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第38話 ドーナツバリア

  「あ、あのー…ノアさん、お迎えきてますー…」  厨房の方に入っていた僕に、そう、気まずそうな顔で、同僚のトゥリモが言った。その身長のわりに、腰が低く、親しみやすい彼は、本日、僕と一緒に店内で販売を任されている。僕が、おそるおそる厨房の扉から覗くと、そこには、ドーナツの棚の横に立つ、不機嫌を全く隠そうともしないフィリの姿があった。そして、「帰るぞ」と言われた。  ここは、そう、はじめてフィリに遭遇してしまったドーナツ屋なのである。そして僕は今、その何故か超絶不機嫌なフィリ様に、お迎えに来られているわけである。確かに、今は午後5時で、午後4時に閉店するこの店は、午後5時には解散になるわけだが…。 (えー………いや、なんでだよ…)  一昨日、フィリに遭遇した後、なぜか宿屋まで、無言のフィリに送ってもらい、僕は恐ろしくて震えた。そして翌日、僕は職探しのために、街をうろついていたのだが、この街にリヴィさんのところのような工房はないのだ。  この世界観では、魔道具は、偉い魔法使いの人たちが作っていて、町の魔道具屋は量販店のようなイメージの場所にあたる。量産された魔道具が所狭しと並んでおり、別に僕は、そういう場所で働きたいわけではなかったのだ。  なので、結局、昨日のドーナツ屋に戻ったところ、ちょうど求人があったので、そこで雇ってもらうことにした。特に急いでお金が必要、と言うこともなかったので、どうせなら好きなところで働くことにしたのだ。  このドーナツ屋は、確かに、主人公が働くカフェのライバル店として名前が上がるが、飲食スペースがあるわけではない。ゲーム内でも、一文で「ライバルのドーナツ屋には負けない!」というセリフがあった程度なので、直接関わることもないだろう。  同僚であるトゥリモと、その父親であるジョナサンさんの二人でやっている店なのだが、トゥリモが魔法学院に入学したことで、人手が足りなくなったらしい。今日は、土曜日なので学院はお休み。  今日は顔合わせに、一応呼ばれたけど、基本的に僕の勤務時間は、月曜日から金曜日で、土日はトゥリモが担当することになった。トゥリモもジョナサンさんもすごくあたたかい人たちで、僕は、ほっと胸を撫で下ろした。  それに、ーーー。  あまりにもフィリがヒューに似てるから、もしかしたらドーナツが苦手なんじゃないか、という思惑もあったのだが、ーーー。 「なあ、お前のおすすめはどれなんだ?」 「え?あ、その、薄水色のドーナツに、虹色のスプリンクルのついてるのが、僕は好きです」  ただそう説明すると、ちょっとSNS映えのしそうなドーナツに聞こえるかもしれないけど、なんだかここで売っているドーナツは、みんな、魔法じみていて、きれいで、かわいいのだ。そして、厨房にいるジョナサンの作るドーナツは、本当に魔法みたいにおいしい。  フィリは「それ一つ」と、僕に言ったので、僕はそれを紙袋に入れた。 (結局、ドーナツバリアの効果もなし……か。でもほんと、なんで……)  最後の一つの水色ドーナツだったから、後で買って帰ろうかな、と思っていた僕は、少し残念に思った。  そして、エプロンを外し、鞄を持って店の外に出ると、そこにはフィリが立って待っていた。 「あ、あの…」 「行くぞ」  そして、フィリは僕の手を取って、歩き出した。  街中の同年代の子達が、フィリと僕のことを見て、びっくりした顔をして振り返る。フィリは、この街の中で、有名な学生なのだ。何せ、最年少で公認魔法使い試験を通過してしまった天才なのだ。教育熱心なこの国では学校が義務だから、魔法学院に通ってはいるが、きっと彼にとっては遊びのようなものだろうと思う。(僕は年齢を、学校を卒業した18歳ってことにさせてもらっている)  それに、このツンとしたヒューそっくりの美貌は、いつだって、話題にのぼるはずである。 (ほんと、どっかの天才魔術師みたいだ…)  と、つい、ヒューに手を取られているみたいで、うっかりしてしまったが、この人はヒューではないのだ。見ていると、つい、ヒューって水色の髪も似合うなー、なんて、すっとぼけた感想を抱いてしまいそうになるのだ。違う違う。 「クレーティさん。あの、クレーティさん。昨日、逃げたことなら、本当にすみません。あの、不快な気持ちにさせたのは重々承知なんですけど…あの、僕は、この後、用事があるんです」 「どうせ、魔道具屋だろ。俺も用事がある」  僕の顔を振り返ることもなく、そう言われて、目を丸くしながら、僕は思った。 (………なんでわかんの?!)  僕が戦々恐々としていると、「フィリでいい」と、ぶすっとした顔で吐き捨て、結局そのまま、手を繋いだまま、色んな同年代の人たちの好奇の目にさらされながら、僕たちは、魔道具屋へと向かったのだった。  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「これ」  魔道具屋に一緒に行った後だった。なぜか、このヴェネティアスの市民の憩いの場である、噴水の広場のベンチに、僕とフィリは一緒に座っていた。そう言って渡された袋は、さっきフィリが魔道具屋で買ったものと、それから、ドーナツ屋の袋。  僕が「ん?」と首を傾げていると、言われた。 「携帯通信具とドーナツ。食べたそうに見てたから」 「へ?!」 「携帯は、俺以外に使うなよ。俺には毎日連絡してもいい」 「…………え」  状況が全く理解できない。  なんだろう。僕はこの、毎回異世界に来るたびに、かなり前半の、そのまた前半のあたりで、いつもその世界のツンデレのよくわからない行動に、首を傾げている気がする。  エミル様もよくわからない人だった。それに、ユノさんには、はじめから「大嫌い」と言われたのだ。そして、今。ほぼ初対面であるフィリに、なぜか携帯通信具を買ってもらって、ドーナツで餌づけされようとしていた。  確かに、確かに僕は、魔道具屋で、喰いるように携帯通信具を見ていた。地球の携帯電話やスマホとは、形とは違う。丸い形から想定するに、おそらく内側に魔法陣が内蔵されているんだろうと思った。が、やっぱりこの魔法都市は、ユクレシアや砂漠の国とは、比べ物にならないほど、文明が発達しているのだ。モフーン王国でも、リビィさんが、あんまり距離が出なかったと言っていた通信具が、まるで地球のように普及している。  それは必ず、僕の魔法陣研究に役に立つはずだった。  欲しいな、とは思ったのだが、まだこの世界にきたばっかりだったので、給料が出てからにしようと思った。それに、僕は特に携帯で通信しなくてはいけない人間ができる予定もなかったから、中古のものでも探して解体したらいいかな、と思っていたのだ。  フィリの手にあるのは、明らかに最新機種だ。僕は一昨日、彼に「顔が見たくない」なんていう、最悪のことを言ったはずだった。それをもらう理由なんて、どこにもなかった。もし、もらう理由があるというのならば、それは、携帯通信具の形をした、爆弾か何かである場合だけだ。 「携帯の説明書は一緒に入ってるから」 「あ、あの。クレー…、じゃなくて、フィリ。あの、僕は一昨日、ひどいことを言ったわけだけど、その辺りはどうなってます…か?」  フィリは、隣に座っている僕の顔をちらっと一度見て、渡したドーナツの袋を再度奪い取ると、びりっと紙袋を破いて、ドーナツをつかんで差し出した。そして、僕の口に、むぐっと無理矢理つっこむと言った。 「この顔が見たくないなんて言われたら、毎日でも見せたくなる」  僕は、口につっこまれてしまったので、仕方なく、もぐもぐと口を動かしていた。本当にヒューにそっくりの天邪鬼なんだな、と思いながらも、口に広がる絶妙な甘さのグレーズに、僕がうっかり幸せになりかかっていたときだった。  フィリのきれいな顔が近づいてきたと思ったら、ドーナツの反対側を、あむっと食べられた。伏せていた薄水色の、きれいなまつ毛がゆっくりと上がり、透き通るような水色の瞳が、ばちっと、至近距離で僕の目線とかち合った。  呆然とする僕に、フィリは言った。 「これくらい近くで」  ごきゅっと、変な音を立てて、僕の喉をドーナツの塊が落ちていった。  そして、きれいな手が、僕の口からドーナツを外したかと思ったら、またフィリの顔が近づいてきた。「これくらい、近くてもいいよ」と、くすくす笑いながら言って、そして、そのまま、舌がれろっと僕の唇の横を舐め、ちゅっと僕の唇に自分のそれを重ねた。 (ーーーーーーーーーーーーへ?)  僕の意識は、ヒュオッと宇宙の彼方へと飛ばされた。僕はツンデレに関わると、よく、意識がどっかに飛んでってしまうみたいだなあ、と、現実逃避のような感想が頭に浮かんだ。それから、もし僕の人生が漫画だったら、僕の目は白い丸になって、背景に宇宙が描いてあるんだろうなあ、と思った。  僕は、そっと目と閉じた。  そして、次の瞬間、ルクスでその場から逃げ出した。  もう、この街から逃げ出したいどころではなかった。この世界から逃げ出したかった。  一体何がどうなって、こうなってるのか、さっぱり理解できる気がしない。ただわかるのは一つだけだ。 (僕は…ヒューの顔が好きすぎる……!!!)  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「なあ、本気で俺から逃げられると思ってんの?」  わかっていた。わかっていたのだ。逃げられるわけがないことは。  それでも僕は、逃げ出さずにいられなかっただけで。もしかしたら、追いかけてこないんじゃないかな、なんて思っただけで。  僕は、海の見える細い道の石段に腰かけながら、ごくんと、手にしていたドーナツを食べ終えた。「ごちそうさまでした」と、フィリに小さく言ったら、フィリは一瞬きょとんとして、それから、くすっと笑った。  フィリは僕の横に腰かけ、膝に顎を乗せて、抱えるようにして、俯いている僕の顔を、のぞきこむと、目を細めながら言った。 「逃げられると、意地悪したくなる」  ビクッと僕の体が跳ねた。  意地悪…意地悪って、なんだろう、と、僕は考えた。考えてもきっとわからないけど、それでも考えてみたのだ。フィリは今まで、自分から逃げる人がいなかったから、珍しくて、僕のことを追ってきているのだろうか。だとすれば、からかっている、みたいなことだ。  でも、ただからかいたい人間に、携帯通信具を買ったり、好きなドーナツを買ったりするなんて、手がこみすぎだ。フィリのツンが弱い。ゲームではもっとツンツンしてたと思うのだ。こんな、人を追いかけ回すような…と、考えて、ユノさんの時も、そんなことを思ったな、と思い出して、ズキッと胸が痛んだ。 「俺の顔、嫌いになったの?ノア」  そう尋ねられて、「あれ?」と一瞬思った。だけど「ん?」と覗いてくるフィリの顔を見たら、僕はへにゃっとなってしまった。  『好き』という気持ちを自覚しただけで、こんなにも人間は態度が変わるものなんだろうか。僕の反応は異常だった。しかも相手は、違う人間である。  だというのに、その、目だけを細めて笑うみたいな、ヒューみたいな淡い笑顔を見て、僕は、溶けてしまいそうだった。  それに、ーーー。 「…あの、…いっかい…」 「え?」 「もう一回、ノアって、呼んで…もらっても…その、」  僕がしどろもどろで、それでも、お願いしたいことがあって、それを口にしてしまった。  ぱちっとフィリが目を一瞬大きくして、少しにやっとすると、それから、きれいな薄い唇が近づいてきて、耳元に吹き込まれた。 「ノア」 「ひうっ」  だめだった。もう、だめだった。  好きな人の顔で、好きな人の声が、自分の名前を呼んでいるのだ。違う人…違う人だと、必死に考えるけど、目の前の映像がその思考を邪魔してくる。羽里のBL漫画インデックスで、同じような状況をすごい勢いで探していた。  おそらく、おそらくだけど、同じような状況だとすれば、完璧にそっくりな一卵性の双子の両方から言い寄られている時、のような状況に近いかもしれない。だけど、その状況は、全く参考にはならなかった。何故なら、そういう設定の場合、大体主人公は、双子の見分けがつくからだ。  僕には、全く見分けがつかなかった。  どこからどう見てもヒューなフィリが、どこからどう聞いてもヒューの声で、ヒューみたいに意地っ張りな雰囲気で、ヒューみたいに意地悪な行動を取ってくる。  僕は混乱の極みにあった。  ゲームでやっていた時は、まだ、違う人間だと理解できていた気がする。それに、実際に会ってみたら、やっぱり全然違った〜、と、なるんじゃないかと、思っていたのだ。だけど、だめだった。全然、だめだった。  まっ赤になって、固まってしまった僕を見て、フィリは、ぱちぱちと目を瞬かせた。  僕は指先すら動かすことができなかった。  まるでヒューに再会したみたいに、絶対に、「好きです」みたいな顔をしてしまっているんだろうと思った。  フィリは、スッと伏し目になると、ちゅ、と、僕の唇に、唇を落とした。フィリはちょっと照れたみたいな、不貞腐れたみたいな顔でになって、それから、ぎゅっと僕のことを抱きしめた。  匂いまでも同じ気がして、僕は涙目になってしまった。ぐっと堪える。  耳元で、噛みしめるように囁く、フィリの声が聞こえた。 「……かわいい。ノア」  意味はわからなかった。何故、会って数日の天才魔法使いが、僕にそんなことを言ってくるのかも、わからない。ただ、僕は、涙目のまま、バクバクと爆発しそうな自分の心臓の音に、自分の置かれた恐ろしい状況を悟った。  ただの嘘かもしれない。ただ、からかわれているだけかもしれない。その可能性は高い。  でも、ーーー。 (………どうしよう。抗える気がしない…)

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