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押しかけ女房高校生

「美味しいですか」  ダイニングのテーブル。  今日は頬杖ではなく、自分も茶碗と箸を持っている菜月は、でもあのときと同じかそれ以上ににこにこしていた。 「ああ。この家でこんな立派な飯が食えるなんてな……」  茂は白ご飯に豚肉の生姜焼きを乗せて次々食べながら、感嘆してしまう。  土曜日、昼間。  今日は菜月が家に押しかけてきた。  休日なのだ、朝寝坊をしていた茂がインターホンで起こされて、なんだと思いつつ出てみると、エコバッグを提げた菜月がにこにこ立っていたのである。  そして昼ご飯を作ってくれた。  彼いわく、「付き合ったんですから、訪ねてきたっていいでしょう?」だそうだ。  今日のメニューは豚の生姜焼き。付け合わせは千切りキャベツとプチトマトなんてシンプルに。  ただドレッシングが手作りだった。なんというドレッシングなのかわからない、ケチャップとマヨネーズが混ぜられた、甘酸っぱいものだが野菜が新鮮なことも手伝って美味しいと感じられた。  それから味噌汁と、冷や奴。  米まで一合分、持ってきて炊いてくれた。用意周到なことだ。  これほど立派な食卓、自分で言ったように茂はだいぶ長いこと経験していなかった。ここで言うことではないが、離婚前の杏子と咲耶との食卓以来である。 「菜月くんは料理が好きなんだな。家でも料理担当だったりするのか?」  菜月はねぎと醤油をかけた冷や奴を箸で切りながら、なんでもないように「ええ」と肯定する。 「休みの日とか、親が遅くなる日とかは俺が作りますね。菜摘もいますし……たまには菜摘の弁当を作ったりとかもするんですよ」 「そうか。菜摘ちゃん……、咲耶とも仲良くしてくれてるみたいで嬉しかったな」  菜月の妹。  あのとき咲耶と一緒に遊んでくれた子。  確かに菜月と髪の色も同じなら、顔立ちもそっくりであった。  とはいえ、茂は咲耶の幼稚園に行くのも初めてだったので、初めて出会ったのだが。 「はい。咲耶ちゃん、たまにうちにも来てくれるんですよ」 「そんなに仲がいいのか」  ご飯はどんどんなくなっていく。二人のお腹を膨らませて。 「ええ。それで、……その、咲耶ちゃんのお母さんとも顔見知りで」  菜月は少し言い淀んだ。  理由などわかるので茂は苦笑いしてしまう。気を使わせてしまった。 「そっか。意外なところで繋がってるもんだ。縁ってのは」  茂の言ったのが謝るような言葉ではなかったからか、菜月はほっとしたようだった。それに答えてくれる。 「そうですね。俺が茂さんに初めて会ったときもそうでしたし」  ずずっと味噌汁をすすったところに不思議なことを言われた。 「……え? 電車で見かけたんじゃないのか?」  そういう話だったはずだ。  中等部の頃に、電車で見かけて「いいな」と思った。  そう説明されたではないか。  それが『縁』?  少し違わないだろうか。  茂は謎に思ったのだけど、菜月はどこか含みのある顔で、ふふっと笑った。 「やっぱり覚えてないんですね。茂さん、あんまりひとに興味がないんでしょう」  言い当てられて、うっとなった。  電車で菜月にだいぶ長い間、見られていたのに関してもそうだし、否定できるわけがない。 「……悪いな。きっと俺の悪いところだな」 「あ、いえ、すみません。責めたつもりはないんです」  茂の謝った言葉に、菜月は慌ててフォローしてきた。こういうところはやはり子供とは思えないのだった。 「いえ、でも、忘れてるなら構わないんです。また話すときもあるでしょう」 「おう?」  今、話してくれる気はないらしい。  茂は少々消化不良な気持ちを覚えつつも、忘れていたと言ったうえで「教えてくれよ」なんて迫るのは図々しいのではないか。  そう思って追及はできなかった。 「ごちそうさま。美味かった」  そのうちにご飯は綺麗になくなった。二人を満腹にして。 「お粗末様でした」 「いやいや、立派すぎたよ」  皿を持ち上げ、流しに運び、菜月が洗おうとするので茂はそっとそれをどかした。 「作ってもらったんだから、俺が洗うよ。菜月くんはあっちでテレビでも見ててくれ。冷蔵庫にお茶もある」 「前に俺が言ったこと、そのまま返さなくても……」  茂が水を出して皿にかけながら言ったことに、菜月は小さく笑った。  それでも素直に冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出して、グラスに注いで、冷凍庫に氷も見つけたようでそれも入れて、「ではお言葉に甘えて」とリビングに行ってしまった。  カチャカチャと音を立てて皿を洗いながら、茂は不思議に思ってしまう。  菜月と付き合う……恋人同士になってしまっただけでも驚きなのに、こんな押しかけ女房のようなことをされるとは思わなかった。  いや、菜月は以前、焼きうどんを作ってくれたとき「恋人に手料理を振る舞うのが夢だった」と言っていたから、こういうことをしてきてもおかしくはないのだけど。  だが休日にいきなり押しかけてこられるとは思わなかったのだ。菜月の有り余る行動力と衝動の成せるものだろう。 「終わったよ」  キッチンにかけておいてあるタオルで手を拭いてから、茂はリビングに戻った。  菜月はテレビをつけずに、リビングテーブルにスマホを乗せて、なにか弄っていた。  ゲームでもしているのか、それともSNSでも見ているのか。  なんにしろ、テレビよりスマホを好むのはやはり現代っ子らしかった。 「あ、すみません。お任せしてしまって」 「や、作ってもらったんだから」  言いながら茂は菜月の向かいに座ったのだが、不意に菜月が立ち上がった。  なにか、と茂が思ったときには、ととっと寄ってこられていた。  すぐ横に腰を下ろされる。  不覚にもどきっとしてしまった。  距離が近い。  カフェで一緒に座るときは大抵対面であったし、外のベンチに座ることがあっても、これほど近かったわけはない。肩が触れるほどなのだ。 「ちょ、……近い!」  思わず言ってしまったのだけど、逆に菜月は身を寄せてくる。肩が触れ合った。 「近いって。恋人同士になったんですよ。向かいに座るなんて無粋でしょう」 「そ、それはそうかもしれんが」  戸惑いつつ言うが、菜月の次の行動に、それは止まってしまった。  菜月は大胆に近付いてきた割には、ここだけは子供っぽく、身を擦り寄せてきたのだから。  どこか猫のするようなやり方であった。  無邪気で、素直で、親愛を表してくれる触れ方。 「それにここなら見てるひともいません。問題ありますか?」  おまけに正論を言ってくる。  確かに外でそういうことは駄目だ、とは言ったが、家の中で二人のときでそれは駄目だなんて言っていない。  そもそも、そこまでなら付き合うという関係である以上、不自然だろう。  どこに居るときもまったく触れ合わないというのは。  いや、待て。  茂は内心、焦ってしまう。  触れないのは不自然だ。  それはわかる。  だが触れるとしたら、一体どこまでなのだろう。  考えてしまって、頭の中が熱くなってきた。  最後までなどできるはずがない。  高校生と、なんて。  露見して通報なんて事態になれば、当たり前のように茂が捕まるのである。 「いや、そういう問題はないが、急ではあるだろ」  だがそれを言うのも子供扱いしているようになるだろう。  よって、違う言い訳をした。 「急なんて。進まなければなにも起きません」  それには膨れられたけれど。  おまけに調子に乗るように、手まで伸ばされた。  茂の手の上に乗せられる。  そのあたたかさと小ささ、しかしその中で感じられる、節くれだった男の手の感触に、どきっとしてしまう。  過剰に子供扱いはしないと決めたけれど、それとこれとは別である。  子供に対してそういう行為はいけない。  そこは履き違えないようにしよう、と思って、茂はそっと菜月の手を外した。  ちょっと惜しいと思ってしまったのが、悔しく思う。  手を外されて、菜月は茂を見上げてきた。不満そうな目で。 「嫌なんですか」  不満と、それから少しの不安が滲んでいる目。  そう感じさせてしまったのは、申し訳ないけれど。 「そうじゃない。だが少しずつだ。今日は飯を一緒に食った。そこまでだ」  きっぱり言ってやった。  菜月は完全に拒否でなかったことに、ちょっと安心したようだが、膨れた顔は戻らなかった。 「茂さんは悠長ですねぇ……」  それでも聞き分けはいいようで、もう一度手を伸ばされることはなかった。  代わりにことりと茂の肩に頭が乗せられる。 「じゃ、これならいいですか」  そんな甘えるような声で言わないで欲しい、と思う。  それも駄目だ、なんて言うのは冷たすぎるだろう。明らかに。  茂は内心、ため息をついた。  そのため息は自分に対して。  高校生に肩に寄りかかられて、体温と香りを感じて、これほどどきどきしてしまっている自分が、柄では無さすぎる、という点についてだ。

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