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第6章

身体中に香油を塗られ、ベタベタしていて気持ち悪い。自分からする人工的な甘ったるい香りが嫌で仕方ない。  部屋の中をうろうろとしている。髪はおろしていたものの、またいつものように一つに括ってしまった。  初夜だと言われ、落ち着いていられるはずがない。  今夜、サリネはニコラスに抱かれるのだ。  シャルパンティエ王国に来て二週間。ようやく婚儀を終え、ニコラスとサリネは夫婦となった。サリネはニコラスの正妃となる。以前は姓を持たなかったが、これからサリネはシャルパンティエ姓を名乗ることになる。  婚儀は祖国から母とすぐ下の弟であるセラムが来ていた。日程の関係で夜まではいられないものの、二人と久しぶりに言葉を交わすことができ、とても嬉しかった。  婚儀の次は貴賓を集めた会食、パーティに参加した。実質、今日がサリネのお披露目会となる。よって、挨拶にくる貴族やら国の有力者やら、何やらと笑顔で言葉を交わし、さばいた。  横にはニコラスがいて、何かと気使ってくれたが、弱みは見せられないと思い、無理をして笑っていた。 「あぁ、もう」  その時のことを思い出し、サリネは頭を掻き毟りたくなる。 (どいつもこいつも『妻』扱いしやがって、私は男だぞ)  当たり前の話であるのだが、皆、サリネに対して『ニコラスの妻』として接していた。それが妙に気に食わない。オメガであれば男性であっても子が産めるので、サリネが男性であることはあまり気にされていないように感じた。  だがオメガとはいえ、男性だ。やったことはないが、やろうと思えば女性を抱くことだってできる。なのになぜ同性に身を委ねなければならないのだろう。  答えは簡単だ。サリネがニコラスの正妃、妻だからである。 「あぁ怖いさ、認める。私は自分と同性である男性に抱かれるのが怖いんだ……」  エレアザールとの婚約を破棄したのもそういう原因が一枚噛んでいる。必死で自分の中のオメガという性を他人に意識させないように生きてきた。自分はアルファには支配されない、性別には支配されない、と懸命に頑張ってきたのに、結局はアルファに抱かれなければならない状況になっている。  発情期だって薬で抑えてきた。それなのにシャルパンティエ王国では薬は飲んでいない。侍女に尋ねたら、『お世継ぎはお作りにならないのですか?』と不思議そうな顔で聞き返され、それ以上何も言えなかった。 「私はメア・ドゥリース帝国の第五皇子だ、皇族なんだ、そしてシャルパンティエの国王の妻だ、子供を作るためにここにいるんだ」  声に出して言ってみたものの、その事実が重くのしかかっただけで、全く楽にもならず、この状況に対して、決心することもできなかった。  ならば、と思い、ニコラスのことは好きかどうか、考えてみたがわからない。まだ出会って二週間だ。ゆっくり話も出来ておらず、知らないことだらけなのに好意など持てるはずもない。  ただサリネのことを大切にしてくれているのはわかる。いつも体調や気分を気遣ってくれて、優しい言葉をかけてくれる。  この結婚はニコラスからだと聞いている。おそらくニコラスはサリネのことが好きなのだろう。  だが、サリネがその好意に応えられるかはわからなかった。  抱く側も抱かれる側も初めてだ。性行為の経験は一切無い。どうせ自分で相手を選べないのなら、せめてエレアザールに抱かれておけば良かったのかもしれない、とらしく無いことまで考え始め、自己嫌悪に陥る。  ニコラスはもうすぐやってくる。今夜部屋に行きます、と告げてきたニコラスは緊張しているように見えた。声をかけられた際、手を握られたが、若干震えていたのだ。  案外、お互いに同じような心持ちなのかもしれない。  戸が叩かれる音がやけに大きく響き、サリネは驚きで、身体を跳ねさせた。 「は、はいっ」  悲鳴をあげなかっただけマシだろう。サリネは立ち上がり、慌てて戸の側へ走っていく。 ニコラスが来てしまった。もう嫌だの何だのと拒むことは出来ない。 「こんばんは、もう休まれていましたか?」 「こんばんは陛下、いいえ、まだ起きておりました」  「部屋に入れて頂いてもよろしいですか?」 「……どうぞ」  部屋に入る許可を得たニコラスはサリネに微笑みかける。戸を閉めた後、サリネは備え付けの椅子にニコラスを促した。  今夜のニコラスは正装ではなかった。この二週間、儀式用の正装か、仕事着のスーツ姿しか見たことがなく、カジュアルな普段着という姿は初めて見る。  黒いケーブルニットの下に襟付きのシャツを着ており、そういうところからも育ちの良さが垣間見えている。。  対して、サリネは侍女が用意した服装だ。横を紐で止めているだけのゆったりしたワンピース型の寝巻き。寒いので上着を羽織っている。  何だかその落差にも間違えたのではないか、と不安になってしまう。サリネは下着さえ身につけていないのだ。  自分ばかり気が逸っているように思えて恥ずかしい。 「……お飲み物は?」 「いいえ、構いませんよ。貴方が何か飲みたいのなら、僕も同じものを頼みます」  初対面の時と同じようなことを言って、ニコラスが笑いかけている。  しかし、何か飲まないと、緊張で間が持たないかもしれない。  サリネは呼び鈴を鳴らし、宿直の侍女にハーブティーを頼む。出てきたそれをいつぞやのニコラスと同じようにトレーごと受け取り、今回はサリネがニコラスの分のハーブティーを入れた。  湯気と共にミントの香りが漂う。ニコラスの正面に腰を落ち着け、一口含んだ。 「ありがとう、いただきます」  ニコラスも同じように口をつけた。 「この二週間、とても良くして頂きありがとうございます。おかげさまで少しは慣れることができました」  怯えている、とは思われたくなかったので、サリネは真正面を向き、ニコラスを見据え、自分から話しかけた。  震えそうな右手をテーブルの下、ニコラスには見えないところで握り込む。  頭の中は『今からこの男に抱かれる』という恐怖心しか無い。けれどその恐怖心を全面に出すことは自分のプライドが許さなかった。 「そうですか、もう慣れて頂いたようで嬉しいです。メアとここでは気温がずいぶん違うでしょう、サリネ様がご不便な思いをなさらぬように王宮や後宮の中をいつもより暖かくするよう指示しております」 「えぇ、感謝いたします」  サリネはハーブティーを啜る。大好きな飲み物なのにちっとも気がおさまらない。 「可愛らしい上着ですね、刺繍が細やかで美しい。僕も欲しいな」 「これは、メアから持ってきたものです。母がシャルパンティエに嫁入りするのなら寒くないように、と作ってくださったもので」 「ああ、今日弟君と来て頂いていた方ですね、とても優しそうなお義母様でした」 「ええ、私と同じ男性のオメガです。身分が低かったので、位は与えられていませんが、後宮で苦労しながら私を育ててくれました」  そうだ、母は正妃となったサリネを見て、泣き出さんばかりに喜んでいた。サリネちゃん、サリネちゃんと何度も名前を呼んで、手を握ってくれた後、はっとした顔で、ああもうシャルパンティエの正妃だから僕みたいな妾が触っちゃいけないのかも、と慌てている表情が面白くて思わず笑ってしまったのだ。  その時ばかりはこの状況も悪くない、と思えたのだ。 「良いお母様だ、羨ましい」  ニコラスはどこか遠い目をした。 「僕の母は既に亡くなっています、小さい頃から厳しく育てられて、怖いイメージしかなくて……、でも母の怖さが愛だったのだと今ではそう考えています」 「そうですか……」  逆にサリネは母に厳しくされた記憶はあまりなかった。怖いイメージもない。  サリネのやりたいことをやりたいだけ、素直にやらせてくれた。もしかしたら、いつの日かアルファに身を任せなければいけない時がやって来るから、それまでは好きに生きてほしい、と思っていたのかもしれない。  沈黙が流れる。サリネは緩くなったハーブティーを啜った。妙に母と祖国が恋しくなった。 「……サリネ様、お側に行ってもよろしいですか?」 「……はい」  ついに来た。  サリネも椅子から立ち上がり、側に来たニコラスの真正面に立つ。 「抱きしめても?」 「え、えぇ、お好きに、どうぞ」  声が震えた。もう体面を気にしてはいられず、サリネはぎゅと目を瞑った。  正面からニコラスに抱きしめられ、サリネの緊張はもう一段階上がった。  ニコラスは背が高く、身体もサリネより大きい。すっぽりと包まれてしまう。背中に回された手の温度がやけに熱く感じた。 「好きです、愛しています、貴方が僕の妻になってくれて本当に良かった」  何か言わなければ、と思うものの、何も言葉が出てこない。身体はガチガチに固まっている。  サリネは今、自分より身体の大きいアルファに抱きしめられている。 「サリネ様……いえ、サリネ」  どきんと心臓が跳ね上がった。初めて呼び捨てで名前を呼ばれた。掠れた低い声が経験のないサリネでも欲を孕んでいることはわかる。  側にはベッドがあり、サリネはそこへ優しく押し倒された。 「あっ」  体勢が変わり、サリネは目を開ける。興奮して、少し色の濃くなった青色の瞳が真っ直ぐにサリネの視線とかち合った。  ニコラスの顔が近づいてくる。口づけをしようとしているのだと、サリネは理解した。  この口づけを受けてしまえば、そのまま性行為へと発展していくだろう。 「い、嫌だっ」  緊張と恐怖心がなけなしの意地を凌駕した瞬間、サリネはニコラスを突き飛ばした。  ニコラスは驚いた顔をして、サリネの上から退く。その傷ついた表情を見て、サリネはしまった、と思ったが、もう後には引けない。  急いでブランケットをひっ掴み、その中に入り込む。 「か、帰ってください」 「あの……サリネ様」  ブランケット越しだが、身体に手が触れられた。 (剥ぎ取られるっ)  その瞬間、恐怖心がピークに達し、サリネは大きい声を出してしまった。 「帰ってくださいっ、触らないでっ!」  慌てて口を押さえたが、もう遅い。サリネはとんでもないことを言ってしまった、と思い、顔を青ざめさせた。  ガタガタと身体が震えてくる。欲情しているアルファをひどい方法で拒否してしまったことに対しての恐怖心が迫ってきた。どれだけ優しくてもアルファはアルファだ。意に沿わないオメガがいたら、埋められない力差で迫ってくるに決まっている。   ニコラスが実力行使に出たら、無理やり襲われ、悲惨な目に遭う可能性もあるのだ。  しばらく沈黙が流れた。ふぅ、とニコラスがため息をついたのがわかる。  ニコラスが何も言わない間、サリネは何をされてしまうのか怖くて仕方がなかった。 「無理にするつもりはありません、すみませんでした。出直します」  返事をしなければ、と思うが、言葉が出て来ない。 「今日は疲れたでしょう、おやすみなさい」  絨毯を踏みしめる音がして、戸の開閉音がする。  ニコラスが出ていき、たっぷり時間が経ってからサリネはブランケットから顔を出す。  まだ心臓がドキドキしている。軽く手が震えていた。  頰が濡れているのがわかり、サリネは自分が泣いていたことにようやく気がついた。 「あぁ」  項垂れ、声と共に息を吐く。  アルファに迫られただけで、ここまで怯えてしまった。どうしようもなく自分が男性であっても所詮はオメガなのだと突きつけられてしまった。ショックでぼんやりしている。  ただサリネが突き飛ばした時、ニコラスは心底傷ついたような表情をしていたので、それだけが気に掛かっている。

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