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梅本の場合 7

 松井の家を出たのは丁度、始発電車が走り始めた頃で歩く人は疎らだった。朝日の中を、梅本は駅に向かって歩く。早朝に出勤する人々に混じって電車に乗ると急に現実に引き戻された気がした。途中一回乗り換えれば、自宅の最寄駅に着く。電車に揺られながら、梅本は昨夜のことを考えていた。 居酒屋での会話、居酒屋を出て松井の家に行くまでの事、行った後の事、遡って入学式で初めて松井を見た時の事、観察し続けた日々の事…言葉や景色がグチャグチャと順番も何も出鱈目に頭の中に浮かんでは消えていく。家に帰り着いても暫く思考が纏まらず、悶々と考えていたが、やがて眠ってしまった。  数日経っても松井の事が頭を離れなかった。あの一夜以来、それまで感じていた恋心とは全く違う感情に支配されている。あの日、強引にことに及んでしまった事に対しての後悔の他に、松井にとって自分が初めての男ではないことや、松井があまりに手馴れていたことに対する悔しさだ。 が、どんなに松井に責任を転嫁してみても、ストーカーの様に勝手に思いを募らせ、気乗りしない彼を連れ回し挙げ句に家に上がり込んだ自分が悪い。 しかしその一方で最後に見た無防備な寝顔、そして微笑みが忘れられない。眠る前に何か言いかけた言葉の続きは何だったのだろう。 それから二週間たったその日、朝一の講義を受けながら、梅本は決意した。松井に会おうと。昼休みになって金子と山崎を見つけて、松井に学食で待っている事を伝えて貰う様に頼んだ。 待っている間、何を話そうかと考えを巡らせる。とそこに、ふらりと気怠げな松井が入ってきた。久しぶりに見た彼の姿は、やはり美しく、また見惚れている。 松井が近づいてくる。 「松井…くん…」 自分でも笑ってしまうくらい、声が小さく掠れている。 「先輩、お疲れ様です。なんすか?用っすか?」 「用って程でもないけど…この前の事、話したくて…」 「へぇ、挨拶もなしに勝手に帰っといて話も何もないでしょ。」 「そうなんだけど…」 煮え切らない態度に松井が苛立つのが分かった。 「俺、別に気にしてませんから。女じゃあるまいし責任取るとか要らないんで。それに男とするのも初めてって訳でもないですし。ただ、ごめんってなんだよって腹は立ちましたけど?」 返す言葉がない。いや、無いわけではない。ただ言葉に詰まってしまった。 「お互い遊んだんだからいいじゃないですか?勝手に謝られても困るんですよ。」 遊びだったと言う松井の言葉が胸に刺さる。でも松井にとっては正論だろう。初めてあった人間と、たった一夜体を重ねたところで本気になんてなり様がない。が梅本は違うのだ。 「俺、遊びのつもりじゃなかった。入学式で見かけてからずっと気になってたから、お前の事。」 これが正直な気持ちだ。ここまで来た以上、偽ることはできない。 「だから、ずっとお前と話せる機会探してて…そしたら飲み会に来るって聞いたから……」 松井が戸惑っているのが分かる。 「でも、じゃあなんで謝ったりしたの?なんで何も言わずに帰ったんすか?」 「だって!……告白もしてないのにさ、酔に任せて無理やりやっちゃったから…嫌われたと思ったんだよ!でも、やっぱりお前の事、好きだなって思って、諦めきれなかったから…」 その途端、松井が俯いて口元を抑えた。笑いを堪えている。がとうとう堪えきれなくなって、笑いだした。 「なんで笑うんだよ!」 「だって!あはは、バカみたい!梅本さんって真面目なんですね。」 そう、可笑しそうに笑いながら目元を拭って松井が言った。しかし、馬鹿にしているわけでも、茶化しているわけでもない。何かホッとしたような、柔らかな表情でニッコリと梅本を見ている。それを見て、梅本もやっと、笑みを浮かべた。 「そういう所、嫌いじゃないですよ。」 松井が言う。先程まで失意の只中にあった心が温かく希望に満ちている。 「……うん、ありがとう。改めて友達から始めてもらえますか?」 何故か丁寧語で話す梅本の視線を、真っ直ぐに受け止めた松井は、 「ええ、いいですよ。」 と笑みを浮かべて答えたのだった。 梅本の場合 終

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