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夏の飲み会
「桜庭先生、なんか最近楽しそうですねぇ」
すっかり夏になったある夜、大学の同僚たちとの飲み会。
ある意味、大人のコンパともいえるかもしれない。
今日のメンツは若いひとたちも多いし、彼らにとっては、恋愛的な意味でも交流の場になるのだから。
しかしそこで言われたことには、口にしていたビールが喉に引っかかるところであった。
だが思い当たるふしはあるので、噴き出すことはなく、ごくっと飲み込む。
「や、特になにもないですよ」
話しかけてきた、割合親しい男性講師に返事をする。
まったく、的確な男だ、なんて内心感心しつつ。
菜月に「ひとに興味がないんでしょう」と言われてしまうような自分とは対極だとも思った。
こんな、仕事の同僚なんて間柄の、ある意味ビジネスの付き合いなのに、楽しそうだなんて的確に言い当ててくるのだから。
「あー、でもそれ私も思いましたよ。なんかスマホ、よく見てますし」
女性講師もそれに乗っかってくる。
どうも話が自分に回ってきてしまったようだ、と茂は少々居心地悪く思った。
そもそも話せないし、話す気もないのだから。
恋人ができた、ということはともかく、相手については。
そして口を滑らさないためには、恋人のくだりも口にしないのが無難なのである。
「あー、それはですね……、娘の写真をもらったもんですから」
少し考えて、言い訳を口にした。
これは外れではなかったようだ。
茂がバツイチだということ、このコミュニティの中ではとっくに知られているし、茂のスマホは咲耶が生まれてから、ずっと咲耶の写真が壁紙に設定されているのだから。
「あー、さくやちゃん、でしたっけ? 大きくなったでしょうねー」
「ええ。もう来年は幼稚園、卒園なんですよ」
話は咲耶のことに移っていって、茂はほっとした。
だが、話はすぐに引き戻されてしまった。
「いや、でも娘さんの写真なんて、モノは違ったって、前からずっと持ってるもんでしょ? それで様子が変わったっていうのは……」
言われたことに、もう一度不穏な気配を感じたのだけど、先輩講師に言われたのは違うことであった。
「もしかして、奥さんとヨリ戻せそう、とか?」
一瞬、茂の頭の中が空白になった。
ヨリを戻せそう。
意味がわからないはずはないが、それは絶対にないのである。
確かに、茂のほうから杏子が嫌いになって離婚となったわけではなく、杏子から別れを切り出されたのであるから、茂のほうからはそういう気持ちが生まれるという可能性はあった。
以前なら。
今はそんなこと、起こるはずがない。
もう別の大切なひとを見つけたのだから。
それで別の存在に気を取られることも、おまけに自分から離れていった相手に気持ちを持っていかれることもあるものか。
「それはないですね」
茂は言って、残り少ないビールを手に取った。
酔いが回ってきていたせいか、ぶっきらぼうな言い方になった。
不快が滲んでしまっただろう。
大人の付き合い、しかも飲みの場でこんな態度、相応しくないのに、と言ってしまってから思う。
「じゃ、新しい恋人でもできたんですかぁ」
しかし反省は不要であった。
もっと聞かれたくないことを突かれてしまったのだから。
その通りである。
新しい恋人。
菜月。
そしてスマホをちょくちょく見てしまうようになったのも、その通りであったのだ。
菜月はまめな性格のようで、毎日のように連絡を寄越してきたものだから。
まったく、スマホでのやりとりが好きだなんて、ここは子供っぽいな、なんて思いつつも、やはり嬉しくて。よく開いて見てしまっていた。
勿論、空き時間に見ているに決まっていたが、恋愛ごとに好奇心があるのは大人も変わらない。
そこに興味を持たれてしまったのがそもそもの発端だ。
悔やむがやはり今更なのであった。
「それはもっとないですね」
それだけ言って、茂はビールを飲み干して、席を立った。
「ちょっとトイレ行ってきます」
まぁまぁ自然であろう言い訳をして、その場を立つ。
皆、酔っていたこともあるのだろう、茂のそれはあっさり受け入れられ、別の話へ移っていったようだった。
会場の部屋を出て、廊下を歩きつつ、酔った頭で思ってしまう。
ひとに言えないというのは厄介だ、と。
そういう恋を選んだのは自分であるし、菜月に引け目があるわけでもないけれど。
今回、本当のことなど言えなかった理由は、普段とは少し違っていたから。
菜月という人物がどうこうではない。
高校生だということでもない。
同性の男が相手というだけで、言えないだけである。
それは昔から、そう、記憶を辿れば幼い頃の男の子への初恋以来、ずっとそういうものであった。
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