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第2章
「断固拒否します、私は会ったこともないような見知らぬ王などとは結婚しない」
吐き捨てるように言うと、乱暴に扉を開け、部屋から退出する。
石造りの王宮の一室から背の高い美丈夫が出てきた。そのまま後ろも振り向かず、白亜の長い廊下をかつかつと足音を鳴らしながら歩いていく。
年は十八。この国ではもう成人として見做される年齢だ。髪は黒々としていて、頭の高いところで一つ結えられ、歩くたびに揺れている。根本に金色の髪留めをつけており、時折それが高窓から差し込む陽光に反射すると、白い壁に金色の影を作った。
サリネはわざと音を立てて歩いている。子供っぽい仕草だと分かっていながらも、直そうとは思わなかった。
それを追いかけるようにして、部屋から小柄な男性が慌てて出てきた。男性はサリネの母親だ。そしてサリネと同じオメガ男性である。
「待って、サリネちゃん」
「いくら母上からの要望とはいえ、私にも我慢できることとできないこととある」
「僕じゃないっ、陛下からなのっ」
サリネの長い上着の裾を追いかけてきた母が掴んだ。
後ろから引っ張られたサリネは足を止めた。だが反抗心から、すぐに振り返ることはしない。
「シャルパンティエの国王は若いし、優しいし、かっこいいって有名だよ? それにアルファだし、国も豊かだし、お金もあるから……」
「そういう問題ではありません」
「エレアザールくんとの婚約も破談にしちゃったし……、サリネちゃんはどうしたいの? 誰か好きな人でもいるのかな?」
横目で外を見ると、整備された庭には色とりどりの花が咲き乱れている。ちくりと心に痛みを感じ、それを隠すようにしてサリネは否定の言葉を放った。
「そのような人はおりません、だが私の人生だ、伴侶ぐらい私に選ばせてもらいたい」
一息に言い終えるとサリネはようやく振り返った。母のサロメは長身のサリネよりも十センチ以上背が低い。典型的なオメガの体つきで、小さく丸く、庇護欲をそそられるような雰囲気だ。
それに対して、息子のサリネはオメガにしては長身で、体つきも母ほどは小さくはなく、堂々とした態度と相まり、どこか攻撃的な印象を受ける。
顔を俯かせ、目線を合わせると、サリネと同じ黒い瞳が泣きそうに揺れていた。
「なるべくなら、そうしてあげたいけれど……」
母であるサロメは元は準妃の後宮官、食事係だった。当時は皇太子であった父に見初められたものの、大した後ろ盾もなく、また身分が低いため、後宮にあげられても位すら与えられていない愛妾の立場に甘んじてきた。だが、それに文句を言うことなく、後宮の一角で細々とサリネを育ててきたのだ。なので、サリネには乳母がいない。
後宮で身分の低い母が苦労していたことは知っている。なるべくなら母に苦労や心配はさせたくない。だが、オメガに生まれたからと言って、国同士の利権や思惑に巻き込まれ、政権の道具にはなりたくなかった。
シャルパンティエ王国とサリネの祖国であるメア・ドゥリース帝国は現在、友好的な関係を結んでいる。
シャルパンティエ王国は国土の七割ほどが山岳地帯で冬が長く厳しい。だがその山岳地帯には多くのレアメタルと化石燃料が眠っており、それらの輸出で国が潤っていた。
逆にメア・ドゥリース帝国は一年中真夏と言っても過言ではないくらい暖かい気候で、過ごしやすいものの、化石燃料などの資源に乏しい。よってそのほとんどをシャルパンティエ王国からの輸入に頼っている。
隣国で、世界を揺るがしかねない戦争が始まろうとしており、依然、世界情勢はきな臭い匂いを漂わせている。
メア・ドゥリース帝国としては資源の輸入国であるシャルパンティエ王国と友好な関係を結んでおきたいのだろう。
もし両国間の関係が悪くなれば、資源の輸出がストップするかもしれない。それはメア・ドゥリース帝国にとっては避けたいことだ。
そこで今回の婚姻の話が出た。
その見えすいた国同士の露骨な思惑が気に食わないと思ってしまう一因であった。
現在、サリネの兄弟は九人いるが、サリネ以外全員アルファだ。サリネは五男で、上に四人と下に四人といる。
シャルパンティエ王国のニコラス国王は四歳年上のアルファだと聞いている。アルファ同士で結婚できなくもないが、今回は消去法でオメガのサリネが選ばれただけだろう。
特に望まれてもいないのだ。
サリネは唇を噛み締める。再び踵を返し、立ち去ろうとした。
「自室に帰ります、読みたい本がありますので」
「あっ、待って、待っててばっ、あぁっ」
「こらサリネ、サロメをあまり悲しませるな」
眉を顰めた。今、一番会いたくない人物が後ろにいることがわかり、少し躊躇った。だが無視することはできない。
「父上」
意を決して振り返る。視線の先には転けた母を支え、腰に手を回す、焦げた赤茶色の髪の男がいる。
「陛下っ……」
母はもう父の顔しか見ていない。うっとりと見上げ、その手に身を任せていた。
それを見てカッとなった。母が寂しい思いをしてきたほとんどの原因はこの男だ。なのに母は父、メア・ドゥリース帝国の皇帝のことをずっと一途に愛し続けている。
頭に血が昇る。子をたくさん為すのは皇帝の役割とわかってはいるものの、愛人や妃を多く取る父のことはあまり好きにはなれなかった。
「父上、この際だからはっきりと申しておきましょう。私は資源確保のための道具ではない。よって会ったこともない国王の妻になどなりません」
私は男だぞ、という気持ちもサリネにはある。男の身でどうして男の妻になどならなければならない。オメガだとしても、だ。だがそれは母を前にしては決して言えないことであった。
「先方がお前を指名してきたんだ、ぜひ妻として、正妃として迎えたい、と」
「正妃っ⁉︎」
驚きの声をあげたのは母だった。オメガが正妃として迎えられるなんてなかなかあることではない。
「そんなことを言われても私の気持ちは変わりません。私は知らない男の妻にも妃にもならない、なりたくない」
「ったく、この激しい気性は誰に似たんだ。サロメはこんなにも大人しくて、聞き分けも良いのに」
ぎり、と奥歯を噛む。母はそうしないと生きていけなかったから、大人しく、聞き分けが良いだけだ。
アルファ特有の無知さが更にサリネを苛立たせる。元婚約者のエレアザールも同じだ。
アルファ、特にアルファの男は自分の性別にあぐらをかき、他の者たちがどんな風に感じているのかを考えもしない。
「何を言われても、私の気持ちは変わりません。失礼します」
これ以上、話をしても無駄だと思い、サリネは自室に帰ろうとした。
「ああ、帰る場所はないぞ」
「は?」
サリネは父の言葉に動きを止めた。
「駄々を捏ねるのはわかっていたことだ、先手を打って、お前がいない間に荷物は全て運び出してまとめておいた、今日はサロメの屋敷の母屋で寝ろ」
まさか、と思い、母を睨みつけると、気まずそうに目を逸らしている。母と父はおそらくグルだ。
「謀ったな……っ」
最早、敬語を使うことすら忘れ、相手が父とはいえ、メア・ドゥリース帝国の皇帝であることも頭から抜け落ちている。
サリネが眉を吊り上げ、怒りに肩を震わせたときだった。
「サリネ、俺たちは皇族だ、今は国同士の話をしている。そこに皇族で、俺の血を引くお前の気持ちが介在する余地はあると思うのか?」
父の言葉に声が詰まり、何も言えなかった。父は、サリネは私人としてではなく、公人としてシャルパンティエ王国へ行くのだ、と言っている。常日頃、皇族としての役割を果たせ、と弟たちにサリネが言い含めていることと同じことだった。
この場合、皇族としての役割を果たさず、駄々をこねているのはサリネということになる。
残念ながら、父の言うことは正しかった。
「出発は明後日だ、先方にも既に連絡してある」
「そんな、早すぎませんか陛下っ」
「サロメ」
流石に抗議の声を上げた母に対して、父が何か耳打ちしている。それを聞き、母はうんうん、と頷いていた。
「サリネ、大丈夫だ、俺が選んだ男だ」
父の言葉にサリネは思い切り眉を顰めた。
(何が、『俺が選んだ』だっ、さっき先方が私を指名してきた、と言ったばかりだろうっ)
父のこういう適当なところも好かない。だが部屋を片付けられ、もう行くと返事をしてしまったのだから、サリネはシャルパンティエ王国に行くしかない。
「……わかりました、母上の屋敷でしばらくお世話になります」
今度こそ踵を返し、二人に背を向け、廊下を歩いていく。
「夜、本屋敷の方へは近づくなよ、今夜どうだ? サロメ」
「サリネちゃんの前でやめてくださいっ、陛下っ」
この後に及んで、両親の色ボケた会話なんか聞きたくない。
更なる怒りと苛立ちを募らせ、サリネは小走りでその場を去った。
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