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独りきり

 茂が話し終えて、その場はまた沈黙になった。  菜月は下を向いて、なにも言わない。普段の明るい様子はどこかへ行ってしまっていた。 「……だから、きみのこともなかなか受け入れられなかった」  茂の話は、菜月とのことに戻ってきた。  茂が菜月のことをなかなか受け入れなかった理由。  交際、結婚、そして離婚。  男と女。  それらが茂に倦怠を持たせ、面倒だと思わせ、もういいと投げさせたくなってしまったのだから。  元々、高校時代の失恋から杏子と付き合い、そして最終的には破局したのだ。  菜月との関係を同じようにしたかったはずがない。  それにもうまっぴらだった。  自分のエゴで誰かを巻き込み、傷つけ、壊してしまうことは。  でも菜月はやすやすとそれを壊してきた。  ほだされた部分は確かにある。  菜月が、自身の性的嗜好と一致する性別、男性だったからということもある。  だが、そんなゆらゆらした気持ちや、性的嗜好という固定のものだけで、ここまでやってきたはずはない。  心が惹かれてしまったからだ。  積極的で無邪気で優しくて、でもときにとても頼りになる顔をしてくれる菜月に。 「こんな事情だから、咲耶は今、父親なしで育てられてる。それが寂しくて、きっとあんなことをした。……全部、俺のせいだろ」  でも今は菜月との交際の話とは違うところに論点がある。  茂は話を戻した。  元々の問題、咲耶と菜摘の家出事件について。 「……そんなこと……」  菜月はぽつりと呟いた。  そんなこと、の続きになにがあるのか。  そんなことありません?  そんなこと、俺のせいでもあります?  それともほかに。  茂はわからなかったけれど、そのあとは続かなかった。 「事情はわかりました……。でも茂さん」  菜月は顔をあげる。  その目は暗くて、どこか寂しそうであった。 「茂さん、自分のことはどうなんです」  それがなにを指しているのか、茂はすぐにわからなかった。  自分のこと? 「咲耶ちゃんがお父さんと一緒に暮らせなくて、寂しく思って会いに行ったのはわかりました。でも、茂さんは? 咲耶ちゃんがいなくて、寂しくないですか?」  言われて、茂は息を飲んだ。  それはそうだ。  寂しいに決まっている。  だがそれは口にできなかった。  だって、言われている相手が相手である。  現在、恋人の菜月に言われて、「そうです」だなんてことは。  なにを言ったらいいのか。  「そんなことはない」は嘘になるに決まっている。  だからといって、素直に答えても、それは別の意味で菜月を傷つける……。  茂が答えられないのはわかっただろう。  どちらも言えないのだと。  菜月は笑みを浮かべた。  その笑みはどこか歪んでいて、そう、幼稚園の父兄参観のとき、初めて茂の事情の断片を知ってしまったとき。  あのときの笑みに似ていた。  もっと深くて痛々しいものだったけれど。 「やっぱり茂さんは、咲耶ちゃんと、それから杏子さんといるべきなんじゃありませんか」  静かに言った菜月。  高校一年生の言うものにしては、重すぎる言葉であった。  だがそれを言わせたのは茂なのである。  菜月の立場なら、もっと我儘なことを言って良いのである。  なのに、それは言わない。  それどころか、別の相手とのことを提案する……。 「それはできない」  しかし茂も引けない。  こればかりは譲れないし、答えないというわけにもいかない。 「俺はあのことで杏子を傷つけた。のうのうと戻れるはずがないし、あいつだって望むはずがない」  茂の言葉がはっきりしていたからか、菜月がもう一度繰り返すことはなかった。  今度は菜月のほうが、なにを言ったものか。そんな顔になる。  茂はその菜月の目を見た。  笑みを浮かべた。  さっきの菜月の視線と同じようになっただろう。  歪んだ、作り笑いだというところが。 「……『耐えられない』って言われたんだ」  菜月はきょとんとした。  どういう意味か。  そんな顔になる。  茂は歪んだ笑みをもう一度、浮かべることになった。 「性的嗜好を隠して付き合って結婚したことか。それとも暴露したことか。もしくは俺の恋愛対象の性別、それ自体にかもしれないな。色々混ざってるのかもしれない。それでも、杏子はもう『耐えられない』んだよ。俺という存在に」  菜月はなにも言わなかった。  言葉が見つからない、以前に、頭がそれを理解できない、というような顔にもなる。  ショックだろう、と茂は思った。  恋をして、付き合って、恋人同士として過ごしていた男がこんなやつだったなんて。  失望してもおかしくない。  いや、するだろう。  思って、茂はもう一度、笑みを浮かべることになる。 「きみのことも巻き込んじまったな。悪かった」 「……そんな」  茂の謝罪に、菜月は呆然と、という様子で呟いた。  その先はやはりなかったけれど。  それをいいことに、茂は腰を上げた。  もう、することは決まっていた。 「やっぱり俺は、もう一人でいるべきなんだよ。終わりにしよう。きみに悪い」  菜月を見下ろして、はっきり告げる。  茂がこれほどはっきり、自分の意思を言葉にすることはなかったからか、菜月は目を丸くした。  それだけ茂の決意が強いということなのだから。 「そんな、……嫌です! 咲耶ちゃんたちの事情はともかく、どうして一足飛びに『一人でいるべき』なんてことになるんですか!?」  菜月も腰を上げた。  ただ、立ち上がるのではなく、テーブルに手をついて、上半身だけ伸ばすように。  そうしても茂には届かない。  姿勢の差だけではなく、体格だって違う。  茂からは、見下ろす位置にしかならない高さ。 「関係あるさ。……間接的には」  静かに言った。笑みは変わらないままで。 「もう巻き込みたくないんだよ」  それでおしまいだった。  菜月が、なにを言ったものかわからない、という様子であったのをいいことにして。  一人になった部屋の中。  茂は実感した。  今、ここに一人きりで居ることよりも、もっとはっきりと、自分は独りきり……孤独になったのだ、と。  すべて自分で蒔いた種によって。

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