてるお兄ちゃんに、こんなものを持ってきました。じゃーん!」
「お前…まさかこっちが本題じゃないだろうな」
「次は、魔法都市でカフェ店員だよ♡新しい恋!新しい恋!」
「いや…恋って…ってこれ、BLじゃなくて、乙女ゲームじゃ………………え?」
そして、そのパッケージを見た瞬間、僕の体から、血の気が引いていくのを感じた。
パッケージに描かれた四人の攻略対象と思しきイケメンの中で、一人、完全に見覚えのある顔を見つけたからだ。嫌な汗が背中を伝った。目の色と髪の色は違う。着ている服装の雰囲気も、背景も、もちろん違う。こういうことは、漫画やラノベで、作画の人が同じだったら、なくは、ない…かもしれない、とも思う。
だが、ーーー。
「………これ、……ヒューじゃん」
「え?あー!ユクレシアの?ホントだ。言われてみれば、そっくり〜。あ、声優さんも一緒みたい」
僕の中で、嫌な予感と、邪神の高笑いの幻聴が荒れ狂っていた。
今、一番見たくない顔だった。それは、一番会いたくて、一番会いづらく、一番大好きな顔の、ーーー僕の全然、知らない人なはずだった。
僕の一寸先は、ただの、まっ暗闇だった。
ただの、まっ暗闇だった。
ーーーあーっはっはっはっはーーー
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