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日曜日の父兄参観
父兄参観日。
指定された日は、二週間ほどあとの出来事であった。
元妻・杏子は同じ街に住んでいるものの、だいぶ離れた場所に住んでいる。車が必要なくらいには遠い。バスでも行けるのだが、たまにのことだからと、大抵タクシーを使ってしまうのだった。
ただ、日曜日だったので、休みを取る必要はなかった。そのあたりは父親を慮ってくれているということのようだ。
ごく普通の格好でいい、と言われたけれど、杏子の口ぶりから感じた。
スーツに近い格好がいいのだろうな、と。
だがしっかり着こむのも『普通の格好』と名目上言われているあたりで、浮くかもしれない。
なかなか難しいところだ。
前日、土曜日。
茂は柄にもなく、クローゼットからあれそれ服を取り出して悩んでしまった。
杏子にも会うだろうが、それは別にいい。
なにを着ていったところで、どこかしらアラを見つけて文句を言われるに決まっているのだから。
だが問題は咲耶である。
なかなか会えないのだから、喜んでほしいし、自分のために恥ずかしい思いはしてほしくない。
よって、茂が服などについて悩んだのは咲耶のためなのであった。
さて、日曜日。
前日に決めておいた服を身に着け、咲耶へのお土産と、一応形だけだが杏子にも手土産を用意して、茂は呼んでおいたタクシーに乗った。
都会暮らしなので車がなくても普段、不便は感じないが、あまり乗らない車に乗ったからか、思い出してしまった。
『咲耶が幼稚園に入る頃には、車、買いたいわね』
『送り迎えもあるし』
そんなふうに言っていた杏子。
まだ赤ん坊だった咲耶を抱きながら言う表情は、笑顔だった。
でも車は買うことがなかったし、茂が咲耶の入園に居合わせることもなかった。
今でこそ、こういった行事に呼んでもらうくらいにはなったが、当時は離婚が成立したばかりで、つまり杏子と一番険悪だった時期で、そのような時期に入園式など許してもらえるはずがなかった。
まだ、二年ほど前の出来事である。
タクシーを降りたのは杏子の家である。
小さなマンションの一室を借りて生活している、杏子と咲耶の住む家。
茂の住んでいるマンションより綺麗な建物だが、中は狭い。
自分の住まいと対極であるように感じてしまい、どうにも居心地の悪いところであった。
「……いらっしゃい」
インターホンを鳴らすと杏子がまずオートロックを開けてくれて、それから二階にある居室の玄関も開けて迎えてくれた。
言い方はぶっきらぼうであったけれど、それでももうとげは減ったほうなのである。茂も特別は気にしなかった。
「あと一時間後だから、三十分くらいしたら出ればいいかな」
家に入れてもらって、リビングのソファに座って、お茶を出してもらう。
ピンクのかわいいカバーがかけられたソファなんて、ここ以外ではまず座らないだろう。
「そうね。……なぁに、そのネクタイ。派手じゃない」
杏子は隣に座るはずがなく、向かいの床に座って、ちょっと顔をしかめた。
だが茂はそれにかえって安心してしまう。
杏子が文句をつけたのがネクタイであるということは、ほかに文句をつけるところがなかったということだ。むしろ合格だということだろう。
「別にいいだろ。ハレの日なんだから」
そんな言葉ではぐらかし、あまり心地良くないお茶の時間は言った通り、三十分ほど。
「じゃ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい。終わる頃に咲耶を迎えに行くから」
今日は『父兄参観日』なので、杏子は呼ばれていないという。いつも通り、お迎えに行くだけのようだ。
まるで俺もこの家に住んでて、これから咲耶をお迎えにでも行くみたいだな。
茂はそんな錯覚を覚えてしまい、そしてそれになんだか寂しくなった。
本当なら、そういう未来もあったはずなのだ。
三人で同じ家に住み、咲耶を二人で大切に育てる。
そういう、未来も。
だが壊したのは自分なのである。
少なくとも、きっかけを作ったのは自分だ。
そのくらい、わかっている。
茂はぼんやりそんなことを思いながら、マンションを出た。
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