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三十路男の憂鬱

 淹れたてのコーヒーを手に、窓の外を見る。  大学の中庭の桜ももう終わり。  散りかけていて、若芽が次々に出てきている。  桜の散ってしまうのに少しの寂しさ、来たる夏を思わせる爽快さ。  両方が混ざり合っている。  ごくりとひとくち飲んだコーヒーはだいぶ苦かった。それはそうだ、濃い目に淹れたのだから。  ひと昔前ではいざ知らず、最近は大学の研究室でもそこそこ立派なコーヒーメーカーが備品として備えられているのだから、作るのに失敗して不味いということはない。苦くもしっかり美味しかった。  コーヒーは美味しいのだが。  茂が内心、ため息をついてしまうのは勿論、先日、交際を申し込んできた子のためだ。  あれからよく電車で鉢合わせるようになってしまったし、茂を見ればあの子は目を輝かせて「おはようございます!」なんて寄ってきて、始発駅から席を取ってタブレット端末で作業をしていた茂の前に立って、「お仕事ですか」「今日は暇ですか」なんて聞いてくるのだ。  無碍にも出来ない、と思ってしまうのは茂の優しいところ、そして少し悪く言えば優柔不断なところなのであった。  まったく、俺のどこが気に入ったんだか。  もうひとくち飲みながら、自分を省みる。  桜庭 茂、二十八歳。  そろそろ三十路も見える頃。  職業、八十八(やそはち)大学工学部講師。  現在、恋人なし、シングル。  黒髪を短く切り、ムースで軽く整えていて、イケメンではないけれど、まぁ見られる見た目ではあると思う。  とはいえ。  あの子がアタックしてきたのはそういう部分ではないのだろうな、と思わされた。  違うのだろうということはなんとなく思っても、ではどこが、と考えるとまたわからなくなってしまうのだった。 「桜庭先生~、次の授業なんすけど」  こんこん、と申し訳程度のノックがされて、茂がそちらを見ると、学生がこちらへ入ってくるところ。  次の授業。  時計を見上げれば、あと二十分ほどではじまるではないか。  おっと、そろそろ支度をしなければいけなかった。  茂は笑みを浮かべて「おう、なんだ?」と聞き返す。  学生は持っていたプリントを茂に見せてくる。 「ここに必要なものが書いてありますけど、どうも手に入れるのが難しそうで……」 「……ああ。これは先輩とかに聞きゃいいよ。買うより確実で手軽だしさ」  次の授業の話なんて何気ないことに茂の意識は移っていった。  この八十八大学を卒業してから、講師として働くようになってから。  もう六年ほどになる。  すっかり日常になった生活。  この安定していた生活に、ぽんと石を放り込んできたようなあの子。  その石が静かに、でも確かに波紋を広げつつあること。  授業の教壇に立つときには忘れていたのに、授業が終わって電車に乗ってから、はっきり思い知ってしまったのだ。

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