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スーパーでばったり

「んー……、箱とどっちが安いかな」  ぶつぶつ呟いている背中を見て、やばい、と思った。  制服の背中しか見たことがないとはいえ、体格と髪型、それから小さく聞こえてくる声でわからないはずがない。  あの子だ。  菜月だ。  一体どうしてこんなところへ。  思ったけれど、別段おかしなことでもなかった。  だって、近所ではないようだが、近くの街には住んでいるのだ。  おまけにこのスーパーは割合大きめ。わざわざ「ここの店を」とやってきてもおかしくない。  やばい、出るか。  こんなところで出くわしても、「桜庭さん!」なんて飛びつかんばかりにされるのは確実だったのだ。  だがすぐにはできなかった。  なにしろ買い物カゴにはそれなりの量の品物が入っている。即座に全部戻すなんてできるものか。  だからといって、レジに並ぶなんて、それこそ命取りだ。  この場所にいるということは、買い物は大方終わっていて、あとは会計なのだろうから。  並んでいる間に気付かれ、捕まえられるに決まっていた。  悩んだのは数秒だった。  おそるおそる、茂は踏み出し、菜月のうしろに立った。 「……空条くん?」  声をかける。  かけてから気付いた。  この子をこちらから名前で呼びかけるのは初めてだ、と。  菜月は驚いたのだろう、肩がびくっと震えた。  ばっと振り返る。  警戒だった、その目。  茂を認めて、その色はすぐに変わった。ぱぁっと明るいものへと。 「桜庭さんじゃないですか!」  ああ、自分を見てこんなに嬉しそうな顔をしてくれるやつ。  今はほかに、そうそういない。  茂はその目を見て、そう感じてしまった。  すぐにはっとして、ごく普通のことを口に出す。 「買い物か?」 「ええ! 夕飯の買い物に……桜庭さんもですか?」  菜月は明るい顔から、嬉しそうな顔に変わる。  振り返ったところから、体の向きも変えて向き直ってくれる。 「ああ。メシなんて作るんだな。えらいじゃないか」  ごく普通の会話。  でもスーパーなんてところで会話しているというだけで、どうにも違和感やら、これはおかしなことだが、くすぐったさのようなものまであったのだ。  菜月のカゴには野菜や肉がたっぷり入っていた。明らかに手料理をするという様子の買い物だ。  それと自分の持つカゴの中身を比べてしまって、茂は内心、苦笑した。  高校生のほうがしっかりしているじゃないか、なんて思ってしまって。 「……お惣菜、ですか?」  それは菜月にも気付かれてしまった。不思議そうに聞かれる。 「あ、ああ……お、遅くなったし」  カゴの中身は惣菜だった。  ほかにはスルメのパックと、ナッツの詰め合わせ。  そして手に取っていたのはビール……。  目的や思惑なんてわからないわけがない。  その通り、菜月はそろそろと茂を見上げてきた。 「もしかして、お料理ができない、とか?」  指摘通りであった。  そう、茂は料理などできない。  せいぜい鍋に湯を沸かしてインスタント麺を茹でて、ねぎを切って散らすくらい。  料理ができる人種からしたら、料理のうちにもならないと叱られそうなレベルだ。 「あー……、まぁ、な……」  気まずげに言ったこと。  菜月は「そうですか」と受けたものの、すぐに笑みを浮かべてくれた。 「でも得意不得意はありますよね」  優しくフォローをされたが、かえってもっと気まずくなってしまう。  この場でやりとりしても、この気まずい気持ちは消えるわけがないだろう。  茂は一歩引いて、「じゃ、じゃあ俺は……」と言いかけたのだけど。  菜月が急に、ぱんと手を合わせた。  カゴは肘にかけている。重いはずなのに、軽々といった様子であった。 「じゃ、俺が飯を作りますよ!」 「…………は?」  提案は突飛すぎた。  茂は数秒、意味が理解できなかったくらいだ。 「ちょうどすぐ使える食材もあるんです。ぱぱっとできますよ」  まだいいとも言っていないのに、菜月はさっさと決めてしまって、「善は急げです!」なんてレジに向かおうとする。  その襟首を捕まえたい気持ちで、茂はなんとかそれを止めた。 「いやいやいや!? 家に来るのか!? んなこと、許すと思うか!?」 「え、いいでしょう? ちょっとだけです。三十分でいいです」 「時間の問題じゃないんだが!?」  全力で拒否とツッコミをしても、菜月は不思議そうにしている。  ちっとも悪いなんて思っていない。  どうして断られるのかわからない。  そんな顔で。  一人暮らしの男の家に行くなんて、軽率に言うんじゃねぇ。  間違いが起こってもおかしくないんだぞ。  いや、俺はそんなつまらない男じゃないけど。  でも一般的にはそう思われるのであって。  色々頭に浮かんだのに。 「そのお惣菜、戻してきてくださいね」  ちょうど空いていたレジにカゴを置きながら、勝手に話を進められてしまった。  おまけに「それより美味しいもの、作りますんで」なんて言われてしまっては。  やはり茂にはそれを止めることなどできないのであった。

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