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二台のミニ四駆

「子供の大会なんですけど、フリーランがあるんです。それは中学生以上も使っていいんですよ」  河原に下りて、菜月は慣れた様子で受付に歩いていく。  受付でなにか、手続きがいるらしい。  特になにか書かされたりというのはなかった。  『コース使用料』というのだけがかかるようで、茂はよくわからないままに、五百円玉を一枚出して、受付のお姉さんに渡した。  メインの会場になっているあたりにいるのは、ほとんどが男の子。小学生だった。  それはそうだ。  ミニ四駆の大会らしいのだから。 「あっちです。大人向けのフリーラン」  菜月は会場の端のほうを指差した。  確かにあちらは大人が多い。  茂より年上に見えるひともちらほらいた。  やはり男性が多かったが、昔ミニ四駆で遊んだ子供が大きくなったと思えば自然なことだ。  菜月は空いていたテントの一角に慣れた様子で入っていって、簡易テーブルに荷物を置いた。  こんなところへ来て、バッグの中身がなにかなんてひとつしかない。  出てきたのはミニ四駆やパーツ、工具を入れるケース。  今日、大会があるという子供ならきっとほとんどが持っているものだ。  ミニ四駆なんか好きだったのか、この子は。  茂は横に立ちながら、今更知った。  菜月のこと。  知り合ってまだ数ヵ月なのだからわからないこともあるのだ。  当たり前のことであったが、ちょっと意外であったし、また寂しくも思ってしまった。  おかしなことだ、もうやめようなんて言っておいて。 「茂さん! 俺の二号機、貸してあげます」  菜月は茂に向かって一台のミニ四駆を差し出してくれた。  それは青いボディをしたもの。 「俺もやるのか……?」  つい聞いてしまったけれど、菜月は当たり前と言わんばかりに、それが一号機なのだろう。赤いボディのマシンを手元に置いて、弄りはじめている。 「できるでしょう?」  しれっと言ってくる。  確かに茂はミニ四駆に触れたことがあった。  子供の頃はやっていなかったが、高校、大学時代に少し触ったのだ。  遊びたかったというよりは、授業の一環と、あと興味だった。  工学部だけあって、ミニ四駆は少し関連がある。  工学部の初歩といっていい。  授業に登場したことで初めて触れたし、そのときは「なかなか面白いな」と思った。  大学を卒業する頃、講師になってからは触れなくなっていたけれど。  でも数年は扱ったのだから基本はわかる。  しかし、何故それを菜月が知っているのだろうか。  首をひねりながらも、菜月は手元に視線を落としてしまって、こちらを見てくれない。  準備……セッティングに入ってしまったのだ。  ここまでくればやらないわけにはいかない。  茂も借りた一台を弄ることにした。 「パーツ、好きなの使っていいですよ。小学生の頃使ってたやつなんで、ちょっと古めですけど、手入れはしてきました」  菜月は気前のいいことを言ってくれて、茂はそれに甘える形になった。  ボディからシャーシ、装甲の部分を外して中を見る。  中で確認するのは主にギヤとモーター、それから電池。 「これ、充電は?」  電池が充電式だったようなので聞いてみると、菜月は顔をあげて、にこっと笑った。 「充電してあるに決まってるじゃないですか。そんなところでズルはしません」 「……そうですか」  つい敬語になりつつそれを受けて、弄る作業に戻る。  走る予定のコースを見て、パーツを考える。  これでも遊んでいた頃はそれなりに速いほうだったのだ。  思い出さなくてはいけなかったが、悩むことはあまりなかった。  ほんの十分ほどで支度は済んだ。 「もういいですか? そろそろ閉まるんですよ。小学生向けがメインなんで」  確かに外は夕暮れに近付いていた。小学生は帰る頃。  それでコースに向かい、走らせる旨をスタッフに伝え……、二人でスタート地点に立った。 「行きますよ。負けませんから」 「俺だって、よくわからんが、やるからには負けるもんか」  この頃にはなんだか負けん気と楽しさも出てきていた茂はそんなふうに言ってしまい、言ってから自分に驚いた。  なんだかいつも通りの菜月と自分のやり取りに似ている、と思ってしまって。 「レディー……、ゴー!」  スタッフがスタートを告げてくれる。  赤と青、二台のマシンは同時に走り出した。  シャーッといい音を立てて走っていくマシンは、しばらく互角だった。 「お、茂さん、レブチューンですか」 「このコースはストレートが多いみたいだからな」  走るマシンを見ながらの会話。  まるで小学生同士の会話のようだった。  セッティングの差か、そのうち茂のマシンが先に出はじめた。  少しずつ差が出ていく。 「なんだ、口ほどにもないじゃないか」  走る様子を見守りながら言った茂だった。  本当に小学生同士、自分のマシンを走らせてそれに夢中になっている。そんな感覚。  少し離れている場所でレースをしている小学生たちと同じ感覚だろう。 「いえいえ、これからですよ」  なのに菜月は不敵な笑みを浮かべている。  茂が初めて見るような表情であって、茂はつい見入ってしまった。  悪戯っぽくて、なにかたくらんでいるようで、それも一種、子供っぽさがある。  この子、こんな顔をすることもあるんだな。  茂が感心しているうちに、レースは中盤も過ぎた。  そろそろ終盤。  そこには傾斜がいくつかある。  だがそう高い坂ではない。  すぐに越せるだろう、と茂は思った。  だが坂を進む間。  菜月のマシンが少しずつ距離を詰めてきたのである。  どうして、それほど設定が違うのだろうか。  多分モーターが違うのだろうが、これほど差があるとは。 「よし! そのまま!」  菜月は、ぐっと拳まで握ってマシンを見守る。  その声にははっきり熱と、それから楽しみが滲んでいた。  茂がレースの行方よりも、見入って、聞き入ってしまうほどに。  なんとなく、懐かしいような気がしたのだ。  こんなこと、以前にもあったような……。  いや、そんなわけがあるものか。  菜月とミニ四駆を走らせたことなんてあるはずがない。  結局レースは菜月の勝ちであった。  数秒も差はなかっただろうが、確かに菜月のマシンがゴールに滑り込むのが先だった。 「ふぅ。どうですか。俺、なかなかのものでしょう」  ゴールからマシンを取り上げて、菜月は満足げ、そして得意げ。  茂はつい、笑みを浮かべてしまった。菜月の様子につられるように。 「ああ……、どうセッティングしたんだ」 「まずモーターはトルクですね。アップダウンは大きくないですけど、いくつかあるじゃないですか。そのひとつひとつを超えるパワーがあれば、そこでロスなく進めます」  そのあと菜月は色々説明してくれたけれど、茂が忘れていたことも多かった。  これほど知識の差があったならば、そりゃあ勝つだろうと思わされた。  しかしその説明する口調。  またなにか、不思議な感覚があった。やはり懐かしいような。  茂の相づちを打つ様子や、表情などから、まるで感じ取ったようだった。  菜月は笑みを浮かべる。  今度は悪戯っぽさの中に、違う色が混ざっていた。  どこか遠くを見ているような色。 「思い出してくれましたか」 「……俺、やっぱ他人に興味がないよな……、昔からそうだったか」  茂は言った。後悔を覚えながら。  すっかり忘れてしまったくらい、自分はやはり自分のことばかり考えていたのだ。 「まさかずっと気付かれないとは思いませんでしたが。結構がっかりしたんですよ」  菜月は手に持ったマシン。  赤いボディのそれを、優しく撫でた。  まるで自分を撫でているように、優しく親しい手つきであった。 「七年前。茂さんに教わったんですから」

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