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eat around -2-

タワーの足元にある商業施設は休日ともありそれなりに賑わいを見せている。どうやらタワーと商業施設ソラマチをあわせて東京スカイツリータウンという名称になっているらしい。 「初めて来たな」 「俺もです」  目的もなくふらふらと歩いていても、特に真新しいものはない。商業施設などどこも代わり映えはしないだろう。  これが本当に旅行先と言える距離にある施設であればまた抱く感情も変わったかもしれないが、テナントもあちこちでよく見かける店ばかりである。  予定外に葛城と出かけることになったのは嬉しいと思えても、それを素直に言葉にするのはなんだか癪に思えて神谷のテンションは低いままだ。  なにより、ずっと葛城の発言を理解しきれていないことが不愉快なのだ。  あの店のチーズケーキが常温保存可能な上に美味しいと聞いたとか、女子に人気の有名なタルト、最近オープンしたばかりらしいくだものを楽しむ店など、やたらと食べ物について語ってくるのも何故なのか。  神谷はてっきり到着してすぐに展望台に向かうと思っていたが、せっかくだし、とひやかしばかりしている。 「なぁ、タワーのチケット事前に買ったってさっき言ってたよな。それならさっさと上に……」 「あ、神谷さん、実演販売してますよ」  さらには先程からこうして言葉を遮られ、タワーにのぼるタイミングを失っていた。  わからない。  葛城はなにをしたいのだろう。  明らかにごまかしで振っただろうに、商品がキッチン用品だったためか熱心に聞いている。営業としても実演販売の口上は参考になる部分がなくもない故に結果として二人揃って聞き入ってしまった。  実用性の高いらしいそれを葛城はお気に召したようだが、自分用ではなく神谷へ、と言われただでさえ朝からすっきりしない気分のままだったために眉をひそめて使わない、とキツく言い放つ。 「簡単だから神谷さんでも使えるでしょ」 「使う気がない、と言っているんだ」 「この間カレー作ってたじゃん。これを機に食生活見直して自炊しましょう」 「お前がいなきゃ作る気になんてならないよ」  ふいっと顔をそむけてスタスタと歩き始めても葛城がついてこないことに気付く。何をしているのかと振り向けば、盛大にため息をついていた。 「あんたね……すぐそうやって……」 「なんのことだ」 「無自覚なのがタチ悪いって言ってんですよ」 「よくわからんがそこを出た先にタワーの入口あるみたいだぞ」  それこそせっかく来たと言うのであれば展望台に行かずとなんのためにここまで来たのか、という話ではある。事前にチケットを購入済みであるにもかかわらず、だ。  神谷は葛城に構わず入口のある広場へと足を運んだ。  真下からの景色も絶景と言えるのかもしれない。  施設内からも見えた太くしっかりとした白い骨組みが天高くまで伸びている。 「なかなかにすごい……」  晴れやかな秋空に人工建造物がこんなにも映えるものなのか。  映像や写真、遠くからであれば実際に何度も目にしたもののはずなのに、筆舌に尽くし難い感動に近しいものを抱く。  展望台からの景色はさらに素晴らしいものだろうと、先程までの気分はどこへやら、神谷はウキウキしてきた。  春夏秋冬のイメージで内装の違う四基のエレベーターは地上三百五十メートルの展望デッキまで五十秒で到着するらしい。 「俺が小学生の頃は社会科見学で東京タワーに行ったが、今の子はここに来るようになっていたりするんだろうな」 「……そうでしょうね」 「学校で行ったあと、友達と行ったこともあって、わざわざ階段を登ったんだよ。疲れるだけなのにそれも楽しかったのを覚えてる」 「へぇ」  素っ気ない相槌に、キッチン用品をいらないと言ったことを気にして拗ねてでもいるのかと尋ねようとしたところでエレベーター内へ通される。  暗めの照明の中、金色に輝く鳳凰。  神輿飾り職人が制作したらしい「祭」の秋だ。  庫内を一通り見渡し、話しかけようとした瞬間、手を握り締められ思わずびくりと体を震わせる。  しれっとした表情でこちらを向きもせず、けれどギュッと音がなりそうなほどにきつく握られて、目が泳いでしまう。  乗っている客はほとんどが鳳凰を見つめており、気付かれることはないだろうとわかっていても、公共の場でこっそり触れ合うのはどうにもダメだ。  ――嫌がらせでされていた、キスを思い出す  希望部署に配属されなかった不満。  順風満帆そうな坊ちゃん上司。  理解のあるフリ。  神谷を遠ざけるためにゲイであることを告げられ無理やりされたキス。  誰もいない就業中の資料室での密会。  気付いたときには、いや、最初から気にはかけていた。それが単に誰とも馴染まない新入社員を心配する上司としてだったのか、別の意味を持っていたのかはわからない。  いつから、なんてものは些細なことだ。  物思いに耽る間もなくエレベーターは展望デッキへと到着し、同時に手も離された。ホッとしたような寂しいような複雑な気持ちを振り切るために深呼吸をする。  商業施設内もだが、展望デッキもそこそこに賑やかさがあった。交わされる会話は小さく騒がしくはなくとも、誰もが窮屈さを感じる日々の中で楽しみを見出そうとしているのだろう。  自分たちもそうだ。  葛城が連れ出さなければ会うことすらない週末を過ごしていただろう。ならば理由がわからなくとも楽しまなければもったいない。  さらに上には展望回廊なるガラス張りの回廊があるようだ。ゆっくり景色を一緒に楽しもう、そう思い葛城を振り返る。 「会社、探してみよう」 「……さすがに無理だと思いますけど」 「探してみないとわからないだろう」  意識してにこやかに笑い、フロアを歩き始めた。  不思議なもので人間は目線が変わるだけで気持ちも変わってくる。物理的にも、精神的にも見方を変えるというのは視野が広がり心にゆとりが出来るのかもしれない。  ガラス越しの景色は神谷の心を存分に癒してくれた。  しかし、どうにも葛城の様子がおかしい。フロア内にある絶景を見ながら食事が出来るレストランの料理も美味しかったが、あまり食が進まないようだった。  自分と同じように癒されてはいないのか、と心配しかけた神谷の視界にある物が入り込み、一気に心が奪われる。  ガラス床だ。  友人たちと東京タワーで楽しんだ思い出が浮かび、きっと葛城も喜ぶに違いないと思い込んでしまう。  ちょうど幼い子供が母親にしがみつきながらも興味津々といった様子で覗き込んでいるところだった。  大人二人が立っても十分すぎるほどの広さがあるガラス床はフォトスポットにもなっており、床下の景色と窓の外の景色も見える角度で撮影してもらえるサービスもあるようだ。 「友達が、あの子みたいな感じでさ。立ちたいけど怖くて踏み出せないって。その会話聞いてたらしい見知らぬ大人が声をかけてくれたんだ」  大人が乗っても大丈夫だから、子供の君が乗っても大丈夫だよ、と。それを機に友人は勇気を出し一歩を踏み出したのだ。ちょっとした歓声が上がって注目を浴びていたことに気付いて恥ずかしかったのも今となれば良い思い出だ。  しかしガラス床へあと一歩のところで思い切り葛城に腕を掴まれる。 「なんだ」 「……あの、えっと……」  腕を掴む手は力強いけれど、視線は泳ぎ顔色が悪い。やはり体調が良くないのかもしれない。  声をかけようとすると幼い声が届いた。 「おじちゃんたちもこわいの?」  まだ二十代の二人は自分たちが幼子からおじちゃんと呼ばれたことに瞬間気付けなかったが、母親が慌てて頭を下げている様子から把握する。 「あのね、さいしょはこわいけど、えいってしたらだいじょうぶだよ」  幼子は屈託のない笑顔を向けてくれた。  まさか大人になっても言われる側になるとは、と思い神谷は和むが掴まれた腕から微かな震えを感じてハッとする。  少し考えればわかることだった。  無理やりに近い形で連れ出し、チケットまで事前に購入し、レストランも予約されていたにも関わらず、何故かあまり展望台に向かいたがらなかった。  一分にも満たない時間のエレベーター内で手をきつく繋がれたこと、展望デッキに到着以降の様子や、伝わる小さな震え。  それらから導き出されるのはひとつしかない。 「……お前……まさか……」 「やめてください言わないでください勘弁してください」  もう片方の手で顔を覆い俯く葛城の姿に申し訳ないと思いながらも笑いが込み上がってきてしまう。  葛城は、高い場所が苦手なのだ。  幼子と母親へ愛想良く挨拶をしてから景色の見えにくい中央付近へ移動し、壁へもたれかかる葛城の脇をつつく。 「苦手なくせにどうして」 「……だってあんたが落ち込んでいたから……」  やめろとつついた手を払われ、逆に胸元をつつかれた。 「社員旅行、楽しみにしていたんでしょう?」 「…………そ、んなに、わかりやすかったか」 「中止の知らせがきたときのあんたの顔、写真撮って見せてあげたいくらいには」  そのときだけですぐに通常運転に戻りましたけど、と言いながら長く息を吐く。  相変わらずまわりを、神谷のことをよく見ているんだと実感して恥ずかしくなった。  いつだってそうだ。  あまり目が良くない神谷は仕事中に眼鏡をかけているが、酷使すると視界がぼやけてしまう事がある。葛城が目敏く気付いては休憩に誘ってくれたり、注意を促したりしてくれるのだ。  与えられた仕事は期待以上の結果を出そうとする努力の結果で、若くして課長という肩書きを得ることが出来たとはいえ、それは同時に神谷が適度に手を抜くということを知らない不器用な人間でもあるという証明でもあった。 「だからってわざわざ苦手な場所を選ぶことはなかっただろう」  照れくささから呆れがこもった口調になったが葛城は気にもとめないどころか、あからさまに視線を逸らす。 「あんたが楽しみにしていたのは観光地まわりと現地の食いもんだろ」  確かに旅行に行くなら現地ならではの場所や食べ物を楽しみたいと思うけれど、今回だけは違う。まだそれには気付かれていないようでほっとする反面で、葛城は違うのかと改めて落胆した。 「とはいえ、ご時世柄で中止になったのに遠出するのもどうかと思った結果、近場で観光気分味わえる場所ってここくらいしか浮かばなかったんだよ」  だいぶ気分が落ち着いてきたのか、よし、と気合いを入れてさらに上の展望回廊へ向かおうと言い出す。 「今日はあんたを楽しませてやりたいの」  そう呟いて。  ここまで言われて嬉しくないはずがない。やっと朝からのあらゆるモヤモヤや理解出来なかった言動すべてが腑に落ちたことも相まって、神谷の心から拗ねる気持ちが消えていく。  何をどう楽しむかなんて人それぞれなのだから、なにも言わずに期待してその通りにならなかったと落ち込むのは身勝手な話だ。  葛城は神谷を楽しませたいと自分で考え努力してくれていると言うのに。  フロア内を見渡し出口と書かれた案内を見つけ、そちらへ向けて歩き出す。 「俺は葛城と一緒だから楽しみだっただけだよ。だから、場所なんてどこでも構わない」  よく出来た部下のことだから、きっと行先はここだけではないはずだ。  次はどこへ連れて行ってくれるのだろう。  見慣れた、行き慣れた場所であっても気持ちが変われば見える景色に感じるものも変わる。 「楽しませてくれるんだろう?」 「……あんたって人は本当にタチが悪い」 「お前も大概だと思うぞ」  悪態を付き合いながら都内観光名所のひとつを後にした。

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