41 / 45

第41話 シタイコト

  「うわあああ、すごい。フィリ。見て……すごい…」  僕の目の前には、大小様々な大きさのシャボン玉がぷかぷかと浮かび上がっていた。  小さなものは、30センチくらいのものから、大きいものは10メートルくらいもありそうだ。そして、その中には一様に、美しい魚たちが泳ぎ、珊瑚礁が広がっているのだ。  一緒にご飯を食べた次の日、ーーー土曜日。  明日も会いたい、というフィリに押し負けて、今日は、水族館に行くことになってしまったのだ。自分の意志の弱さが辛い。ヒューの顔でお願いされると断れなくて、自己嫌悪しながらも、それでも結局、来てしまった。 (ゲームで見た水族館に、行ってみたかったこともある……)  朝、宿屋まで迎えに来てくれたフィリが、白いシャツにデニムっていう、ものすごくシンプルな格好なのに、男前すぎて、僕はその時点で、もうすでに瀕死だった。  午前中の光に照らされた、水色の髪が揺れて、色んな色に輝いて見えた。  水族館は、地球にあるようなものとは違って、室内に、大きな球体の水槽がいくつも浮かび、ぷかぷかと揺れている中に、海の世界が広がっていた。その幻想的な風景に、文明は地球に似ていても、表面への出方がすごくファンタジックで、やっぱり圧倒されてしまった。シャボン玉の中に海を閉じこめたみたいな水族館なのだ。  異世界の魚は、地球の熱帯魚みたいに色とりどりで、珊瑚礁のようなセットも、すごく美しかった。一生懸命張りついて見ていて、はっと後ろを振り返ったら、フィリが優しげに目を細めた。それだけで、とくっと心臓が鳴る。  それからは、僕はどきどきしながら、魚と同じくらい、水槽を見ている、フィリの横顔をちらちら見てしまって、それで、顔を触ったり、ぱたぱたと仰いでばっかりだった。「暑い?」と不思議そうにフィリが覗いてきて、さらにどきどきしてしまった。  その後、フィリがペンギンみたいな鳥と小さな魚のついたキーホルダーを買ってくれて、うっかり大喜びしてしまった。フィリが色違いのものをもう一つ買ってることに気がついてしまって、僕は耳まで赤くなった。「お、おそろい?」と、恐る恐る聞いたら「違う!」と、食い気味に言われたので、僕のはやとちりだったか、と、僕はさらに赤くなってしまった。  それから、ハンバーガーを昼ごはんにすることにした。  建物の二階、窓際のカウンター席に二人で並びながら、モグモグと口を動かしていた。文明は地球に似てるけど、決して地球みたいなチェーンのハンバーガー屋さんがあるわけではなくて、なんだか街全体が、テーマパークのお店みたいな雰囲気なので、ハンバーガーも、なんか違う食べ物みたいに感じる。 「一口ちょうだい」と言われて、ハンバーガーをフィリにあげながら、はわっとしてしまう。どうやら、フィリは潔癖症ではないらしい。ヒューも、旅の途中からは、あんまり潔癖症なかんじはしなかったけど…。目の前で綺麗な薄水色のまつ毛が伏せられ、あむっと僕のハンバーガーをかじるのを見て、どうしても、思ってしまう。 (王子様みたい……)  もう僕は、どうしたらいいのか、さっぱりわからなかった。  フィリはヒューじゃないのに、ヒューにしか見えなかった。がんばって、違いを探そうとするけど、探そうとするたびに、逆に似ているところを見つけてしまう。ユノさんにも、同じことをして、同じことを思った。  僕はどうしても、フィリみたいに、ユノさんみたいに、エミル様みたいに、ヒューに似て、不器用で、それでいて、すごく優しい人といると、どうしても、好きになってしまいそうになる。  エミル様は、それでも少し、身分のせいもあって距離があったけど、ユノさんにも、フィリにも、僕は惹かれてしまって、こんなに揺れてしまっている。どきどきと胸が高鳴るのと同時に、ズキズキと痛んで、僕の心臓は本当に忙しい。  ちらっと横に目をやれば、大好きな人の顔。僕はへにゃっと顔が緩んでしまいそうなのを、必死で堪えながら、ぽつりと言った。 「ねえ、フィリ。世界には、似てる人が三人いるとか、僕の世界では言うんだけど。僕みたいな人も、他の世界にいたりするのかな…」 「んー?どうだろうな。いるかもしれないけど。何?」 「もしフィリの好きな人と、その人にそっくりな他の人が、フィリのこと好きだったら、どう思う?」  とても変な質問であることは、わかっていた。  フィリに聞いてどうにかなる問題ではなかったけど、誰かの意見を聞いて見たかった。フィリは、うーん、と首を傾げていたけど、僕に尋ねた。 「俺のこと、好きになった?」 「!そ、そういうことを言ってるんじゃなくて、その…」 「俺が似てるっていう、ノアの好きな人と、俺の話だろ?」  カウンターに置いていた手に、上から手を重ねられて、どきっとしてしまう。僕が、どきどきしながら、フィリの方を見たら、にこっとされた。それから、きれいな指が、僕の手の甲をするりと撫でて、それだけで、僕はピクッと震えてしまった。  じん、と指先から痺れる。 「俺に限っては、そのまま好きになってくれていいんだけどな」  そう言いながら、重ねた僕の手を持ち上げ、手のひらに、ちゅ、とキスされてしまった。そのまま、きれいな水色の瞳に見つめられて…見つめられて、僕は、もう、溶けた。溶けそうとかじゃなかった。もうなんか、溶けた。 (僕はなんて…なんてダメな人間なんだ……)  その後、一緒に買い物したり、アイスクリームを食べたりして、まさかの水上のゴンドラにまで乗ってしまった。ものすごく、楽しんでしまった。地球とはもちろん違うけど、それでもこのファンタジックな街に、観光にでもきたみたいに、本当に楽しんでしまった。  そしてこれは、ーーー。 (ーーーす、すごいデート…これ、ものすごくデートだった…)  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「上がってもいい?」 「ーーーーえ?」  夕方になって、フィリが僕が滞在している宿屋に送ってくれた。  いつもなら、宿屋の入り口で、「ありがとう」と言って別れるところだったけど、ちょっと恥ずかしそうな顔をしたフィリに、そう尋ねられた。  ーーーアガッテモイイ? 「ふぇ?!へ、部屋に??」  僕の部屋は、長期滞在者用の、本当に簡素な安い部屋で、ほぼベッドとシャワーがあるだけなのだ。もてなすようなスペースはないし、座るところですら、おそらくはベッドになるはずだった。  僕は、フィリと同じベッドに座っていて、正気を保てる自信がなかった。本当なら、一日こんなによくしてもらって、楽しくて、お茶くらい出さなくちゃと思うけど、それでも僕には自信がなかった。「ごめん」と断ろうとしたら、ぐっと手を引っぱられて、抱きしめられてしまった。 「携帯通信具の魔法陣、教える。それなら、いい?」 「………くっ」  実は、この街で誰もが持っている携帯通信具を発明したのは、フィリなのだそうだ。天才魔法使いだとは知っていたけど、そんなこと、ゲームでは語られていなかった。それを今日、話している時に知って、僕はすごく驚いた。  実は、フィリに携帯通信具を買ってもらってしまった後、部屋に戻って調べて見たのだが、地球の携帯電話のように、バッテリーがあるわけではなく、継ぎ目がどこにもなかったのだ。一体どういう魔法陣で構成されているのかが知りたい僕は、もちろん本とか魔道具屋さんでも尋ねて見たのだが、当たり前だが、企業秘密であった。  それをフィリに話していたら、あとで教えてくれると言うので、僕は、それを喉から手が出るほど、知りたかった。  苦渋の決断だった。  が、僕はまたしても折れてしまった。そして、どうにかどきどきしないように、再び、念仏のように「違う人」という言葉を唱えていた。が、階段を上っている時点で、もう僕の心臓は、どきどきなんていうかわいいものではなくて、ばくんばくん鳴っていた。  そして今、ーーー。  ベッドで隣同士に座って、フィリが僕のノートに、企業機密どころか、国家機密にすらなりうる、最新の携帯通信具の魔法陣を、書いて教えてくれているところだった。  サイドボードには、宿屋の下で買った紅茶のカップが二つ。湯気と一緒に、カモミールみたいな匂いが香っていた。  さっきまで、あんなにどきどきしていたのに、僕は、フィリが形成していく魔法陣を、くいるように、見つめていた。 「転移……これ、転移なんだ。届けたい相手の生体座標を探知、呼び出し機能の起動、それから転移…そうか…」  リヴィさんは、地球の電話みたいに、雷(おそらく電波的な)ものを使って、声を届けようとして、あの通信具を作っていた。でも、フィリは違った。  僕はどうしても、地球の電話の発想から離れることができずに、声を何かに乗せて届ける、という方法を何回もやってみていたのだ。だけど、違った。 「そうそう。声を転移させてんだよ。丸ごと。試作の時はラグがひどかったけど、今はそうでもないだろ」  フィリと、この通信具で話すとき、地球上の電話のようにラグなんて全くなかった。フィリの魔法陣を見る限り、これは、一瞬の間に、特定した相手の生体座標に、声を転移させている事になる。発した声を感知して、それを瞬時に転移。 「すごい……一体どうやって、あんな速さを出すことができるの?」 「他の奴には言うなよ。雷使って、光の速さで魔法陣ごとまわしてんだよ。ここ」 「ま、魔法陣ごと、まわす?!」  そう言って、フィリが指さしたところは、『繰り返し』のエレメントに、声を受信・録音・転移の三つのエレメントが描かれていて、魔法陣の周りを、確かに、複雑な雷のエレメントが囲んでいた。  信じられなかった。  魔法陣のエレメントを回す、だなんていう発想、思いつく人がいるとしたら、その人は天才だった。これは本当に、国家機密並の話で、携帯通信具の中身を開けたりできないようになっているのは、当たり前だった。 「フィリ…すごい……すごすぎる…って、わ!」  思わず、ぱっと顔をあげた僕の目の前に、フィリの顔があってびっくりした。  びっくりして後ろに引こうとしたら、ベッドについていた手を、上から押さえられた。目の前には、じっと僕のことを見つめる水色の瞳。僕は、フィリの顔を見ていられなくて、恥ずかしくなって、魔法陣を見るフリをしながら、ちょっと俯いた。それで、「フィリ、手」と、焦りながら言ったら、俯いた視線の下、僕の顔ごと掬うみたいに、フィリが唇を重ねた。  ちゅ、と濡れた音が響く。  瞬間、僕の顔に、かっと朱が差した。  そして、そのまま手を引かれ、ぽすんと、隣に座った状態からベッドに倒れた。寝転んだ僕の目の前に、向かい合ってるフィリの顔があって、言われた。 「さっきの話。好きな人と、好きな人にそっくりな人に、好きって言われたらってやつ」 「……えっっ あ、…うん」  どっどっどっどと、脈打つ心臓を感じながら、そのまま、フィリが話すのを聞く。 「頭で考えても、わかんない時ってあるだろ。理性が『これが正しい』って思うことがあっても、それが正解じゃない時だって、ある」  フィリの言っていることは、僕の頭にはあんまり届いていなかった。握られた手が熱くて、顔が熱くて。こうやって、寝転びながら、ヒューとしてた、たくさんのえっちなことが思い出された。じっと見つめられれば、僕の頭の中はヒューで、フィリで、いっぱいで、破裂してしまいそうだった。 「倫理とか、もういいよ。こうやって俺の顔が近づいてきたときに、」  そう言いながら、フィリの綺麗な顔が近づいてきた。唇が触れてしまいそうなくらいの近さで、フィリの息が唇にあたる。目の前にある大好きな人の顔。たまに思い出してしまう、愛しい人の、夜の顔。こうやって、向かい合って、何度、熱を分けあったかなんて、数えることもできない。  ちょっと目尻の吊り上がった、猫目のきれいな瞳。長いまつ毛、くっきりとした二重、気の強そうな眉、薄い唇。目の前にある全てが、僕が、欲しいものだった。会いたくて、会いたくて、会いたい人にそっくりなフィリ。  金縛りにでもあってしまったかのように、僕の体は動かなかった。  はあ、と、期待に満ちた、熱い息を吐いてしまう。 「ノアは、こんな近くにいる俺と、なにがしたい?」  誘われるみたいに、吸い寄せられるみたいに、目の前のフィリの、ヒューの、唇に目が行ってしまう。  どくん、どくんと心臓の音が聞こえる。  くすくす笑いながら、フィリが言った。 「物欲しそうな顔。そんな顔してたら、すぐに俺に食べられちゃうよ」  食べられちゃう、っていう言葉を、僕の頭が理解する前に、背筋がしびびと痺れた。  ぎゅっと手を絡められ、それから。目を細めたフィリが言う。 「していいよ」  甘い、誘い。  つんと澄ましている、いつもの顔よりも、すこし悪い顔をした、フィリの顔。ヒューの顔。  フィリが続ける。 「したいこと」  誘われて、思考能力が奪われて、頭のナカまで、じんとする。  どき どき という音に合わせて、心臓から、かあっと熱くなっていく。  シタイコト。    少しだけ、間があった。それから、ーーー。  ちゅ、と濡れた音がして、それは僕が、フィリの唇に、自分の唇を重ねた音だった。  そして、衝動のまま、熱に浮かされたまま、とろけた瞳で、僕は口にした。 「………好き」

ともだちにシェアしよう!