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和輝の場合 Ⅱ 3

それからは何度も体を重ねた。その分、今迄みたいにお喋りをしなくなったし触れ合うだけのキスもしなくなった。でも、抱き合っている時に愛してるよと言ってくれるのが嬉しくて、この言葉が真実なんだって疑っていなかった。 一学期の終業式の朝、いつもの様に準備室に行くと、また川本先生が来ていた。最近、よくここで会う。すれ違う度に、川本先生は 「松井くん、偉いわね!数学好きなのね!」 と明るく言って、俺の肩をポンポンと叩いて通り過ぎて行く。そして毎回、俺は数学じゃなくて『先生』が好きなんだよ、と心の中で言うんだ。 それから、川本先生と入れ違いに準備室に入ると『先生』が少し笑って迎えてくれた。でも、いつもより少し疲れているみたいだったから俺の方から先生を抱きしめてあげた。 『先生』の白衣の肩口に顔を近づけると、少し香水の香りがする。何となく、胸がざわざわするのを感じて『先生』の顔を覗いてみたけど、もういつもどおりの『先生』に戻っていた。 『先生』に終業式が始まるよと促されて教室に戻ると、いつもと変わらない景色があった。体育館で行われた終業式もいつも通りだった。校長の長い話しを飽き飽きしながら聞き終われば、あと少しで終わりだ。後は、夏休み中の注意事項だなと思ったところで、教頭が、おめでたい話がありますと話し始めた。『先生』と川本先生が二人で並んで壇上に立つと、教頭が二人が結婚することになったと伝える。その瞬間体育館中がどよめきと歓声に包まれた。一瞬何を聞いたのか理解出来なかったけど、そのうち、その音がわんわんと耳の中で鳴り響いて、目の前が白くなる。教頭は何と言ったかな…?何だか目が回って思考が纏まらない。俺は自分がどこに立っているのかも、実際ちゃんと立っているのかもわからなくなっていた。 気がついたときには保健室のベッドで横になっていた。カーテンの向こうで担任と養護教諭の話す声がなんとなく聞こえている。貧血だろうと話しているみたいだった。 その会話を遠くに聞きながら、終業式のことを思い出していた。嬉しそうにに笑う川本先生を『先生』が温かな眼差しで見つめていた事が、本当に現実だったのだろうかと考えた。が、あれは紛れもなく現実だったのだ。 自分が当たり前のように信じたものは虚構だったのだろうか。目の前で、砂の城の様にザラザラと崩れたそれを掴みしめようと、まだ心が足掻いている。 夏休みに入って間もなく、地元の大学では無く東京の大学を受験しようと決めたんだ。夏期講習から帰ってからも、必死になって勉強した。何も考えないで良い様に、ひたすら勉強に打ち込んだんだ。 そして今、卒業を目前に控えている。東京の  大学に合格して、春からは一人暮らしだ。今だって寂しくて仕方ない。幸せそうな二人を校内で見かけてしまうと、消えて無くなってしまいたくなる。 あれから『先生』と二人で会っていない。校内ですれ違っても、目を合わすこともない。それは自分がそうしている事だから、『先生』がどんな顔をしているのかは知らない。俺の事を見ているかもしれないし、俺と同じように目を逸らしているかもしれない。 だけど、最近、このまま東京と行っていいのかなって思っていた。ちゃんと区切りをつけないと、前に進めないかもしれないと。だから今日の帰りに『先生』に会いにいく。数学のノートにメモを挟んで伝えたんだ。帰ってきたノートには待っているよという返事が入っていた。 準備室のドアをノックすると、中からどうぞという声が聞こえた。失礼します、と声をかけて入る。そう言えば、今までノックなんてした事がなかったなと思い出した。

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