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断絶

 月曜日。  茂はそわそわしつつ、出勤した。  いつも通りの電車、いつも通りの時間。  菜月に会ったらなんと言おう。  もう一度、謝るべきだろう。  あんな形で暴露することになってしまって、菜月を傷つけてしまったのは確かなのだから。  そわそわしながら電車は菜月の乗ってくる駅へと着いたのだけど。  菜月は乗ってこなかった。  茂は拍子抜けしてしまう。  違う車両に乗ってしまったのだろうか。  それとも、時間をずらした電車にしたのだろうか。  電車が駅を出て、がたん、ごとん、と走り出しても、茂はある意味、呆然としていた。  てっきり会えると思っていたのだ。  いつも通り、普通に電車に乗って来てくれると。  それが叶わないとは思いもしなかった。  ……避けられるとは、思わなかった。  その事実。  茂は徐々に自己嫌悪を覚えていった。  当たり前のように来てくれると思い込んでいたなんて。  菜月に甘えていた思考だったのだと、今更気付かされた。  ぼうっとしているうちに、大学のある駅に着いていた。  アナウンスが流れてやっと、はっとして慌てて降りる。なんとか乗り過ごすのは避けられた。  駅を出て、改札を出て、大学への道を行く。  仕方がないじゃないか、と思った。  避けられて当たり前だ、とも思った。  菜月だって、こんなふうに隠し事をして接していた相手なんて、嫌になっただろう。見限られるのかもしれない。  それにはどうももやもやしてしまうのだけど。  前であったら「そのほうがいい」と思っただろうに。 「高校生と付き合うなんて無理だったんだから」 「いい機会だった」 「諦めて、まとわりつかれないほうが楽だし、向こうにとっても健全だ」  そんなふうに思って。  言い訳ではなく、心からそう思って。  だがそれはいつの間にか、変わってしまっていたのかもしれなかった。  どう変わったのか、というのはいまいち、考えたくないことであったが。 「桜庭センセー! おはよっす!」  そこで男子生徒が声をかけてきた。  そちらを見ると、授業を受け持っている生徒が男二人、にこにこしながら立っている。 「おう、おはよ。早いじゃないか」  茂はにこやかに答えた。笑えたことに、少しほっとしながら。 「へへ、実はこいつんちに泊まったんです。学校に近いし、昨日遅くまで遊んじゃったんで」 「おい、余計なこと言うなよ!」  一人の言ったこと。茂はどきっとしてしまった。  おまけにもう一人は気まずそう……いや、照れたような反応だったものだから。  そういう関係じゃ、なんて思うのは、自分の性的嗜好を反映した思考過ぎて、失礼なことだけど。  ストレートの人間であれば、男女が二人でいれば「付き合ってるんじゃないか」と思ってしまうようなものなのだから、ある意味仕方がないとも言えた。  だが生徒に対してそんなことを思ったなんて、表には絶対に出さない。  茂はやはり笑みを浮かべて「そりゃ楽しそうだったな」と言う。  一人は笑い、もう一人はやはり照れたようにしているのだった。 「じゃーなー、先生! あとでね!」  それで二人は去っていってしまった。  茂はそれを見送り、なんだか羨ましくなってしまった。  恋人同士なわけはない、とまでは思わないが、仲良さげな様子ではある。  でもあの二人は同じ大学生同士。  仲が良くても、もし本当にそういう仲でも、まったく問題はないのだ。自然だ。  でも、自分は。  少し考えて、茂は研究室のある棟へ向かって歩き出した。  内心、ちょっと頭を振って、思考を払おうとしながら。  自分は大学講師。  向こうは高校生。  十歳以上、年齢が違うのだし、勿論付き合うなんてことは望ましくない。  だから自分の対応だって、まったく間違っていたとは思わない。  だけど。  菜月は自分を慕ってくれて、「付き合ってほしい」とまで言ってくれたのに。  返事ひとつできなかったから。  ちゃんと向き合わなかったから。  こんなことになっちまったのかな。  最後にはそんな思考に至って、茂はひっそり自嘲の笑いを浮かべた。  火曜日の朝も同じであった。  そして火曜日の夜。  茂のスマホは沈黙したままだった。  普段なら、火曜日の夜までには「次はどこそこで会おう」とかそういう連絡が来ていたのに。  そう、『普段なら』。  普段という表現になってしまうくらいには、菜月との邂逅は日常になっていたのだと思い知らされた。  それに、連絡を待ってしまうくらいには、毎回誘いの連絡をくれるのは菜月からだったのである。いざこちらからなにか、と考えるとまったく思いつかなかったのだ。  俺、情けなさすぎないか。  風呂から上がってもなんの通知もなかったスマホを確かめて、なにもないことを知って、そう思ってしまった。  アタックしてきたのは菜月からだ。  でも告白されている以上、もっときっぱりするのは必要だったのではないか?  今考えても仕方のないことに、ぐるぐるしてしまう。  風呂上がりの一杯として、冷蔵庫からビールを取り出して、行儀悪くその場で蓋を開けて、ぐびっと煽る。  苦くて冷たくて、心地良い感覚が喉を通っていった。それだけは確かに快であった。  しかし、ふと視線を向けたキッチンの奥。作業台があるほう。  フライパン。鍋。白い皿。  皿は今朝、パンを焼くのに使ったのでそこにあったのだが、それを見て思い出してしまった。  菜月の作ってくれた、焼きうどん。  あれはとても美味しかった、なんて。  味付けもちょうど良く、キャベツとにんじんは甘さすら感じるほどで、それ以上に、あったかかった、のだ。  あたたかい料理なら、かろうじて大学の学食で食べてはいるが、それとはまったく違うものだ。  違うところ。  それは込められた気持ち。  あの焼きうどんには、菜月の優しい気持ちがたっぷり詰まっていたのだ。  それが、実際に焼きうどんが上手く出来上がっていたという以上に、美味しく感じさせたのだろう。  押しかけてきて、キッチンに立って、そして茂が食べるところを向かいでにこにこ見てくれていた菜月。  ……もう、会えないのだろうか。  そんな思考すら頭に浮かんでしまって、茂は思う。  いい加減、観念しなければいけない、と。  菜月を受け入れるとは、今は思わない。  大体、恋愛感情があるかと言われれば、怪しいものであった。  好感を持っていることは間違いない。  そのくらいは大人なのだからわかる。  だが、自分でかけているストッパーが強すぎて、いまいち自分からもわからなくなってしまったのだった。  菜月が高校生だから、という理由のほかにも、もうひとつ、理由はあるのだから。  それは元妻・杏子との関係が壊れてしまった原因にもなったこと。  だが今はそれよりも。  そして自分の気持ちやら菜月との関係をこれからどうするかよりも。  それらより重要なことがあった。  観念しなければいけないこと。  それは、今までしなかった、こちらから菜月に連絡を取ること。  そして謝る。  直接謝れればいいが、せめてメッセージ上だけでもいい。それが誠意だろう。

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