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第40話 ドーナツ論

  「どどどどどどーしよ。ノアさん。最近、近くのカフェがドーナツ売り出したみたいなんですよ」  主人公が働いているカフェは、まだ二週間目だというのに、どうやら軌道に乗ったようで、随分と客足が伸びているらしい。そして最近、ドーナツも売り出したんだとか。うちも、もっと色んなケーキとか売り出した方がいいんじゃないか、と、先ほどから、ジョナサンさんと一緒に、トゥリモは頭を抱えているのだ。  確かに、主人公のカフェは、ゲーム内でも、初期の段階で、ドーナツを売り出していたように思う。異世界の技術を使って、まずは「ふわとろパンケーキ」のような、スフレパンケーキからはじまって、パフェやケーキなど、地球では当たり前のスイーツを販売して、その珍しさに、カフェは大繁盛するのだ。  どうやら、今回転移したあの女性も、うまくやっているようだった。  見たかんじ大学生くらいだったように思うけど、料理が得意だったのかもしれないなあ、なんて、僕はぼんやりと考えていた。  が、一応、そのライバル店にあたる、このドーナツ屋『ジョナサンズドーナツ』の二人は、真っ青になって、頭を抱えているのである。二人は「他のケーキも売り出すべきか」などと話し合っているのだ。  僕は考えてみた。  僕がこの店で働くようになってから、お客さんの数に、ほぼ変化はない。おそらく、二人は、実際に売れた数を、あんまり確認していないのではないかと思う。  それに、当たり前のことだが、日本なんて、もっとたくさんの店がひしめいている中で、例えばだけど、ドーナツだけとって考えてみても、大手、インスタ映え系、昔ながらの手作りほっこり系、健康を意識した系など、様々なニーズに合わせて、細分化されているものである。  その上で、ケーキ業界、焼き菓子業界、パイ、シュークリーム、などなど、更なる幾多の種類のスイーツ店が競合する中、それでもドーナツ屋は潰れない。なぜなら、ドーナツとショートケーキは違うからだ。当たり前だが、ドーナツとシュークリームも違う。  僕のように、ドーナツドーナツと狂ったように食べている人間は、早々いないにしても、僕は知っていた。  人間には、ドーナツを食べたい日があるのだ。  そして、あのドーナツ屋のショーケースを見たときの、あのテンション。それは、みんなが知っているだろう。あの、「えーどれにしよう!2個までならいいかな…いや、3個」と、迷いながら、きらきらした目でショーケースを見つめ、「これにしよう」と、今日、食べたいドーナツを見つけて、店員さんに「これください」と言う瞬間。  友達の誕生日や差し入れの際、低価格、かつ、美味しく、見栄えのするドーナツを、ダース買いにする時にだけ許される、爆買いの楽しみ。  あの僕に食べられるために、かわいく並んでくれているドーナツのまるっとした姿。それを思い出すだけで、幸せな気持ちになる。  だから僕は知っていた。 「絶対、大丈夫」 「「え?」」 「いいですか。下手に、他のケーキやら何やらに、絶対に手を出してはいけません」  ドーナツ好きの、ドーナツ好きによる、ドーナツ屋のための、僕のドーナツ談義が、今、はじまろうとしていた。エミル様に、恋愛論を語らなくてはいけなかった時とは違う。僕は、自信を持って、胸を張って、ドーナツについて語ることができる。 「よく聞いてください。ドーナツの需要は、ケーキとは違います。低価格、かつ、美味しく、見栄えもするスイーツです。高級感や満足感、ゆっくりと食べる贅沢、を楽しむケーキとは需要が違うんです。そして、ジョナサンさんのドーナツは、このドーナツ好きの僕が、この僕が、太鼓判を押すほど、魔法のように美味しいドーナツです。この薄く、均一につけられたグレーズは、もはや芸術品です。だと言うのにもかかわらず、さらに、色をつけた種類を販売するなど、見た目にも楽しい作りになっていて、こだわっています。このグレーズの薄さは、口にした時位はパリッとした食感を一瞬与えると言うのに、ほろりと口の中で、雪がほどけるように溶けだし、その甘さが絶妙です。そして、そのグレーズと一緒に、口の中に広がる、もっちりとしたドーナツ本体の生地がすごいです。パサパサしていても、油っぽくても、テンションの下がるドーナツ本体ですが、ジョナサンさんのドーナツは、しっとり、もっちり、それでいて、じゅわっとほんのり滲み出た油が、口の中に広がるのです。しかも、その油へのこだわりを僕は感じます。安い油ではなく、最高級の低温で圧搾したバージンムーンナッツオイルを使っているので、健康のことも考えられており、多く含まれる中鎖脂肪酸はドーナツという一見ジャンクなスイーツにも関わらず、消化を助けるために一躍買っています。そして、さらに、チョコレートドーナツをとっても素晴らしいです。チョコレートの種類も上につけるトッピングですらも、見るものを惑わせ、何個でも買ってしまえと思わせるほどの魅力を持っています。まずは、ここまでが、ジョナサンズドーナツの魅力です」 「「………」」 「そして、ここから先は、ジョナサンさんが、他のスイーツを手広くやろうとした際の、恐ろしさについて語ります。まず、ドーナツ屋の素晴らしいところは、小麦粉と油、そして砂糖、というこの低コストな主要三つの材料だけで、これだけのありとあらゆる種類のドーナツを作ることができることです。使う材料はそれだけだというのに、これだけのバリエーションを作れるスイーツは、他に、僕が思いつく限りでは、カップケーキくらいかと思います。なので、あえて敵がいるとすれば、ドーナツの敵はカップケーキだけです。カフェではありません。ジョナサンさんが、もしも、他の、ショートケーキやモンブランなど、なんでもいいですけど、ケーキを作り出したとして、それは、ジョナサンさんのドーナツ制作にかける時間を減らし、クオリティを下げ、なおかつ、ストレスを与えるでしょう。そして、クオリティの低下と並んで、一番の恐ろしい問題は、どの飲食店もが頭を悩ませる『在庫管理』です。適正在庫の見極めまでは、在庫の予測精度が整うまでは、おそらく半年ほどの期間を有するでしょう。いつもとは違う食材の買い出し、量の見極め、それから、在庫・廃棄食材の処分方法、今までぶち当たることのなかった、未知なる問題が多発し、その都度、ジョナサンさんたちは頭を抱えることになります。そして、その間の赤字経営は覚悟しておいた方がいいですよ。というか、正直、そのカフェの方こそ、手広くやりすぎて首を絞めてしまわないように、気をつけた方がいいくらいです。そもそも、先ほども言いましたが、ドーナツ屋とカフェは違います。通常の飲食店のように、余った材料を次の日にも回せるわけではありません。ケーキなど、足が早いものは、その日中に処分となるでしょう。この店は、僕が入ってからの経営を見る限り、ほぼ、毎日完売に近い状態になっていて、ジョナサンさんの予測精度はかなり高いとみて間違いありません。たまに、売り切れになってしまう日は、機会損失とも捉えられなくはありませんが、それはスイーツ店に限り、「特別感」や「限定感」のようなものを演出するため、損失したと考えられる機会は、次の日へ機会が先延ばしになっている、というプラスに考えても問題ないと思います。以上の理由で、この店が心配することは何もありません。そして、もし心配なことがあるようでしたら、ドーナツにアイシングでメッセージや名前を書くサービスを提案します。誕生日に、子供や友達の名前入りのドーナツが欲しい人は山ほどいると思います。わかりましたか?」 「「………はい」」  僕は満足した。  若干、ジョナサンさんとトゥリモが引いているような気もしたが、それは仕方がなかった。僕のドーナツに対する愛情は、一入。ここだけは譲れない。  このほぼ完璧とも言える、僕の理想のドーナツ屋の片隅に、ショートケーキが並んだ際には、僕は絶望するだろう。  そして、そのとき、後ろから涼やかな声が聞こえた。 「フィリーニ・クレーティ御用達、も、つけとく?」 「え!いいんすか?!有名人のお墨付きはありがたいですけど、クレーティさん、ドーナツ好きなんですか?ファンからの差し入れとか、ドーナツだらけになっちゃいますよ」 (うわ、ファンからの差し入れとかあるんだ。アイドルだなあ…)  今のを聞かれてたのか、という恥ずかしさと、フィリが今日も迎えに来てくれたという恥ずかしさと、手伝ってくれようとしているのかなという恥ずかしさで、僕は、恥ずかしさの三重苦の中にいた。が、更なる苦行が僕へとのしかかってきた。顎を指先で掬われたかと思ったら、目の前に、首を傾けたフィリの顔があって、流し目で言われた。 「ノアが、全部食べてくれるなら、いいよ」 「!!!!!」 「うわあ、ノアさんやばい…まっ赤ですよ…」 「だ、だめ。だめだからな。トゥリモ。フィリがドーナツ好きじゃないんだから、だめだよ。詐称だからな!それ」 「あー……そっすね。それはダメですね。そんなに食べたら、ノアさんきっと、ドーナツみたいにまんまるになっちゃいますしね」  後ろから、ぼんやり眺めていたジョナサンさんが、「え、何ー?ノアくんって、フィリーニ・クレーティと付き合ってんの〜?」と、呑気なことを言っていて、フィリが迷いなく即答で「はい」と答えているのが、聞こえたような気がしたけど、僕はもう何も聞こえなかったことにした。  エプロンをそっとおいて、いつものように、フィリが僕にひとつドーナツを買ってくれて、僕はまたきゅんきゅんしてしまって、それどころではなかった。 (誰か、だれか、僕の心臓をどうにかして……)  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「あ、あの、フィリ?どこに向かってるの?」 「今日は、飯。一緒に食べよう」  相変わらず、左手をぎゅっとつかまれていた。どきどきしてしまう胸を押さえながら、尋ねたら、そう言われた。  今日はいつもみたいに、海岸線の方を通って、僕の宿屋へ送ってくれるわけではないようだったのだ。街中を手を引かれて歩いて、やっぱり色んな人に好奇の目で見られた。  フィリはいつもこんな視線に晒されてるのかな、と心配になる。トゥリモだって、フィリのこと、「孤高の」とか「誰とも馴れ合わない」とか言っていたのだ。  ユノさんやエミル様のことを、ちょっと思い出した。  ヒューは、ちょっととっつきにくいところはあるけど、人嫌いみたいなことはなかったはずだった。フィリはどうなんだろう。誰か、仲良い人でもいたら、いいのになあと、少し思って、もしかしてトゥリモは、案外、フィリと仲良くなれるんじゃないかなと思った。  しっかりと繋がれた手を見ながら思う。それにしても、ーーー。 (結局、フィリを攻略したのに、何の意味もなかったなあ…)  でも、繋がれた手の熱さに、幸せを感じてしまうのだ。  ダメだとわかっているのに、今の、この刹那的な幸せを、感受したくて仕方がなかった。フィリが言っていたように『軽く』捉えることができれば、よかったのかもしれない。好きな人と、こうして街を歩いているのだと、勘違いすることができれば、きっと、もっと幸せな気持ちになるはずだった。でも、どうしても、僕にはできそうになかった。  だというのに、それでも尚、高鳴る胸が止められないのだ。 (何転もして、それでいて、結局、僕がダメな奴ってことにしかなんない…)  手を繋いで、颯爽と歩く騎士のような白い制服を着たフィリを見て、ほうっと見惚れてしまう。あまりにも僕が見ているからか、フィリに尋ねられた。 「何」 「あ…制服、騎士の服みたいで、かっこいいなと思って」 「騎士?ああ、騎士が好きなのか?」 「うん。騎士かっこよくない?フィリに、よく似合ってる」  僕は、ユノさんのことを思い出しながら、そう言った。フィリは「ふうん」と興味深そうに、制服を見ていた。そして、フィリが立ち止まった。  連れてこられたところは、街の中心街からは少し外れた、小さな店で、ぽわっとした小さな灯りと看板が出ている店だった。見るからに家庭的で、優しい雰囲気の外観に、僕はそれを見ただけで「なんだか美味しそうなお店」と、思ってしまった。  でも、学生が来るにしてはちょっと、大人っぽい。  そもそも、この世界は、わりと地球の文明レベルに似ていて、学院生は、地球の高校生みたいに、ファストフード的なものを食べたりしながら帰る感じなのだ。高校生が食べにくるお店、よりは、やっぱりちょっと、大人っぽい。  ちらっとフィリの顔を覗いてみたら、ちょっと緊張した面持ちだった。それを見て僕は、気がついた。 「もしかして、考えて、くれたの?」 「! そんなわけあるか。知ってる店だ」  ぷいっと横を向いたフィリが、扉を開けると、からん、と乾いたベルの音が聞こえた。そして、その音に顔をあげた、優しそうなおばさんが、「まあ」と瞳を輝かせて、フィリに言った。 「いらっしゃい、クレーティさん。今日はようやく、お連れ様がいるのね」 「「………」」  固まったフィリを見て、僕は、ふっと吹き出してしまった。  胸に広がる、このあったかい気持ちは、紛れもなく、恋愛の好意であった。おしゃべりなおばさんが「うちの店は、クレーティさんのテストに合格できたのね?嬉しいわ。今日は特に、腕によりをかけて作りますよ」と言って、フィリはさらに固まっていた。  僕がこの世界に来てから、二週間ちょっと。  その間、フィリは毎日、僕のことを宿まで送ってくれていて、はじめの日曜日と、その次の週末は会えなかったけど、携帯通信具で連絡をくれていた。 (もしかして、レストラン、探しててくれたのかな…)  僕はもう、溢れ出す気持ちに抗えなかった。  煌びやかなところでも、流行りのレストランでも、夜景の見えるレストランでもないのだ。  この、見ただけでほっとしてしまうような、小さなレストランを探して、選んで、おばさんの言う通りならば、何回か食べに来たのかもしれない。その選び方が、なんだか本当にヒューみたいで、それで、エミル様に、ちょっと特別な誕生日を祝ってもらった時のことも、ちょっと思い出した。  僕は涙目になってしまうくらい、嬉しくて、それで、ぎゅっと繋いで手を握って、呆然と立ち尽くしているフィリに言った。 「どうしよう、フィリ。すごく嬉しい」 「ーーーえ、今?」 「うん。ありがとう。連れてきてくれて」  虚な目で僕を見ていたフィリに、僕は目が潤んでしまっているのを感じながら、それでも、涙がこぼれないように、一番の笑顔で笑った(つもり)。ちょっと気まずそうに、目を逸らしたフィリが、「はあ」と一度ため息をついて、それからようやく、席についた。 「何食う?」と、聞かれて、なんだか地球でデートしているみたいだ…と考えて、自分がナチュラルに『デート』と認識していることに、恥ずかしくなった。  メニューで、赤くなった顔を隠しながら、「おすすめはなんですか」とフィリに聞いたら、「これとこれ」と、野菜の料理と、魚の料理を一つずつ教えてくれた。「貝も平気なら、これも」と、言われて、この街は海に囲まれているから、魚介類が美味しいのか、と思い当たった。  この世界に来てからは、サンドイッチとか、簡単なものしか食べてなかったから、すごく、すごく楽しみだった。  それから、フィリがいくつか選んでオーダーしてくれた。  ちらっとおばさんを見たら、グッみたいに、親指を立てられて、フィリがものすごく嫌そうな顔をしていた。それを見て、また僕は笑ってしまった。 「そんなに笑うなよ」 「だって、こんなの。フィリのこと…」  と、言いかけて、「見直しちゃうな」と、言った。「なんだよそれ」と、不貞腐れた顔をしているフィリを見て、心の中でだけ、そっと思った。 (………どうしよう。こんなの、、好きになっちゃうよ、、、)

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