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梅雨の日に、空色を想うお話
「今日も雨かぁ……」
金髪金眼の穏やかそうな青年が、窓の外を眺めてしょんぼりと呟く。
「こう続くと、体が鈍っちゃうよ」
いつまでも降り続く雨音が憂鬱で、青年は金色の眉を顰めた。
外で、青空と太陽の下で、思い切り体を動かしたい。
有り余る力を発散できないもどかしさに、金髪の青年は机に伏した。
同じ部屋で事務仕事をこなしていた従者が、そんな主人を気の毒に思いつつも、いつもと変わらぬ声で答える。
「この時期は仕方がありません」
主人よりも随分と小柄な従者は、青年より一回りほど年上だった。
けれど、小顔と中性的な顔立ちから、見た目ではあまり歳の差を感じられない。
従者は足元までつきそうな長く真っ直ぐな黒髪を、臙脂のリボンで一つに括っている。
全身を落ち着いた紺や灰色の服で覆った小柄な従者の、首の後ろで揺れる赤だけが、妙に目を惹いた。
仕方がないと切り捨てられて、金髪の青年主人はうなだれたままに、もそもそとポケットから何やら取り出した。
青年が手を開くと、手のひらに青く透き通る鉱石のようなものが現れる。
「……それは……」
いつの間にそんな物を持ち帰っていたのか、と従者は小さく目を見開いた。
「ああ、これ? ケルトがくれたんだ」
何でもなさそうに答えるの瞳に、ほんの少しの悲しみが混ざる。
「ほら、青空みたいだろ?」
わずかな陰りを吹き飛ばすように、青年は明るい金色の髪を揺らして笑った。
「……そうですね」
向けられた主人の微笑みに、従者もささやかに表情を緩ませる。
従者には、この主人の存在こそが、人生を照らす太陽そのものだ。
この方の傍に居られるならば、従者にとって天候など取るに足らない事だった。
主人の見つめる淡く透ける青い鉱石は、確かに、青い空の色をしている。
まるでカースの瞳のような……と、どちらも思いはしたが、口には出来なかった。
あの彼の心のように深く澄んだ空色の瞳は、もう失われてしまった。
二人が黙ったまま、その青に浅黒い肌の男の面影を見ていると、ギィと木製の扉が開かれた。
「何してんだお前ら、辛気臭い顔して」
開口一番そう言った男は、この場の誰より背が高く、浅黒い肌をしていた。
男は、柔らかそうな黒髪を左の肩口で緩やかに括っていて、右眼は森のような深い緑色を、左眼には固く布が巻き付けられていた。
そこに、本来なら青く澄んだ空の色があった事を、二人は知っている。
バケツを手にした男は、二人の顔を見回しながら、続ける。
「こんなジメジメしてんのに、お前らまでジメッとしてたら部屋の中までカビが生えちまうだろ」
言いながら、彼は二つ握っていたバケツを、二人にそれぞれ手渡した。
「お前は玄関とホール、お前は子どもらの部屋だ。窓周りの結露を一滴残らず拭いて来いよ」
雑巾を受け取った金色の青年と従者が、何事だろうかと顔を見合わせる。
「ようやく建った孤児院が、カビだらけになってもいいのか?」
男に呆れ気味に言われて、二人はようやく、見えない敵がそこまで迫っている事に気付く。
真剣な顔になった二人を、森色の瞳が満足そうに眺める。
「よし、じゃあ行ってこい。俺は昼飯の支度にかかるからな」
背を向けようとした男に、青年が尋ねる。
「俺の雑巾、多くない?」
男は、ほんの少しだけ苦笑を浮かべて答える。
「それは子どもらの分だ。明日から自分の部屋の結露は自分で拭けるように、ちゃんと教えてやれよ」
子どもが、自分でできることを一つずつ確実に増やしていく。
それが子どもの未来のために大人がしてやれる最良のことだと、男は思っている。
男の考えは、青年も従者も、よく理解していた。
「そっか。わかった」
青年が、目を細めて頷く。
よく見れば、子ども用の雑巾は、子どもの手のサイズに合うよう、ひと回りほど小さかった。
「これを全て……お一人で?」
横から、主人の持つバケツの中を覗き込んだ従者が、小さく驚きの声を上げる。
「気にすんな。俺はもう歳で、お前らより朝早く目が覚めちまうだけだ。……お前らもそのうち通る道だぞ?」
男はいつものように、口端だけを僅かに上げて笑う。
けれど、この男には右手が無い。
男の右腕は、肘よりも手前までしかその体に残っていなかった。
おそらく、言うほど簡単な作業ではなかったはずだ。
「ですが……」と、今にも謝罪の言葉を口にしそうな従者の背を、男は扉の方へと押した。
「ほら、昼までに、全部済ませて戻ってこいよ」
背を押され一歩踏み出した従者が、時計をチラと見てから男に頭を下げる。
「はい、行ってまいります」
小柄な従者は長い黒髪をなびかせながら、玄関ホールへと足早に向かう。
その小さな背を見送りながら、男は金色の青年の広い背を、ぽんと叩いた。
「お前もさっさと行って来い」
言葉よりもずっと優しい男の声に、青年が、はにかむように笑う。
「お昼ご飯は何?」
金色の瞳が、ご褒美でもねだるように上目遣いで尋ねる。
「お前の玉子焼きは甘くしといてやるよ」
男は面倒そうな口調で、けれど優しい森色の瞳で見つめ返して答えた。
「やった!」と無邪気に笑う青年に、男は目を細める。
金色の笑顔は眩しく、まるで陽だまりのようだと、男は思う。
「ありがとう。行ってくるねっ」
元気に告げて、金色の青年もまた駆け出した。
「こら。廊下は走んな。湿気で滑るぞ」
男の小言に「大丈夫ー」と返しながら、青年は金色の髪をなびかせてゆく。
さっきまであんなに憂鬱だった雨の音すら、今の青年には、どこか楽しく弾むように聞こえていた。
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