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第43話 海の見えるとこで飯

  「…………え。ノアさん。もしかして…食べられちゃっ ぶ!」  何かを言いかけたトゥリモの顔を、僕は持っていたドーナツ用のお盆で叩いた。「いってえ!」と、喚いていたが、僕はぷいっと向こうを向いた。  フィリと一緒に朝を迎えてしまった日曜日の次の週。学院が忙しかったらしいトゥリモと会ったのは、ほぼ二週間後の金曜日だった。「ひさしぶり」と声をかけただけだと言うのに、トゥリモが何やら不穏なことを言いかけて、びっくりした。 (なんでわかんの?!や、ち、違うよね。た、食べられては…って食べ?!)  あれから、週末になるとフィリは、僕の泊まっている宿屋に泊まって行くようになってしまった。でも、抱きしめて眠るだけで、いや、悪戯はされるけど、その、何かが起きたということは、ないはずだった。  それでも恥ずかしくて、トゥリモに背を向けたまま、僕はまっ赤になったまま、わなわなと震えていた。ショーケースを布巾で磨きながら、僕は涙目だった。 「いや、そんな物憂げな表情で、色っぽくため息ついてたらバレますよ」 「え?!い?!」 「ノアさんって……穢したいとか、思われてそうってこの前言ったけど、清らかな笑顔を全力で向けられてて、クレーティさん、たまらないんだろうな〜。ノアさんって、ほんと、はじめからクレーティさんのことしか、眼中にないですもんね」 「何だよそれ」  男に対して清らかだなんて、それは褒め言葉でもなんでもなかった。童貞ってことだろ、と、考えながら、むうっと頬を膨らませた。  それに、僕は、ふらふらと色んな人を好きになってしまうことで悩んでいるのだ。そんな一途みたいな言い方をされると、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。  が、トゥリモはびっくりしたような顔で言った。 「え?まさか、気づいてないんですか??」 「何が」 「………え。ここで働きはじめてから、色んな人に口説かれてますよね?」 「は???」  トゥリモは、毎日三時過ぎに、この店に帰ってくる。それで、この店が閉店する四時までは、学院帰りの学生が多いこともあって、一時間ほど一緒に店に立っているのだ。  その時に、接客姿はみているかもしれないが、僕は口説かれた覚えなんて一切なかった。なにを勘違いしてるんだろう、と首を傾げていると、トゥリモが驚愕の表情を、浮かべながら言った。 「うっわ。マジで、クレーティさんのことしか見てないんですね。なんかノアさんハマっちゃったら、抜け出せなさそう。こわ。なんでだろ…なんか自分だけを見て欲しい、みたいなかんじなのかな。いや、逆に、完全に自分のこと好きなのに、いつもちょっと怯え気味で、抵抗してるかんじが、かわいいのかなー…うーん」 「おい、なんの分析なんだそれは」  意味はさっぱりわからなかったが、不名誉なことを言われているということだけは分かった。トゥリモは「俺は女の子派なんで、よくわかりませんけど」と、つけ加えた。フィリとキスをしてしまった僕に対する、トゥリモの反応を見てもわかるように、この魔法都市では、恋愛もかなり自由で、性別のくくりもあやふやなくらい、自由なのだ。  まだ、うんうん悩んでいるトゥリモを横目に、僕はエプロンを脱ぎ、帰り支度をはじめた。 「あれ??今日は、彼氏のお迎えないんですか?」 「か、彼氏って……。今日はちょっと寄るところがあるんだ。フィリにもそう言ったから」 「そっすか。おつかれさまです」 「おつかれさま。また来週、トゥリモ」  そう言って、僕は店を後にした。  夕暮れの街は、買い物客や学生で賑わっていた。僕は大通りを歩き、公園の近くのカフェに向かっていた。例の、主人公のカフェである。  一人で歩いている時も、遠目に、僕のことを見ている学生がちらほらいるのには気がついていた。でも、誰かが話しかけてくることはない。攻撃的な視線もたまにあるのだが、絶対に、話しかけてはこないのだ。なんだか、その不自然さに、フィリの影を感じずにはいられなかったけど、怖くて尋ねたことはない。  向かいの建物の本屋から、ちらっとカフェの様子を伺う。  攻略対象の商人の男が、ちょうど出てきたところだった。そして、それを見送る、あの大学生くらいの女性と、そして、その横に、カフェのオーナー。颯爽と歩いて行く商人を見ている二人の距離が、ちょっと近い気がした。そして、ーーー。 「あ」  手をぎゅっと握り合っているのが見えた。  オーナーの優しげな笑顔に、うっとりとしている女性の顔が見えた。 (オーナールートかな…)  今日は、主人公がこの世界に来て、一ヶ月経って、誰かに夕飯に誘われる予定だったのだ。  この乙女ゲームの終了は、来月の彼女の誕生日。  あの女性の誕生日まで、同じかどうかはわからないし、ミズキさんのように四年もかかることもあったから、全てが全て、正しいとは思えなかったけど、それでも、『物語の結末』が、ゲームと同じ「恋人になるまで」なのだとすれば、二人の雰囲気を見る限り、やっぱりそこまでの時間を要するとは思えなかった。  もし、彼女の誕生日がゲームと同じなんだとすれば、僕がこの世界にいる時間は、残り二週間ほどだ。  この期間の短いゲーム内で、この一ヶ月目のディナーを、誰と過ごすかで、ルート確定と見て間違いなかった。しばらくして、閉店すると、二人が手をつないで、カフェから出てきたのが見えた。  実は、攻略ブログをちらっと読んでおいたのだ。相手がオーナーの場合は、そのまま、海沿いの夜景の見えるレストランに行くはずだった。僕はこそっと後をつけ、二人がレストランに入るところまでを、一応、見届けた。 (オーナールート確定だな。後、二週間かあ……)  僕の頭に浮かぶのは、フィリのことだけだった。  毎日会っていて、週末までずっと一緒にいるのに、それでも思ってしまう。 「会いたいなあ…」  思わず、ふう、とため息をついてしまった。が、その後、耳元で、その本人の、ものすごく不機嫌そうな、低い声が聞こえた。 「誰にだよ」 「ひっ」  ←↓←↑→↓←↑→↓←↑→ 「なにこれ。すごい美味しい。どこの??」 「どこでもいいだろ。お前が食べるときは、どうせ俺がいるんだから」 (え……なにそれ。意地悪してるつもりっぽいけど…すごいデレな気がするんだけど…)  あの後、なぜか僕の背後にいたフィリに手を引かれて、いつも海岸沿いまで来た。腰を抱えて、砂浜の前の防波堤に座らされ、びっくりする間もなく、「そこで待ってろ」と、キレ気味に言われて、フィリはいなくなった。数分後、戻ってきたフィリの手には、サンドイッチとあったかい紅茶のカップがあって、それを渡された。  そして、むすっとした顔のまま、僕の隣にフィリは座って、足を組み、その上で頬杖をついているのだ。  仕方ないので、渡されたサンドイッチの紙包を開けたら、サーモンとクリームチーズが入っているバゲットだった。酢漬けの玉ねぎと、ルッコラが入ってて、なんだか高級感もある。おしゃれなサンドイッチだった。  バゲットは焼いてもらったのか、まだあたたかくて、つい食べてしまったら、ものすごくおいしかった。  が、隣にいるフィリはずっと不機嫌なのだ。 「悪かったな。俺はあんまり、ああいうあからさまな飯屋が得意じゃないんだ」 「………は?」 「海!見ながら、飯が食えればいいだろ。悪かったな!ああいう流行ってる飯屋に連れて行かなくて!お前があんな、海が見える混んでるだけのとこが良かったなんて、知らなかった」  なんのことだかさっぱりわからなかったけど、もしかして、さっき主人公の女性とオーナーが行った店のことを言ってるんだろうか。僕があの店に行きたかったと思っているのなら、それはとんだ勘違いだった。別になにも言ってないし、フィリの選んでくれたレストラン、すごく嬉しかったって、たくさん伝えたつもりだったのになあ、と思う。  そして一言多い。 (本当に、ヒューそっくり。もうヒューだよ) 「フィリ。僕は、フィリの連れてってくれたところがよかったよ。それに、サンドイッチすごくおいしい。ありがとう」 「………」 「一緒に食べよう?フィリと一緒に食べたいよ」  紙袋に入ってた、もう一つの包みをフィリに差し出したら、ちょっと乱暴に奪い取られた。そしてガサガサッと音がして、フィリが、そのすました顔に似合わず、がつがつと豪快に、サンドイッチを食べはじめた。  元から僕は、サーモンサンドとかサーモンベーグルとかが好きなのだけど、この肉厚のサーモンは、自家製感がすごい。量産のペラペラのサーモンじゃなくて、肉厚に切って、その店で塩漬けを作っているに違いない。絶妙な玉ねぎのピクルスの酸味、ディルの混ざった濃厚なクリームチーズとケッパー、ルッコラと一緒に、外はカリカリ、中はもちもちのバゲットに挟んであるのだ。美味しくないわけがなかった。普通に美味しすぎだった。  ヒューが怒っているときは、大抵、自分の怒りが収まって、だんだん凹み出して、それから一通り凹み終わるまで、だいたいしばらく無言なのだ。こういうときばっかり、僕は開き直って、多分フィリもおんなじかんじだろう、と勝手な解釈をして、ただただ、そのサーモンサンドを堪能した。  そして、僕が食べ終わって、少しぬるくなった紅茶を、半分飲み終わったあたりで、ようやくフィリがぽつりを言葉を口にした。 「さっき。会いたいって誰にだよ」  そこが気になってたのか、と僕はびっくりした。  誰に会いたかったかなんて…と、僕は思う。昨日も一昨日も会ってたのに、今日だって会いたくなってしまった。自分がこの世界にいられる時間が短いって知っているからかもしれない。それでも。  僕はもう、わかっていたのだ。僕はもう、とっくに、フィリのことが好きだった。たとえ後、二週間で、会えなくなってしまっても、ヒューに似てるからかもしれなくても、やっぱりフィリのことも、好きだったのだ。  一瞬、伝えるべきではないんじゃないか、と思った。それでも、今のフィリの様子と、この前のフィリの様子を思い出して、僕は、一応伝えておくことにした。 「………ふぃ、フィリに」 「そんなわけ!………や、じゃあ、いい」  怒ったように僕のことを振り返ったフィリが、僕の顔を見て、一瞬びっくりしたような顔をして、ぷいっと横を向いた。多分、多分だけど、きっと僕の顔がまっ赤で、多分、「好きです」みたいな顔をしてたんだと、思う。なんかフィリもちょっと、耳が赤い気がする。  そっと上から手を握られて、しばらく、僕も、フィリも、海を見ながら、無言だった。  重ね合った手だけが、なんだかすごく熱くて、そこからピリピリと電流が流れてるみたいに、痺れた。「食べ終わった?」と聞かれて、うなづいたら、フィリはさっとゴミだけまとめて、立ち上がった。 「ちょっと浜辺、行ってみるか」 「え!うん!行きたい」  夕暮れは過ぎたけど、空はまだ、ちょっとだけ明るくて、薄ピンクと藍色が混ざりあっていた。棚引いた雲は少しまだ夕焼け色。きらきらと、一つ二つ、星が輝いていて、いつもこの海岸を通るたびに、見入ってしまう。  フィリはなにも言わないけど、繋いだ手から、優しさが伝わってくるようで。靴を脱いで、デニムを膝までまくりあげて、もう他の人は帰ってしまった、誰もいない砂浜を歩きながら、フィリに言う。 「フィリ、サンドイッチすごくおいしかった。ありがとう。いつも本当に、どうやって見つけてくるの?」 「……なんであの女のこと、ずっと見てたんだ。この世界に、お前の生体反応が現れたとき、一緒にあの女の生体反応もあった。知り合いか」 「え、フィリ。そんなことまで知ってんの??ううん。知らない人。でも、一緒にこの世界に来たから、ちゃんと問題なく過ごせてるか確認してた」  どうやら、本当に、サンドイッチ屋さんのことは教えてくれないみたいだ。  それでも「あ、そ」と言って、ぷいっと横をむいてしまった。もしかして、心配してくれたのかな、とか、ちょっと思う。  砂浜に打ち寄せる波に、足をつけたら、もう水は、ちょっと冷たくなっていた。あんなに昼間、いい天気だったのになあ、と思いながら、ぱしゃぱしゃと砂浜を歩く。  僕はすこし考えてみた。  後二週間しかないなら、本当は、フィリのことを好きになるべきではないし、好きでも、言わないべきなんだろうな、とは、思うのだ。なぜか、なんでも知ってるみたいなフィリは「それでもいい」っていうかんじの対応をしてくるけど、それでもやっぱり、それは、するべきではないことだった。だって、本当に、なんでも知ってるわけではない。 (でも…ちょっとぐらい……だめかな、ちょっとだけ)  僕は立ち止まって、ちょいちょいっと手を動かして、フィリを呼んだ。怪訝そうな顔をして、少し屈んでくれたフィリの頬に、ちゅ、と唇をあててみた。自分でやっておきながら、ものすごく恥ずかしくなって、それで、なんか言わなくちゃ、と思ったら、ちょっと震える声が出て、余計に恥ずかしかった。 「機嫌、なおして」  フィリはびっくりして、頬を触って、呆然としてたけど、なんだか少し、切なそうな顔で、僕のことを見ていた。それから、手を引かれて、ぎゅうっと抱きしめられた。  そして、フィリが言った。 「ごめん。俺、いつもこんなで」  ああ、と思ってしまう。  聞き覚えのある台詞だった。    凹んだ後に、何回か、聞いたことがある。その言葉を聞いただけで、もう、ダメだった。  フィリの水色の髪が潮風に靡いた。僕のことを抱きしめているのが、誰なのか、僕にはもうわからなかった。  ただ、好きだった。  目の前にいる、僕のことを抱きしめている人が、好きだった。その姿を見ただけで、その体温を感じただけで、僕の胸はいっぱいで、涙が溢れそうで、ただ、それがバレないように、「怒ってないよ」と言った。  僕の声が、震えないといいな、と思いながら「フィリは、そのままでフィリだから」と続けて言った。  よくはわからなかった。  よくはわからないけど、ただ、なんだか、そう言うのが正解な気がした。僕はヒューに言ってたみたいに、フィリにも同じように言った。  ピクッとフィリが震えた後、ぎゅうっともっと強く抱きしめられた。それから、しばらくして、フィリが体を離して、向かい合ったまま、しばらく手をつないで、黙って、僕のことを見てた。夕日の色が少しだけ残る空の中にいるフィリの、切なそうな表情が、すごくきれいだった。それに、その空は、フィリの水色の髪を少し、淡い茶色みたいに染め、そして、瞳を、薄紫色に見せている気がした。  ヒューそっくりのフィリを見ながら、もうどちらが好きなのか、どちらも好きなのか、なんなのか、よくわからなかった。 (きれい……ほんとに、きれい…)  そう思っていたら、ちょっと照れたような顔で、フィリが言った。 「きれいだ、ノア」 「………フィリ、自分の顔、見たことあんの」 「俺にとっては、ノアが一番きれいだよ」  そう言って、僕の手を掴むと、フィリはちょっと屈んで、僕に口づけた。  角度を変えて、何回かついばまれて、僕は目をつむって、そのままだった。足元は冷たい海の水が流れているというのに、心のまんなかから、ずっとずっとあったかくて、嬉しくて、幸せだった。  フィリが言った。 「本当はたくさん、言いたいこともあるけど。ここでは、言えないことも多いな」 「どういうこと?」 「ううん。ノアが、いつも幸せだといいなと思って」 「………フィリ…僕も、、」  その言葉は絶妙で、好きだって言わなくても、好きだよって伝えられる、すごい言葉だと思った。  こないだうっかり口にしてしまったけど、、それでも今は、言うべきではない言葉を飲みこんで、代わりに言った。  伝わるといいなと思って。できるだけ、幸せそうに笑って。 「いつもフィリが幸せだといいな」

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