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謎のお誘い

 翌日、杏子の家に向かい、話をするつもりだった。  杏子と、それから咲耶と。  だがそれは延期となってしまった。  あれだけ雨に当たったのだ。幼い子がだ。  咲耶は熱を出してしまった。  病院にかかり、入院するほどではないと言われたものの、安静を余儀なくされたのは言うまでもない。  電話で報告してくれた杏子にまた、「あなたのせいよ」と責められた。  想像の範囲内であったけれど。  だいぶ落ち着いていた茂は「そうだな。悪い」と受け入れ、謝り、電話を切った。  ちょうど今日は土曜日であった。  大学は一応、休みである。  が、昨日の突然の早退がある。  その件について、あちこち連絡しなければいけなかったし、休講としてしまった授業の振り替えやら、埋め合わせやらの手続きや支度もしなければいけない。  茂は家で今日はパソコンに向かい、書類を作るやら、メールを送るやらに没頭した。  翌日、日曜日も同じであった。  咲耶の調子もすぐに良くなるはずがない。  大学へ行き、休日受付窓口に最低限の書類を提出した。  学校が休みではほかにできることもないので、それだけ。  帰りはいつも通り、電車だった。  七月も終わり、真夏だ。  電車の窓の外は、車内でも熱を感じそうなほど暑そうで。  いつの間にか、夏が来てた。  当たり前のことを、窓の外を見ながら思う。  春の盛り、駅で突然捕まえられた。  『ずっと貴方を見てました! 俺と付き合ってください!』  ジャケットを掴んで捕まえてきた、菜月からの告白。  なんとなく思い出した。  それから色々話をして、何故か水曜日に会おうなんて約束を取り付けられて。  毎日に近いほど、電車で会った。  水曜日はカフェなんかでお茶を飲みながら話をした。  幼稚園でのことやら、色々あったけれど、菜月は自分がいいと言ってくれたのだ。  そして茂からも、菜月に惹かれていった。  自分にはないものをたくさん持っていたからかもしれない。  純粋さ、無邪気さ、積極性。  明るい笑顔と性格。  茂にも妹にも優しくて、手料理はほかほかでとても美味しい。  それからちょっとどきっとするような、頼り甲斐と色気すらある大人の顔も、時々見せてくるのだ。  今さらになって、はっきり言葉になるような魅力として実感できるなんて、遅すぎると思いつつも、頭に浮かんでしまう。  思い出になったからかもしれないな。  そう思って自分に苦笑した。  過ぎてしまえば綺麗に見えるもの。  なんでもそういうものだ。  結婚生活だって同じだっただろう。  過ぎればなんでも美しい。  そのうち、駅に着いたので降りた。  改札へ向かった。  パスケースをタッチして、外へ出る。  むわっと熱気が体を包んだ。  まだ昼真っ盛りなので、暑い。  もうさっさと帰ってしまおう。  そう思って歩き出した。  途中、コンビニに寄って、飲み物を買った。  帰り道はまったく、呆れてしまうくらい、日常になってしまった。  なにも解決していないし、上手くいったわけでもないのに。  コンビニのビニール袋を提げて、マンションに帰ってきた。  エレベーターで上がって……、だが、日常はそこでおしまいになった。 「あ、おかえりなさい」  部屋の前には誰かがしゃがんでいたのだから。  横にはなにか、クーラーバッグに似た、大きなポリエステル製のバッグが置いてある。  それはともかく、おかえりなさい、なんてぬけぬけ言ってきた存在のほうが問題であった。 「どこ、行ってたんです。日曜日なのに」  菜月は更にぬけぬけと、そんなことを言う。  しゃがんでいたところから立ちあがり、伸びをして。  まるっきり、以前と同じであった。  土曜日にいきなり押しかけてきて、ご飯を作ってくれたことがあった。  あのときのように、思いついたからやってきました。  そんな様子でしかない。 「え、ちょっと大学まで用を片しに……いや、そうじゃない。なにしに来たんだ」  思わずいつも通り、答えてしまって、はっとした。  ちょっと声を固くして聞く。  もう来るな、と言えば良かったか、と思った。  終わりにしようとは言ったが、来るなとは言わなかった。  ちゃんと言葉にして言い渡しておくべきだったか、と思ったのに。  茂がそういうことを思ったのがわかっただろうに、菜月はにこっと笑った。  かたわらの大きなバッグを持ち上げる。  意外と中身は軽そうであった。 「走りに行きましょう」  走りに行くって、ジョギングでもするのか。  それとも自転車で走るのか。  どっちにしろ、走るなんて得意じゃない。  そう思ったものの、菜月はやはり強引であった。  「早く行きましょ! 終わっちゃいます」なんて、よくわからないことを言って、茂を引っ張っていった。  茂は駅に逆戻りさせられる。  また電車に乗ることになってしまったが、今度乗ったのは逆方向だった。  普段行かない、街から離れた場所へ向かう方向だ。  ただ、駅はみっつほどだった。すぐに降りることになる。 「こっちです」  菜月は当たり前のように手を伸ばし、茂の手を掴んだ。  汗ばんだ小さめの、しかしごつごつしている手に掴まれて、茂は仰天してしまう。  外ではこういう、触れ合うことはなにもしなかったのに。  なんで突然。  しかも自分はもう「終わりにしよう」と言ったのに。  そんなことはなかったとばかりに。  混乱するばかりの茂であったが、その茂をぐいぐい引っ張り、菜月は茂の知らない街を歩いていく。  街ではあったが、どうも河が近いらしい。  むしむしした空気の中に、水の香りが僅かにする。  五分も歩けば河川敷に出た。  なるほど、確かにこのへんには大きな河があった、と車窓からの風景を思い出して茂は思ったのだけど、菜月が「間に合いましたよ」と、にこっと笑って指差したほう。  見て、目を丸くした。  そこにはなにかの会場があった。  大人や子供がたくさん集まっている。  そのほとんどは男性であった。2/3くらいはそうだろう。  女性はいても、子供の付き添いのお母さん、とかそういうふうに見えた。  その謎の会場がなんなのか。  茂は数秒見て、理解した。  大きな旗がかけられていて、それは青と赤のぱっきりしたもので。  河原にいくつもコースが置かれて、レースができるようになっていたのだから。

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