17 / 32

梅雨の日に、空色を想うお話

「今日も雨かぁ……」 金髪金眼の穏やかそうな青年が、窓の外を眺めてしょんぼりと呟く。 「こう続くと、体が鈍っちゃうよ」 いつまでも降り続く雨音が憂鬱で、青年は金色の眉を顰めた。 外で、青空と太陽の下で、思い切り体を動かしたい。 有り余る力を発散できないもどかしさに、金髪の青年は机に伏した。 同じ部屋で事務仕事をこなしていた従者が、そんな主人を気の毒に思いつつも、いつもと変わらぬ声で答える。 「この時期は仕方がありません」 主人よりも随分と小柄な従者は、青年より一回りほど年上だった。 けれど、小顔と中性的な顔立ちから、見た目ではあまり歳の差を感じられない。 従者は足元までつきそうな長く真っ直ぐな黒髪を、臙脂のリボンで一つに括っている。 全身を落ち着いた紺や灰色の服で覆った小柄な従者の、首の後ろで揺れる赤だけが、妙に目を惹いた。 仕方がないと切り捨てられて、金髪の青年主人はうなだれたままに、もそもそとポケットから何やら取り出した。 青年が手を開くと、手のひらに青く透き通る鉱石のようなものが現れる。 「……それは……」 いつの間にそんな物を持ち帰っていたのか、と従者は小さく目を見開いた。 「ああ、これ? ケルトがくれたんだ」 何でもなさそうに答えるの瞳に、ほんの少しの悲しみが混ざる。 「ほら、青空みたいだろ?」 わずかな陰りを吹き飛ばすように、青年は明るい金色の髪を揺らして笑った。 「……そうですね」 向けられた主人の微笑みに、従者もささやかに表情を緩ませる。 従者には、この主人の存在こそが、人生を照らす太陽そのものだ。 この方の傍に居られるならば、従者にとって天候など取るに足らない事だった。 主人の見つめる淡く透ける青い鉱石は、確かに、青い空の色をしている。 まるでカースの瞳のような……と、どちらも思いはしたが、口には出来なかった。 あの彼の心のように深く澄んだ空色の瞳は、もう失われてしまった。 二人が黙ったまま、その青に浅黒い肌の男の面影を見ていると、ギィと木製の扉が開かれた。 「何してんだお前ら、辛気臭い顔して」 開口一番そう言った男は、この場の誰より背が高く、浅黒い肌をしていた。 男は、柔らかそうな黒髪を左の肩口で緩やかに括っていて、右眼は森のような深い緑色を、左眼には固く布が巻き付けられていた。 そこに、本来なら青く澄んだ空の色があった事を、二人は知っている。 バケツを手にした男は、二人の顔を見回しながら、続ける。 「こんなジメジメしてんのに、お前らまでジメッとしてたら部屋の中までカビが生えちまうだろ」 言いながら、彼は二つ握っていたバケツを、二人にそれぞれ手渡した。 「お前は玄関とホール、お前は子どもらの部屋だ。窓周りの結露を一滴残らず拭いて来いよ」 雑巾を受け取った金色の青年と従者が、何事だろうかと顔を見合わせる。 「ようやく建った孤児院が、カビだらけになってもいいのか?」 男に呆れ気味に言われて、二人はようやく、見えない敵がそこまで迫っている事に気付く。 真剣な顔になった二人を、森色の瞳が満足そうに眺める。 「よし、じゃあ行ってこい。俺は昼飯の支度にかかるからな」 背を向けようとした男に、青年が尋ねる。 「俺の雑巾、多くない?」 男は、ほんの少しだけ苦笑を浮かべて答える。 「それは子どもらの分だ。明日から自分の部屋の結露は自分で拭けるように、ちゃんと教えてやれよ」 子どもが、自分でできることを一つずつ確実に増やしていく。 それが子どもの未来のために大人がしてやれる最良のことだと、男は思っている。 男の考えは、青年も従者も、よく理解していた。 「そっか。わかった」 青年が、目を細めて頷く。 よく見れば、子ども用の雑巾は、子どもの手のサイズに合うよう、ひと回りほど小さかった。 「これを全て……お一人で?」 横から、主人の持つバケツの中を覗き込んだ従者が、小さく驚きの声を上げる。 「気にすんな。俺はもう歳で、お前らより朝早く目が覚めちまうだけだ。……お前らもそのうち通る道だぞ?」 男はいつものように、口端だけを僅かに上げて笑う。 けれど、この男には右手が無い。 男の右腕は、肘よりも手前までしかその体に残っていなかった。 おそらく、言うほど簡単な作業ではなかったはずだ。 「ですが……」と、今にも謝罪の言葉を口にしそうな従者の背を、男は扉の方へと押した。 「ほら、昼までに、全部済ませて戻ってこいよ」 背を押され一歩踏み出した従者が、時計をチラと見てから男に頭を下げる。 「はい、行ってまいります」 小柄な従者は長い黒髪をなびかせながら、玄関ホールへと足早に向かう。 その小さな背を見送りながら、男は金色の青年の広い背を、ぽんと叩いた。 「お前もさっさと行って来い」 言葉よりもずっと優しい男の声に、青年が、はにかむように笑う。 「お昼ご飯は何?」 金色の瞳が、ご褒美でもねだるように上目遣いで尋ねる。 「お前の玉子焼きは甘くしといてやるよ」 男は面倒そうな口調で、けれど優しい森色の瞳で見つめ返して答えた。 「やった!」と無邪気に笑う青年に、男は目を細める。 金色の笑顔は眩しく、まるで陽だまりのようだと、男は思う。 「ありがとう。行ってくるねっ」 元気に告げて、金色の青年もまた駆け出した。 「こら。廊下は走んな。湿気で滑るぞ」 男の小言に「大丈夫ー」と返しながら、青年は金色の髪をなびかせてゆく。 さっきまであんなに憂鬱だった雨の音すら、今の青年には、どこか楽しく弾むように聞こえていた。

ともだちにシェアしよう!