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落成式の日に、蟹を食べるお話
「わぁ。カース何それ!? どうしたの!?」
食堂に顔を出したリンデルが、目を丸くして言う。
「蟹……ですか? かなり大きいですね」
後ろから覗き込んだロッソも、それを珍しそうに見て言った。
テーブルの上には、赤々と茹で上げられた大きな蟹が二杯並んでいる。
「ああ。ちょっとな」
と食事の支度をして二人を待っていたカースが答えた。
リンデルとロッソの二人は落成式から戻ってきたところだ。
ロッソが安全性にこだわり抜いたため、当初の予定より時間がかかってしまったが、三人の孤児院は先日ようやく完成した。
「子どもたちは?」
尋ねるリンデルは、慣れた様子でロッソの手により重い甲冑を外してもらっている。
「全員寝たよ」
と返事をしながら、カースは三人分の夕食を食卓に並べた。
「あいつは最後までお前の帰りを待つんだって、粘ってたけどな」
「そっか。中々終われなくて……ごめん」
「仕方ねぇ事は気にしなくていい。明日朝から構ってやれ」
申し訳なさそうにしょんぼりと肩を落すリンデルに、カースはぶっきらぼうに返したが、その手は優しく金の髪を撫でた。
孤児院の開院はまだだったが、すでに三人の元には四人の子が集まっていた。
明日からは、今現在各地の孤児院にいる子ども達の中からも、本人がこちらへの移動を希望していれば、順に受け入れを始めることになっている。
「久々に見たな、それ」
カースがリンデルの脱ぎつつある甲冑に視線を投げる。
「うん、俺ももう一度これを着るとは思わなかったよ」
リンデルが懐かしそうに目を細めて答える。
騎士達が着ている燻んだ銀色の甲冑とはまるで違う、白く輝くほどに磨かれた甲冑。大きなマントと同じ深い緑色で縁取られたそれは、リンデルの持つ誠実さをより引き立たせていた。
「それ、返さないのか?」
「鎧のデザイン、新しくなるらしいんだ。だから、これは俺にくれるって、国王様が」
「そうか」
主人の着替えを手伝いながら、ロッソがそっと尋ねる。
「あちらに、飾っておきましょうか?」
リンデルがちょっと苦笑を浮かべてから答える。
「いや、いいよ。子どもが触って倒したりしたら危ないから」
「……そうですね。分かりました」
ロッソは、見上げた主人の瞳が優しげな色をしているのに気付く。彼は胸の内で子ども達の笑顔を見ているのだろう。
リンデルは気さくで素直な人柄から子ども達ともすぐ打ち解けた。
一方ロッソは、ロッソ自身に子どもと接した経験がほとんど無いこともあり、子ども達にはまだまだ警戒されているようだった。
「でも、時々磨かないとダメになっちゃうだろうなぁ」
最後のパーツを外しながら、面倒そうにリンデルが呟く。
「それは私が致しますので、主人様はご心配なく」
「ロッソの仕事が無駄に増えるのもなぁ」
さらりと答えた従者に、リンデルが眉を顰めた。
「ほら、それより蟹食べようぜ。丁度食べ頃だ」
カースに誘われて、リンデルがまた目を丸くする。
「えっ。これってこのまま食べるの? どうやって?」
不思議そうに、二杯の蟹をリンデルが覗き込む。
蟹の目は、小さいながらも飛び出していて、どこを見ているのかよく分からない。
「何だお前、蟹食べたことないのか?」
「コロッケとか、グラタンになってるのなら食べたことあるけど……」
不服そうに答えるリンデルに、ロッソが言葉を足す。
「この辺りは海から離れていますから。
こんな大きな蟹は、私も初めて目にしました」
真っ赤に色付いた大きな蟹を、物珍しそうに覗き込む二人に、カースはどこか楽しげに目を細めると、悪戯っぽく口端を上げた。
「茹で蟹は、こうして……」
カースは、大きな蟹を短い右腕で皿の上に押さえると、左手でバキッと音を立てて脚を外す。
「おおー」
リンデルの素直な歓声と、ロッソがわずかに緊張する姿に苦笑を浮かべつつ、カースは外した蟹の脚を同じように右腕の断面で押さえた。
カースの指よりも太い蟹の脚を、押さえられている次の節の少し手前で器用に折る。
そのまま、ずるりと殻を引き抜くと、艶やかに輝く白い身が赤い色を纏って現れた。
「ほら、食ってみろ」
リンデルは差し出されたそれを受け取って、首を傾げる。
「このまま食べていいの?」
「ああ。まずはそのまま食ってみろ。塩味は付いてる」
カースは殻を入れるための噐を差し出しつつ補足する。
「腱が二本入ってるが、それは残せよ」
「腱?」
「魚の骨みたいなもんだと思ってればいい」
言いながら、カースは二本目の脚を折って殻を抜き取ると、同じようにロッソへ差し出した。
「いえ、私などは、こんな、良いところで無くても……」
慌てて首を振るロッソに、カースは苦笑して告げる。
「遠慮しなくていい」
おずおずと、どこか申し訳なさそうに手に取るロッソの隣で、パクリと蟹を口に入れたリンデルが叫んだ。
「美味しいっっ!!」
金色の青年は口をもぐもぐさせながら、金の瞳をキラッキラに輝かせて、幸せそうに頬を染めている。
「プリプリしてて、甘くて、すごいねっ! 俺、こんなの初めて食べたよ!!」
「……そりゃよかった」
カースが、金色の青年の眩しいほどの笑顔に、思わずつられて口端を弛める。
リンデルの隣で、主人に続いて蟹を口へと運んだ黒髪の従者が、無言のまま目を見開いた。
美味しい美味しいと連呼しているリンデルに、カースは三本目の脚を剥いて差し出しながら、ロッソをチラリと覗き見る。
「うまいか?」
「美味しい……です」
「そうか」
カースが森色の瞳をじわりと細める。
「こんな……。こんなに……、濃厚な旨味と甘味を……、蟹は持っていたのですね……」
ぽつりぽつりと、感嘆した様子でロッソが呟く。
ロッソの感想にカースは苦笑を浮かべつつも、彼らしいと思う。
「これが酢。こっちが酢で割った醤油。で、こっちがタルタルだ」
カースがそれぞれ説明を添えながら、調味料の入った小皿を指し示す。
「わぁ、タルタルソース、俺大好きっ!」
カースが、口にこそ出さないが「だから作ったんだよ」という顔でそれをリンデルの前に出してやる。
四本目を用意しようとするカースをそっと制して、ロッソが残る脚を剥き始める。
確かに、カニの殻は表面に突起が多く、両手が揃っていないカースには少し辛いところがあった。
カースは、それをロッソに任せると、酒の入った瓶を手に取る。
「飲むか?」
「飲むっ!」
すかさず、金色の青年が答える。
「明日もあるから、少しだけな」と言い添えて、カースが小さな器に注いでやる。
「うんっ」
と元気な返事で、リンデルはそれをぐいと空けた。
「あ、これ、蟹とよく合うね」
「よかったな」
にこにこと嬉しそうな金色の青年を、黒髪の二人がどこか眩しそうに眺める。
ロッソがカースの前へ、剥かれた脚が三本入った皿を差し出した。
「ああ、悪ぃな」
「いえ」
カースは、ロッソがリンデルにも同じ様に皿を出しているのを横目で見ながら、主人が先じゃなくていいのか? と思いつつ盃を傾けた。
ロッソの剥いてくれた蟹を、カースも手に取る。
軽く酢をくぐらせて、蟹の身を口へと運ぶ。
酢の爽やかな酸味が鼻に抜ける。
弾力のある蟹の身は、噛めば噛むほどに口の中で甘みを増し、こっくりとした旨味が口いっぱいに広がった。
「ん。うまいな」
カースの呟きに、リンデルが「でしょ?」と嬉しそうに笑う。
「……なぜ主人様が自慢げなのですか」
ロッソがボソリとツッコミを入れるが、リンデルは胸を張って答える。
「だって、カースが作ってくれたんだから。美味しくないはずないよ」
「茹でただけだぞ」
何ともなさそうに答えるカースだが、実際は塩水の濃さや火加減には十分気を配って調理をした。
ただ、カースはそれを口にするような男ではなかった。
脚を全て外された蟹にカースが手を伸ばすと、ロッソがその背と腹を開く。
カースの指示で、ロッソの手により蟹の腹の身は解され、みそと和えられた。
「ああ、これはお酒が進んじゃうね」
蟹の蟹みそ和えをパクパク口に入れながら、笑顔で酒のおかわりを催促するリンデル。
「お前はもう、ここまでだぞ」
窘めながら、カースが最後の一杯を控えめに注ぐ。
「うーん、残念……」
僅かに眉を寄せて呟きながらも、リンデルはまだ嬉しそうにしていた。
「……これさ、お祝いだったんでしょ?」
リンデルが、金色の髪をさらりと揺らすと、小首を傾げて尋ねる。
酒が入ったからか、ほんのりと桜色になりつつある頬と、じわりと潤んだ深い金色の瞳で見つめられ、カースが小さく息を呑んだ。
照れ臭そうに、じわりと視線を外して「まあな」とだけカースは答えた。
「ありがとう、カース。いつも俺達を支えてくれて」
心からの感謝が込められたリンデルの言葉に、目を逸らしたままのカースの森色の瞳が揺れる。
「わ、私も……。とても、感謝しています……」
ロッソは、カースを見ようとして、けれど直視できずにカースの左手を見つめて告げた。
「……っ」
二人を見ないままのカースの頬が、蟹と同じ色に染まる。
「……まだ、礼を言うには早過ぎんだろ……」
ボソリと落とされた低い声は、やはり照れ臭そうな響きで届いた。
「……ほら、明日は大勢のチビどもと顔合せすんだろ、さっさと食ってさっさと寝ろよっ」
カースはまだ赤い顔を左手の甲で隠すようにしながらも、そう言って二人を急かす。
「はーい」とリンデルがどこか嬉しそうに答えると、ロッソも「はい」と僅かに微笑んで答えた。
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