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感情ジェットコースター
朝具合が悪い事なんて、清太郎自身は既に慣れたものだ。
随分と良くなった方だ。
しかし、デートの約束をして、起きられず、母親に起こされ、デートの相手に介抱されるということは、清太郎にとって人並み程度に、当たり前に、物凄く恥ずかしかった。
恥の上塗りをすまいと、母親に素直に礼を言い、春斗に謝る、我ながら大人だったと、清太郎は自分を励ます。
今すぐこのままバイクで川に突っ込み、何事も無かったかの様に総てを終わらせたい程の恥ずかしさを何とか抑ええ、清太郎を抱きかかえる春斗の顔を思い返す。
羊を前にした牧羊犬、遭難者を探しにゆく救助犬、爆弾を探す警察犬、飼い主の散歩に付き添う柴犬の顔をしていた。
真剣に使命を理解してやり遂げようという、この世で最も尊敬出来る犬の面構えだ。
可愛かったな……と、思う。
あの顔をさせているのは自分だと言い聞かせながら、ポップコーンを買う時間の余裕をもって映画館に到着する。
「清太郎さんは塩派ですか?キャラメル派ですか?」
「ハーフかな……」
春斗は嬉しそうにカウンターで注文している。
「あと、氷無しのアイスティー、ストレート。カードで。」
「あっあっ!!良いです!僕から誘ったんですから出します!」
「お前チケット代受け取らないし、朝のお礼だと思って。」
「いいのに……」
トレーは持たせてあげた。
休日の春斗は随分と涼しい顔をしていると思う。
仕事の日はきちんと七三に別けて撫で付けている前髪は、ストンと落ちていて、垂れても吊っても居ない横長の目に少しかかり気味だ。
かなり印象が可愛らしく、年相応に見える。
映画を見る為に眼鏡をかけているのもよく似合っていた。
「目、悪かったのか?」
「軽い乱視用です。視力自体は問題無いですけど、仕事しすぎると映画とか少し眩しく見えちゃうんですよね。昨日結構頑張ったので。」
「ちゃんと寝る前に温めて休めなさいな。」
「清太郎さんに言われたか無いですね。」
「朝倒れたしな。」
自分に皮肉を言ってしまう。
内心ドキドキしていた。
「本当に心配になる……」
春斗はぐったりとして、場内が暗くなった。
「めっちゃ良かったです……」
「アニメーターの気迫を感じる……」
エンドロールを見終わって、人が出て行く最後まで座っていた。
「少し休みますか?」
春斗は心配そうな顔をしている。
「いんや、ちょっと買い物付き合って。私服という名の仕事着選んで欲しいんだ。作ってもらってる時間がない。」
パァッと明るい顔で、再び使命を帯びた犬の面構になる。
「予算とか、雰囲気とか、ご要望あれば。」
「今白か黒の上と黒とジーンズのストレートで生きてるから、下を増やしたい。」
「まあ、スタイル良いとそんなもんで洒落た感じになりますよね……」
この日も、黒いタートルネックセーターに黒いパンツに黒いライダースジャケットという出で立ちだった。
「あ、そうだ。これ今日の服に差し色で合うと思うんですよ。」
春斗は、リュックから包を出し、潔く包を外す。
カシミヤシルクで出来たカーマインレッドの毛糸を使ったマフラーだ。
端の方に一筋だけダイヤ柄が繋げてある。
「すげえな……お前編み物も出来るのか……何この触り心地すげえ……」
宝石を触る様な丁寧な手付きで恐る恐る指で撫でている。
「簡単な事しかできないですけどね……編み物はまた奥深いですから。」
春斗はサッと清太郎の首元にマフラーをかける。
青白い顔に、赤が反射して美しく、春斗は神聖な芸術作品を見る様な心地がした。
「かけるだけでもかっこいいですし、巻いてもかわいいです。」
折り畳んだマフラーをかけて、輪に端を通し、ワンループにする。
「気持ち良い……」
清太郎は笑顔で春斗を少し見上げる。
作った本人に自慢する様に。
その笑顔に、何故か春斗は涙腺が緩みそうになる。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
「よし、買い物に行こう。」
清太郎は、サッと春斗の手を捕まえて歩き出した。
「ストレートのパンツしか無いなら、ワイドなスラックスがあると良いと思います。オーバーサイズのトップスに合わせると今風です。インしてベルトすると尚良しです。」
「これザリザリするな……」
「んじゃこっち。」
「ザクザクする。」
「これは?」
「なんか歩いてたらパチパチしそう。」
「清太郎さん、古着行ける人ですか……」
「行ける人ですよ。」
「じゃあ店変えます。確かにさっきのは生地が良くないんですよ。丈夫なんですけどね。ただ、凄く良い生地って高いじゃないですか。普段着に向かない位に。」
「春斗達の作る服は殆どそうだな。」
「うちのスーツを着慣れてるとファストファッションは耐えられないと思うので……ハイファッションの古着で行きましょう、何も最新である必要は無いと思うので。」
「まあ、値段はあんまり気にしなくていいけど、春斗の思う様に任せるよ。」
「お任せください。」
春斗は気合いを入れる。
「これは良い素材なので、大丈夫だと思うんですけど。」
「これにしよう。このまま履いて帰りたい。」
ウールギャバジンに裏がキュプラのツータックテーパードのパンツを試着してみる。
「面白いな。同じ布でもカジュアルにもなるんだな。」
「そうですね、厚みやシルエットでかなり雰囲気が違いますよね。これはタックの入れ方も独特で履いた時の腰回りのシルエットが綺麗です。やっぱり良いもの着たほうが清太郎さんはかっこいいですね。あ、ちょっとこれ羽織ってください。」
「は……?」
差し出したのは、尖ったスタッズだけで作られた金属のベストだった。
「近寄ったらケガする感じが似合うと思うんですよ。お客様を抱き締めるのにどうでふかっ……」
言い終わる前に頬を抓られた。
「古着としてあるってことは、これを誰かが買って売ったのか……」
「まあ……サンプルとか、デッドストックも扱ってますからね。」
「服を逸脱してるよな。」
「こういうのは世界観を売るんですよ。美術品と同じです。多分。」
清太郎は、履いたままタグを切ってもらい、そのまま会計をした。
「普段着も作りたいな……いつも清太郎さんが身に着けてるって思うと嬉しいだろうな……」
春斗は指を咥える。
「今度のイベントの衣装、作るんだろ?」
「勿論です!」
そして、清太郎は選んでくれたお礼と言って夕食をご馳走してくれて、家まで送り届けてくれた。
凄く満たされた気持ちで、春斗は普段着用のデザインをこれでもかと描いたが、悲しいかな作っている時間が思いつかなかった。
清太郎はこのまま春斗の家に押し入っても許されそうな気がしながらも、帰路についた。
普通の人の様に、またねと言ってキスを出来たら良いのにと、考えると口寂しい。
やればいいのに、出来ない、この気持ちになんと名前をつければ良いのか。
せめて、一日の楽しさを胸に抱えて眠りたいと思った。
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