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北の山から戻った3人のお話……唇
「キス……してもいい?」
「……え? ぁ、え……、えっっ!?」
主人の言葉に、従者はなぜか酷く動揺した。そんなに驚くようなことだろうか? とリンデルは不思議に思う。
その後ろのベッドでは、カースが眠そうな声で低く呻くように答える。
「ああもう……、どいつもこいつも俺に遠慮すんじゃねぇよ……」
「ふふっ、ありがとう」
リンデルが、それでも律儀に答えてくれる男に心からの感謝を伝える。
そして、腕の中で狼狽えているロッソの顎をそっと手に取ると、軽く持ち上げて視線を合わせた。
「ロッソは?」
「あ、っはいっ。こ、光栄です……っ」
ロッソの答えに、リンデルは彼らしいなと思いながら唇を重ねる。
小柄な従者の唇は、小さく薄く、リンデルの知らない感触がした。
そっと輪郭を舌でなぞると、腕の中でロッソの身体が小さく震える。
まだ緊張しているらしいロッソへ、リンデルは角度を変えてもう一度口付けようとした。
けれど、離そうとした唇を追うように、ロッソがギュッとリンデルに縋り付く。
リンデルは少し驚いて目を開く。ロッソはぎゅうっと必死に目を閉じているようだった。
「心配しないで……」
リンデルは目を細めると、唇を離さずに囁く。
「今日は、ロッソがもういいって言うまで、離さないから……」
リンデルは誠意を見せたつもりだった。
実際、ロッソは救われたような気持ちになった。
けれど、カースだけはリンデルにスイッチが入った気配を察して、ロッソに対してほんの少しだけ申し訳なく思った。
(まあ、あいつも望んでる事だし、いいよな……)
と胸中で言い訳を浮かべながらも、男は眠りへと落ちてゆく。
喜びに綻んだ唇を割って、リンデルはロッソの口内へ侵入する。
「……っ」
ロッソがびくりと身を硬くする。
もっと奥までリンデルは進みたいところだったが、ロッソはまだ口を開いておらず、リンデルは歯列をゆるりと舌でなぞる。ここを、開けて、と。
応えるように、おずおずと開かれたそこへ、リンデルは舌を挿し入れた。
「……っ……ん」
柔らかく厚みのあるリンデルの舌が、ぬるりとロッソの舌を捕らえる。
ロッソはリンデルの腕の中で、小さく背筋を震わせた。
唇と同じように、ロッソの舌は小さく慎ましやかで、ほんの少しケルトを思い出させた。
リンデルは、遠慮がちに引っ込められているロッソの舌へ、自身の舌を絡ませて、そっと撫でるように擦る。
「ふ……ぅ……」
敬愛する主人の口付けに、ロッソの頬は真っ赤に染まっていた。
どこまでも黒い瞳には、じわりと涙が滲んでいる。
普段、ロッソは無意識に歯を噛み締めて感情を堪えていた。
それが今は、許されない。
口内は、愛する主人から絶え間無く愛撫され、ゾクゾクと背筋が震える。
堪えようもなく、身体中の力が抜けていくような感覚に、ロッソは思わず主人の肩に縋り付いた。
「ぁ……っ、ぅ……んんっ」
自身から、思いもよらず鼻にかかったような甘い声が漏れ、ロッソは羞恥に眉を寄せる。
そんな従者の内側を、リンデルは吸い上げた。
「んぅっ」
びくりと震え、必死にしがみついてくる従者の背を、リンデルは力強く支える。
ロッソは、主人に支えられながら、自身で自身を支えきれないことに、どうしようもなく戸惑っていた。
「ぅ……ん……っ、ぅ……」
小さく震える従者の様子がおかしいことに気付いたリンデルが、そっと目を開く。
間近で薄っすらと開かれた黒い瞳には、怯えが滲んでいた。
「……どうかした?」
リンデルはそっと唇を離すと、腕の中のロッソを見つめる。
心配そうな金色の瞳に、ロッソは居た堪れず、泣きそうな気持ちになった。
「あ……の……。何故か、力が抜けてしまって……」
自身を情けないと思いながらも、ロッソは主人の問いへ出来うる限り誠実に答えた。
「ん……?」
ロッソの返事に、リンデルが首を傾げた。
しばらく何やら考えてから、金色の青年は恐る恐る、質問する。
「もしかして、ロッソって……、キスするの、初めてだった?」
問われて、従者は一瞬黒い瞳を揺らすと、頭を下げて謝罪した。
「はい。あの……も、申し訳ありません……っ」
「……どうして謝るの?」
リンデルの声に、ロッソがびくりと肩を揺らす。
「その、私の経験不足から、主人様をご不快にさせてしまったかと……」
下げた顔を上げきれないままに、従者は告げる。
その様子があまりにいじらしくて、リンデルは苦笑した。
「そんなわけないよ。謝るなら俺の方だ。知らなかったとはいえ、初めてを奪ってしまって、ごめん」
「いえっ! そのようなことは決して……」
主人の言葉に、ロッソは弾かれるように顔を上げると、必死に首を振る。
むしろ主人に捧げることができて幸せだと、胸に込み上げてくる思いを、うまく言葉にできずロッソは自身の不甲斐なさに打ちのめされる。
「あのね、ロッソ」
リンデルは、そんな従者を金色の瞳を細めて見つめた。
従者は陽の光よりも眩しい主人の輝きに目を奪われる。
「ロッソは、力が抜けるって言ったよね?」
「は、はい……」
「多分、好きな人にキスされると、そうなるんじゃないかな」
「は………………」
返事をしようとした従者が、途中で言葉を失った。
「俺の事、そんなに好きなんだね」
「…………っっっ!!」
主人の言葉は何一つ間違っていなかったが、ロッソはそれに「はい」と答えきれず、その顔だけが真っ赤に染まる。
けれどその反応は、肯定と同じだった。
「ありがとう、嬉しいよ……」
言葉とともに、リンデルは赤く染まった従者の、さらに真っ赤な唇に口付ける。
リンデルは、この腕の中にすっぽり収まる従者を、自分に残りの人生を全て捧げると誓うこの人を、出来る限り幸せにしたいと願う。
もちろん、主従関係を結んでしばらくの頃は、姉のように、誰か良い人を見つけて、その人と幸せになってくれることを祈っていた。
でもあの日、この従者の幸せは他の誰かではなく、俺の隣にあるのだと知った。
どうしても俺じゃなきゃダメだと、そこまで想ってくれるのなら、出来る限りで応えたい。
カースが嫌だと思わない範囲で、人生をかけてゆっくり、ロッソにも応えていこう、そう思っていた。
だから、こんな事にはならないと思っていた。
だって、カースは昔、こういった事は誰とでもするものではないと、教えてくれたから。
けれど、カースは許した。
リンデルがカース以外に愛を注ぐことも、ロッソと行為に及ぶ事も。
彼はいつでも、リンデルに自由をくれる。
選ぶ権利をくれる。
そしてそれは、ロッソにとっては、生涯得られないと思っていた、主人の愛を受け取れる許しでもあった。
リンデルの愛を込めた口付けに、ロッソの息が上がる。
主人にゆっくりと時間をかけて口内を愛撫され、その度ぞくりとロッソの背筋が震える。
「……ふ……ぁ……」
リンデルはその反応に目を細めると、手探りで従者の服のボタンを外す。
主人の手を煩わすまいと、リンデルの服にしがみ付いていたロッソが、震える指先をボタンへ伸ばそうとする。
途端、支えを失ったロッソの小柄な体が揺らいだ。
リンデルはその背を支えると、ロッソを布団の上へそっと横たえる。
「服くらい、俺が脱がすから。ロッソは楽にしてて」
唇を離した主人が、優しく微笑んで告げる。
いつもの服と違って、寝巻きなら縦に一列並んだボタンを外すだけだ。スルスルと前を開くと、リンデルは両手をそこへ差し入れる。
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