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第6話 披露される愛玩奴隷 1
魔界は夜明け前を迎えていた。
ドールハウスは魔界と人間界の狭間にある。それは魔界には瘴気という強毒性の粒子が存在し、低級の妖魔や妖気自体が脆弱な者はこの瘴気に蝕まれ死んでしまうからだ。ドールハウスの奴隷達には低級妖魔が多く、彼等の商品化にはこの場所に建設するしかなかった事情がある。
魔界の淫魔城は三つの石垣の塔になっている。まるで中世ヨーロッパの要塞城で、塔の最上階にはラフな格好をした見張りの兵士が紺色の翼を動かして空中旋回していた。空中旋回していた兵士の一人が男が城にやって来るのに気づいた。兵士は男を着陸地点へ誘導し、石垣の着地点に革靴特有の硬い音を立てて優雅に着地する。男が着地したのを確認すると、兵士は恭しく頭を下げた。
「お帰りなさいませ、カミール様」
出迎えた兵士の一人が言った。
男は長い銀髪の長身だった。紺色のスーツに白いシャツを着ており、シャツの第一ボタンを外していて、ネクタイをつけていない。翼は見せず、はたから見ると男自身が飛んでいるようだ。
「ラウールは?」
男・カミールは兵士に尋ねた。
カミールは、他の種族との食事をした帰りだった。部下で老臣のラウールにすぐ城に帰還するよう報告が入った。混み入った話になるので城へ戻るようにとのことだった。
「ラウール様は、応接室でお待ちです」
「わかった」
そのままカミールは入城し、応接室へ向かうため、スーツに両手を突っ込んだ。城内はとても広く、床にはワイン色の絨毯が敷かれている。夜明け前だからか、どことなく城内は暗い雰囲気があった。まだ他の使用人たちは寝ているのだろう、誰も遭遇しなかった。
カミールは絨毯が敷かれている廊下を歩く。異種族との食事に行ったが、味が気に入らず食った気にならなくて何も満たされていない。やはり淫魔は、人間の生命力が自分たちの口に合う。異種族間の外交は自分の仕事だが食事はその延長戦でやったこと。やはりさっさと帰ればよかったと後悔した。
応接室に到着したカミールはノックもなく、ズカズカと入室する。中には彼を待っていたのだろう。ソファに座って優雅に読書を楽しんでいる一人の初老の男がいた。男はカミールに気づくと本を閉じてカミールに微笑む。
「お帰りなさいませ、カミール様。バンパイア族との外交渉お疲れ様でした」
「ああ、疲れた。交渉の後になぜかバンパイアの娘を充てがわれた。味は不味い上に私の首に牙を立てようとした」
どうやら淫魔族との外交など表向きな話だったようだ。本当の狙いは、自分たちバンパイア王族の姫と淫魔族王子という立場の自分との強制的な政略結婚だったようだ。娘がうっとりと牙を出した時、彼らの狙いに気づいた。
だから、娘の牙を折ってやった。
娘が痛みで苦しんでいるうちに、さっさと帰ってやった。
カミールはラウールを睨む。
「お前だろ、ラウール。よくも私をバンパイア族との外交に引っ張り出したな。危うく私がバンパイア族の番にされそうになったぞ」
ラウールはハハハと笑う。この男は父の代から宰相の地位にいたが、父が崩御したと同時に宰相を退官し今は別の者が宰相の地位にいる。カミールが人間でいうと三十代くらいならば、ラウールは五十代くらいの容貌である。
「それは困りました。きっと向こうの姫君もカミール様の美しさを独占したかったのでしょう」
「冗談じゃない。私は人間が欲しいんだ。それよりも、私に報告があるんだろ?」
「ええ、実は・・・」
カミールは応接室のソファに長い足を組んで座り、ラウールの報告を聞いた。
「ヴィンセントが、番を連れて来た?」
報告によれば、ヴィンセントが人間界に降り、番となる人間を連れて来たという。
カミールはそういえばと思い出した。確か七年前、ヴィンセントが人間界に降りた時、番を見つけたと言っていた。
「あの日本人か?七年前には霊力が脆弱だったあの少年」
「はい。その通りです」
カミールは七年前ヴィンセントが番を見つけたと聞いてどんな人間か気になって人間界に降りたことがあった。見つけたと言っていたが、魔界には連れて来なかったからだ。
部下達・・・正確には複数の低級妖魔だったが。そいつらを倒せた事をもう一人の人間と喜んでいる姿を見た事がある。素朴で幼い顔立ちだったから恐らく年端も行かない少年なのだろうと思っていた。目立つ顔立ちでもなかったし、造形に関しては地味と言った方がしっくりきた。しかし自分と同じ色なのだろう。あの美しい青い瞳は印象に残る色をしていた。
あの美しい色をした瞳に自分の姿が映る事を想像しただけで、あの少年を組み敷き、体液を啜り味わいたい気持ちに駆られた。しかし当時の彼を見て男は興醒めした。
はっきり言って霊力が脆弱だった。潜在的に強い霊力を潜めているのは少年を見ていて分かったが、現段階では脆弱でこれでは魔界に番として迎えてもすぐに死んでしまうと予想できた。恐らく霊力が必要のない生活を送って来たのだろう。
当時ヴィンセントから手を出すなと釘を刺されていたが、あのような脆弱さでは手を出す気も起こらなかった。
だが七年経ち、事態が変わった。
少し前になるがヴィンセントの部下が若い退魔師に倒されたという報告があった。その部下は中級の淫魔とはいえ妖気や実力はヴィンセントも一目置いていた存在で、上級淫魔への昇格もそう遠くはないだろうと言われていた。
そのため、彼が退魔師に倒されたと報告が入った時はカミールは衝撃を受けたが、ヴィンセントは違った。
中級淫魔を倒した若い退魔師は一希だと報告を聞いたのだろう。部下を倒された怒りよりも自らの番の霊力が上がっていることを良しと判断したらしい。それから数日、城を不在にし人間界に降りていたと部下から聞いた。そして昨日、魔界に適応できる程の霊力を得たと確信し、自らの体液を与えて意識を朦朧とさせ魔界に連れて来たのだという。
部下からの報告を聞いてカミールは溜め息をついた。しばらく見守ると言っていたが、以外と早かったな。
「なるほど。ヴィンセントめ、知っていて隙を狙っていたな。して、その番はどうしている?」
「現在ドールハウスにてヴィンセント王自ら、番である一希様の調教を行っております」
「ヴィンセントが?直々に?」
「左様でございます」
驚いた。ドールハウスに連れて来たのはたとえ強い霊力を持っていても魔界にすぐ連れて行くのは危険だと判断したからだろうと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。
「はい。どうやら王は、一希様を完全な愛玩奴隷に調教し、完成品になり次第この城にお連れするようです」
「ほお、王が自らの番を愛玩奴隷に調教か。それはまた面白いことを考えたものだな、我が兄は」
淫魔族は番である人間を魔界に連れて来る前に、魔界と人間界の狭間の空間に存在するドールハウスに収容する。収容すれると人間には特別な教育係をつけて#魔界__こちら__#の生活に馴染んでもらう慣わしがあるのだが、今回はヴィンセントが直接施すという。
それ以外には人間は基本的に食料である。そのため、カミールは番が欲しいというより自分の腹を満たす食料が欲しかった。
カミールは可笑しくて仕方なかった。あの兄が自分から番の調教を施すとは・・・。
自分たち淫魔は人間の持つ生命力を糧としている種族であり、外見が人間に近い。その為淫魔は好みの人間と性交を繰り返し快楽を高めた状態で生命力を吸い取るのだ。人間には価値観が理解できないだろうが、淫魔にとってセックスは食事と同一の意味を持つ。だから男も女も人間はどちらかと言えば性愛よりも食料という意識である。
今まで兄は『仕上がった』人間しか食したことはなかった。自分たちの美しい容貌に魅了された者たちが、我々淫魔族に身体を差し出し我々に頂かれた。兄も当たり前のように食していた筈。
そんな人間でも番に選ばれたあの少年は退魔師だという。恐らく愛玩奴隷として調教するという事は数年築いてきた退魔師としての牙を無くすためだと思うが、今まで知らなかった兄の一面を垣間見た気がした。
自分たち淫魔は人間に暗示をかければ思い通りにできるというのに、わざわざ調教。しかも淫魔王直々とは、兄は番に対して相当独占欲が強いと見える。
むしろ、何を必死になっている。正直笑ってしまう。
「直接調教を施すとしても政務はどうする?」
「政務に関しましては宰相ゼルギウス様と交代で兼務されるということです。ゼルギウス様もドールハウスに向かわれました」
「強欲な男だ。王位も番も全て自分の物というわけか。今ヴィンセントはドールハウスか?」
「左様です」
カミールは立ち上がり、ラウールに命じた。
なんだか面白くなってきた。実際七年前にあの少年の美しい瞳を見た時私も魅力された一人だ。
「お前はバンパイア族の後始末をつけておけ。私もドールハウスに行く。その一希という退魔師は私が貰うぞ」
「分かりました。行ってらっしゃいませ、カミール様」
応接室を退室したカミールはそのまま城を後にし、ドールハウスへ向かう。外交の件は後はラウールに任せておけばいい。目下、ヴィンセントの番が気になるからだ。道中、カミールは五百年前の次代淫魔王を決める闘いでの出来事を思い出す。
自分とヴィンセントは双子だ。奴と違うとするのは髪の色だけで、魔力の強さは互角だった。だが自分はそれに過信し、兄ヴィンセントに隙を突かれ敗北した。
ギリっ・・・。
カミールは唇を噛み締める。あの油断さえ無ければ、今頃王はヴィンセントではなく自分だった。そして番も、自分のモノになる筈だった。
ヴィンセントよ。次は絶対に貴方を負かしてみせる。
そして、番も私のモノにする。全てを手に入れたと、思わないで頂きたい。
日本から遠く離れた宗教国家バチカンは、イタリア国内にある小国で、キリスト教カトリック宗派の総本山である。白い聖職服に身を包んだ白髪の老人・ローマ法皇フランシスコは、バチカン国内一大規模な教会の執務室で、部下から淫魔王の番が発見され、魔界に連れて行かれたと聞いた。さらに今朝悪魔祓い専門組織であるエクソシストが動き出したと報告を受けていた。七年前にも淫魔王が現れたがあの時は何もなかったため様子を見るため泳がせていた。
フランシスコは悩んだ。
現代はもう中世ではない。悪魔だの異端だの都合のいい口上を言ったところで、殺める理由にはならない。こんな事がもし世界中に知らされると今まで築いてきた権威が崩壊する危険がある。
キリスト教カトリック派とエクソシストは昔から親密な関係がある。カトリック宗派が彼等を保護し、エクソシストたちが妖魔退治と謳い、人間たちを浄化へ導くといった大義名分を振りかざし、何も関係ない市民を傷つけるのは今に始まった話ではない。
もともと彼らは十字軍という雇われ傭兵で中世期から存在していた。#聖地__エルサレム__#奪還以降、彼等はエクソシストと名を変えキリスト教信仰国各所に散った。彼等の多くは民族に同化して暮らしていった。しかし、一国だけ事情がありエクソシストも政治干渉が認められる程彼等の立場が強い国が存在した。今はもう無くなったが、その名残りもあり、エクソシストはバチカン国の政治に干渉できる権限がある。
悪魔祓いが彼等の専門分野である。
淫魔は悪魔と同義語とされている。解釈はそれぞれの宗派によるが、カトリックは“悪魔”という存在を肯定している。その為エクソシストたちが悪魔祓いとして淫魔を倒すのは認められていて、番に選ばれた人間は悪魔に魅了されたため、浄化し人間の世界を悪魔の侵攻から守るのだというのが彼らの大義名分である。
執務室の扉が荒々しくバンっと開く。
数人の男たちが白いスーツを着て入室して来た。彼等がエクソシストである。
エクソシストたちはすぐに魔界に赴くようフランシスコに申請するため、今彼の執務室を訪れたのだ。目的ははっきりしている。彼等の大義名分に則って何の関係もなく淫魔王の番に選ばれた人間を殺すためだ。
しかし、フランシスコの側近であるガブリエルはエクソシストたちに待ったをかけた。
「まずは向こうの出方を見ましょう何、こちらも準備があります。まずは様子を見るのです」
「しかし・・・!」
「今は時期早々です。我等には情報が少ない。今魔界へ行ったとしても、他の淫魔たちが番を守ろうと総攻撃して来るでしょう。時期を待つのです」
「それでは遅いのです。現に奴等は何も関係ない人間たちを襲っていました。世界中からも報告は上がっています。番が見つかった事で今は報告はありませんが、奴等がまた活動を再開するとも限りません。今こそ魔界へ行くべきです」
「ーーお黙りください、アンウォール殿」
ガブリエルの鋭い眼光がアンウォールを睨む。
「エクソシスト総隊長アンウォール殿。ここは、法皇の執務室です。神にお仕えする法皇の御身にご配慮お願い頂きたい」
老臣の睨みに、血気盛んな総隊長アンウォールは、彼の凄みを感じて言葉に詰まる。
「確かに世界中から報告が上がっていた事は事実です。ですが、すぐに行動を起こすのは相手の思う壺。すぐに淫魔たちの報告が上がって来ないなら、時間を置いて情報収集に尽力することが其方の仕事では?」
「もう、申し訳ありません。性急でした」
アンウォールは二人に謝罪すると、部下を引き連れ執務室を後にした。
すぐに大きな犠牲が出ない事だけにフランシスコは安心していた。
エクソシストたちも人間だ。現在詳しい情報が入らない中無駄に犠牲を出したくなかったのが本音だろう。
だが・・・と、フランシスコは思う。
淫魔王の番として連れ去らた者の魂が穢されているのだろう。先程から胸騒ぎがする。は、これ以上穢される事のないよう、執務室で静かに祈りを捧げるのであった。
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