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第9話

◇◇◇  気象庁が梅雨入り宣言した6月第2週の土曜日。朝から厚い雲が垂れ込めいつ雨が降り出してもおかしくないその日、隆はついに理恵さんの実家に挨拶に行くことになった。いよいよ結婚に向けて、具体的なことが決まり始めるのだろう。  アパートに一人でいたくなかったので、佐伯さんを呼び出した。昨夜は実家の母が泊まりに来ていて彼のマンションに行けず、気持的にその埋め合わせがしたかったというのもある。過保護の母は、一人息子が思ったよりも小奇麗にきちんと暮らしているのを確認してから、午前中一杯都会を見物し両手一杯の土産を持ってご満悦で帰って行った。  母を送り出してからすぐにメールして待ち合わせた駅前に、佐伯さんは5分遅れて飛んで来た。もしかしたら彼にも何か用事があったかもしれないのに、相変わらず僕のわがままに何も言わずにつき合ってくれる。 「待たせたか? ごめん」  佐伯さんは先に来ていた僕を見て、腕時計をのぞきながらすまなそうに謝った。 「ううん、今来たところですよ。こっちこそ急に呼び出してごめんなさい。今日大丈夫だったんですか?」 「予定はないよ。ただ昨夜から持ち帰り仕事を片付けてて、終わったのが8時なんだ。それから少し休んでたから」 「え、じゃあ寝てたんですね! すみません、僕……」 「君の呼び出しなら大歓迎だよ。でもあわてて来たから、もしやとんでもないことになってないか?」  そう言って髪の乱れや服を気にする彼は、完璧にできる男のイメージで決めている会社では見られないレアな姿だ。なんとなく微笑ましくなって僕は口元をほころばせた。 「大丈夫。ちゃんとかっこいいですよ」  お世辞ではなく本当にかっこいい。普通のデニムパンツにもカーキのサファリジャケットと白カットソー、チェックの入ったグレーのストールを合わせるとそれほどラフな感じにも見えない。コーディネイトのお手本みたいだ。私服だと少し若く見える彼も、隙のないスーツ姿とまた違った魅力があり僕はどちらも気に入っている。 「君もいつもいいな。スーツもいいけど、私服もすごくいい」  眩しげに目を細めそう言われ、気恥ずかしくて俯く。一体何がいいのだろう。今日だって僕は量販店のパーカーにジーンズというチープな子供じみた格好なのに。釣り合うのは到底無理だが、せめてもう少し考えてくればよかったと後悔する。 「何がいいの?」と、本気でわからず聞いてみる。 「何って、ナチュラルで気取りのないところが君のキャラに合ってる。スーツ姿も君だと穏やかで信頼のおける感じがする」  物は言い様だが、彼は本心からそう思っているらしい。少し頬が熱くなるのを感じる。 「そういうの、なんとかは盲目って言うんじゃないですか」 「ああ、まったくそのとおりだな」  冗談のつもりで言ったのに、彼は大真面目に返して照れたように笑った。言ったこっちの方が恥ずかしくなってくる。  最初に言葉を交わしたとき、あんなに緊張しまくっていたのが嘘みたいだ。今は誰といるより、彼といるのが一番リラックスしていられる。以前はどこか高見にいて見上げていた存在なのに、今はもっとも近くに感じるなんて不思議だ。 「今日はどうする? まだ2時だからどこでも行けるな」 「観たい映画があるんだけど、佐伯さんつき合ってくれます?」 「いいよ」  いつものように優しく微笑んで頷いてくれる。その笑顔を見るたびに僕は安心し、胸が温まるのを感じる。やはり無理にでも呼び出してよかった。

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