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はじめまして、交際してください

「いいんですか、奢っていただいて」  茂は買ってきた飲み物を男の子に差し出す。  ベンチで大人しく待っていたその子は、ちょっと戸惑ったように、でも手を出してペットボトルを受け取ってくれた。 「立ち話もできないだろう」  茂は内心、ため息をつきたい気持ちを抑えつつ、答える。  そう、あんな、改札前なんてところで長々と話をしていたら邪魔だ。  おまけにこの子が茂に話しかけてきたのは、どう聞いても気軽な用事ではない。余計にあんな場所では不適切だろう。  なので「わかった、わかったから、外で話すか。なっ?」と宥めて、やっとジャケットから手を離してもらって、駅の外に出た。  駅前は広場のようになっている。  ロータリーがあって、まだ昼も早い時間なので車はちらほらとしか停まっていなかった。  その前にはベンチだとか自販機だとかごく普通のものがあって、街のほうへ向かう道にはコンビニやカフェがあって……なんて、都会からちょっと離れた、街中でも田舎でもない普通の街にはよく見られる光景である。  そのベンチに男の子を座らせて、「飲み物でも買ってくるから」と言ったのだが、『逃げるのでは』という目で見られた。  その視線がまた、『絶対に逃がさない』と発していたものだから、茂はやはり頭が痛くなるような思いを覚えてしまったのだが、それはともかく。  「すぐ戻ってくるから」とやはり宥めて、自販機でお茶を買って、戻ってきた。  それで渡したところ、「いいのか」なんて聞きつつも、あまり遠慮せず受け取ってくれたのだ。 「すみません、いただきます」  受け取ってからは、もっと遠慮がなかった。  ごく普通の緑茶だが、その蓋をきゅっと開けて、中身を煽る。  春になって間もない折。  冷たいお茶はとても美味しい。  俺も気を落ち着けないと、と思いつつ、茂もペットボトルに口をつける。  ほろ苦くて冷たい緑茶が心地良く喉へ流れ込んでいった。 「それで、きみは一体」  ふぅ、と息をついてから本題に入る。  その子はかわいらしく両手でペットボトルを持っていたが、茂が話題を忘れていなかったことにほっとしたようだ。ぱっと顔を明るくした。  こんな状況でなければ、無邪気でかわいい、なんて思ったかもしれない笑みだった。 「はい! 早乙女(さおとめ)学園高等部一年生、空条 菜月(くうじょう なつき)です! よろしくお願いします!」  元気に自己紹介されたけれど、それは聞いた内容とは少し違っていた。 「はぁ。名前はわかったが、その、さっきのやつは」 「あ、はい。そうですよね。俺と交際してください」  やはり茂の思ったこととなにも違っていなかった。  はっきり交際と言われれば、笑い飛ばすこともできないではないか。  どう見ても罰ゲームかなにかでさせられている、という様子でもない。 「いやいや待ってくれ。今日、初めて話したのに『交際してくれ』はおかしいだろう。俺はきみを知らないんだが?」  正論を口に出したはずだったのに、その子、菜月と名乗った子はきょとんとする。  こんな状況でこんな表情をできるのがまったくわからない。 「知らないんですか? 毎日、同じ電車に乗ってたのに?」  そう言われてしまえば、茂は困ってしまった。  確かにあの様子では、『電車でよく一緒になるひと』に『やっと声をかけた』というのがしっくりくるのだから。  だが茂は、誇れやしないが、他人にあまり興味がない。  興味があるのは仕事であり趣味の工学、ほかにはあまり多くない……、というのも虚しいのか。  それはともかく、そんなわけなので電車ではずっと読みものや調べものなんかをしていて、ほかの乗客の様子なんてほとんど気に留めたことはなかった。  しかし、確かにこの子の制服には見覚えがある。  この近くの私立校のものだ。  確か割合、偏差値も高い進学校。  とはいえ、茂にとっては知らない高校生など、失礼ながらどの子も一緒に見えてしまう。  それをそのまま言うのは流石にためらわれたけれど。  言葉にしなくとも、茂の反応から『同じ電車に乗っていたけれど、まったく知らなかった』と察したのだろう。  その子はちょっとしょぼんとした様子になってしまった。  茂が何故か罪悪感を覚えてしまうような様子であった。 「それに、俺は貴方を知らなくはないですよ」  ペットボトルを握る手に視線を落として、菜月が言ったこと。それはよく意味がわからなかった。 「は? どういう……」  聞き返したのに、菜月は、ぱっと顔をあげてしまった。 「まぁそれはいいですから。確かに声をかけたのは初めてですから、戸惑いますよね」  いや、良くない。  そう思ったが、話は次へ進められてしまった。  どうもこの子はだいぶ変わっているようだ。  ここまでじわじわ感じていたことを、茂は今度、はっきりと感じてしまう。  変わっていなければ、いきなり捕まえてきて付き合ってくれだの言うはずがないが。 「ま、まぁ……、そうだな。でもきみとは付き合えないよ」  しかし答えは決まっているのである。  長引かせるのも意味がない。  茂ははっきりと言ってやった。  その子は目を丸くした。  断られるとは思いもしなかった。  そんな顔をする。 むしろそんな顔がどうしてできるのか、こちらのほうが聞きたいくらいであった。 「どうしてですか。俺のこと、知らないって言ったのに、一考の余地もないって言うんですか」  あまりに汚れない瞳と言葉であった。  こんな状況でなければちょっと嬉しいと感じてしまったかもしれないが、今の状況が変わるものか。 「いやいや。きみが男の子だってのはとりあえず置いといてだね、学生じゃないか。俺は立派な大人。付き合えるとでも?」  茂はごくまっとうな理由を説明したのだけど、菜月はやはりきょとんとするのだった。 「問題ないでしょう? 流石に中学生はいけないと思って、高等部に進学するまで我慢したっていうのに」  なんだ、そのよくわからない自制と努力。  茂は、頭がぐらりと揺れる気持ちを感じてしまう。  確かに現在・四月半ば。  この子はつい半月ほど前までは中学生だったのだ。  いや、それは余計いけなくないか。  いやいや、関係ない。  高校生でも駄目に決まっているんだから。 「高校、卒業してから言ってくれ。じゃ、返事はしたから……」  きっぱり言って、ベンチを立とうとしたのだけど、またぎゅっとジャケットを握られてしまった。  今度はさっきより強く、であった。 「待ってください、そんな理由じゃ納得できません」 「立派な理由だと思うが!?」  この子の理屈は通っているような、それでいてぶっとんでいるような。  茂はツッコミのように答えてしまった。 「年齢だけを理由にされるのは嫌です」  今度のものはまるで駄々っ子だったけれど。  高校生とは思えない言い方であった。やはりこんな状況でなければかわいらしかっただろう。 「そう言われても……」  茂は困ってしまう。  どう断ったものか。  ここまで言っても引いてくれないとなると、どうも……逃げられない気がする。  予感を覚えて、ぞくりとしてしまった。 「じゃ、交際はひとまず保留でいいです。俺のこと、知ってくださいよ」  話はまた少し別の方向へ行った。菜月は、にこっと笑ってくれる。  茂にとってはあまり嬉しくなかったが。 「はぁ。どうやって」  質問には淡々と方法を挙げられたけれど、それは茂にとっては衝撃だった。 「そうですね、今日、水曜日ですけど、水曜日に会うっていうのはどうでしょう。俺も午後早くに終わるんです。桜庭さんも水曜日は空きなんでしょう?」 「おい、どうして俺の名前とスケジュールを?」  提案よりそちらが気になった。  なのに菜月はやはり笑顔で説明してくれる。 「水曜日が空きらしいっていうのは、帰りの時間も見かけたからで。お名前は、たまに社員証みたいなのを、ぶらさげたままでしたから」  両方、正攻法の手段であった。  特に、後者に関しては自分のうっかりであったので、怒ることもできない。茂は口をつぐむしかなかった。 「まぁそれはともかく、いいでしょう? 一、二時間でいいです。帰りに少し寄り道をすると思って」  そのあとはやはり強引だった。  ぐいぐい押してこられ、提案され、半ば茂が流されるように、約束は取りつけられてしまったのだった。 「じゃ、また明日!」  茂との約束をして……もぎとっておいて、その子は手を振って、歩いていってしまった。駐輪場のほうだった。  明日、というのは通学、通勤電車であろう。  確かに「また明日」であるが、これほど同じ空間にいたというのを改めて実感させてしまう。  他人に興味がないというのは良くなかった。  いつのまにか目をつけられていたのだ。  もう少し周りに目を向けていれば、ここまで、急にアタックされるなんて事態になるまでにはならなかったかもしれないのに。  今さら悔やんでしまうが、やはり遅いのであった。

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